11 ティルドの少女


 ふいに、ドアが開く音がした。

 魔術の話が終わり、一息ついた時のことだ。


「うん?」


 一真とアジャンがドアの方を見る。


 ドアの影から顔を出して二人の方を覗き込んでいる、何かがいた。


「あれは」


 アジャンが小さく声を出す。

 そこに誰かがいることは一真にも分かった。

 黒い髪がドアの影からでてて、二つの目が一真をにらんでいる、ような気がしたからだ。

 ドアが閉まらないのはその誰かが居るからだろう。


「誰か分かるのか?」

「いや、たぶん、ティルドの奏者、だとおもうが」


 一真の訊き方に、アジャンは迷いながら答えた。


「あのぼさぼさの長い黒髪、今のところ他にいないから、だが」


 アジャンは言葉を短く切りながら言って、ドアの方を見る。

 つられて一真も見た。


 人影は先ほどと変わらない姿勢で一真を見続けている。

 いや、目線が時折動いている、ように感じた。

 一真を真っ直ぐみたり、左上の方を見たりと往復している。

 つまりは一真とアジャンを交互に見ている、ように一真には思えた。


 アジャンが体を動かして一真に向き直る。


「彼女、お前に用があるみたいだ」


 親指で背後、ドアの方を指してアジャンが言った。


「俺は退散するとしよう。ゆっくりしてから部屋に戻るといい」

「ああ、分かった。魔術のことありがとう」


 背を向けたアジャンに、一真は礼を言う。


「いや、大したことはないさ」


 アジャンは歩きながら返した。


「ゼクセリアじゃ分からなかったから。これで、もう少し勝ち目を引ける」

「どうだか。じゃあな」


 後ろ手にアジャンは手を振り、一真はそれを見送る。


 アジャンがドアから出たところで、「ほら、またせたな」と言ったのを一真は聞いた。


「あ、あだしは待っでなんで!」


 ハスキーな少女の声がはっきりと聞こえてくる。

 アジャンが返答する声が途切れ途切れな当たり、彼は声量を抑えているのだろうか。


「だけどもよぅ」


 ドアの影からは黒髪は引っ込んでいる。

 姿勢を正したのか。

 ただアジャンとその誰かが何かを言い合っているのは、一真には分かった。


「わーった! わぁったよぅ」


 どうも少女の言葉は訛っているように聞こえる。

 この世界に来たときから、一真には他人が言うことをが翻訳されて聞こえる様だ。

 故に、言葉が違っても日本語になって聞き取れる。

 お陰で魔術を習うのに少し苦労した。


 だから、一真はこのように訛った口調は、初めて耳にする。

 今まで訛りがある、と言われている人物と会話しても、普通に聞こえたのに、だ。


 考え込む一真は、ドアが閉まる音に顔を上げる。


 こちらに歩いてくる女の子が目に入った。


 あまり手入れのされていない長い髪が目につく。

 黒く、艶やかだがあまり梳かれていないようで、ぼさぼさに感じた。

 意思の強そうな釣り目に、青い瞳は透き通っている。

 肌も白く、肌理がよい。

 美少女、と言ってもいい。

 のだが、反面着古したと思われる皺がちの服に妙な気分になる。


 ツギハギで、元の形がどんなだったのかも分からない服だ。

 服自体も、宛がわれて繕われた端切れも、元は色とりどりだったのだろう。

 いまはすっかり色が抜けていた。


 アジャンが言うにはティルドの奏者、らしい。

 確証はないが、そうなのだろうと、一真は思うことにした。


 ベッドの横で少女は立ち止まる。

 ベッドの上で体を起こした一真と、目の高さが然程変わらない。

 一真が立てば胸よりも低い位置に頭が来るだろうか。

 小さな少女だが、幼さは少なくなってきた頃のように一真には思えた。


「目がしゃきってようったの」


 目の前の少女が何と言ったのか、理解するのに一真は少し時間を掛けた。


 目が覚めて良かったな。だろうか。


 日本語としてそれなりに聞こえる。

 それ故に、理解しきれない。


