第10話 噂と次兄


 フェリバは二日前の洗濯場と、今朝の更衣室で二度、聞き捨てならない噂を耳にした。

 要人の私生活を容易に知ることができる職業上、守秘義務が徹底されている職場ではあるが、同じ立場の侍女の間では大抵の情報が共有されるのだ。


 曰く、リリアーナお嬢様が侍従長の堅物カミロと文通をしているらしい。

 曰く、屋敷の主であるファラムンド伯の目を盗んで通じ合う、年齢差を超えた禁断の愛。


 ……冗談ではない。色んな意味で全くもって冗談ではない。

 年嵩の者たちは興味本位で好き放題に噂話を膨らませているけれど、誠心誠意仕えている令嬢に関してそんな噂を吹聴されるのはひどく腹に据えかねた。

 だからといって、年若いフェリバでは直接注意をできるような立場にないため、噂話の輪に加わらないことでせめてもの抗議としている。


 本当に、冗談ではない。あの生真面目なリリアーナが、お付きの自分にこそこそと隠れて恋文を書き、男性に渡しているなど絶対に有り得ない。

 まだ四歳という年齢に加え、純粋培養で大事に育てられている生粋のお嬢様なのだ。

 同年代のお友達すらまだいないというのに、思春期への階段を三段跳びして父親みたいな年齢の男に懸想するなんて。有り得ないに決まっている。


 もし、何かまかり間違って、仮に興味を引かれるようなことが起きたとしても、まず自分たちに相談をするだろう。

 血の繋がった家族の誰よりも身近にいて、ずっとそばで世話をしてきた。最近ではささいなお願い事をされるほど、心を開いてくれるようになったのだ。

 この屋敷の中で一番あの少女の信用を得ているのは、間違いなく自分たちお付きの侍女なのだ。

 それだけの信頼関係を築いてきたと自負しているし、またフェリバも幼いリリアーナのことを強く信頼していた。


 ……柱の陰に隠れるようにして、リリアーナが手紙をカミロへ手渡している、その現場を目撃するまでは。





「と、いう訳でさ。廊下でさめざめと泣いていたから連れてきたよ」


「それは……、手間をかけたようで申し訳ない、レオカディオ兄上」


 下の兄に腕を引かれリリアーナの部屋へ連行されてきたフェリバは、それでも変わらずさめざめと泣いていた。

 両手で顔を覆い、肩を震わせながらも、口で「さめざめ」なんて言っているから大分余裕はあるに違いない。


 レオカディオは掴んでいたその腕を放し、リリアーナの私室をぐるりと見回す。食堂や廊下で顔を合わせることはあっても、次兄をこの部屋へ招き入れたのは初めてのことだ。

 後ろでひとつに括った薄紫の髪が尻尾のように揺れる。

 子どもらしい興味本位の行動というより、もっと何か検分するような仕草にも見えるが、取り立てておかしなものは置いていないため部屋を見られて困ることはない。

 壁際のチェストに奇妙な人形が並んでいるくらいだろう。


 この夏で十歳になるレオカディオは、リリアーナから見ても如才ない子どもだ。

 表情はいつも明るく快活に笑い、大人相手の受け答えもしっかりしている。比較対象としてヒトの子の平均を知らなくとも、並み外れて賢いだろうことはうかがえた。

 教師たちからの評価も高く、読み書き担当の夫人も「レオカディオ坊っちゃまとリリアーナお嬢様は、覚えも早くて才能にあふれていらっしゃる」と手放しで絶賛する。

 そこに長兄の名前だけ挙がらないことが少しばかり気になった。



「それで? リリィは本当にカミロなんかと付き合っているの?」


「手紙を渡したり受け取ったのは事実でも、カミロと交換している訳ではないし。第一、手紙を渡すくらいでそんなに泣くことはあるまい」


 次兄からの言葉に対し、フェリバを見ながら困惑も露わにそう言えば、侍女は微塵も濡れていない顔をキリッと上げた。


「だって、私だってまだリリアーナ様からお手紙なんてもらったことないのに!」


「僕だってもらったことないよ」


 本音を漏らすフェリバと、それに便乗するレオカディオを前にリリアーナはひっそりと脱力した。


 何やら侍従長を挟んで手紙のやり取りをしていた件が、妙な尾ヒレをつけて使用人の間で噂になっているらしい。

 本当は誰と手紙の交換をしていたのか、このふたりが知らないのであればカミロは未だ誰にも話していないのだろう。本当のことを打ち明け弁明すれば、不名誉な噂などすぐに消えるだろうに。リリアーナから頼んだ口止めを律儀に守っている様子だ。

