第33話

 驚天動地。

 ローリタニア王国軍の総大将、ヴィンセント・ロー・パッペンハイムがその光景を目にした時の感情を表すならば、この言葉に限るだろう。


 彼の眼前には、いつの間にか距離を詰めてきたドラウグル大帝国軍の大規模な騎馬軍勢が自身の率いるローリタニア王国軍の本陣へ突撃を敢行する光景が広がっていた。


 いったい、どのようにしてこのような事態が起きたのか。

 思い返すが、足元ではない箇所の戦につい先ほどまで意識を取られていたパッペンハイムにはわからなかった。


 時を遡ると。

 相対するヴァナルドフ軍が攻城兵器の制圧に向け戦力を投入してきたことに対応するため、パッペンハイムも予備戦力を総動員して対応していた。


 しかし、これにより本陣の軍勢を除く動員可能な戦力の大半をこの攻城兵器の防衛戦に当てたため、ローリタニア王国軍は距離的に他の友軍と分断された状態に陥ってしまった。


 パッペンハイムは攻城兵器の攻防戦に意識を取られていたためこの事実に気づかなかったが、ヴァナルドフはこの状況を意図していたかのように砦の戦力を自ら率いて出陣。

 援軍がすぐに駆けつけられなくなっているパッペンハイムの本陣を目指して、突撃を敢行してきたのである。


 攻城兵器の攻防戦に意識を取られており、なおかつヴァナルドフが率いた軍勢が機動力に優れる騎馬隊だった為に素早く距離を詰められたせいで、ローリタニア王国軍はこのヴァナルドフ軍の正真正銘の主攻となるこの攻撃に気づくのが遅れてしまった。


 結果、パッペンハイムの目には突如として本陣にドラウグル大帝国の騎馬隊が攻撃を仕掛けてきたという驚天動地の報告がもたらされたのである。


「ば、バカな……なぜ悪魔どもがここにいる!?オリジンの歩兵部隊は何をやっているのだ!」


 パッペンハイムの本陣に至るには、攻城兵器をめぐる攻防戦を繰り広げている部隊の他に、将軍オリジンの率いる軍勢が配置されている場所がある。

 騎馬隊の機動とはいえ、丘の上の砦を下より見渡せる位置に送り込んだオリジンの歩兵部隊が数千規模の敵軍を見逃すはずがない。


 だが、パッペンハイムのこの思惑は裏切られていた。

 ヴァナルドフの指示により、オリジンとテイラーの軍勢と対峙していたスルニチワフ率いるヴァナルドフ軍は、攻城兵器の攻防戦に参加する為に戦場を移動していた。

 オリジンとテイラーの軍勢はこのスルニチワフの機動に誘い込まれ、攻城兵器の攻防戦に向かうスルニチワフ隊を追撃し戦場を移動してしまっていたのである。


 とはいえ、ザンクトバトルブルク侵攻戦における重要な存在である攻城兵器をめぐる攻防戦に参戦しようと移動する敵軍を見逃せるはずが無い。

 総大将のヴァナフドフ以外誰も想定していなかったローリタニア王国軍本陣を狙うこの攻撃をオリジンたちには見抜けなくても仕方のないことであり、見逃してしまったオリジンを責めることはできないだろう。


 それに、ヴァナフドフが率いて出撃してきた大帝国軍はおよそ6千。

 それに対し、ローリタニア王国本陣に控える軍勢は周囲の友軍と距離的に分離してしまっているとはいえ1万3千の兵力を有している。

 いかに精強なドラウグル大帝国軍といえど、この戦場において連合軍との間に超えられない兵力差があるのは否めない事実であり、両軍の本陣に残る戦力はやはりローリタニア王国軍の方が多かった。

 そんな中にあって、ヴァナルドフがまさか砦の残存戦力全軍を率いて倍以上の兵力が守る本陣に突撃を敢行してくるとは、ローリタニア王国軍の諸将は誰も想定していなかった。


 だが、ヴァナルドフはその本陣に対し突撃を敢行した。

 それは決して無謀な突撃ではない。本陣とそれ以外の敵軍を距離的に分断できれば、必ずこの攻撃が成功するという判断材料を揃えた上での突撃である。


 これまでの戦いの優劣を見て、ヴァナルドフはローリタニア王国軍の兵の練度を見抜いており、数の劣勢を跳ね除け渡り合えるほどに質においてドラウグル大帝国軍が優れていることを察知していた。

 質の面以外にも、ローリタニア王国軍の本陣が歩兵中心の戦力になっていることも見抜いていた。

 歩兵と騎兵の野戦では騎兵が優勢に戦える。兵科の面から言っても、兵器を守るために騎兵歩兵を問わず続々と戦力を投入した結果本陣の戦力が歩兵中心となったローリタニア王国軍に対し、ヴァナルドフ軍がこの突撃の為に砦の騎馬隊を温存し歩兵大隊ばかりをコバロティスへの増援に回していたことが功を奏した。