「あ、ああ。目は覚めた」

「さよか」


 戸惑いながら答えた一真に、少女は短く言った。


 何か言葉を続けるのかと思って一真は待つが、少女は一真をにらんだまま、静かだ。


 こういうとき、一真は日本にいたときの癖で、愛想笑いをしてしまう。

 眉尻を下げ、口角を上げる、力の抜けきらない笑い方だ。


「何がおかしいっちゃね」


 一真の愛想笑いが少女の気に障ったのか、眉間にしわが寄った。


「ああいや、その、声、しゃべり方が、その、なんだ」


 何とか聞き取れてはいるが、このまましゃべり続けていたら致命的に食い違う。

 一真はそんな予感がして、どうしたものかと悩みながら口を開いた。


「少し話し方が違うのかなと」


 少女が腕を組みながら顔を背ける。

 傷つけてしまったのかと思った一真が謝罪しようとする前に、少女は口を開いた。


「悪ぅの。スラムと貴族様のが混じっとんね。

 汚い言いんはもとん。きのどくしたん」

「え。え?」


 最初の方は一真にも理解出来た。

 理由は分からないが、スラムの言葉使いと貴族の言葉使いが混じっていると。

 だから変な言葉使いになって翻訳が訛って聞こえるのかと、一真には納得ができた。


 だが最後のが分からない。

 一真は少し考えて、言うことにした。


「実は俺、希人なんだ。言葉は翻訳されて聞こえるし会話もできる。

 けど君の混じった言葉はあんまり翻訳が上手くいかないみたいだ。

 あまり伝わってこないんだ」


 少女が一真の言葉を聞いて、唸りながら上を見る。

 少し唸った後、顔を一真に向けた。


「あ、あー」


 口から呻きを出しながら目を閉じ、少女は目を開けて一真の目を見ながら言い直す。


「汚い、言い方を、してしまった。申し訳ありません」


 短く切り、考え込みながら少女は言い切った。

 言って、顔を逸らし、うつむきがちになる。


「こンでいいっちゃ?」


 頬を軽く染め、うつむき加減の少女に、一真は可愛いと思った。

 少し失礼な事を考えてしまったと、首を軽く振り言葉を返す。


「ああ、それなら分かる。手間を掛けさせてすまない。そしてありがとう」


 近づいて、妙な口調の答えも得たからか。

 一真は少女の服に視線を向けてしまう。

 随分と古く、貧しさも感じる服が奇妙に見えてしまったのだ。


「私の、私物は、少ない、ので。服も、少し、恥ずかしい」


 一真の視線に気付いたのか、少女は言い訳するように声を出した。


「ああいや、ごめん!

 責めるつもりはないんだ。可愛いのに勿体ないなって」

「っ!」


 跳ねるように一歩退き、少女は顔を上げて一真の顔を見る。


「いやその、ごめん! その」


 一真は慌てて誤ろうとするが、声を失った。

 少女が歯を食いしばり自分をにらむのを見たのだ。


「おまんもか」


 少女は短い言葉に、怒気を含ませていた。


「おまんも、あだしの顔しか見ぃんか」


 次第に声量も多くなっている。

 照れによるものだった頬の赤みは、既に怒りによるものに変わっていた。


 拳を握りしめ、今にも一真に殴りかかってきそうな程、少女は怒りを滲ませている。


「いいが!?

 あだしはおまんに勝つっきに!

 勝ってあだしのちから、国のボンどもン見せっちゃね!!」


 そうだ。

 彼女は戦いに来たのだ。

 一真は自分が間違っていたと気付いた。

 少女は戦いに来たのに、可愛いなどと。

 戦い以外で評価されたくないのだと。


「俺も」


 一真は声を出す。


「なんぞ!」


 短い怒声で少女は問うた。


「俺も、負けられない。いや、勝つ。勝って」


 助けたい人が居る、という言葉を一真は飲み込んだ。


「いや、俺が言えるのは、それだけだ。それ以上は要らないな」

「んださ! あすんご楽しみんしとっね!」

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