二話 貴族と奴隷と田舎者


「……で、何故こうなるの?」

『私はエルピースから離れないわよぉ!!』

 ガラガラと、牢獄の柵はエルピースの目の前でピシャリ閉まった。更にホークは鉄製の鳥籠に入れられて、兵士がそれを牢獄の外へと運んで行く。ホークの断末魔の叫び声が遠く消え入っていくのを聞きながら、エルピースは目の前に立つアリスを縋るように見つめた。

「仕方ないでしょ、しばらくここで大人しくしてなさい」

「ていうかその前にアリスは早く手当てして!」

 竣工式は終わったがまだまだ賑やかな街を通り抜け、メイン広場に隣接する立派な建物へとエルピースは連れて来られた。軍の駐在所である。

 そしてアリスの手当てを真っ先にするかと思いきや、そのまま地下に直行され気が付けば手枷も外され牢獄の中へと放り込まれた。

 エルピースの肩に乗っていたホークも抵抗はしていたがさすがにエルピースが痛がるほどしがみつくことは出来なかったようで、結局用意された鉄製の鳥籠に入れられてしまい、あれよあれよとこの状況であった。

「分かった、大人しくしてる!」

「素直で助かるわ……じゃあね」

 アリスはそれだけ言うとさっさと牢獄を出て行ってしまった。けれど、その顔は心なしか青褪めており、恐らく血を流しすぎて強がってはいたが限界だったのだろう。

 その後ろ姿を見送って、相変わらず無口な兵士に見張られながら、エルピースは牢獄にため息を吐きながらどかり、座り込んだ。

「エルピース!」

 しかし、直後背後から肩を掴まれエルピースはびっくりして振り返った。そこには何とシエルとシーザーが目を丸くして座っていたのだ。

「二人とも……! やっぱり捕まっちゃったのね……」

「そんなことより! 何であいつの言うことに素直に従ってるんだよ!」

 シーザーがあからさまに不満そうにエルピースを睨みつける。

 シエルはそんな兄を睨み付けてから、「何があったか教えて?」とエルピースに問いかける。

「そうだ! レイブンは?」

「お兄ちゃん、いっぺんに聞いたらエルピースが困るでしょ」

 シエルが頬を膨らます。その元気そうな様子にホッとしながら、エルピースは二人にどう話すべきか逡巡する。

「二人と別れたあと色々あって、アリス……さっきのオカマさんね、あの人はそこまで悪い人じゃないって分かったの。レイブンは、三人で協力してピンチを切り抜けた後、さっさと一人で逃げちゃって、まあ色々あって私はアリスに付いて来たってワケ!」

「全く理解出来ねぇ」

 シーザーに真顔で言われ、エルピースは苦笑する。けれどシエルはある程度理解したようで、エルピースの手を優しく両手で握りしめた。

「シエル?」

「エルピース、私たちのためにありがとう……あなたが無事で本当に良かった。それと、これ」

 シエルはエルピースの手のひらに何かを置いた。それは、エルピースが二人にあげた彼女の財布だった。

「これは……!」

「いらないわ、でもありがとう」

 エルピースは優しく微笑むシエルを見つめる。そして自分も微笑むと、「そうだね」と財布を受け取った。

「なぁ、レイブンはどこに行っちまったか分からないのか?」

 と、シーザーが不安げに眉を顰めてエルピースに問うた。

「あ、えーと、ホークが居ればどこにいてもレイブンと連絡が取れるらしいんだけど……今何処にいるかは特に連絡もしてないから分からないな」

「連絡? だって旦那が何処にいるか分からないんだろ?」

「えーと、それは……私もよく分かんないんだけど、レイブンが連れてたあのリスザルみたいなの! 彼のおかげでどこでも連絡が取れるんだって!」

 その話に、シエルとシーザーは信じられなそうな困惑した表情で顔を見合わせた。エルピースも言っていてよく分からずに冷や汗をかいている。

「と、とにかくそういう魔法があるんだよ! 私もよく分かんない! でも、レイブンがどうかしたの?」

 そして強制的にその話を終わらせて、今度はエルピースがシーザーに問いかけた。

「………俺たちは……」

 シーザーはシエルを見つめた、シエルはそれに答えるように頷く。するとシーザーは真剣な面持ちでエルピースに近寄ると、見張りの兵士に聞こえないようにぼそぼそと話し出した。

