03 セコンダリア~命の泉


 キャリウス車が走る。

 風が冷たい。

 風を切って、という表現はキャリウスには合わないが、巨体故に速度が出るのだ。

 故に、気温と速度によって一真は冷たさを感じていた。


「やはりキャリウス車はいい」


 御者であるルキアノの横に立つキンシィがしみじみと言う。


 セレンは寒いからと部屋に引っ込んでいる。

 が、一真はキンシィに付き合わされてここにいるのだ。


「キャリウス車に乗ったことがあるのですか?」


 一真はキンシィの後ろから訊ねた。


「ああ、もちろん。我が家でも1輛用立てている」


 キンシィがまっすぐ前を見たまま、腕を組んだまま答える。


「もっとも、ここまで乗り心地が良い車ではないがな」


 一真達が載っているキャリウス車はセレンのこだわりが大いに反映されていた。

 特に水上も行けるキャリウス車は他にない。

 キャリウスが嵐の海に弱いという点もあり、製造開発そのものがされていないのだ。


「私はこれしか知りませんが、そこまでですか」

「ああ。揺れも少ないしな。ただ客車が大きすぎて、これはこれで不満だがな」


 落ち着いて言葉を交わすキンシィに、一真はさらに問いを重ねる。


「どういうことですか?」

「不便なくらいが趣があって良い。とはいえ、長旅ならこれぐらいは欲しいか」


 キンシィもなかなかの趣味人か、と一真は感じ、「なるほど」と頷いた。


 白銀の荒野が続いている。

 時折塩の粒が光を強く反射するが、あまり眩しくない。


 一真は事前に港町で購入したゴーグル越しに、塩の野を眺める。


 セコンダリアのソルトゴーグルは湾曲して顔にフィットする木製の眼鏡みたいな物だ。

 目の位置に合わせて細長いスリットが刻まれている。

 スリット越しに光を少ししか通さないため、塩の反射で眩しさが低減されるのだ。

 一真のゴーグルは目元だけだが、キンシィのものは下方に布が付いている。

 つまり顔全体が覆えるようになっていた。

 そして御者ルキアノも一真と同じタイプの目元を覆うゴーグルを装着している。


「こう言っては何ですがティルドの貴族が観光に来る気持ちが少し分かりますね」

「だろう? 我々にとっては忌々しいだけだが、同時に恐ろしいくらいの美しさを感じる。

 生き物があまり生きていけない世界なのだがな。おっと、見えてきたぞ」


 キンシィが組んでいた腕を解き、前方を指さした。


 一真はキンシィの指を辿って、前の方を見る。

 塩原の地平線に、一際光りが反射する何かがあった。


「あれは、……眩しいな」


 一真の素直な感想だ。


「はは、確かに。ゴーグル越しでも眩しいな。だ

 があれこそがセコンダリアの民の生命線なのだ」


 キンシィの声は誇らしい物を紹介するように、一真には聞こえた。


「生命線?」


 気になった一真は、オウム返しにキンシィに訊く。


「もちろん、水と食べ物さ」


 真水が流れる川か湖があるのだろうかと、一真は地平線の近くを眺めた。

 だが地平線の向こうから近づいてくる反射の元は、水ではない。

 川でも水たまりでもないのだ。


 遠目ではあるが、一真の目からはビニールハウスに見えた。

 骨組みと、なにか光を返すつるつるとした何か。


 大きくなるにつれ、ビニールハウスの形ではないな、と分かった。

 その程度だ。


 形がはっきりと分かったのは見え始めてから、一真の体感で10分ほどのこと。

 金属で作られた高さの低い円筒型の骨組みに、透明な何かがはめ込まれている。

 透明の物越しに内部を伺うが、何かが特に入っているようには見えない。

 ただ外と同じような白い地面があるだけだ。


「ガラスの、温室?」

「ガラスはそうだが温室、か。ガラスで温室……良いかも知れないな」


 一真のつぶやきに、キンシィが顔を空に向けて言った。


「そういえば温室はないんですか?」


 黙るキンシィに、一真は訊ねる。


「この大地の塩は嵐と波で海の水が地表に蒔かれてこうなる、らしい。

 ディマオが言っていた」


 キンシィが一真に顔を向けた。


「だから、土を隔離するという考えはあった。

 カートに乗せた土で野菜を作り、雨や嵐の時だけ引っ込める。真水の量が量だからね。

 小規模な物さ。ガラスの中なら確かに動かす必要もない。いい考えだ」


 この世界にガラスの温室はなかったらしい。

 温室自体は知っているのに、変だな、と一真は思った。

 あの円筒型をしたガラスの建物があれば、温室と呼べるだろうにとも。


「ああ、だが難しいかもな。水の量自体は少ないままだし、ガラスは高い。

 特にああいう板ガラスは最近といってもここ20年で作れるようになったばかりでな。

 高いんだ」


 せっかく隔離した土が塩害にかかっては、温室の意味はない。

 栽培には真水が必要だろう。それも大量の。


「それじゃあ、難しいですね」


