第6話
5万からなる両公国軍は、サントマリノ公国の公都であるアルヴァールンを出陣。
南より進軍してきたドラウグル大帝国の先鋒部隊と思われる約1万の軍勢と対決するために行軍を続けていたが、そんな彼らの元にサントマリノ公国軍の捕虜達が情報を持って逃げ込んできた。
ロンゴミアド公国軍本陣。
同盟国であるサントマリノ公国の要請を受け、ロンゴミアド公国はシュメール地方の辺境伯であるシュメール・フォンダン伯を総大将とする3万の軍勢を派遣した。
サントマリノ公国軍の捕虜だった者たちがこちらの陣営に情報を持って逃げ込んできたという事をサントマリノ公国軍より聞き、ロンゴミアド公国軍は一旦陣を敷いて進軍を停止。
今代のシュメール・フォンダン伯であるギネヴィア・フォンタニオン辺境伯は、大帝国軍から逃げてきた捕虜が持ってきたという情報を元に作戦を練るべく、サントマリノ公国軍の司令官であるソイゲール・バフマス将軍や副将のダンテノア子爵、そしてこの戦いのために集めた大陸の傭兵団の諸将、両公国連合軍の主だった面々などを本陣に集め、軍議に臨んでいた。
鮮やかな翡翠色の瞳は、シュメール・フォンダン伯に代々現れる特徴である。
挨拶もそこそこに、ギネヴィアは翡翠色の瞳をこの軍議の本題と言っていい情報を入手したというバフマスに向ける。
「バフマス将軍、捕虜が情報を持って貴殿の陣営に逃げ込んできたという話を聞いたが」
ギネヴィアの言葉とともに、軍議の面々の目がバフマスに集中する。
バフマスは一同の目を見返してから立ち上がり、ギネヴィアの方に視線を向けてからその情報について話し始める。
「はい、極めて重要な情報です。上手くいけば、サントマリノ公国より侵略者共を排斥するだけでなく、あの大帝国に混乱を招くことも叶うだろう極めて重要な情報です」
よほど重要な情報なのだろうか。
同盟国のロンゴミアド公国の面々を前にして、バフマスは自信に満ちた表情でその情報を明かした。
「先日、我が軍の捕虜となっていたもの達を保護したのですが、彼らが牢番の噂話を聞いていたのです」
曰く、敵の先鋒軍1万を率いる指揮官はドラウグル大帝国陸軍元帥の嫡子であるシャングロ・ドル・ファイゼナッハであると。
曰く、敵の先鋒軍を率いる中央出身のシャングロと、その副将や本隊である4万の軍勢を率いる方面軍司令官のイサコフは意見が対立しており、仲違いをしていると。
曰く、将自ら先頭に立つシャングロは勇猛だが血気盛んで蛮勇に過ぎる一面があり、この度も先鋒軍から少数の兵力で突出して公国軍と戦おうとしていると。
曰く、大帝国軍は先の会戦にてサントマリノ公国軍を撃破したため、公国軍の残存戦力を3千程度と見積もっていると。
曰く、シャングロを嫌う諸将は彼の戦死を願っており、アルヴァールンに進撃するため突出する彼の部隊を放置して帰国する方針を立てていると。
曰く、この事実をシャングロ隊は承知していないと。
バフマスが保護した捕虜だったサントマリノ公国軍の兵士達から聞いた情報。
真偽はともかく、ドラウグル大帝国の侵略に怯える大陸すべての国々にとっての恐怖の象徴と言える陸軍元帥デュルカンの嫡子がこの戦場で対峙する敵軍を率いているという情報は、両公国軍の諸将を驚かせるのには十分だった。
「あの大帝国陸軍元帥の嫡男がいると……」
「情報の真偽はともかく、もし真実であるならばこの上ない好機です!偵察部隊からの報告により後方の大帝国軍4万が突如として反転し退却の構えを見せているとの報告も入っております。全軍を持ってかの大陸支配を目指す悪魔共の元帥、奴の小倅を打倒しその首を侵略者共の眼前に晒しましょうぞ!」
