第46話 天井裏へ置いたのは
リリアーナが書斎から自室へ戻ると、ちょうどフェリバが両腕いっぱいに淡い色の布を抱えて扉から出てくるところだった。洗濯物は朝のうちに回収しているはずだし、あの色はシーツ類の交換だろうか。声をかけようとすると、「わぁ」と驚いた様子で飛び上がる。
「そんなに驚くことはないだろう、フェリバ。その布は何だ、寝具の交換でもするのか?」
「ああ、すみませんリリアーナ様! ちょっと下の方が見えなくて、急に現れたからビックリしちゃいました。このシーツは客室へ運ぶんです、お客様用よりもこっちの方が素材が良かったので」
「?」
まるで客へ提供するためにリリアーナの寝具を取り上げたかのような言葉だ。何か聞き間違いでもあったかと反芻していると、疑問が顔に出ていたのだろう、大きな布を抱えたままフェリバは手首から先だけを器用に振って見せた。
「勝手に持って行っちゃうわけじゃないですよー、今晩だけリリアーナ様には客室のベッドでお休み頂くことになりまして」
「何かあったのか?」
「それがですね、……あっ!」
フェリバが言葉を途切らせるのと、カツン、という硬質な音が背後から聞こえたのは同時だった。聞き覚えのある音に一瞬体が固まる。
廊下を振り返ると、侍女をひとり伴った侍従長がこちらへ歩いてくる。靴音にあわせて床を打つその音、その姿に、肺の奥がずしりと重くなる。
「侍従長、今ちょうど寝具の移動をしているところです。客室の方はもうトマサさんが整えてくれたので、ベッド周りを揃えれば支度は終わります」
「そうですか。……リリアーナ様、寝室の件は聞いておられますか?」
「いや、何が何やら。どうしたというんだ?」
「では私からご説明を。お部屋でよろしいでしょうか?」
首肯を返してすぐに部屋の扉を開けようとしたが、ノブへ伸ばした手が止まる。フェリバとトマサの手が塞がっているため、今はお茶の準備などを任せられるものがいない。ちらりと横にいるフェリバを見上げると、ぱちぱち瞬きをした後、侍従長が伴っている侍女へと視線を向けた。
「お願いしてよろしいですか?」
「ええ、お任せください」
そう短いやり取りを交わし、見慣れない侍女はリリアーナが掴めなかったノブを捻って扉を開けた。たったそれだけのことなのに、なぜかそこが自分の部屋ではないような気がしてくる。方向性のよくわからない感情を持て余し、ポケットに収まっているアルトの角を握りしめた。
「……ちょうど、父上から頂いた香茶を飲みたい気分だったのだ。支度は頼んだぞ。ではカミロ、こちらのソファへ来るといい」
まるで主導権を取り戻そうとするかのような台詞に、自分でも滑稽だと思う。侍女が開けたままの扉から先んじて自室へ入り、窓側の一角を指し示した。
――コツリ、と。廊下を鳴らしていた音は部屋へ入るなり、敷かれている絨毯に吸い込まれて消えた。
どこかそのことに安堵しているのを感じながらも、視線だけは逸らせない。よく磨かれた木製の杖。白い手袋をはめた手が握るそれは、以前よりも歩き方がゆっくりになった侍従長を支える。
足を引きずる様子はないし、速度が落ちたとはいえその歩みにも不自然な部分はない。それでも、歩行の補助に杖を要するということは、癒えたはずの足に何らかの問題が残っているのだろう。杖をついて歩くカミロを目の当たりにするたび、胸の内に靄がかかって息が苦しくなる。