 頷き、一真は返事を返した。

 キンシィは一真に頷き返し、前を見る。


「ああ。だが、あれは確かに中が暑くなる。セコンダリアの夏よりずっと暑い。

 日中は危険だから入れん。だから外から眺めるだけだ」


 つられ、一真も前を見た。

 温室のような建物の群れはかなり規模が大きい。

 数もだ。


 立ち並ぶ様子に、一真はモンゴルの家みたいなテント、ゲルを思い出した。

 ガラス製のゲルが、並んでいる。


「ああ、ここで止めてくれ」


 キンシィの言葉に、ルキアノが手綱を引いた。

 キャリウスがゆっくりと速度を落とし、停まる。


「キャリウスが暴れて壊されては事だ。万一を考えて、ここからは徒歩でいこう」


 キンシィが一真に言った。

 確かに、キャリウスはゴーグルをしていない。

 サイズがないから当然だが、さぞ眩しいだろう。


 一真とキンシィは歩いてガラスの建物に近づいた。

 近づけば、その異様に一真は圧倒される。

 高さは一真の目測で3メートルほど。

 幅は直径8メートルほどの円筒だ。

 側面には取っ手が付いたドアらしき部分がある。


 やはり、中で何か育てている様子はない。

 ただ白い地面があるだけだ。

 いや、白い地面は水が張られていた。

 そして真ん中辺り。


「あれは、ろうと?」


 一真が目を凝らして言った。


 内部中央の地面に、漏斗のような円錐の何かが刺さっている。

 天井も中央が低く、すり鉢型になっているようだ。

 ガラス越しに見にくいが、漏斗の上には棒が天井から垂れ下がっていた。


 そしてよくよく見れば、地面の一部はガラス張りになっている。

 ガラス張りの部分は水の反射で見えにくかったのだ。

 反射の切れ目に、ガラス越しに地下の暗さをうかがわせる。


「これは、一体何なんです?」


 一真は振り向いてキンシィに訊ねた。


「造水所」


 キンシィは頷き、短くそれだけを言う。


「ぞうすいじょ……造水所」


 一真は一旦口に出して頭の中で漢字変換をした。


「そう、ここでは水を作っている。太陽の光を使って床に巻いた塩水を蒸発させる。

 すり鉢型の天井と棒を伏せて漏斗で受ける。そして地下にある槽で水を貯める」


 顔をもう一度造水所のガラス建屋に向け、一真は床、天井、そして漏斗を見る。


「ここではセコンダリアで配給される真水の3割を造っている。

 酒を薄めて腐らん用にするための水も、含めて、な」

「セコンダリアの、文字通り生命線、か」

「ああ」


 呟く一真に、キンシィは後ろから同意した。


「ああ、実はここの役割は水だけじゃないんだ」


 キンシィの言葉に、一真は周りを見渡す。

 他に何があるのか探してみたのだ。


「はは、周りを見ても分からんよ」


 一真は造水建屋群の端に、ガラス製じゃない建物を見つけた。


「アレは?」


 見つけた建物に一真は指を差してキンシィに訊ねる。


「おお、目ざといな。アレは地下への入り口だ。

 実はここ、造水だけじゃなくて、食料も造っている。地下でな」

「食料も!?」


 一真は地下で何を造るのかと疑問に思い、即座に思いついた。


「キノコ、か?」

「ご名答。正確には、キノコと光をあまり使わない野菜だな。

 中に入るのは遠慮願うが、そうだ。

 人が生きられない死の大地であるセコンダリアはしかし、人の手で人がなんとか住めるようになっているのだよ」


 腰に手を当て、胸を張って言うキンシィは、一真の目から見てとても誇らしそうだ。


 ここはセコンダリアが知恵をもって作り出した生命線、造水所。


 誇らしいのも当然だと、一真は納得し、「すごい」と賞賛した。


「ああ、ありがとう。だから、気に病む必要はない」

「え?」


 一真はキンシィの優しげな笑顔に、思考を止める。


「弟に勝ったこと。ゼクセリアに勝利をもたらしたこと。

 それそのものはとても誇らしいことだ。気に病む必要は、一切ないんだ。

 ほら、セコンダリアは人が住めない環境じゃないんだ」


 初めて、一真はキンシィが気を遣ってくれていることに気付いた。


 酒場での様子や、セコンダリアの惨状を見て気にしているのではないかと。

 そう、思ってくれたのだ。


「ああ」


 一真は口元を緩め、礼を言った。


「ありがとう」

「さ、行こう。次は王都だ」


 大きく頷き、キンシィは造水所に背を向け、歩き出す。


 そろそろ、自信を持った方が良いかもしれない。

 一真はそう思った。


 神前戦儀に勝ったのは自分だ。

 他国の奏者も全力で戦った。

 その結果なのだから。


 だから、勝って申し訳ありませんでした、みたいな態度はすべての人に失礼だ。

 キンシィは誇るべきだと、言ってくれたのだろう。


 一真は歩き出し、先を行くキンシィを追いかけた。

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