顔も忘れてきた頃合いだというのに、今更夫ヅラされても……⑦
「確かにバシリーさんは強そうでしたわ。でもあれだけの人数を同時に相手に出来るのかと心配で……」
「イマイチ状況を把握できてないから、何とも言えないな。でももう勝負はついてるだろうし、戻っても意味ないかな。アンタはアイツが無事に戻れるよう祈ってたらいい」
「私最近になって漸く、神様に祈っても状況は何も良くならないと、気づけたのですわ」
「やっとか! 俺はずっと前に気付いてたけど!」
少し馬鹿にする様な言い方をするハイネだが、ジルを振り返る顔は笑ってなどいなかった。
「アンタ、宮殿に捕らえられてる間、そんな風に飾られてたの? それが大公の趣味? まるで人形みたいで……見てて気分が悪くなる」
「そんなに酷い見た目ですか?」
あまりにもハッキリと貶され、ジルは悲しくなった。泣いたから化粧が落ちて、酷い事になっているのだろうか? 鏡も持たず出て来てしまった事を後悔する。
「見た目は凄く可愛いけど、……何かムカついてくるんだ」
「よく分かりません……」
「だろうね!」
久し振りに会うハイネの言葉はやはり理解しづらい。可愛いだけでは駄目なのだろうか?
ハイネは何故か急に馬を停めた。
「どうしましたの?」
「声が聞こえづらいから、アンタも御者台に座って」
「あ、はい!」
客車を降り、捻挫した足を庇いながら御者台に回ると、ハイネは自らが羽織っていた上着を差し出した。
「寒いだろうから」
「有難うございます」
ブカブカの上着はハイネの体温が残る。落ち着かない気持ちになりながら、御者台に上がろうとしたが、捻挫した足に鋭い痛みが走り失敗した。
「足、どうかしたのか?」
「捻ってしまいましたの」
「そうだったのか……。上るのが無理そうなら後ろに……」
「ハイネ様の隣で話したいのですわ!」
ハイネの驚いた顔を見て、ジルは恥ずかしくなる。彼は驚いたくせにジルの言葉をいじるでもなく、「……俺も」とボソリと呟いた。
嬉しいのに、素直に喜んでしまえないのは、まだ厳しい状況が続いているからだ。
目を合わせないようにしながら、ハイネの手を借り、御者台に座る。
「寒くなったら、また中に入っていいから」
「もう夏に近いですし、大丈夫ですわ! 上着も借りてますし!」
「ならいいけど」
再び馬車が走り出す。宮殿から既に40分程度分は離れただろうか? 夜間の林道は少し不気味で、何も話さなくても、隣に座るハイネの存在は心強く感じられる。
沈黙を破って、ハイネが口を開く。
「フェーベル教授から、アンタが父親に連れて行かれたと聞いて、毎日気分が悪かった。アンタにとっては大公とそのまま普通の夫婦になるのが、一番幸せになれるんじゃないかと考えようとしたけど、苛々して無理だった」
ポツリ、ポツリと語るハイネの顔には、迷いが見える。こうしてジルを連れ去る事に、罪悪感を感じているのかもしれない。
「私は、もしかしたら大公と幸せになれたのかもしれませんわ。でも、幸せになるために努力しようなんて、これっぽっちも思わなかった。心の中に土足で入って来られない様にしてたんです」
「なんで?」
「それは……」
目の前の少年が原因になっているだなんて、まだ少し言いづらい。
ジルが言いよどむと、ハイネはそれ以上追及する事はなく、2人の間に再び沈黙が落ちた。
◇
「ジル、起きろ。港に着いた」
肩を揺らされる様な感覚に、ジルはゆっくりと目を開く。周囲は暗く。眼前には波打つ水面。潮の香りと波の音から判断するに、すぐ傍は海なのだと認識する。
頬をちょうどいい高さにある堅い物に預けているのだが、割とよく動き、安定しない。
「俺の肩を枕にするとは良い度胸だな!」
「ふぁ!? ごめんなさいい!」
どうやらハイネの肩にもたれて眠っていたらしい。無意識とはいえ、なかなか大胆な行動だ。慌てて姿勢を正す。
「別にいいけど……。下りるぞ」
「はい!」
ハイネに再び支えられながら地面に下りる。捻挫した足首は痛みが残ったままで、直に冷やさなかったため、腫れている感覚があった。
ちゃんと歩く事が出来ないので、ハイネに肩を貸してもらいながら、2人で波止場に向かう。
(このまま、バシリーさんとオイゲンさんを放置して、船に乗るのかしら?)
