第389話 サルメンハーラ空中戦③
魔法で造り出したレンズがなければ、町そのものが消え失せていた。
頭ではそう分かっていても、自分が失敗したのではという考えが拭いきれない。
もう少し範囲を大きく取っていれば。
セトが角度を変えることに対応できていれば。
死力を尽くしてでも反射用の構成を描いていれば。
もっと違う手が打てたのではないかと、後悔と自責の念が次々に頭の中を駆け巡る。
「……っ、兄上、この時間帯ならもう話し合いは終わっているだろう? あの場所にレオ兄たちは、」
「まだ昼に差し掛かる前だ、よほどスムーズに進まない限りは……。それに、騒ぎになった時点でカミロなら、町で一番頑丈な建物に留まることを選ぶだろう、だからっ」
途中で声を詰まらせたアダルベルトは、一度何かをこらえるように歯噛みし、頭上のエトを振り仰ぐ。
「エト! エト、俺の声が聞こえるか、頼む、あの煙が上がっているところに降りてくれ! あそこにはレオカディオたちがっ……いるんだ、頼むよ、弟もカミロも、あそこにいるんだ……っ」
思考も、状況も、どこか現実感が薄く、悲痛に叫ぶ兄の声すらも鼓膜を素通りしていく。
首を傾ければ町の中心部からは未だ砂色の煙がもうもうと上がっており、霧に包まれたように建物の様子が伺えない。
火災の煙というよりは、石造りの建物が倒壊したせいで粉塵が舞っているのだろう。
冷静を保つ頭の片隅がそんなことを考える。
<降りる? 降りるのか? やっつけないと、あぶないぞ?>
「たしかに、あんなものをまた撃たれたら……、母君に話は通じないのか?」
<怒ってる。いつもそうだ、怒るとおれが何いってもきかない。大きらいだ! 大きらいだぞ!>
降下を続けていたエトがようやく白い巨体に追い着く。
落下の速度をのせ、死角から首筋を狙った鋭い一撃。だがそれを見舞う前に、背後からの攻撃を見越したセトは大きく羽ばたいて円を描くように旋回する。そして、その体勢のまま一気に高度を上げる。
位置を逆転された。上空に佇むセトはゆるりと鎌首をもたげ、次なる標的を見定めているかのようだった。
それに気づいたアダルベルトが身を固くし、強く抱きしめてくる。力強い腕が苦しくてあがき、肺の奥から空気を吐き出した拍子に何度かむせる。
無意識に息を止めていたようだ。
<――、……様っ、リリアーナ様、届いていますかっ?>
「アルト……?」
少し高度が落ちたせいだろうか、念話の圏外にいるはずのアルトから声が届いた気がする。
耳を澄ませるように集中し、頭を巡らして下方へ目を向けると、そこに既視感のある薄桃色が見えた。
二、三度、瞬きをしてみるが、見間違いではない。大きく翼を広げた状態でゆっくりと浮上してくるのは、コンティエラからここまで乗ってきた極楽鳥だ。
その背には黒い服を着た男がひとり、こちらを見上げながら立っている。
<今すぐに、とはいきませんが、そちらへ参りますぞー!>
「エ……、シオと一緒に来たのか。だが極楽鳥ではセトの速度に追いつけまい。こちらへ昇って来るよりも、今は領事館へ向かって救助や治療に当たってもらったほうが、」
そう口に出したことで、思考から追い払っていた事実をいやでも再認識する。
領事館の爆発と倒壊に、間違いなくレオカディオとカミロが巻き込まれた。
おそらく、無事でいるはずだ。あのカミロが一緒にいるのだから、レオカディオは大丈夫のはず。軽い負傷くらいしているかもしれないが、こんなことでどうにかなる次兄ではない。
カミロがいるのだから大丈夫。大丈夫。
何度もそう念じるたび、領道の事故現場で目にした赤色が脳裏にちらつく。倒れたファラムンドを庇い、半身を潰して血塗れになっていた姿が。
たとえレオカディオが無事だとしても。否、無事でいさせるためにこそ。あの男が自分の命を当たり前のように差し出してしまうことを、自分はもう知っている。
「……っ!」
こみ上げる感情を無理やり押さえ込み、奥歯をきつく噛みしめる。
目蓋を強く閉じ、アダルベルトの胸に頭を押し当てて激情の波をやり過ごす。冷静でいなくては、感情に呑まれるな、考えることを放棄してはいけない。
その時、挟まれた自分の胸元に何か硬い感触があるのに気がつく。
コートのボタンだろうかと考えてから、はたと気づき、手を突っ込んで襟から強引にそれを引き出す。
外出時にはいつも身に着けるようにしている銀のペンダント。五歳記の祝いの日に、カミロから贈られたものだ。
「そういえば……」
今まで使う用はなかったけれど、たしかこれには通信系の構成と精白石が込められていたはず。
危機に陥った際に握りしめて念じろと言われたから、まるで逆の用途になってしまうが、何かほんの少しでもいい、紐づけされたカミロの様子や置かれた状況が分かるなら――……
縋る思いで握り込み、浮き上がった構成は、古びて欠けてもはや元がどんな形の魔法だったのかも判然としなかった。むろん発動もしない。
「……だぁぁっ!」
三年越しのとっておきなのに、ここぞという時に役に立たなくてどうする!