口惜しさと無念に、唇を固く結ぶ。
三年前のあの崩れた馬車の中で、瀕死の重傷を負ったカミロに対しできる限りの修復は試みた。それが間に合ったからこそ寸でのところで命を取り留めることが叶ったが、やはり復元のための素材が足りなかったのだ。潰れた足は完全には元通りにならなかった。もう魔王ではないとわかっていたはずなのに、心のどこかでは何でも思い通りにできると、自分なら治しきれるはずだと慢心していた。
あの二日後、屋敷で目が覚めてから初めて目の当たりにしたカミロは、杖を支えに歩いていた。その姿を見ただけで取り除けなかった瑕疵に気づき、全身から力が抜けそうになった。膝が折れる寸前にフェリバが腕を支えてくれなければ、床に両手をついて蹲っていただろう。脱力と共に湧いたどうしようもない無力感と口惜しさ。
修復時、手持ちの品にもう少し何かあれば。あの時キンケードの申し出を断らなければ。……それとも、そばにあった侍女の死体を用いるべきだったのか。
差し出した髪と、鞄とブーツ、それと小袋の中から消えていた金貨と銀貨。あとは何があれば良かったのだろう。完全に治しきれたつもりでいた分、命が助かっただけ良かったとはどうしても思い切れなかった。
あの緊急を要した瞬間、その時その場での最善を為したつもりでいたのに、未だ後悔は尽きない。
「少し低いが、座るのは大丈夫か?」
「お気遣いありがとうございます、リリアーナ様。ですが何度も申し上げております通り、普段の生活には支障ありません。……どうか、あまりお気になさりません様」
「……」
その言葉には応えずに向かいのソファへ腰を下ろした。
カミロがどう言おうと、その足に障害を残してしまったのはあの時に判断を誤った自分の責任であり、不完全な修復のまま気づけないでいた不注意によるものだ。細身の足で颯爽と歩く姿を失い、杖をついて移動する不自由さを与えた己の過ちを、決して許しはしない。
そして、身内を害する者は絶対に容赦しないと心に誓う。もう二度とあんな思いをするのはごめんだ。
息をついて柔らかな背もたれに体重を預ける。背後で茶器の支度をする音が聞こえるが、お茶の準備が整う前に話し始めても問題はないだろう。相変わらず急がしい男をあまりここへ留めておくわけにもいかない。
「それで? 寝室の件とやらを説明してもらおうか」
「はい。実は、リリアーナ様の寝室の天井に不審な点が見つかりまして」
「不審?」
「とは言っても、外部及び他の部屋から寝室の天井裏へ侵入するような経路がないことは確認済みです、どうかご安心を」
そう言って手のひらを見せるような仕草をするカミロは、眼鏡の中央に指をあててから先を続ける。
「ベッドの天蓋の上に、天井の板をずらしたような痕跡が、」
「けぼっ」
息を吸い込もうとして咽せた。そのまま治まらない咳を二、三度してから、涙が滲みかけた顔を上げる。
寝室の、ベッドの、天蓋の上の、天井の板。
……あまりに身に覚えがありすぎる。もしかしてどころではない、それはおそらく、確実に、インベントリからアルトバンデゥスの宝玉を引き出すため仕掛けを施した天井裏のことだ。
長期間に渡って動かしたり人目に触れたりしない場所と考え、天井裏に目星をつけて座標に設定、そこへ手元にあった小箱を安置した。誰にも見つからないという意味では大成功だったのだが、まさか外した天井の板をちゃんと戻せていなかったのか?
