第371話 要素集合霧


 思いがけないノーアの指摘に対し、努めて冷静にこれまでのことを振り返ってみる。

 サーレンバー領にエルシオンが現れたのは、ただの偶然のはずだ。転移によって遠くに飛ばされ、イバニェス領へ戻る途中だったと本人も言っていた。こちらの正体を悟られ、帰路を同行することになったのも成り行き上のことで。

 だがその後、そもそもの始まりであるアダルベルトの誘拐はどうだろう。自分たちがコンティエラに着いたタイミングで起きた事件。カミロの目が離れる時間なんていくらでもあったはずなのに、なぜエトはあの日に行動を起こし、サルメンハーラへ向かったのか。

 空を往く飛竜ワイバーンを追える者はそうそういない。発見にはアルト、追跡にはエルシオンが揃っていなければ、極楽鳥に乗ってすぐに追跡するなんて行動は取れなかった。

 それからサルメンハーラの町に着いたあと、塀を越えて早々に衛兵たちが騒がしくしていたが、あれは逃げた八朔を捜索するもので。……長く監禁されていた彼が、自分たちが着くのとほぼ時を同じく脱走したということになる。

 アイゼンはこの町の創設者の血縁だし、手配が回ってからはここで身を隠していてもおかしくはない。あの酒場に顔を出したのも馴染みの店だからということだった。

 それでも、領事館から逃げ出したアダルベルトのいる店に、自分たちが訪れているタイミングで入ってくるのはやはり出来すぎではないだろうか?


「……」


 てっきり全て偶然によるものだと思っていたのに、部外者であるノーアから指摘されてみればたしかに、おかしいと思える部分はいくつもある。

 誰かが嘘をついているとかそういう話ではなく、もっと外側にいる『誰か』の意図によって状況が動かされているような。そんな不自然さを感じる。


「ふむ……。渦中にあるせいで客観視が難しくなっていたが、言われてみれば妙だな。八朔もアイゼンも自分からわたしの前に現れたようなものだし、かと言って誰かに誘導されたとも思えないのだが……」


「何も起きていることの全部が作為的だとまでは言わないけれど、おかしいってことは自覚しておくべきじゃないか?」


「うん、確かにそうだ。偶然と思い込んだ上に、全て片がついたと安心しきっていたからな。作為と決めつけるには尚早だが、後でそれとなく周囲にも訊ねてみよう」


 もしエトが目覚めていたら、屋敷からアダルベルトを連れ出した際にどうしてサルメンハーラへ向かったのかを聞いておいた方が良さそうだ。

 それからアイゼンには、昨日のあの時間に店を訪れた具体的な理由を。試作品として受け取っただけの三枚しかない栞を、なぜレオカディオに渡したのかも気になる。

 誘導されるようにして集ったサルメンハーラの町。もし本当に何者かの作為だとしたら、一体何が目的なのか。


「気づかせてくれて助かった、ありがとう」


「別に礼を言われるほどのことでもない。誰だって第三者の立場で聞かされればおかしいって思うはずだ」


「いや、昨日今日とこうしてお前に話を聞いてもらえて良かった。もし何者かの狙い通りに動かされているのだとしても、ノーアとの会話まではさすがに予想外だろうからな」


 誰よりもそばにいるアルトすら感知できていない、精霊の力による遠隔対話。

 自身で扱う魔法の参考にする以上に、収穫は大きかった。

 あとで確かめるべきことを頭の中でまとめていると、表情の険しさを落さないままのノーアがじっとこちらを見ているのに気づく。


「……本当に魔法でこれを再現するつもりでいるのか?」


「ん、完全には無理だろうが、離れた場所にいる相手と話すくらいはできそうだ。何ならこの部屋の詳細な場所を教えてくれれば、実際に試してみせるぞ?」


「その手には乗らないよ。自力で辿り着かないと意味がないだろう」


 軽口に乗ってくるとは期待していなかったが、案の定ノーアは呆れたように片手を振って脱力した様子で再び椅子へと凭れ込む。

 それを見遣るふりをしながら、注意深く周囲へと視線を巡らせる。

 白い壁や柱、特徴的なタペストリーと蔦の這う衣装の大きな窓。以前と何ら変わらないそれらの内装以外、これといって目に留まるものはない。


 ――眼に、映らない。

 ノーアについているのが本当に大精霊クラスの相手ならば、金の燐光すら視えないのも当然か。


「なぁ、ノーア」


「何、もう厄介事の話はこれ以上聞きたくないんだけど。君の話は胃もたれする」


「相変らず失礼な奴だな。それはともかくとして、前に街で会った時から不思議に思っていたのだが。お前はもしかして、『勇者』エルシオンと知り合いなのか?」


 ぴくりと、その体がわずかに強ばるのを見逃さなかった。

 ノーアは纏う雰囲気を張りつめながらも、表情だけはいつも通りの涼しい顔を保ち、こちらへ視線を返す。


「エルシオンなんて何十年も昔の『勇者』だろう、知り合いなはずがない。この前、君のとこの街で追いかけられた時は訳が分からなかったし、転移で跳ばしたのも厄介事を遠ざけただけだよ」


「ああ、あの時は助かった。力ずくではどうにもならない相手だからな、わたしも転移の魔法を自在に扱えたら良いのだが、あれはだいぶ難しいし……」


 それに、大陸のどこへ跳ばしたとしてもあの男のことだ、どうせすぐにまた戻って来る。一時しのぎにしかならないことに、寝込むほどの力を割く気は起きなかった。

 ノーアのように精霊へ命じて魔法ではない手段を使えたらどんなに楽だろう。……そう思う傍ら、代償を考えればうかつに試すこともできない。

 ただ『楽しい』ことへの興味だけで自然現象を自在に操るような存在へ、指揮権もなく命令を下すなんて想像するだけで怖ろしい。

 一体どうやってそんなことを可能としているのだろう。ついている大精霊と、何か契約のようなものを交わしているのだろうか。だとしたらその対価は?


