第101話 戦勝報告②


 トマサに案内を頼み、三人でキンケードが治療を受けているという客室へ向かう。

 居住棟の二階。カステルヘルミが使用している部屋とは別の廊下を進み、手前側の扉のひとつを叩扉する。

 中から聞こえた返答に扉を開くと、そこには医師などの姿はなく、部屋の主然とした男がひとりでソファに凭れてくつろいでいた。

 皮鎧を外し、制服の前を開けた軽装のまま、水差しから水を飲んでいるようだ。軽く手を挙げる仕草に、リリアーナは返答も忘れ愕然として足を止めた。


「お、お前、何だそれは……?」


「は?」


 そこにいるのは確かにキンケードのはずだが、リリアーナの眼に視えているのは人の形をした「ナニカ」だった。

 こんもりとした金色の燐光で覆われたモノが手を挙げたり、こちらを振り向いたりと蠢いている。以前ファラムンドが持ってきた土産物のぬいぐるみの中にも、こんな形状をしたものがあった。もさもさとした毛糸で作られた人形はフェリバに大層不評だったため、チェストの奥へ隠すようにしまわれている。


 形質ではないと意識して焦点をずらし、物質を見ようと目を眇める。

 そこでようやく、厚い光を透かしてキンケードの顔が見えた。振り返った体勢で、驚いたように瞠目している。


「何だよ、どうした、何か変か?」


「変というか……」


 カステルヘルミの反応が気になって振り向くと、「見えない見えない何も見えない」と繰り返し唱えながら目蓋を閉じている。

 弱点を補うというより、むしろ現実逃避の手段として覚えてしまったようだ。別に構わないのだが、追々慣れていってもらわなければ本人が困ることになるだろう。


<ええと、おそらくなのですが……リリアーナ様が『わたしの大切な者たちを護れ、守護せよ、何者の凶刃も通すな』と命じられたので、ああして纏わりついて守っているのではないかと?>


「確かに命じたが、あんな風に群がるのは初めて見たぞ……だいぶ気持ち悪い」


「気持ち悪い? オイオイ、一体何が見えてるんだよ、何かくっついてんのか?」


 群がる精霊の光が視えていないキンケードとトマサには、こちらの態度も言葉も意味不明なものだろう。特にカステルヘルミの奇行は気にしないでやってもらいたい。

 羽虫を払うような仕草で体のあちこちを叩いているキンケードだが、姿を持たない汎精霊たちはそんなことに影響を受けたりはしない。


「うーん、キンケードはそれ、何ともないのか?」


「それって言われても、何のことやら……。ああ、そういやさっき確かに足首を挫いたはずなんだが、いつの間にか治っててよ。診てもらっても何ともないって言われたとこだ。腕も痛めてたのが治ってるし。ソレのせいか?」


<何者の凶刃も通すな、というお言葉を、ダメージを通すなと解釈したのでは?>


「精霊たちが自主的にそんなことを? 見たことも聞いたこともないが、まぁ命じた通りに守ってくれたなら、気味悪がらずに礼を言うべきか……」


いっぱい・・・・集まっていましたからー。まぁ、害はないでしょう>


 見積もった力では防壁を張るだけで精一杯だったはずだが、命令を拡大解釈してキンケードを守ってくれたらしい。

 命じる前に傷の修復までこなすとは、この屋敷の周辺に漂う精霊たちは、自分の想像を越えた働き者なようだ。剣の強化の労いも込めて、次の魔法の授業では忘れずに聖句を唱えてやろう。


