第354話 襲来、再び
何度も頭を下げているアイゼンが門のあたりで合流し、聖堂を振り返るカミロが目礼をして、その隣で八朔が大きく腕を振ってから揃って歩いていくのを、リリアーナは軽く手を振り返しながら見送った。
あの三人だけで今晩を過ごすことになるけれど、一体どんな会話が交わされるのだろう。あんまり想像がつかない。
特にカミロは常にイバニェス家の誰かと共にいることが多いから、こうして余所の誰かと越す夜は珍しいのではないだろうか。仕えている自分たちから離れることで、少しは気楽に過ごせれば良い、……なんてことを思いながら冷えた指先を口元にもっていき息を吐きかける。
見送るだけだからと外套も置いたまま下りてきたので、さすがに寒い。
満腹感と疲労も手伝って先ほどから眠くて仕方ないし、二階へ戻ってマグナレアに挨拶をしたら今晩は早めに寝てしまおうか。
明日以降は聖堂で寝泊りする機会なんて当面訪れないだろう。そうなると、精霊を介した連絡手段でノーアと話せるのは明朝が最後の機会。
今度は寝坊をせずに、ちゃんと身支度を済ませておかないとノーアからの小言で貴重な時間が潰れてしまいそうだ。世話焼きな
<――リリアーナ様、何かがすごい速度で近づいています、空です!>
「え?」
とりとめない思考を区切り、緊急を告げるアルトの声に再び空を見上げる。
目を細めて凝視するが、無数に瞬く星と薄い雲以外、その『何か』とおぼしき物は見当たらない。
一旦視線を下げると、自分のあげた声に気がついたらしく、外門の向こうでカミロたちが何事かとこちらを振り返っていた。
<もう少し北、右手側です、もう来ますっ、ご注意を!>
そう示されて右側を見上げるのと、遠くの屋根を越えて飛来するソレがすぐ頭上まで到達したのは、ほぼ同時だった。
とてつもない速度で眼前へ迫る、その質量に圧倒されて驚きの声も出ない。
頭を覆うよりも早く、駆けてきた男に抱き込まれる。
視界が陰った瞬間、すさまじい轟音と衝撃がやってきた。
「――――……ッ!」
激突したのだ、と理解はしても、状況に頭が追いつかない。
上から落ちてくる大小の破片は全て庇った体が受け止めてくれた。痺れるような耳の痛みに耐えながら、伏せていた頭を上げる。
すぐそばにレンズに遮られない顔があった。
「リリアーナ様、ご無事ですか」
「わたしは大丈夫だが、カミロお前、……いや、二階だ、兄上が!」
仰いだ先、こちらを庇う男の向こうに見える空には、巨大な飛竜が滞空していた。
頭から聖堂の二階に突っ込んだのだろうか、長兄が使っている中央の部屋の窓は跡形もなく崩れ、大きな穴が空いている。
あの部屋のベッドは壁際にあったから、寝ていたのなら直撃は免れたと思うが……
同じようにそれを見上げていた顔に、明らかな逡巡がよぎる。ここに残るか、上階のアダルベルトの元へ駆けつけるか、迷ったのだろう。
「わたしのことは構うな、お前は兄上の所へ急げ!」
そう言って胸を押して促すと、カミロは言葉を返す間も惜しむようにひとつうなずきだけを残し、聖堂の中へと走って行った。
それを見送る猶予もなく、扉から数歩離れて顔を上向ける。
成体の
鋭い爪や牙に抱く本能的な恐怖より、ただ大きいというだけでこうも圧倒されるとは。あの強靭な尾に一薙ぎされるだけで、この柔い体はひとたまりもなく引き裂かれるだろう。
「あの面倒な男のほうがずっと強いのにな。
<リリアーナ様、まだ破片が落ちてきます、危ないですからもう少し離れてください>
アルトの忠告を聞き、見上げる姿勢で後退しながら構成を描く。
まずは障壁を張り、身の安全を確保してから
……そう思ったのに、突然膝から力が抜けて体ががくりと傾く。
「っ!」
「おい危ねぇ、ですよ!」
後ろから八朔が支えてくれたお陰で何とか転倒は免れたものの、足に力が入らない。自力で立とうとしても両足が震えてしまい、少年の腕に縋っていないと今にも座り込んでしまいそうだ。
今日は朝から何かと魔法を使いすぎた。せめてアイゼンとの遭遇がなければ、ここまで消耗はしていなかっただろうに。だがあの追跡は自分で決めたことだから、今になって悔いたりはすまい。
「八朔、わたしはしばらく魔法を使えないようだ。あの
「も、もちろんだ、です!
