第334話 よいこでお留守番①


 支度を済ませたカミロとマグナレアが聖堂を出て行き、留守番にひとり残された。

 これまでは屋敷でもどこかへ赴いても常に誰かと一緒にいたから、こうして建物内にひとりきりというのは初めてのことだ。

 何をしていても見られる心配のない解放感と、話し相手が誰もいない寂寥感。それらを半々くらいに感じながらも、どうせ本を読んでいれば時間はあっという間に過ぎる。静かになった談話室のソファにかけたまま、リリアーナはぼんやりと窓の外を見上げた。


<付近に何かあればすぐにお知らせします。今日のところはのんびりなさってください>


「うん、そうだな。どうもサルメンハーラでは聖堂の利用は少ないそうだし、来客もあるまい」


 とは言っても、余所の聖堂が普段どんな使われ方をしているのかあまり知らない。五歳記の折に裏から入って聖句を唱えたのと、あとはノーアと会った日に離れた場所から眺めたくらいで、利用されているのを見たことがないせいだ。

 聞くところによると悩みを抱える者たちが相談に来たり、大精霊の像に祈りを捧げたりと心の癒しに利用されているらしいが、こんな状況でもなければ十歳記の祈念式まで自分が訪れることはなかっただろう。

 マグナレアからは誰が来ても一階へ下りる必要はないと言われており、居住階に続く扉もきちんと施錠されている。開放されている祈りの間に訪問があろうと気にせず過ごすつもりだ。


「聖堂にはあまり良い印象はなかったのだが、各領にこんな建物がいくつもあるのだとしたら、宿泊場所や食事に困る者が出ないし皆が助かるのかもしれんな」


<そういう機能を持っているなら精霊教が広く普及しているのにも納得できますが、実際どうなのでしょう。父君は聖堂と折り合いが良くないとのことですし、この町で受け入れられていない実情を見ますと、まだ何かあるような気もしますが……>


「ま、そうだろうなぁ。聖堂が胡散臭いのも、陰で妙なことを推し進めているのも薄々感じてはいる。その辺を伯母上に訊ねてみたくはあるが、軽々に口にして良いものかまだ判断がつかない」


 まだノーアに会えないからといって、身近なマグナレアに質問しても大丈夫なのか。会ったばかりの優しい伯母に妙なことを訊ねて不審に思われるのは避けたいし、迂闊な問答で彼女が何らかの不利益を被ることになれば後悔どころでは済まない。

 ノーアにあれこれと質問した時だって、問いかけの内容自体がまずいと言って回答を濁された。

 いくら知りたがりの気質がうずいても、まずその辺の境界を理解してからでないと込み入った疑問を口にするのは憚られる。


「うーん、初めはもっと気楽だと思ったのに。ヒトとして生きるのは案外面倒くさいな」


<リリアーナ様はお立場がありますからね>


 そう応えながら、傍らに置いたポシェットが左右に揺れる。包んでいたぬいぐるみがなくなっても、中で揺れることくらいはできるらしい。

 外側から指で押し込むと、ポシェットの中には硬くて丸い感触と、その下に小さな粒がいくつか。領道脇の赤い花畑で回収してきた精輝石だ。

 空中に放り出された時にひとつ使ってどこかへやってしまったから、残りの手持ちは四粒。

 ヒトの文化圏で空調や温水器などに使われているのは、いずれも精霊たちの残滓である精白石だった。結晶体である精輝石のほうは一般的ではない――、むしろ存在自体が知られていないと見ている。


 精白石だけで十分だから、入手の難しい精輝石は廃れてしまった?

 ……いや、ずっと昔は魔法の道具を動かすのに精輝石を動力源としていたはず。魔王城の地下書庫にもそれらの道具について記されていた。大掛かりな印刷機だとか、酒の醸造だとか、キヴィランタではいつしか絶えてしまったそれらの道具も、聖王国にはちゃんと残っているのに。


(動力源を精白石とすることで能率も耐久も落ちる。より利便性を高めるならともかく、わざわざ質を落とす必要があるとは思えない。……まるで魔法の教導がわざと魔法師たちの質を落としているような……)


「あー、あー……これはあれだ。誰かに諭されるまでもなく、まずいやつだと自分でわかるぞ。保留!」


<な、何か問題がありましたか?>


「うん、聖堂のことはまた改めて考えよう。兄上の無事を確かめるまで厄介そうな雑念は保留しておく」


 揺れるポシェットのふたを開き、下のほうに押し込んでいた精輝石を一粒摘まみだす。

 指の爪ほどの小さな粒は、精白石とは違って透明度が高い。ガラスを切り出したような六角形の粒を覗き込めば、向かいの壁に掛けられた絵画が何重にもなって見えた。

 魔法を使うための力の代替となってくれる石だ。サーレンバーへ向かう時にこれを持っていれば、エルシオンを相手に立ち回った時もあんなに疲れずに済んだし、もっと手札の選択肢を増やせただろう。