バフマスが拳を振り下ろし、机を叩きながら諸将に力説した。
ドラウグル大帝国を除くすべての国々にとって大陸制覇を目指す覇権国家の陸軍元帥は恐怖の象徴であるが、逆に言えばドラウグル大帝国にとって陸軍元帥の名は大陸統一戦争の最大の英雄である。
その嫡子が敗戦し討ち死にすることになれば、ドラウグル大帝国の士気に関わる大きな効果となる。
そして今、保護した元捕虜のもの達から得た情報により、その大帝国陸軍元帥の嫡子を討ち取れる絶好の機会が訪れていた。
全ての国が参加した大帝国包囲網を結成しかの大国を打ち倒せる絶好の機会、この期にさらなる一撃を与えるためにはシャングロの首は大きな効果をもたらす。
情報の真偽はどうであれ、先発しているという大帝国軍は包囲殲滅するために大軍を動員する価値のあるものだった。
バフマスはこの先発しているという大帝国軍7百を殲滅し確実に逃さずシャングロを討ち取るために、全軍を投入して敵の前衛を包囲し殲滅するべきだと主張する。
サントマリノ公国軍の諸将がそれに賛同の声を上げる中、しかし情報の真偽に疑問を持つロンゴミアド公国軍の副将のダンテノアが異議を唱えた。
「待て、バフマス将軍。敵は偽装撤退をし、餌に食らいついた我が軍を逆に包囲殲滅するという可能性もある。そもそも、大帝国陸軍元帥の嫡子がいくら武力一辺倒の将であっても、僅か7百で万に上る我が軍に挑むなどという無謀な行動をするだろうか?」
「ダンテノア子爵殿、我が軍の兵士が命がけで持ち帰った情報の真偽を疑うと言われるのか!?」
あくまで同盟国の援軍として赴いたロンゴミアド公国軍と違い、サントマリノ公国軍は国の存亡を賭けた戦いに臨んでいる。
そのためわずかでも勝利の目がある可能性にかけたがるバフマスは、あくまで冷静に戦況を見据えているからこその意見だが彼らの目から見れば他人事だと消極的に受け取れるようなことを言うダンテノアに苛立ちを覚え、怒鳴り返した。
「バフマス将軍、私はそのようなつもりで言ったわけではない。仮に罠であることを想定していなければ、取り返しのつかないことになると––––––」
「ええい、黙れ!ならばロンゴミアド公国の方々は帰国すればよろしいでしょう、我らのみで討ち取って見せます!」
あくまでも罠の可能性を排除してはいけないと冷静に対応するダンテノアであったが、短気で聞く耳持たないバフマスは怒りを露わにし、さっきまでの自信はどこへ行ったのか怒りに身を任せて出て行ってしまった。
サントマリノ公国軍の諸将も賛同し、本陣から退出していく。
軍議を開いたというのに結局ろくな作戦も立てられぬままにお開きとなってしまった状況に、ダンテノアは小さなため息をついてから総大将であるギネヴィアの方を向いた。
「シュメール・フォンダン伯、如何致しますか?」
「…………」
ギネヴィアは黙っていた。
そこにサントマリノ公国軍が出陣したという報告がもたらされる。
軍議中も、結局何も決められずに終わった軍議が終了してダンテノアが声をかけても、サントマリノ公国軍の出陣の報告を聞いても何もしゃべらずにいたギネヴィア。
総大将のその姿を見てダンテノアは一瞬眉をひそめたものの、彼女が戦況を見据えて自らの脳内に策を練っているのだと思い至り、その思索の邪魔をするわけにはいかないとそれ以上声をかけることは控えた。
そして、軍議中も一切の言葉を発していなかったシュメール・フォンダン伯ことギネヴィアは、偵察部隊からもたらされる敵軍の動向からその戦の様相を脳内に巡らせていた……わけではなく。
(シャングロが、ここにきている……!やっぱり、あのゲームの世界と同じなんだ!)