 ――集まった精霊の規模をアルトに確かめることもなく、リリアーナは安易にそんなことを考える。


「まぁ、見えていないならいいだろう、そのうち散るから気にするな。それよりも襲撃者の話を聞きたい」


「ほんっとにマイペースだよな……。あー、もう聞いてるかもだが、襲ってきたのは例の強盗野郎だったんだ。ちょうど剣を強化してもらって助かったぜ」


 手にしていたグラスを置き、その手で向かいのソファを指し示す。

 疲れていたので遠慮なくそこへ腰かけて、背もたれに体重を預けた。硬くて居心地が良いとは言い難いが、気を張っていないとまた眠ってしまいそうだ。


「取り逃したことは正直すまん。ちょっとしくじってな、さっき言った通り足をやっちまって、すぐには追えないと判断した。得物を置いて行かせたし手負いだから、まぁしばらくは悪さもしねぇだろ。……それと、犯人の風体についてだが」


 キンケードは両膝に肘をつく形で身を乗り出し、表情をわずかに引き締める。

 襲撃犯の元へ向かう前に告げた言葉を覚えているのだろう。一番確かめたかった件だ、身構えるあまり裾を掴む手に力が籠る。


「嬢ちゃん、『燃える炎のような赤い髪をした男であれば』って言ってたな。相手は確かにそんな色をしていたが、どっちかっていうと陽の季の太陽とか……オレンジの皮みたいな、鮮やかな赤毛だったぜ?」


「皮?」


 赤毛は赤毛でも、何だか思っていたものとは異なるようだ。思わず首を傾けると、キンケードは「うん」と子どものような仕草でうなずきを返した。

 太陽やオレンジを思い浮かべても、あの焔を纏う男とは重ならない。近づくだけで焦げそうな真っ赤な髪色でないのなら、全くの別人なのだろう。


「そうか……」


 一言答え、深く、息を吐く。

 別人だと確かめられて、ほっとした。全身から力が抜けて背もたれからずるずると滑りそうになる。

 ひとまず、悪夢で見たような事態にはならずに済んだようだ。本当にあの男に攻め入られては、今の状態では成す術もない。張った防壁だって奴が相手ではほんの気休めだ。

 領道の円柱陣をどこからか視られていた可能性は消えないし、ここに自分がいると知られる危険は常に頭へ留めておくべきだろう。もし知られるようなことがあれば、せっかく得た二度目の生を早々に終えることになってしまう。


「……うん、ご苦労だったな、キンケード。今日お前がいてくれて良かった。逃げた強盗が再度ここを襲うつもりであれば、そう安心してもいられないが」


「奴の持っていたデカい剣は奪ったし、再戦したけりゃ自警団まで来いと言っておいた。捜索も出してる。今まで強奪した武器を使って再犯も考えられるが、あの大剣くらいでないと奴の怪力には耐えられねぇ。多分、真っ先に自分の得物を取り返しに来るだろうよ」


 その時にこそふん捕まえてやる、と意気込むキンケードは自身の太い腕をさすった。

 怪力から繰り出される剣を受けたのなら、腕の筋や健を相当痛めたはずだ。グラスを持つ手に震えは見られなかったから、彼に群がる精霊たちはきちんと修復しきってくれたのだろう。


「ん。折れない剣さえあれば負けはしないという言葉は、大言壮語ではなかったようだな」


「あー、あの剣だけどな、切れ味が良すぎて怖ぇんだよ。ちっと石を掠めただけでスパっと切れやがった」


「そうなのか? 鋭さはあまり変化していないはずだが」


「殺しちまいそうで斬りかかることもできなかったし、せっかくのとこ悪いんだがな、もう少し切れ味を落としてもらえねぇか? 奴を捕まえて、次の剣を見繕うまではコレ下げとくことになるからよ」


 申し訳なさそうに後ろ首を掻きながらそう申し出てくるキンケードだが、そもそも切れ味の加減を見誤ったのはこちらの方だ。もし斬れすぎて問題があるようなら好みに調整をしてやると請け負っていたのだし、何も問題はない。


「わかった。調整は明日でも良いか?」


「ああ、構わねぇぜ。今日のとこはココに泊めてもらうことになってるんだ。一応、怪我の大事を見てってことなんだが……まぁ、戻っても報告書だの何だの面倒だからな、あいつらに任せてオレは一晩ここでゆっくりさせてもらうわ」