 とはいえ、『魔王』をも封じる氷獄陣を凌ぐような相手だ、今の自分ではこの石の助けがあっても正攻法では敵わなかったに違いない。


「この周辺にエルシオンの気配はないのか?」


<はい。ちらほらと通行人はいますが、あの男は見当たりませんね>


「てっきりここを嗅ぎつけてくるかと思ったのだが。奴なら人狼族ワーウルフに囲まれようと捕まることはないだろうし、町のどこかに潜伏しているのか」


 わざわざ心配するまでもなく、そのうちこちらの不意を突くようなタイミングで顔を出すに違いない。そばにいてもいなくても落ち着かない気分にさせる男だ。

 こうしてのんびり過ごす時間にあれがいないのは幸いだが、一応、ここまで無事に来ることができたのも、見回りの衛兵を安全にまけたのもエルシオンがいたお陰だということは理解している。次に顔を合わせたら、軽い労いくらいはくれてやろう。


「……」


 直に答えはしなかったが、一昨日の晩からずっと、奴がテントの中で言ったことも気になっていた。

 『魔王』の権能。今の自分はそれを手放しているはずなのに、どうして生前と同じ収蔵空間インベントリを扱えるのだろう?

 覗き込む石に映る赤い瞳。

 紋様の刻まれた虹彩。

 かつてと同じ眼。

 記憶と知識。

 生まれながらに違う役目を持っているのだから、もう『魔王』でないことは自分が一番よく知っている。

 であればどうして、それらの権能を引き継いでいるのか。それとも、次の『魔王』が立ったその時に、ある日突然収蔵空間インベントリも使えなくなるものなのだろうか?


 物心がついてからというもの、生前の記憶を持っていて魔法も扱えるから、てっきり収蔵空間インベントリもその延長だと思い込んでしまった。未だ次代が生まれず、『勇者』の権能を持ったままでいるエルシオンに言われるまで、それに気づかないだなんて。

 他にも何か見落としがあるのではないかと疑念を抱くも、自分だけでは拾えそうにない。「話をしたい」と言うあの男の望みを叶える形になるのは業腹だが、エルシオンと対話を重ねることは自分にとっても有用なのかもしれない。





 サーレンバー領からの帰路も、馬車旅の休憩にあのナスタチウムが咲き誇る花畑へ寄った。

 往路に通ったときと変わらず一帯は赤い花に埋め尽くされ、そこだけ区切られた別世界のようだった。ちらちらと舞う鱗粉のような汎精霊たちの光が彩りを添える。皆にも同じものが視えていたらと、つい益体もないことを考えてしまう。


「め、名所となるのもうなずける美しい場所ではありますけれど、わたくしとしては、美しすぎてちょっと怖いくらいと申しますか……」


「この辺りだけ季節を問わず花が咲いていたら、名所というより呪いとか人知の及ばぬ怪異とか、そういう悪評で話題になりそうなものだがな」


「あー、花畑を荒らすと精霊様のお怒りにふれて呪われるって噂ならオレも聞いたよ~」


 花畑の中に立ったまま硬直するカステルヘルミと、そのそばに屈み込むリリアーナ。そしてカステルヘルミの広がった裾に隠れるようにして、エルシオンが座り込んでいた。


「その物騒な噂のせいで護衛たちも遠巻きに休憩しているわけだが。何で、お前が当たり前のような顔をしてここにいるんだ」


「休憩時間くらい外の空気を吸いたくてさぁ。ついでにリリィちゃんの可愛いお顔を眺めて気分転換もしたくて。いやー、ずっと荷物を詰め込んだ馬車の隅っこに、縄ぐるぐる巻きで転がされてるんだもん、さすがに節々が痛くなっちゃうよ」


 注意を逸らす魔法に加えて色彩の変更まで纏っている男は、そう愚痴をこぼすと空に向かって大きく伸びをした。

 いくら迷彩を積んだところで、壁となっているカステルヘルミが移動すれば他に遮蔽物もないため離れた所にいる護衛たちもさすがに気づく。だが、彼らもせっかく休息を取っているのに無用な騒ぎを起こすのは気が進まない。

 エーヴィにも休みを言い渡して、今頃はあの慰霊碑のそばで亡き姉を想っている頃だ。この休憩時間が終わるまではそっとしておいてやりたかった。


「気づかれる前にちゃんと戻れよ」


「はーい」


 蒼白で泣きそうな顔をしているカステルヘルミにはもうしばらく我慢してもらうことにして、厄介な犯罪者をそばに置いたまま、リリアーナは目的の石を回収するため地面に両手を近づけた。


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