罪悪感を感じ、後ろを振り返ると、港へ入って来る馬車が見えた。
「あれは?」
4頭立ての大型の馬車はかなりのスピードでこちらに近付いて来る。馬の影になっていて良く確認できないが、豪華な馬車のようだ。
「嫌な予感がするな……」
「はい……」
ユックリとしか歩けないのがもどかしい。馬車の音はすぐそこまで迫っている。再び振り返ると、その馬車から濃い色の髪の男が出て来るのが見えた。
「大公だわ……」
4頭立ての馬車単体で、ここに来たらしく、道からは他の馬等は現れなかったが、大公の後から銃を持つ近衛達が続く。バシリーやオイゲンはどうなっているのだろうか? 大公がここに辿り着けたという事は……最悪の想像をし、気分が暗くなる。
「あ~あ、追いつかれたか」
ハイネは追われる者として、焦りを見せるどころか、大公に対して挑発的に笑った。
「僕の妃をどこに連れて行くつもりなのかな!? その外見……、貴族か? さては夜会でジルを見初め、連れて行こうとしているんだろう? 若さゆえの過ちなんだろうが、こんな勝手な事許さないよ。家系を断絶させられたい?」
大公はハイネの顔を知らないのか、ハーターシュタインの貴族の子弟だと思うらしい。
2人のやり取りに、ジルはハラハラする。
「家を潰す? 果たしてアンタにそれが出来るかな?」
ハイネは大公を小馬鹿にしたように笑った。
「何だと……生意気なガキめ!」
「俺の名はハイネ・クロイツァー・フォン・ブラウベルク。ザルの様な警備で助かった。おかげでこうやって入国出来てるんだからな」
「ブラウベルクの皇太子!?」
大公も、その背後に控える近衛達も、驚愕する。普通であれば、一番安全な場所に引っ込んでいるはずの者が敵国にいるのだ。命を投げ捨てる行為に等しい。
(何故名乗るのかしら!? 何とか誤魔化さないと!)
「ち、違います!! この方はハーターシュタインで出来た私の愛人! 彼はご自分をブラウベルクの皇太子と思い込んでいるだけですの! なんて可愛いのかしら!」
ジルは懸命に嘘を付き、大公に見せつける様に、ハイネの頬にキスした。
「な……っ!」
「ジ……ジル……! 他の男とキスするなんて!!」
(こうなったら、悪女になりきりますわ!)
自分の咄嗟の行動に、内心動揺してしまいそうになるが、腹をくくる。
「私ずっと……、結婚する前から大公と夫婦になるのが嫌だったのです! だからその時から私好みのイケメンに声をかけ、愛人にしちゃったのですわ!」
ハイネは暗がりでも分かる程赤面し、大公は目を剥き、ジルを見つめる。
「だから、罰を受けるなら私だけに……!」
「ジル……。見え透いた嘘はやめなさい。結婚前の君に男をたぶらかせる魅力があったとは思えない」
(ぐぅ……!)
大公は、珍しく冷静な判断が出来た様だ。嘘を見抜かれたジルは、以前の自分を思い出し、大公の言葉にえぐられる。
「君がそこまでして庇いたいという事は、そこにいる少年はブラウベルクの皇太子で間違いないのだろう。おい! 近衛達、あの者を撃ち殺せ!」
「おやめください!」
大公は無慈悲に銃撃を命じる。
ジルはハイネの盾になろうと、前に出ようとしたが、彼に制される。
「大丈夫だ。コッチには備えがいるからな」
「備え……?」
ハイネの言葉を証明するかのように、兵士達の影から唐突に真っ黒い手が伸び、そのまま彼等を握り、宙に持ち上げていく。現実とは思えない光景に、ジルは唖然とした。
「何なの、あれは!?」
「ジル様……宮殿に助けにいけなくて、ごめんなさい。先程ハイネ様に助けてもらったんです」
波止場からフラフラと歩み寄るのは、折れそうに細い身体の少女だ。彼女の後ろからは多数の男達が続く。
「マルゴット! どうして貴女が!?」
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