別にそこまでのことを頼むつもりはなく、自分を背負って移動してもらうとか、そういう助力を頼みたいのだが。ひとまず意気軒高な八朔はそのままに、二階の様子をうかがう。
未だ
とても野生の
その相手がアダルベルトの誘拐を目論んだ犯人である可能性が高い以上、手掛かりを掴むためにもできるだけ生け捕りにしたい所だが……
<アデュー、……アデュー、アデューッ!>
「何?」
崩れかけの二階からは、アダルベルトとカミロの声が聞こえる。距離があって何を言っているのか聞き取ることはできないが、その隙間に何か――思念波のような『声』が、頭の中へ響いてきた。
どこか悲痛さすら込められたその呼びかけの『声』、名前なのだとしたらアダルベルトのことを呼んでいるようにも思える。
(まさか、知性が低く魔法は使えないはずの
聴こえたこと自体を疑いそうになるけれど、今のはアルトからの思念ではなかった。こちらの動揺を心配そうに見下ろす八朔の目に気づき、他の者には聴こえなかったらしいと悟る。
<リリアーナ様、あの個体を解析したのですが、どうやらあれは
「どういうことだ、アルト?」
<何度も探査を通して確認しましたが、あれはまともな生物ではありません。中身に心臓などの臓器が何もなく、骨や筋肉すら存在せず……
「何か、って……」
自分の目には、どこからどう見ても成体の
鱗の下に詰まった筋肉の脈動も、首や尻尾のうねりも、とても中身がないとは思えない。
だが、自分がアルトの報告を疑うことはない。この無機質な忠臣が断言の形で伝えてくるからには、それは真実なのだ。
「構え―― 撃て!」
「っ?」
突如、響いた号令と共に滞空する
慌てて振り返れば、門の外には甲冑に身を固めた衛兵たちがずらりと並んで弓を構えている。第二射を放とうと腕を挙げる指揮官らしき男に向け、その場から届かない手を伸ばす。
「馬鹿者、やめろ! 兄上たちに当たったらどうしてくれる!」
「待って、お嬢、なんか来る!」
耳元で声をあげる八朔が、身を折るようにして自分を抱え込む。咄嗟のことで体勢が仰向くまま、反転した景色に両翼を広げる巨躯が目に映る。
その刹那、音もないまま鼓膜を震わせる圧が通り過ぎるのを感じた。
いくつもの悲鳴と門のきしむ音。
それらを背に、
「兄上、カミロ、逃げろ!」
初撃以外、建物にもその中にも攻撃を加えなかったところを見るに、あの
殺害が目当てでなかったのはまだ幸いと言えるものの、再び攫われてしまったら今度は追いかけるすべもない。
せめて自分の魔法が使えたらまだどうにかできたのに。口惜しさに歯噛みするが、ないものを悔いても仕方ない。今取れる手段だけで何とかしなくては。
アダルベルトとカミロは未だ二階の部屋にいるらしい。断続的に何か言い合うような声が聴こえてくる。
こんな緊急事態を前に、不必要な争いをするふたりではない。きっと何かあったのだろう。
「俺がひとっ走り二階まで行って、あいつらを掴み出してくるか?」
「あのカミロが状況を理解していないとは思えない。いざとなれば力ずくでも兄上を連れ出せるはずなのに、それをしていないなら何かあるんだ」
とばれば、この場から標的であるアダルベルトを避難させるという選択肢はひとまず保留になる。
そうなると残るは、あの
……と言っても、あの正体不明の
いや、あれは真っ直ぐに聖堂の二階、アダルベルトが寝ている部屋目掛けて攻撃を仕掛けてきた。身代わりや囮は通じないと見たほうが良いだろう。
ならば足場を伝って八朔に妨害をしてもらい、その間に二階からふたりを移動させるのが一番現実的か。崩れかけで穴の空いた部屋よりは、まだ一階の礼拝堂のほうが安全に思える。
そう決断し、カミロに向かって声を張り上げようとした、その時。
視界の端をよぎるものがあった。冷えた外気を裂いて飛来したそれは、
弓矢かと疑った飛来物は、もっと大きな金属製の長物だ。弾かれたまま地面に落ちるかと思いきや、繋いだロープを引かれ塀の方へと戻っていく。
それを空中で受け止めた人物が石塀の上を駆け、並木の枝を足場に再び手にした短槍を投擲した。
竜はわずらわしげに羽根を仰いでそれを弾くが、効かないことは予測済だったのだろう。ぴんと張ったロープの中央を掴むことで遠心力を利用し、反対側に繋がった短槍が死角から翼の被膜を裂いた。
紐で繋がれた二本の槍を巧みに操る男は、そのまま枝から聖堂の庇へと素早く跳び移り、掴んだ槍の穂先で反対の翼をも斬り裂いた。
そこで体勢を崩すかと思われた
慣性を無視して襲ってくる二本の槍の厄介さに気づいたか、返す刃、ロープを引いて首を狙った次撃には俊敏に反応し、わずかながら空中で距離を取った。
今にも部屋へ首を突っ込みそうだったが、そうして離れる巨体に少しだけ安堵する。
「お嬢様、怪我はありませんか?」
聖堂二階の庇に足をかけ、片手で二本の槍を掴んでこちらを見下ろしているのは既知の相手だった。
ほんの少しでも、あの赤毛の男が駆けつけたのかと期待した自分を殴りたくなるが、そんな思惑も投げ捨てて声をあげる。
「テオドゥロ……!」
「はい、俺ですよ。なんとか危ない場面に間に合って良かったです。サーレンバーでは不覚を取りましたけど、俺もちょっとは役に立つってとこお見せしないと、副長にも面目立たないですからね!」
朗らかにそう応える自警団員のテオドゥロは、手にした短槍を少し掲げてから曇りのない笑顔を見せた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます