第50話
ヴァナルドフの見る戦場の景色は、他の人間とは違う。
彼にとって戦場は、盤上に人に見立てた駒を並べたボードゲームの延長戦ではなく、常に流動し続ける巨大な存在、嵐のようなものであった。
キルヒアイス隊が出撃してきた報告を聞いたヴァナルドフは、その部隊の迎撃に動かせるのは同数が限界であると判断した。
後続が動かないとは限らない。初日と違い、一晩の休息を得たローリタニア王国軍には英気を養い戦う力を取り戻した部隊もいる。昨日のようにはいかない。
数の上では未だに劣勢である大帝国軍が、リスクのある選択を取ることは難しかった。
故に、ヴァナルドフは同数の5千兵からなる戦力で出陣した。
そして、常人よりもはるかに視力の優れるヴァナルドフは、前進するキルヒアイス隊の姿を遠くからでも細かく見ることができた。
彼の目には、両翼に機動力に優れる騎馬隊を配置し、中央には歩兵戦力を中心とする部隊が展開しているキルヒアイス隊の姿が見えた。
その構成から、ヴァナルドフはキルヒアイスが両翼の部隊を突出させてこちらの両翼を拘束ないし押し込む間に中央の部隊で先頭を走る自分の首を狙うというキルヒアイスの目的を察知した。
彼の頭の中には、そのキルヒアイス隊の方針が描く戦況の推移が流れるように浮かび上がってきた。
雲行き、風向き、雨量、嵐がもたらす戦の流れ。
複雑に絡み合い流れる嵐を紐解いていき、ヴァナルドフは天災の齎すキルヒアイスを破るための戦術を組み上げていく。
「両翼は前衛を重装騎馬隊が担い、中衛の軽装騎馬隊の弓の援護の元押し込んでいく……中央はその間に俺を狙う……つまり、敵の最優先目標は俺の首か」
キルヒアイスが相打ち覚悟で狙うのが、自身の首であることを読み取ったヴァナルドフは、それを踏まえた上で押し込まれるだろう両翼の戦況を打開するとともに、自分を狙う敵の主攻となる中央部隊を打破する戦術を瞬時に組み立てた。
「中衛が弓騎馬隊ならば、近接戦には弱いだろう。側面を打てば大いに敵の陣形は乱れ、後背を危険にさらされる敵の士気は下がる」
ヴァナルドフが狙うのは、敵の弱点となる両翼中衛の軽装騎馬隊。
援護射撃を担う彼らは側面の警戒がおろそかになるためそこを狙えば確実に奇襲効果を望めるとともに、弓矢を主武装とするため近接戦に持ち込まれれば容易に打ち破ることができる。
この敵の弓騎馬隊に奇襲を仕掛けるのが、中央部隊となる。
つまりは押し込まれる両翼をあえて囮として、敵の前衛の重装騎馬隊と距離が開いた軽装騎馬隊を狙い攻撃を仕掛けることとした。
この一手により後ろの味方が危うくなれば、敵を押し込む重装騎馬隊も後背を意識せざる負えなくなり、士気が下がる。
その隙をつき、両翼の騎馬隊を一気に反転攻勢に出すことが、押し込まれるだろう両翼の戦況を打開する一手となる。
しかし、この場合、ヴァナルドフの率いる中央部隊は敵の主攻となる中央部隊に側面を晒すこととなる。
当然だ。進路を横に変えれば、前についていく兵士たちの動きは曲線を描く。
そして側面は脆い。ここを突かれれば、陣形を寸断され各部隊が孤立することになる。それこそ敵の狙うヴァナルドフの首を取る好機となるだろう。
だから、ヴァナルドフはそれを利用する手を同時に組み上げることとした。
軍の進路を変える移動を、陣形を組み突撃してくる敵を迎撃するための移動に置き換えることにした。
軍の進路ではなく、向きを変える機動。
先頭の一部の部隊だけを奇襲隊として組織し、中衛から後衛になる部隊は突撃してくる敵軍に対して迎撃のための横陣を敷く機動をとる。
ここに鉄砲隊を置き、突撃してくる敵という名の的に一斉斉射を仕掛けて中央部隊の戦況を一気に自軍の優勢に持ち込む一手である。
自分の首を狙う敵が、側面を見せれば必ずそこを狙ってくる。
キルヒアイスの狙いを察知していたヴァナルドフは、自軍の動きに対する敵軍の動きも流れる様に理解することができた。
「スルニチワフ!」
嵐の流れは読み取れた。
ならばあとは実行あるのみ。
ヴァナルドフは激突する前に鉄砲隊を指揮するスルニチワフを呼ぶと、必要なことだけを伝えた。
「中央部隊は敵の面前にて横陣体形を取る機動を行う。機会を見逃さず、陣形を素早く組み突撃を仕掛ける敵に対して一斉斉射を行え」
「承知致しました!」
ヴァナルドフの読んだ通りに敵味方は動き、横陣を敷いたスルニチワフの鉄砲隊は予想通りキルヒアイス率いる部隊に対して一斉斉射を敢行したのである。
「……降りたな」
敵は嵐の下に降り立った。
一斉斉射を受け、キルヒアイスの中央部隊は大きな被害を受けて混乱状態となっている。
ヴァナルドフが突撃を仕掛けた敵左翼部隊中衛も、接近戦に持ち込まれた弓騎馬隊は奇襲を受け混乱し押し込まれている。
そして後方の味方が劣勢に立たされたことで援護射撃を失った重装騎馬隊もまた、士気が下がり混乱状態に陥っている。
ほぼすべての戦況が、一気に大帝国軍側に傾いていた。
既に敵は嵐の下。
あとは暴風を持って蹂躙し、この敵を粉砕する。
天災の異名で恐れられる最強の陸軍大将が、その猛威をローリタニアの若き将軍に叩きつけようとしていた。
「浮き足立つ敵を殲滅しろ!祖国の地を踏み荒らす辺境の雪だるま共を叩き潰せ!」
「「「オオオオオォォォォォ!!!」」」
大帝国軍の歓声が、混乱するキルヒアイス隊にさらなる追い打ちをかける。
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