 再びどっかりとソファへだらしなく凭れる大男だが、今回の功労者なためトマサも苦言を呈することはないようだ。

 お互い疲れたことだし、今日のところはおいしいものでも食べてゆっくり休むべきだろう。

 そう考えたら途端に空腹感が襲ってきた。普段であれば、もう昼食を済ませているような時間だ。皆の前で腹の虫を鳴らす前に部屋へ戻るとしよう。


「逃げた奴も、傷を癒すまでは大人しくしてるだろうし。これで嬢ちゃんの外出禁止とやらも解かれるんじゃねぇか? せっかく泊まるんだし、あのダメ大人どもにはオレからもきっちり言っといてやるからよ!」


「別にダメな大人ではないが、口添えは助かる。街を歩くなら本格的に寒くなる前がいいからな」


 今年もファラムンドが防寒用の外套を新調してくれているが、この三年は庭に出る時にしか着られずにもったいないことをしていた。今年こそはきちんと外出のために着用してやりたい。

 それとまた熱々のブニェロスを食べたいし、あの小物店を物色したいし、他にも色んな店を見て回りたい。アダルベルトへ贈る十五歳の誕生日プレゼントも忘れずに見繕わなければ。


「その時は、またトマサとキンケードに護衛を頼むかもしれない」


「おう、いつでも言ってくれ。護衛任務なら最優先の案件になるし、オレも嬢ちゃんと一緒にぶらつくのは楽しいからよ!」


「仕事だということを努々お忘れなく」


 トマサからの叱咤を受けても、全くこたえた様子もなくニヤリと笑って見せる。

 そのふてぶてしい表情は、今朝顔を合わせた時よりもずいぶんと明るくなっているようだ。一度負け越した相手を返り討ちにできたことで、多少は気が晴れたのだろう。

 きちんと捕縛するまでは自警団の威信とやらは回復しきらないし、未だ道の安全も確保されたわけではない。だが、自警団員であるキンケードが、再度の一騎討ちで勝利したという事実は大きいはず。

 頼りになるということを証明して見せたし、この男が護衛についてくれるのであれば、きっとファラムンドも安心して外出を許してくれるだろう。


<街へ行かれるのでしたら、その前にキンケード殿には髪と髭を整えてもらったほうがよろしいですね>


「どうしてだ?」


<リリアーナ様とご一緒に歩かれれば、どこからどう見ても誘拐犯です>


「なるほど」


「聞こえてるからな! っつか、聞かせてんだろうけどよ! わかったよ、ちゃんと切っとくよ!」


 一転して情けない顔をして、頭を押さえながらそうわめく。

 あまり他者の見た目には頓着しないたちだが、繁茂した髭男よりはすっきりしてもらったほうが一緒に歩くにしても快いだろう。あまりもじゃもじゃしていると表情も読み取りにくい。

 しょんぼりと背を丸めて髭を撫でる男を置いて、リリアーナはソファから立ち上がった。


「さてと、では部屋へ戻るとするか。お茶と昼食の準備を頼むぞトマサ、朝から色々やってさすがに疲れた……」


「はい、直ちに。テーブルはフェリバが整えておりますので、すぐに昼食をお持ちいたします」


「カステルヘルミ先生も一緒に食べていくか?」


「え、わたくしもよろしいんですの? ではお言葉に甘えて!」


 積もった疲労感と空腹で少しくらくらする。

 飲んで、食べたら、少し寝る。そう決めた。

 午後に何か大事な授業が控えていたような気もするが、そちらは中止にしてもらおう。襲撃事件の直後で屋敷の中も慌ただしくなっているはずだ、そんな中でいつも通りの授業をしようなんて教師もいないだろう。

 すっかり気の抜けた様子で手を挙げるキンケードに指先を振り返し、リリアーナたち三人は客室を後にした。


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