いや、さすがにそこまで間抜けではない。二年かけて宝玉を取り出せた喜びに多少浮かれていたとはいえ、後日もう一度支柱を登って確かめた記憶がある。床に立って見上げても、天井に異常などなかったはずだが。
「大丈夫ですか、リリアーナ様、すぐに水を……」
「いや、平気だ、ちょっと驚いただけで。ええと、その……、痕跡というのは誰が見つけたのだ?」
「トマサが発見したそうです。リリアーナ様が書斎におられる間に報告を受けまして、ちょうど所用で来ていた女性の職人にも見せたのですが。ご不在の最中に無断で寝室の出入りを許可したこと、大変申し訳ありません」
「いや、場所が場所だ、急いで確認しようとしたのはわかるからいい。それで、その職人は何と?」
「ずれていた板は戻しましたが、念のため天井を全て点検するために、明日改めて呼ぶ手筈となっております。ご面倒をおかけいたします、リリアーナ様も今晩は大事を取って、客室の方でお休みください」
「あー……」
板をきちんと戻せていなかったのか、それとも他の要因なのかわからないが、知らない間にずいぶんと大事になってしまった。ずれていたという位置的に、かつてリリアーナがその場所の板を外したことに原因があるのだけは間違いないだろう。
思わず額を押さえた手をさまよわせる。下手に隠したり、後になって気まずくなるよりも、今ここでカミロに打ち明けてしまった方が得策だ。世話してくれる者たちを何人も困らせてしまった要因について、ちゃんと説明をして謝らなければ。
「えーと、カミロ。……折り入って、聞いてもらいたい話がある」
「何でしょう」
わずかに身を乗り出し、ひそませた硬質な声が返ってくる。真面目な侍従長には大変申し訳ないが、そこまで真剣になるような内容の打ち明け話ではない。
とはいえ、生前に持っていた収納から
<リリアーナ様、あの、天井なのですが、>
ドドドド……
カミロと顔を見合わせ、同時に天井を振り仰ぐ。
何かが頭上を、天井板の向こうを走り抜けていくような音が聞こえた。本当に足音なのだとしたら、ネズミなどよりもっと質量の大きなものだと思われる。しばらく身動きせず耳を澄ませても、それ以上の物音は聞こえてこなかった。
「な、何だ、何かいるのか?」
「動物が入り込んでいたのでしょうか。申し訳ありません、人の通れないような隙間を見落とした様です」
「動物? では、そいつが悪戯をして天井の板を外したと?」
「おそらくは。急ぎ駆除の依頼をして参ります、リリアーナ様、お話は明日にでも、また改めてということでよろしいでしょうか?」
犯人が明らかになったのであれば、リリアーナから余計な話をするつもりはない。改めて時間を作られても話題に困ることになりそうだが、ひとまず是としてうなずきを返す。侍従長には別件で訊きたいこともあったからちょうど良い。多忙な相手の方から都合をつけてくれると言うなら、その時に話をしよう。
立ち上がったカミロは焦りを感じさせない所作で礼をして、侍女と共に退室していく。後には誰も手をつけていない香茶が二人分残された。
「ふむ……。動物か、一体何だろうな、あの足音はネズミなどよりもっと大きなものの様だが」
<あのー、それなんですが……>
「どうした? 何かわかるのか?」
<わかると言いますか……リリアーナ様、あの場所には、>
もごもごと何やら歯切れの悪いアルトが言葉を引き延ばしていると、外側からドアがノックされた。「入れ」と許可を出せば身軽になったフェリバが入室と共に珍しくきちんと礼をして、顔を上げるなり首をかしげる。
「あれ、侍従長たちもう帰っちゃったんですか?」
「つい先ほどな。ああ、それで礼なんてしていたのか」
「う。いえ、いつもだってリリアーナ様へは敬意と礼節をもって接していますよ、ええ」
「客の前できちんとできていればその辺は問わない。それよりも、こちらへ来て座れ」
手招きをして正面のソファを示すと、フェリバは素直に近づきそこへちょこんと腰掛けた。恐縮や遠慮とはほど遠い、何も包み隠さない態度が快い。主に仕える侍女としては多少問題もあるかもしれないが、自分が許可を出せる範囲であれば、好きにしていてくれた方がリリアーナとしても気楽で助かる。むしろ変にかしこまられてしまう方が落ち着かない。
挟むテーブルには、飲み頃を少しだけ過ぎた香茶が薄い湯気をたてている。漂う香りは澄んでいながらも深く、吸い込むだけで曇りかけた気持ちを落ち着かせる。
「せっかく良い茶葉を解禁したのに、カミロは手をつける前に帰ってしまってな。棄てるのももったいないから、良かったら一緒に飲んでくれ」
「え、これ侍従長のお茶なんですか、ていうかこの香り、旦那様から頂いたお高いお茶ですよね、うわー、いい香り。わー、いただきます!」
素直で大変よろしい。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます