第29話 人生の分岐路


 今井さんの話は続く。


「二人と別れた後、私も姫川さんの自宅に行って、その男性と話をしたんだ。まぁ、本人は人事部としての内部調査だと言っていたけどね」


 どうやら姫川のお父さんは社内の派閥争いに巻き込まれて、会計文書を偽造され、今回の報道に至った。

姫川のマンションで会った男も絡んでおり、さらなる証拠の捏造をしようと自宅に入り込んでいた模様。。


 そして、初めに押収された書類が偽造されたものだと判明。

姫川の父さんが知らないところで書類を捏造されたらしく、この二日間の取り調べで証拠不十分と言う事になったそうだ。


 うん。俺には難しすぎる。

きっと今井さんは俺にも分かるように話をしてくれたと思うが、多々意味不明な説明があり、全てを理解できなかった。

大人の世界も大変なんだなと思いつつ、姫川の方を見ると安心したのか、少しだけ笑みがこぼれている。


「ようは、姫川のお父さんは自宅に戻っていて、今までと同じ生活に。姫川は承諾をしてもらったので、このまま下宿する事ができる。と言う事ですかね?」


「まぁ、そんなところだね。色々と難しい事もあるし、これからしなければいけない事もあるけど、あとは大人に任せて大丈夫だよ。そこは安心して」


 俺は紅茶を一口飲み、一気に話された事を頭の中で噛み砕いて処理する。

下宿は継続可能、姫川の父は戻ってきている。うん、問題ないんじゃないか?

学校でも今まで通りの過ごし方になりつつあるし、良かったんじゃないかな?


「雄三さんには電話もできるから、後で連絡してみるといい。今日の件も話をしているし、杏里さんから連絡をするという事を伝えているからね」


「分かりました。あとで連絡してみます。その、色々とありがとうございました」


「そうそう、杏里さん。人事部の人でも住んでいる人を家から追い出す権限とかはないんだよ?」


「え、そうなんですか?」


「まぁ、今回の件を考えると、自宅に残っていた方が危険かも知れなかったからたまたま良かったけど……」


「……私は、あの人に騙されたのですか?」


「うーん、非常に言いにくいけど、そうだね」


「そ、うですか……」


 しばらく無言で皆紅茶を飲み、一息つく。


「もしかしたら、姫川にも危険な事があったかもしれない。怪我もなかったんだし、プラスに考えよう」


 俺は姫川に一言伝える。フォローのつもりで言ったが、このセリフで良かったのか。

騙されなければ自宅に残って、その後今井さんと会う事が出来たかもしれない。


 でも、あのまま残っていたらあの男に何かされていたかもしれない。

そう考えれば、出て行った方が安全だったのか?

どっちが正解かわからない問題に、俺も口を閉ざしてしまった。


「結果論から言えば、これで良かったんじゃないか?」


 初めて俺の父が言葉を発した。

さっきまで真剣に最中を食べていたが、父の前に置いた最中だけ、綺麗になくなっている。

紅茶もほぼ空に。


「そうですね。杏里さんは自宅に戻る事も出来ますし、このままここにいることもできます。雄三さんは、これからも自宅不在になる事が多いと聞いていたので、個人的には下宿の方が良いかと思いますけど」


「姫川が決めていいんだって。自宅でも下宿でも。俺はどっちでもいい。姫川が自分で選んでくれ」


 姫川は紅茶を一口飲み、目を閉じる。

ある意味、人生の分岐路にいる姫川。

俺も一人でここに住むことを決めた時、きっと今の姫川と同じ気持ちになったんじゃないかな?


 今までの環境を維持するのか、新しい環境に移るのか。

今までの環境は慣れているし、安心する部分が多い。多くの人が今の環境を維持する答えを出すだろう。


 でも、俺は一人暮らしで高校に通う事を選択した。

父さんにも相談し、了承を得て、今の俺がここに居る。

あのまま実家にいたらどうなっていた? きっと何も変わらなかったと思う。


 自分の人生は一度だけ。やりたいことも沢山あるし、将来の夢だってある。

自分を育てる環境は自分から行動しなければ何も変わらない。


 親が、人が、自分以外の誰かが準備したレールを歩くことを俺は拒む。

自分の事は自分で。それがきっと大人になった時、自分の力として自分を助けてくれる。

そう信じて俺は今ここに居る。


 姫川はどう選択する?

もし、タワーに戻る選択をしたら俺は快く受け入れることができるのか?

自分に問いかける。


 俺自身は姫川にどうなってほしいんだ? タワーに戻ってほしいのか?

ここに居てほしいのか? 初めは実験要員だって思っていたけど、今も同じ気持ちなのか?


 自分に嘘をつくのか? 自分の気持ちは?

あー! なんかモヤモヤする!

姫川に『俺はどっちでもいい。姫川が自分で選んでくれ』とか言っちゃったけどさっ!



――カチャン


 姫川の持っていたカップが、ソーサーに触れ音が響く。

一息ついて、姫川が大きな目をあけ、俺を見てくる。

俺は、この目を知っている。大きな決意をした時の目だ。

自身に揺らぎない、何かを決心した時の目つき。

俺にはそんな風に見えた。そして、姫川は俺に向かって微笑む。


「私は――」

 

――ドキン


 心臓が痛い……。

俺の心臓はどうしちまったんだ? こんなに高鳴っているのはなぜなんだ?

もしかしたら、俺は知らない間に病気にでもなったのか……。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る