思わず喉の奥から自棄の声が漏れる。
「リリアーナ、大丈夫か?」
「だ、だいじょうぶ……わたしは冷静だ……」
細い鎖を引きちぎりそうになるのを抑えて、ペンダントを握り直す。
竜と百合のモチーフが刻まれた銀の飾りは年代物なのだろう。よく磨かれてはいても細かな傷の残る、見慣れた小さなロケット。
この身に危険が迫ったらなんて言っておいて、本人のほうがよほど危ない目にばかり遭っているではないか。構成が不発だった苦情も含め、あとで説教してやる。
セトはまだ次弾を撃つ気配はないけれど、もしまたあれを放つ気だとしたら、もう
エトも攻撃が通じず攻めあぐねているし、自分には大きな魔法を使う力が残っていないのだから、もう取れる手段はこれしかない。
上空の懐かしい姿を視界に収め、それから白煙けぶる町を見下ろす。
すでに取捨選択の覚悟はある。
優先順位の問題だ。
「アルト、聴こえているか、その男にわたしの言葉を伝えろ。今のセトは実体を作りきっていないから物理攻撃はほとんど効かず、急所も存在しない。だが、その代償として一個体としての結合が緩い。生物の形を崩しさえすれば、当面は無力化できるはずだ」
<はい、リリアーナ様の言葉のままお伝えいたします。……ええと、つまり一発入魂の強い魔法攻撃なら効く、ということですかな?>
「ただの魔法では障壁に弾かれてしまう。だが、そいつは『魔王』の防御をも貫通する魔法を持っている」
熱線の魔法。
かつてデスタリオラであった頃に痛い目をみた、天敵のような魔法。その対策に死後まで頭を悩ます羽目になったけれど、今この状況にあれほど適した攻撃手段は他にない。
エルシオンはアルト伝いにこれを聞いて、一体どんな顔をしているだろう。眼下の姿は未だ遠く、目をこらしてもその表情までは読み取れない。
ただ一度、首を縦に振ったように見えた。
「セトの周りにはまだ霧が残っている。このまま撃つと威力が減衰されるから、それはわたしが取り除く。あの霧が晴れたらすぐに撃つように伝えろ」
<了解です!>
アルトの返答を受けて、すぐに構成の準備に入る。もう自力だけで魔法を扱う体力なんて残っていないから、使えるものは何だって使ってやる。
手に握りしめたペンダント、その中に込められた精白石に残る力は微々たるもの。それでもないよりは全然ましだ。
あと一回。未だ周囲に精霊たちの姿はなく、自分の持つ力を振り絞って簡素な構成を描き出す。
水分を蒸発させる、気化を促すだけのシンプルな魔法。濡れた髪や服を乾かすための、初歩の初歩とも言えるような構成は、発動させるなりあっという間に周囲の靄を晴らした。
それを確認して下に顔を向けると、すでにエルシオンは右手を掲げ、上空に狙いを定めていた。
「初見ならあれは避けられない。セトの首を落せ!」
<えっ!>
宣言と共にどこからか驚きの声が上がり、体が急に傾いた。
抱えられたまま体が回転し、それに伴い視界も回る。
慣性をまるで無視した急旋回が終わると、自分たちがセトに向かって飛んでいることに気づく。ほんのひと呼吸の間の出来事だった。
<だめー、だめだぞ、だめだ――!>
不可視のはずの線が視えた。
エトの右翼を真っ直ぐに切断するその線は、血のような赤色をしていた。
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