 また、ローリタニア王国軍は大陸辺境からの長距離行軍をしてきたという疲労が蓄積している。

 さらにドラウグル大帝国軍側にとっても想定外であったが、シグニア王国軍が独断で戦端を開いたためにローリタニア王国軍にとって着陣してすぐに戦端を開くこととなった。

 つまり到着後布陣を整える暇も休息する暇もなくぶつかったため、戦う前からローリタニア王国軍は疲れている状態であった。


 加えてこの地域の気温はローリタニア王国の国土が広がる夏にも雪が消えない極地とは違い、温暖な気候である。

 ローリタニア王国の人間はこの暑さにほとんど慣れておらず、兵のコンディションが万全ではなかった。


 これらのローリタニア王国軍の抱える兵士の不調面を、ヴァナルドフは砦の上より配下の軍勢との戦いを通じ見抜いていたのだ。


 さらにローリタニア王国軍にとってはザンクトバトルブルク侵攻戦において必要のため守らなければならない兵器の攻防戦に意識を割かれていた。

 ヴァナルドフは本陣に攻撃を仕掛ける自分たちの部隊を捕捉されるのが遅れ、奇襲の形になることも計算した上でこの攻撃に打って出たのである。


 結果だが、大成功であった。

 ローリタニア王国軍の本陣は奇襲を受け、瞬く間に戦列を切り裂かれた。


 兵数は確かにローリタニア王国軍が上だが、奇襲攻撃と騎馬隊に相対する歩兵部隊という兵科の差からくる威圧感、そして勢いに乗るヴァナルドフ軍に対し受け身に回ってしまっているローリタニア王国軍本陣という要素がその兵力差からくる優劣を覆す。


「駆け抜けろ!狙うは敵総大将の首だ!」


「「「オオオオォォォ!」」」


 ヴァナルドフの号令を受け、ドラウグル大帝国軍の兵士たちが一層奮起する。


 能力主義のドラウグル大帝国陸軍において、名門でもない外国人の身の上でありながら、己の実力を頼りに陸軍大将にまで出世を果たしたヴァナルドフの存在は、兵士たちの憧れでもある。


 何より、ヴァナルドフの天才的な戦術は敵味方双方の度肝を抜く奇天烈ながら鮮烈な輝きを放つものだ。


 誰も予想だにしなかった戦の絵図を描き、敵本陣に対し乾坤一擲の突撃を仕掛ける。

 狙うは敵の総大将の首。

 この状況、ヴァナルドフを慕うヴァナルドフ軍の兵士たちにとって熱意を抱かずにはいられないものであり、ヴァナルドフが先頭に立ち配下を鼓舞するごとに兵士たちの士気はうなぎのぼりに上がっていった。


 一方、ローリタニア王国軍は奇襲を受けた形である。

 総大将ですら本陣への攻撃を想定していなかった状況で、この苛烈な突撃を末端の歩兵たちが受け止められるはずもない。


「ひい!?」


 ヴァナルドフ軍の放つ突撃の威圧に押され怖気付く兵士が続出し、その怖気づいた兵士が後ずさることで隣や後ろの兵士にぶつかり、陣形に生まれた小さな波紋が大きな乱れへと繋がっていく。

 それがローリタニア王国軍の本陣の隊列により大きな乱れを生み、歪みとなる。


 そんな怖気付いた兵士と乱れた隊列に、士気が最高潮に達するヴァナルドフ軍の突撃を受けきる力はなく。

 兵科の差、兵士の練度の差、暑さに慣れないコンディションの差に、恐怖心からくる陣形の乱れが加わり、ヴァナルドフ軍の突撃に対しほぼ組織的な抵抗をすることもできなくなった。


 そうなれば騎馬隊の突撃はほぼ素通り状態になる。

 兵数で勝りながら、ローリタニア王国軍の本陣の戦列はヴァナルドフ軍の突撃にまともな対応ができず、次々と突破を許していった。


 そしてその様子は、ヴァナルドフが狙いを定めた先にいるローリタニア王国軍の総大将の目にも映った。


「悪魔どもめ……!」


「パッペンハイム卿、このままでは!」


 次々と戦列が切り裂かれこの場へと迫る敵軍の姿に、パッペンハイムが額に冷や汗を浮かべながら歯ぎしりをする。


 一方、このままでは確実に本陣を貫かれるだろう事態に、パッペンハイムの側近たちは総大将に指示を仰ぐ。

 というよりも、総大将に指示を仰ぐことしかできなかった。


 そして、パッペンハイムにももはやこの状況を覆すことはできなくなっていた。


 本来ならば数で勝る本陣の兵を有効的に使い、突撃を受けている箇所以外の部隊を敵軍の側面に回すなどして包囲攻撃を仕掛けたり、敵軍に対する壁を増やして勢いを削ぐべきなのだが、奇襲を受けたローリタニア王国軍はすでに指揮統制が機能しない状態に陥っていたためそういった対応ができなかったのである。