 目の前の少年を眺めながら、問いかけられない疑問について思案を巡らせていると、その華奢な指に嵌ったいかつい指輪に目がとまる。

 街で会った時にもつけていた、大粒の金剛石が輝く金の指輪。子どもがつけるには大きすぎるから、仕方なく親指に嵌めているのだろう。

 装飾品としてはサイズの不似合いなそれに、以前も見たという以上の引っかかりを覚える。


「……何? この指輪がどうかした?」


「いや、指に合っていないし、お前の趣味とも思えないなと」


「これは僕のじゃないよ。ここの……僕の後見人にあたる奴がつけていろって言うから、仕方なく持っているだけで。売れば大きな額にはなるんだろうけど、はっきり言って悪趣味だ」


「そうか? 武骨な意匠で、頑強そうな造りはなかなか悪くないと思うんだがなぁ」


 正方形の土台に多角的なカットを施された金剛石が鎮座する、重たそうな金の指輪。嵌め込まれた石もそうだし、黄金はヒトの文化圏では高価なものらしいから、持ち帰れば大した価値がつくのだろうと――


「宝飾品に対して武骨とか頑強って感想が浮かぶのはどうなんだそれ、君だって年頃の令嬢なんだからもう少しそういう、」


「あっ!」


「な、何?」


 引っかかりが過去の記憶にばちりと嵌り、指を突き出したまま思わず声が出る。

 繊細な彫刻と力強い意匠の調和した、構成の刻まれた金剛石の指輪。……かつて、交易締結と友好の証として、『魔王』デスタリオラからサルメンハーラへ贈られた、あの指輪に間違いない。

 あの時はヒトにとって価値があるならくれてやろう、という程度にしか考えていなかったし、彼が聖王国に戻ってから換金したのであれば、巡り巡ってノーアの手に渡ることも有り得るだろう。

 とはいえ妙な巡り合わせもあったものだ。まさか知り合いの手元で、再びあの指輪を目にするとは。


「一体何なんだ、急に大きな声を出、」


 そこでノーアの白い顔がさらに白くなる。否、濃い霧がかかったように全てが白に呑まれていく。

 おそらく相手にとっても同じことが起きているのだろう、驚きを浮かべた表情が靄の向こうへ掻き消える。

 唐突な対話の終わりに、まだ話したいことはあると焦るがもう遅い。ひとつ瞬きをすると、そこは元通り見慣れぬ馬車の中だった。

 長椅子へ座り込んだままの体勢で、虚空を見上げている。動かずまたたきを繰り返しても、視界があの白い部屋へ戻ることはなかった。


<リリアーナ様? 大丈夫ですか?>


「……あぁ、うん。問題ない」


 もう当面は会えない相手だ。ちゃんと別れの言葉くらい交わしたかったが、空気も場面も読まないのが実に精霊らしい。

 気持ちを切り替えるように大きく息をつくと、腹が空腹を訴えて小さく鳴った。

 どこからともなく良い匂いが漂ってくるし、朝食の支度が進んでいるのだろう。トマサが起こしに来るのを待たずに、もう外へ出てしまおうか。

 そう思って椅子から立ち上がり外套を探していると、ポシェットの中から遠慮がちな声が届く。


<あの、リリアーナ様。外へ出られる前に、右手側の窓から空を見て頂いても良いでしょうか?>


「空? 構わないが、何かあるのか?」


 アルトの妙な頼みに応え、椅子へ片膝をつきながらカーテンをずらして窓の外を見る。曇ったガラスを指先で拭うと、冬らしい薄水色の空が覗いた。

 快晴の朝、雲は少なく鳥の姿もない。見ろと言われて見てみたが、特に気になるようなものは何もなかった。


「空がどうかしたのか?」


<あ、いえ、リリアーナ様の眼でも何も視えないのでしたら、別に良いのです>


「なんだ、気になる言い方だな。空に何か見つけたのか?」


 問いかけながら更に目を凝らしてみるけれど、やはりガラス越しの空には何も見つけられなかった。


「わたしはお前の探査能力を疑ったことはない。何か気になるなら遠慮せず言ってみろ」


<ええと、それが、私としてもハッキリしないご報告をするのは気が引けるのですが、北の空にこう……何かの要素・・としか言い様のないものが、少しずつ集まっているような気がしまして>


「要素? 精霊とか、物質とかではなく?」


<はい。遠すぎて私の探査が届かないせいもありますが。昨晩辺りから、だんだんと何かが溜まってきております。リリアーナ様の眼でも捉えられないのでしたら、魔法や精霊の類でもないでしょうし……>


 そう言われて再び空を仰ぐが、やはり目に映るのは淡色の空のみ。

 大気中の水だって集えば雲となるし、汎精霊の類ならこの眼が見逃すはずもない。自分の眼にもアルトの探査にも映らない『何か』。

 判然としない嫌な予感が湧き上がるのを感じながらも、今はまだ頭の片隅へ留めることくらいしかできることはなかった。


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