軍議に集った面々には理解できない、彼女にしかわからない世界で紡がれた物語の内容に思いを馳せていた。
薄っすらと、その表情に笑みが浮かぶ。
(シャングロ……いくらラスボスの貴方でも、さすがにこの戦力差ならどうしようもないでしょう?絶対、手に入れるんだから……)
「…………」
ギネヴィアのその笑みを見上げたダンテノアは、思わずその表情に息を飲んだ。
ローリタニア王国からの攻撃より公国を守る盾として活躍する、敬愛する姫伯爵。その普段の凛々しい姿とは似ても似つかない、狂気を孕んだような暗く光る笑み。
その時、ダンテノアには彼女がシュメール・フォンダン伯には見えなかった。
だが、その笑みは一瞬で引っ込み、普段の凛々しい顔が戻る。
その変わり様に、今見たものは気のせいでは?と己の目を疑うダンテノア。
一方、彼以外には誰にも先ほどの暗い笑みを見せなかったギネヴィアは、残った諸将を見据えて軍議の冒頭より閉じていた口をようやく開いた。
「全軍、直ちに進軍の準備を。敵の先遣7百を包囲し、殲滅する」
ギネヴィアの指示。
それは、先ほど怒って出て行ったバフマスの齎した報告を信じ、敵の突出する部隊を率いているのが援軍のない孤立無援のシャングロ率いる部隊と見てその首を取る戦いに参加するということである。
普段の冷静な主人とは思えない短慮とすら取れるその指令に、思わず目を見開くダンテノア。
「辺境伯殿、罠の可能性も––––」
「いや、それはない」
しかし、ギネヴィアはまるで何かの確信があるかの様にダンテノアの忠告を退ける。
確証もないのになぜ言い切れるのかと眉をひそめるダンテノアに、ギネヴィアは大帝国の広がる南を見据えて言う。
「囮だ」
「囮?やはり我らをはめるための罠であると」
「違う。我らの攻撃から5万の兵力を逃し、帝都の戦いに届けるための囮だ」
「帝都……はっ!」
そこまでギネヴィアから言われ、ようやくダンテノアも合点が行く。
現在、大帝国包囲網を敷いた各国がドラウグル大帝国の領土に対し侵攻を仕掛けているという。
彼らは帝都を目指す進撃を各方面より進めており、大帝国側はこれに対して城塞都市に立てこもり、内地に残る軍を引いているという。
連合軍はドラウグル大帝国の帝都『ザンクトバトルブルク』にて大帝国軍が決戦を挑むと見ているという。
大帝国がその様な状況の中で、5万もの兵力をサントマリノ公国に貼り付けていられるはずもない。
つまり、7百の軍勢はこの大帝国軍5万を帝都の戦いに向かわせるための足止め部隊なのだろう。
だが、並の将では7百で5万の軍勢を相手に足止めなど出来ない。
つまり、この7百を率いる将は相当な実力を持つ将軍ということになる。
それがあの大帝国陸軍元帥の嫡子であるならば、なるほどその強さはこの足止め部隊を率いるに足るだろう。
「ですが……この軍勢は全滅必至の殿部隊。それをいかに優秀といえど大帝国陸軍元帥の嫡子が率いるでしょうか?」
シャングロの首は大帝国軍の士気に大きな影響を与える存在だ。
いかに足止めが図れる将がシャングロしかいなくても、元帥の嫡子はそれこそ5万の兵力をすりつぶしてでも生かさなければならない存在だろう。
だが、ギネヴィアはダンテノアに翡翠色の瞳を向けると、何らかの確信があるのか絶対的な自信を見せる表情で、断言した。
「いる。あの囮に、シャングロは必ずいる。あの人……あいつは自分の首の価値を理解できていない。だから、大帝国のためなら、5万の兵を生かすためなら必ず命を捨てに来る」
まるでシャングロの人となりを知っているかの様な言葉。
凛々しい普段の表情に戻ったものの、やはりダンテノアはいつもの主君と違うのではないかという印象が拭いきれなかった。
「……陣払いの準備をしてきます」
どこか、いつもの主君と違う。
今の彼女がまるで別人のように不気味に見えたダンテノアは、何と無く距離をとったほうがいいと感じ、進軍の準備に取り掛かることを理由に退出する。
「ダンテノア」
しかし、それをギネヴィアが呼び止めた。
足を止めて振り返ったダンテノアに、ギネヴィアが呼び止めた理由である、とある指令を出す。
「敵の将軍だが……生け捕りにして連れてこい。いいな」
敵将を生け捕りにしろ。
確かに、シャングロは首を取っても生け捕りにしても利用価値のある相手だ。その指示は別に間違っていない。
だが、その指示を出した時。
ギネヴィアの表情は先ほど一瞬だけ見た、まるで別人に思える背筋の凍る様なあの暗い薄ら笑みを浮かべていた。
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