 とにかく、この混乱を収拾しなければ対応などできない。

 敵軍はそれを許してくれる速度ではないが、状況はとにかく動かなければ本陣を落とされてしまう、すなわち初日からローリタニア王国軍が敗北することを示唆していた。


 だが、その最中にあって。

 パッペンハイムが最初に起こした行動は、側近たちを驚愕させるものだった。


「追いつかれる前に退がるぞ!退け貴様ら!」


 あろうことか、パッペンハイムは1人馬にまたがると、本陣を捨ててヴァナルドフ軍が迫る方向と真逆の方へ馬を駆け出したのである。


「なっ!?」


 総大将が、退却の指示すら出さずに今まさに敵軍に蹂躙されている1万以上の味方を見捨てて逃亡した。

 パッペンハイムが起こした行動は、それを示していた。


 絶句する側近たちは、固まるしかない。

 彼らの見る先では、配下の歩兵の戦列へ騎馬で強引に押し入って逃亡するパッペンハイムの背中が見えるだけ。


「な、何故……!?」


 膝をつく側近。


 その直後、彼らの背中に悪魔の軍勢を率いるドラウグル大帝国の陸軍大将が、ローリタニア王国の歩兵を蹴散らしながら到来した。


「…………」


「––––ひぃ!?」


 短時間で数に勝る軍の戦列を貫いてきたヴァナルドフの姿は、見捨てられた側近たちの目にはまさに悪魔の軍を率いる魔王のように映った。


 一方、先頭を駆け抜けてきたヴァナルドフはローリタニア王国軍本陣の中枢に達したところで、そこに敵の総大将の姿が既にないことを察知する。


「……逃げたか」


「あ、悪魔––––」


 側近の言葉は、最後まで紡がれなかった。

 ヴァナルドフに続き本陣の中枢へ突入してきた大帝国軍の騎兵によって討ち取られたからだ。


 その他の側近たちも次々に討たれ。

 総大将が逃亡し、本陣の中枢におり逃げ遅れた腹心たちが悉く討ち取られたことにより、ローリタニア王国軍は指揮系統が完全に麻痺する事態に陥った。


「う、うわあアアアァァァァ!?」


 そこからはもう、堰を切ったように本陣を中心にローリタニア王国軍の兵士たちが逃亡を始める。

 その濁流はせき止めようがなく、ローリタニア王国軍の本陣は組織的な戦闘が完全に不可能となり、陥落に至った。


「追撃戦に移る。任せたぞ」


「「「了解致しました!」」」


 その敗走する敵軍の背中を見過ごしてくれるほど、ドラウグル大帝国軍は甘くはない。

 祖国の帝都へ侵略の足を伸ばしてきた愚かな格下国家へ制裁を与えるべく、敗走するローリタニア王国軍の背中へ徹底的な追撃を開始した。


 追撃命令を出し、その様を眺めていたヴァナルドフは、すでに嵐の蹂躙にただ逃げ惑う地上の無力な存在に落としたローリタニア王国軍の中に、1つの騎馬を見つける。


「そこか……!」


 嵐の目となり地上の惨状を眺めながらも、荒波を立てる海原からただ一匹の魚を見つけ狙いを定める猛禽類の如く。


 逃げ惑うローリタニア王国軍の濁流の中から正確に逃げる総大将という存在を見つけ出す人間離れした目と勘の鋭さでパッペンハイムの姿を補足したヴァナルドフは、自身の鞍より一挺の鉄砲を取り出した。


 距離は約200メートルといったところか。

 標的は逃げる人波の中で豆粒ほどの大きさしかない。

 例え鉄砲であっても、この距離を狙うのは容易なことではないだろう。

 まして的は馬を駆けている存在である。


「…………」


 だが、ヴァナルドフは陸軍大将の地位にまで登った人物。

 軍の指揮の才能だけではない。

 その常識はずれの鋭い感を培ってきた、1人の戦士としての能力。

 最前線で敵と斬り合い撃ち合う経験、個人の武力もまた常人離れしたものを持っている。


 大陸ではほぼ見られない黒曜石のような一切の輝きを持たない黒色の瞳で狙いを定め、引き金を引く。


「––––ッ!?」


 その弾道は寸分の狂いもなく。

 パッペンハイムの脳天を背後より撃ち抜き即死の一撃を与えた。


 馬から崩れ落ちる死体。

 死した主を落とした馬は、それを置いて味方とともにひたすら背中を見せて戦場から逃げていく。


 ローリタニア王国軍総大将、ヴィンセント・ロー・パッペンハイムの討死。


 ザンクトバトルブルク侵攻戦初日。

 いきなり連合軍の総大将の1人が戦死するという衝撃の事態が発生、波乱を呼ぶ情報がこの戦場で戦う全ての軍勢へと広がっていくこととなった。

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