第364話 夜更かし兄妹談義②
立ったまま動こうとしない弟を見上げ、アダルベルトが後ろで小首をかしげたのが伝わってくる。
「どうした、レオカディオ。コートを着込んでいても立ったままでは風があたって寒いだろう。せっかく持ってきてくれたんだ、お前もこっちに入らないか?」
「別に、気を遣ってくれなくていいよ」
「そんなつもりはないさ。さっきのことを怒ってるなら謝るから」
方々から鈍いだの何だのと言われるリリアーナですら、レオカディオの様子がおかしい理由はそこではないじゃないかな、ということはわかる。だからもしかしたら、アダルベルトも相手の不機嫌が別の要因によるものだと、本当は気づいていてこんなことを言っているのかもしれない。
自分よりも人心に疎い者などそうそういはしない、という妙な自信があった。
「さっき聖堂を出た時にもチラッと姿を見たし。リリアーナがその栞を持ってるってことは、もうあの商人から全部聞き出したんでしょ?」
「アイゼンのことか?」
「そ。……まぁ、君がサルメンハーラへ向かうことになった時点で、こうなる予感はあったんだけど」
そうおどけたように肩を竦めて見せるが、作り笑いをやめた次兄の表情はどこまでも冷え冷えとしていた。
こちらへ来て毛布に包まるつもりはないらしく、後ろ手で柵に肘をつく。
「それで、どうするつもり?」
「どう、とは?」
「せっかく大人たちの耳もないんだし、お互いごまかしはナシってことで。ここまできてそーいうの面倒くさいじゃない?」
「……」
アダルベルトが無言になり、リリアーナとしても相手がどんな返答を望んでいるのか掴みかねて、しばし三人の間に沈黙が落ちた。
それに焦れたという様子でもなく、レオカディオはわざとらしいため息を落して目を眇める。
「アイゼンと話したならもうわかってるんだろ。魔法の籠った栞を買い上げて、あの本に挟んでおいたのは僕なんだってこと」
「ああ、その件か」
「レオカディオ……」
何か言いたげな長兄の体を外套の中で軽く叩き、その言葉を留めさせる。
「確かにアイゼンとは夕食を共にして色々と話も聞き出したけれど、あいつは栞を誰に売ったのか一言も口を割らなかった。頼まれただけとか、自分が主導ではないとか、そういう言い訳も口にしなかったし、胡散臭いわりになかなか義理固い男だな」
「なに、まるで最初っから僕が仕組んだことだと分かってたみたいな口振りだね」
「わかっていたぞ。カミロもたぶん知ってる」
中途半端に口を開いたまま、レオカディオの顔が固まった。
「他領にまで手配をかけて犯人探しをしていたのは、わたしへの危害に対する罪よりも、あの栞の危険性について危ぶんだせいだろう。例えばクストディアのように深い心の傷を抱えた者があの栞に苛まれれば、命に係わる……かもしれない」
「そういえば、コンティエラの街でも同様の栞によるものと思われる事件があったと聞いている。あ、リリアーナ、さっきの青い紙は証拠品と言っていたがもしかして、」
「あれは大丈夫だ、効果も『おまじない』程度だと確かめてある。もし気味が悪ければ使わなくていいぞ、寝床から離れたところに丸めたまま置いておいてくれ」
しばし逡巡するような間を置いてから、背後のアダルベルトは首を横に振る。
「いや、魔法による眠りがどんな感じか興味がある。それに、リリアーナが大丈夫と言うなら安心して使えるよ」
「は? そんな怪しいものアダル兄が使うなんてダメだよ、っていうか待ってよ、僕が仕組んだと知ってたならもっと何かあるでしょ、あんな嫌がらせしてくる兄と今まで平気な顔してお喋りしたりお茶したりしてたわけ? はぁ?」
「まぁ、レオ兄がわたしのことをあんまり良く思っていないのは知っていたし、今さらというか。理由はちょっと気になったが、別に問い詰めるほどのことでも」
そもそも、あの『露台に咲く白百合の君』を取り寄せたのも、自分へプレゼントしてきたのもレオカディオだとはっきりしている。栞の入手元であるアイゼンが挟んだのでなければ、疑わしい人間はもう他にいない。
精神に微弱な干渉を及ぼし、悪夢をみせる構成。――ファラムンドとカミロによるチェックをすり抜けたように、精霊眼を持っていなければただの栞との判別はつかない。
渡した側にとっても、あんなにすぐ栞に仕込みがあることが露見するのは予想外だっただろう。
もしかすると、自分が怖い夢をみたと言って侍女に泣きついていれば、その日のうちに回収に来るつもりだったのかもしれない、とも思う。
「あの本をもらう少し前に、レオ兄と中庭で『怖いもの』の話をしただろう? わたしは雷が苦手だと答えた覚えがある。あの栞を渡したら、雷の鳴る夢を見るとでも思ったか?」
「……そうだね。何も怖いものなんてなさそうな生意気な妹が、夢見の悪さに怖がって、怯えでもすればイイ気味だと思ったよ」
「おい、レオカディオ……!」
弟を諫めようと身を乗り出しかける長兄に、後頭部をぐりぐり押し付けて宥める。怒ってくれる気持ちは嬉しいが、うっすらと勘付いていたことだし、何より自分は別に怒ってはいない。
あの栞によって酷い悪夢を見た。だから、犯人には百倍の威力を持った構成で自分の苦しみをお返ししてやろうとずっと思っていたけれど、栞を用立てたアイゼンのしおらしい様子に今はその気持ちも萎んでしまった。
「まぁ、怒っていないのと、仕返しについては全く別の話だがな」
「え?」
「屋敷に帰ったらアダルベルト兄上には安眠のための品を用意するし、レオ兄にはあの栞と同じ構成を刻んだものを用意するから、どんな夢を見るか楽しみに待っていてくれ」
心底嫌そうな表情を浮かべている次兄の顔は、見慣れている相手なのに何だか新鮮に映る。
これまで見てきたどの表情も、自分の前ではあえて作って見せていたものなのかもしれない、と改めて気づかされる。
「……リリアーナは、あの栞でどんな夢を見たのさ。僕のほうには、害意ある魔法の品を贈りつけられたって話しか来てないから、結局知らないままなんだけど」
「ん、」
あまり思い出したくもない内容だ。最近は不意に脳裏に浮かぶことも減っていたし、このまま記憶が薄れていけば良いと思っていたのだけれど。
あの夢について、これまで他の誰かへ詳細に語ったことはなかった。良い気分はしないだろうし、きっと気を遣わせてしまうだろうと思って。
だからむしろ、ここで原因である相手に聞いてもらうのは良いのかもしれない。
「……光をうんと集束した熱線の魔法というものがある。窓の外からそれが差し込んで、線を描きながら壁が灼けて、目の前でフェリバの首が落とされた。床が真っ赤になって、膝の上にその首をのせた重みも、まだ温かい血の感触もはっきり覚えている」
「……」
「寝室では大切なものが壊れていて、扉からこちらに来ようとしたトマサの体も刻まれて、内臓と血液が広がった。次にカミロが駆けつけたが、外からの攻撃は止まず対処もできず……。そこで目覚めなかったら、カミロが死ぬところも目にしていたのだろう」
腹の奥から絞られるような、全身が凍てつく恐怖の感情。
領道で潰れた馬車を目の当たりにした時もそうだったけれど、強すぎる感情変化はとてもしんどいものだ。心の動きによって体にまで変化が出るなんて、生前は知りもしなかった。
強張っていた体から意図して力を抜き、大きく息を吐き出す。やっぱり、未だにあの夢を思い出すのはつらい。
「思うに、わたしにとっての『怖いもの』は、防ぎようのない脅威と、身近な者たちが失われることなのだろう」
あの熱線を恐れた原因であるエルシオンがひとまずの脅威から抜け落ちた今、自分にとっての恐怖は、身近な者や家族らの身の危険だ。
今回の誘拐事件は何とか無事に済んだけれど、構成を刻んだ装飾品を用意するとか、屋敷の防備を固めるなどして、今後もやれるだけの対処はしていきたいと思う。
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