 相手が子どもだからといって約束を軽視しない、その姿勢には好感が持てた。噂に関しては後できちんと謝罪をしておこう。


「手紙の書き方を習ったばかりだから、おかしなところもあるかもしれないが。そんなものでも欲しいならレオカディオ兄上とフェリバにも書、」


「「欲しい!」」


 同時に向けられたやや食い気味の返答に、背中が仰け反る。


「そんな大した内容は書けないぞ?」


「「欲しい!」」


「えー……」


 何やら楽しそうに声を合わせるふたりを前にしていると、細かいことはどうでも良くなってくる。なぜそこまで自分からの手紙を欲するのか理解しかねるが、了承しない限り引く気はないらしい。

 三枚あった便箋はすでに使い切ってしまったため、書くならちゃんと自分用のものを用意してもらう必要がある。

 フェリバ宛てなら普段世話になっている礼などを改めてしたためるのも悪くはないけれど、交流がほとんどないレオカディオには一体何を書くのが適切なのだろう。まずは時節の挨拶からか……?

 自分の不注意と不用意な発言で、余計な悩みを増やしてしまったかもしれない。


 ヒトの間では日常でも手紙のやり取りがこんなに活発で重要視されているものだとは知らなかった。

 手習いを受け持つ夫人もそんなことは言っていなかったから、授業だけでは知り得ないことも多いとリリアーナは認識を改める。


「それにしても、妙な噂に化けたものだ。侍従長へ手紙を渡していたなら、父へ届けてもらうため、とは思わなかったのか?」


「それは……、ないですねー」


「そうだねぇ、もしそれが真実なら、噂になんかなる前にすぐに分かるよ。父上だもん、真顔でいられるはずがない」


 五つ上の兄が訳のわからないことを言う隣で、フェリバはこくこくとうなずいている。

 息ピッタリの様子だが、このふたりがこんなに仲が良いことも知らなかった。

 実の妹であるリリアーナ自身はレオカディオと長く話したこと自体、先日プレゼントの箱を破損してしまったと打ち明けに行ったとき以来、これが生まれて二度目だというのに。


 どこか釈然としない思いを抱えながら、リリアーナはふたり宛てにも手紙を書くことを約束する。

 その程度のことで喜び合う兄と侍女を前に、ひとまず本当は誰と手紙のやり取りをしていたのか、深く追求されなかったことに安堵の息を吐く。



 最初に厨房長への手紙をカミロへ託した二日後、その返事を同じくカミロ経由で受け取った。

 そこには細かい要望と感謝の言葉に対し、ひどく恐縮したように礼が綴られており、更には果物は何が好きなのか、葉物の苦味はつらくないか、クッキーではなくパイやタルトではどうかなど、こちらの要望に対する質問が並んでいた。

 熟考の末、何とか便箋二枚にまとめて再度カミロへ託したのが今朝のこと。

 周囲には気をつけていたつもりなのだが、アルトもリリアーナも気配の察知に鈍くなっている現在、運悪くフェリバに目撃されてしまったらしい。


 ここまできたら、もう彼の娘であるフェリバを経由してやり取りをするか、素直に厨房まで案内してもらっても良いかなと思わないでもない。

 だが、今からそれをすれば、これほど面倒を巻き起こした全てが無駄ということになる。


 リリアーナは自分でも下らない意地を張っていることは重々承知しながら、アマダとの秘密の文通を最後まで隠し通すことにした。

 更なる返信が届くかどうかはわからないが、彼からの返答として食事への反映がなされるのが今から楽しみだ。


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