C.
ハンドルを握っていた指先に軽く力を入れる。
まだ買ったばかりの新しい茶色の自転車は、キッ、と高い音を上げてそこに止まった。
斜め掛けにしていた鞄が、右肩に重さを伝え直す。
また用もないのに来てしまった。
今日は店の中には入らないでおこうと思いながら、一面ガラスの向こう側を覗き見る。
いた。
今日も、レジの向こう側でお客さんと笑っている。
今日も相変わらず、可愛いなぁ。
にやけそうになる口元を意識的に結んで、目が合わないうちに、少しだけ視線をずらす。
手に取れそうなところには、綺麗に陳列された見た目豊かなパンたちが並んでいる。
この時間にこの量。
きっと焼きたてだ。
右隅にハムエッグを見つけて、ガラス越しでも今にも匂いが漂ってきそうなそれに涎れが出そうになる。
客は若くは見えない女の人ばかりだ。
うろうろと三人。
レジに一人。
彼女たちが買っていくパンたちは、きっと明日の朝食になるに違いない。
自転車に跨がったままもう一度ハムエッグを見ようとして視線を動かして、気付く。
レジの向こう側のあの子が、小さく手を振っている。
目が合って、にっこりと笑いかけてくれた。
急に心臓の音が聞こえる程ドキドキしてきて、慌てて右手をハンドルから離して手を振り返す。
しまった、顔の筋肉が緩んだ。
動作が早すぎたかな。
浮かれ上がったのを気付かれたかもしれない。
恥ずかしい。
もう一度レジの客とやり取りをしだしたのを確認して、ハムエッグを見てから自転車を降りた。
店の一面ガラスに寄せるようにして自転車を停める。
きっと今日もあの優しい声で、「こんにちは、今日はもう講義はおしまいなんですか」って、聞いてくれる。
店の入り口ドアにゆっくりと向かいながら、口の中で「落ち着け落ち着け」を繰り返す。
ハムエッグを、買いにきたんだ。
美味しいからさ。
尻ポケットに財布が入ってることを確認してから、鈴のついたドアに手を掛けた。
((これは明確に一ヶ所間違ってるところがある。真新しい自転車は、ブレーキ握っても音はしない……!何故なら新しいから。ばかん!!))
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