「俺たちはレイブンに国外へ逃がして欲しいって依頼したんだ」

 シーザーの口から飛び出した不穏な言葉に、エルピースの眉間に皺が寄る。

「お前も俺たちを見て、変だって思ったろ? こんな兄妹、どう見たって変だ」

 どこか自嘲気味に吐き捨てたシーザーをエルピースはただ見つめた。そんなエルピースの様子にシーザーは施されるように話を続ける。

「俺たちはこの国の出身じゃないんだ、故郷はメガラニカの田舎町……よくある話だけど、妹は病気を理由に親父に売られたんだ」

 メガラニカ、エルピースも聞き覚えがあった。確かここよりずっと北の方にあるとても寒い国。そう……極光のメガラニカと呼ばれている国である。

 今シーザーがよくある話だと言ったが、エルピースにはそれがとても信じられなかった。親が子どもを売るなんて、エルピースは今の今まで考えたことも聞いたこともない。

「俺たちの国にはさ、奴隷制度ってのがあるんだ。人の売り買いなんて日常さ」

 エルピースの顔色を読み取ってか、シーザーは苦笑交じりで補足する。

「五年前に母さんが死んでさ、親父はクズでどうしようもない奴で、俺にとっての家族はもう妹だけだった。だから売られたと知ってすぐ家を出て探し回った。でも案の定上手くいかずに奴隷商人に捕まってさ……でもそこでレイブンに出会ったんだ」

 シーザーが次の言葉を発しようとした時、バァンと扉が乱暴に開く音が牢獄中に響き渡った。

「シエル! 迎えに来たぞ!」

 そして三人の居る牢屋の前に、駐在所の兵士ともう一人、制服の違う兵士と、見るからに太った、しかし豪華な服を着た貴族風の中年男が現れた。

 その男を見て瞬間、シーザーがシエルを庇い立ち上がった。

「怪我はなかったかい? 私の可愛いシエル。さぁ、帰って君の大好きなケーキを食べよう」

 牢屋の扉が駐在兵士の手で開かれる。それから制服の違う兵士が中に入って来るが、シーザーはその男から逃げるようにシエルを背に隠して牢屋の壁までじりじりと下がる。

「見つかって良かった! あぁ、その坊主の方は傷つけても構わん、シエルだけ無傷でこちらに連れてこい」

 中年の言う通りに恐らくこの貴族の私兵であろう兵士が動く。シエルを庇って立ち塞がるシーザーを鷲掴んで退かそうとするが、シーザーもなかなかどうして素早くその手を掻い潜りシエルと共に牢屋の扉の方へと逃げる。

「ちょっとおっさん、何勝手なことしてるの! 二人は不法侵入でここに捕まってて、今はアリスが預かってんのよ! そこの駐在さん! アリスに許可は取ったの!?」

 逃げる二人を庇うように、今度はエルピースが二人の前に立ち塞がる。その言葉に駐在兵は何やらオロオロした様子だったが、中年男はいかにも不快そうにふんと鼻を鳴らした。

「アリス殿ですか、皇帝の命で何でもS級遺物を探しておられるとか? 勿論全力でお手伝いさせて頂いてますよ、何せ私はこの国一番の貿易商ですからね」

 近付いて来た私兵を顔で威嚇しながら、エルピースは中年を睨みつける。

「私はピエール、この名を言えば分かるかね?」

 そしてピエールと名乗った男は何やら立派に伸ばしたカイゼル髭を自慢げに指で摘んでみせた。

「知らん!!」

 が、エルピースのその強気な一言にピエールはピクピクと眉尻を動かした。

「私はピエール商会代表、ピエール子爵。逆らえばどう言うことになるか、分かるね?」

 そして再度髭を弄りながら偉そうに踏ん反り返ったが、やはりエルピースは顔色一つ変えず「分からん!」と答えた。

「ふぅ……これだから下賎な民は……つまり、この街ではアリス殿よりも私の方が偉いということだよ、アリス殿が何を言おうとこの件に関してはこちらに決定権がある。中央本部のお偉いさんでも、口出しは無用という事だ」

 そこまで言うと、子爵はピンと指を鳴らした。その音でハッとしたように私兵がシーザーを越えてシエルの腕を掴む。

「キャア!」

「シエル!」

 シエルの悲鳴に、シーザーが必死に私兵の腕にしがみついたが、思い切り振り払われてシーザーの体は無情にも壁に叩きつけられた。

「お兄ちゃんっ!」

 シエルの悲鳴に、シーザーは当たりどころが悪かったのか、咳き込んで立ち上がろうにも目眩で立ち上がることが出来ない。

 シエルは私兵に引き摺られながらも必死でシーザーの名前を呼んだ。

「シエル……っ」

 立ち上がることもできず、それでもシーザーはシエルに手を伸ばす。

「駐在さん!」

 私兵が牢を出ようと言うところで沈黙していたエルピースが俯いたまま叫んだ。

「その子はアリスの皇帝令を遂行するために必要な子なの、S級遺物は彼女無くして探すことは出来ないよ。それを勝手に連れて行かれたとなったら、あなた達……どうなるんですかね?」

 ニッコリと。エルピースは出来るだけ平常心で飛びっきりの笑顔を浮かべる。揺らいだら負けだ、余裕を見せるんだ。一か八かのブラフだった。

 エルピースは次いで、子爵に視線を向ける。

「何かやましいことがあるからそんなに急いで連れて行こうとしてるんじゃないの? 子爵ともあろうお方がきちんと国軍幹部に話も通さず無理を通そうだなんて……皇帝様への反逆と捉えられても仕方がないのでは?」

 その場が嘘のように静まり返る。エルピースはそのどさくさに紛れてシエルの手を取ると皆が呆けているうちに兵士も子爵も押し退けて牢獄の外へと駆け出した。

「エルピース! お兄ちゃんが……!」

「ごめん! 今はどうしようもないよっ、とにかく逃げよう!」

 何となく、来た道は覚えている。

 しかしエルピースが思うほど、自体は甘くなかった。

 すぐに出口は駐在所の兵士に塞がれて、私兵と子爵も兵士を呼び集めながらどんどん行く手を塞いで行く。

「……こっち!!」

 行く道は階段しかない、エルピースはとりあえず目の前の階段を駆け上る。

「っっエル、ピース……」

 しかし、すぐにシエルは苦しそうに咳き込んでしまい、エルピースはそれを気遣って立ち止まる。そして二人はあっという間に兵士に囲まれてしまっていた。

「……アリス!! アリスお願い、出て来て!! 助けて!」

「将官殿がお前ごときを助けるものか! 大人しく牢に戻れ!!」

 目の前の兵士の怒声に、エルピースの足が思わずすくむ。

「おぉ、シエル! 大丈夫かシエル!」

 その隙を突くように、階下から子爵が堂々とした様子で現れるとエルピースを押し退けてシエルを抱きしめた。まだ苦しげに喘鳴を漏らしていたシエルだったが、子爵が何事かを耳元で囁いた直後、急に背筋を伸ばして立ち上がると、エルピースを強い眼差しで睨み付けた。

「いい加減にしてくれる?」

 そして吐き捨てるようにかけられた言葉に、エルピースはシエルを見つめたまま絶句した。

「シエル……?」

「………これ以上付き合ってられないわ」

 シエルはくるりと子爵に振り返り満面の笑みでその腕にしがみ付いた。

「ピエールの叔父様ごめんなさい。やっぱり私、お屋敷で優雅に暮らす方が良いみたい」

「そうかそうか、全くシエルはいつもお転婆がすぎるぞ」

 そして二人はエルピースなど見向きもせずに仲睦まじげに駐在所の出口へ向かう。

 その光景にエルピースは困惑する。けれど、けれどこれは。

「シエル……どうして……!」

 エルピースは出口へ向かうシエルをただ見つめた。最後に一度、シエルがこちらを振り返る。とても冷たい表情だった。それにエルピースは困惑で更に眉間に皺を寄せる。

 シエルはそのまま、館の外へ消えて行った。

「お前は牢だ! 立て!」

 脱獄未遂まで繰り広げたエルピースに最早兵士たちも容赦はなかった。無理矢理立たされて乱暴に連行され、ゴミを捨てるように牢獄へと放り込まれる。

 少しだけ、怒りを込めたように乱暴に牢屋の柵が閉まった。

「エルピース!!」

 一人戻って来たエルピースに、先ほどのことで痛みが残っているのか少したどたどしくシーザーが駆け寄った。

「ごめん………」

 そんなシーザーに掛ける言葉もなく、エルピースはそれだけ呟き申し訳なさそうに俯いた。

「そっか………ありがとな、こんな俺たちのために必死になってくれてさ。俺、すごい嬉しかったよ」

 シーザーはニッコリと笑った。その表情に、エルピースの両目には涙が溢れ出す。

 先ほどのシエルの様子にショックを受けたこともあったが、勝手な行動をして結局こうしてシエルを助けられず戻って来た自分をシーザーは責めてもくれないのだ。

 それはきっと、頼りにされていないから。

 そんな自分に嫌気がさして、溢れる涙だった。

「お、おい、泣くなよ! また助けに行けばいいんだから気にするなって」

 シーザーは困ったように頭をかくと、おどおどとエルピースを見つめた。

 エルピースは急いで涙を拭く。こんな所で泣いている場合ではないのに。

 先程のシエルの様子をシーザーに伝えるべきなのか迷った。自分が見た光景が現実だったのかも今思えば分からない、それくらいに信じられない光景だった。

 あれが本心なのか、演技なのか、判断するにはエルピースはシエルを、この兄妹を知らなすぎる。

「ねぇ、シーザー」

「ん? 何だよ」

 シーザーは自分よりも少し年下であろうと思う。そしてシエルも。その幼さで故郷を遠く離れこんな所で逃げ隠れ………エルピースはアリスにも言われた通り世間知らずで、祖父から聴く世界の話はいつだってキラキラと輝いて楽しくて、格好良くて、美しかった。

 世界とは、かくあらんと疑いもしなかった。

 けれどそうでは無かった。シエルとシーザーが置かれた現状は、エルピースの常識では考えられない。

 自分はこんなにも、狭い世界で生きて来たのか。

「教えて欲しいの、さっきの話の続きを」

 顔を上げ、シーザーの方へ真剣な眼差しで向き直ったエルピースは、真っ直ぐにシーザーを見詰めた。

 しばらくの沈黙の後、シーザーもまたエルピースを見つめ返す。

「いいのかよ?」

 シーザーは、少しだけエルピースを睨んでいるようだった。けれどもうエルピースは怯まない。ただ静かに頷いたエルピースに、シーザーも覚悟を決めたように一度目を閉じて、俯き加減で話し出した。

「奴隷にされて、俺は随分と汚い仕事をさせられたよ。それこそ口に出したくないような仕事だ、妹を探して家を出たけど……あの頃の俺はそんな事忘れて、ただ逃げたい、死にたいって思う日々だった」

 シーザーの握りしめた拳が震える。

「もう、死ぬんだって思ったんだ。痩せ細って動けなくなって、それでも病気にならなかっただけ俺は運が良かった。病気になって捨てられた奴だって山程いた」

 苦笑する。エルピースは言葉もなくただ聴いていた。

「もう駄目だ、そう思った時に俺はやっと思い出したんだよ。妹に会いたい、最後にもう一度……ってさ。それが一年前の話。必死で脱走を計画した、でもまぁ、俺一人の力で逃げられるほど甘くは無いよな、結局逃げられなかった。だから死んでやろうと思って腕を切った。凄い血が出て、ほとんど死んだようなもんだったかな。使い物にならなくなった俺は捨てられた、奴隷の墓場……いや、ゴミ箱に」

 チラリと見えたシーザーの腕には、確かに肘の裏の辺りに赤くミミズ腫れのような傷跡があった。それを見留め急いで視線を外すエルピースに、シーザーは気遣うように腕を隠した。

「そこで出会ったんだ、レイブンに」

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