1章2話 21時33分 【土葬のサトゥルヌス】、禁断の魔術を発動する――(2)



「…………ッッ」


 開戦と同時に、シャーリーは速攻で時間を止めた。

 ――――――――――ッッッ!!!!! と、ロイの耳には無音が聞こえた。


 なにも音がしないのにそれが聞こえる。そんな意味不明、理解不能な現実を目の当たりにするロイ。

 畢竟、彼は一瞬だけ、撤退することを忘れて深く、深く、より深く、シャーリーの魔術に恐れおののいてしてしまう。たとえ、それが自分をアシストするモノだったとしても、だ。


「…………ッッ、ボクも自由に動ける時間停止!?」

「命令――魔力を節約したいし、早く行って! 時を止めた世界で敵を殺しても、時を再び動かさないと命のストックを1つ減らせならない! さぁ、早く!」


 ロイだって身のほどを弁えている。今は撤退――より鮮烈な言い方をするなら、シャーリーに全てを投げ捨てて逃亡するのが、自分の身の丈にあった判断だった。

 シャーリーは優しい。新兵に対しての上官の命令という形で、ロイに上官からの命令なら仕方がない、という理由を与える形で、退散する機会を与えたのだから。


 それを無駄にしてはいけないのは当然だ。

 すぐさま、ロイは【強さを求める願い人】クラフトズィーガー五重奏クインテットする。


 そして、そのロイが跳躍して、それを繰り返して、彼とシャーリーの固有時で数秒後、約500m離れたことを確認すると――、


「使用――【 絶 光 七 色 】アブソルート・レーゲンボーゲンッッッ!」


 撃ち放たれる光速の攻撃。世界には普通なら熱い涙が出そうなほど感動的な光が奔流して、まるで落雷のような轟音が響き渡り、疾風はやてに吹かれたかのごとく砂塵がその周辺に舞い踊った。

 時間の流れを停止している状態、その上で光速の攻撃。誰であろうと躱せるわけがない。しかも、特務十二星座部隊の序列第4位が外してしまうわけがない。


 そう――、

 ――本来なら。


「察知――後ろ!?」

「おや? 油断させて不意打ちしたのに、よほど鋭敏な索敵魔術を使っていたのか? おれもだいぶ強い隠形おんぎょう魔術を発動していたのに、自信失くすなぁ……」


 シャーリーが回避行動、つまり跳躍したほんの一瞬後、彼女が立っていた建物の屋根が微塵よりもさらに細かく裁断される。もはや、建物の屋根は裁断のしすぎで埃と化したと言っても過言ではなかった。

 で、彼女は屋根の斬り刻まれた部分から建物の内部を一瞥する。どうやら住民の避難が完了しているのが、不幸中の幸いであったか。


「展開――【純白シュティル三対グーテ・の天ヴァイス翼】フリューゲル!」

「んじゃ、【漆黒ウンルーイッヒ三対ブーゼ・の悪シュヴァルツ翼】フリューゲル!」


 そこから始まったのは森羅万象が停滞した時空を、王都の天空を縦横無尽に翔け巡る2人きりの航空魔術戦だった。


 基本的にシャーリーが下で【土葬のサトゥルヌス】が上に位置する。

 王都を守るために戦う七星団のシャーリーが、上から下に魔術を撃ち、それを【土葬のサトゥルヌス】に躱されれば、魔術が建造物や地面に着弾してしまう。威力を抑えて着弾する一瞬前に霧散するようにすることも可能だったが、それで敵を殺せるかどうかと問われれば、間違いなく否だった。


 ならば敵に頭上の有利を与える結果になっても、全力で魔術を発動できる下に位置するのが合理的というもの。

 敵に決定打を与えられないより、上からくる敵の攻撃を、地上に着弾させないために撃ち落とす方が、少なくともシャーリーにとっては楽だった。


 一方で、【土葬のサトゥルヌス】もそれを良しとする。シャーリーにとってそちらの方が楽だったとしても、自分だってこちらの方が楽だった。

 わざわざシャーリーが与えてくれた頭上の有利もあるし、彼女は全てを撃ち落とすつもりだろうが、彼女が少しでもミスすれば、自分の圧倒的な魔術を王都の地上に着弾させることになるのだから。


「確認――お前はどうやって停止した時の中で動いている!?」

「この世界にはまだ明らかになっていない現象、まだ誰も知らない未知の領域が存在するんだよ!」


「苛立ち――理解した。お前に、答える気がないということを!」

「ならばどうする?」


「開眼――【魔術アオゲン・シャーウン・明察アウフ・ディエ・瞳】ヴァールハイト!」

「魔術を分析する魔術ねぇ……。しかし残念! それを使ったところで無駄に終わると断言しよう! 分析そのものは可能かもしれないが、お前には、その分析結果が絶対に理解できない!」


「笑止――そんなもの、やってみないとわからない」

「なら、思う存分やってみればいい!」


 上に、下に、前に、後ろに、右に、左に、立体的に超高速で飛びながら、2人は殺人を目的とした魔術を互いに撃ちながら売り言葉に買い言葉を続けた。

 全てが止まった世界で、2人の魔術が明滅に次ぐ明滅を繰り返す。


 しかし、息を吐く間もない殺し合いの最中に、【土葬のサトゥルヌス】は仮面の内側で口元を緩めた。

 なぜならば、彼には自分の魔術に対する『とある絶対的な自信』があったからだ。


「…………ッッ、戦慄――これはいったいどういうこと!?」


 強く狼狽して、酷く動揺して、激しく戦慄するシャーリー。それは彼女の表情から、イヤというほど見受けられた。

 それを一瞥して、【土葬のサトゥルヌス】はさらに気分をよくして口元を追加で緩める。


「だから言っただろう! 分析そのものは可能かもしれないが、その分析結果が絶対に理解できない、と!」


 すると、シャーリーは空中で止まった。

 そして敵がそれを都合よく思って追撃してくる前に――、


「否定――分析結果は全て理解できた。私めが驚いたのは、お前が『零点エネルギー』を知っていたことに対して」

「…………ッッ!?」


 瞬間、追撃しようとした【土葬のサトゥルヌス】は思わず空中で硬直してしまう。彼が殺し合いを始めて動揺したのは、これが初めてだった。

 否、厳密には動揺して動きを止めたのではない。シャーリーに対する警戒度が今の一言で格段に跳ね上がったから、彼女の出方を窺うことにしたのだ。


 10分間にも及ぶ殺人魔術の応酬が、ここでようやく休憩を迎える。

 しかし、身体を動かして魔術を使うことを休憩しているだけだ。駆け引きは現在進行形で続いている。


「解明――お前が使っている魔術の正体は零点エネルギーの増幅」


「アハハ……、いやいやいやいや……。一応訊くけどさぁ、零点エネルギーがどういうモノか理解している?」

「説明――この国の科学水準ではまだ到達できていないだけで、不確定性原理というモノが世界にはある。1個の量子の『位置』と『運動量』、あるいは『時間』と『エネルギー』、さらには『位相』と『振幅』――これらのどちらかを決定しようとすると、前者を正確に測定すれば後者が、後者を正確に測定すれば前者が、どうしても不正確になるという量子系の特性のこと。あくまでも量子がもとからそうなっているということだから、観測者効果のような観測機器の誤差とは完璧に別物。観測機器に問題がなくても不確定性原理は発生する」


「――――っっ」

「説明継続――なぜ不確定性原理なんてモノがあるのかというと、全ての量子は波動性、つまりなんらかの物理量が空間内で伝播する性質を保有しているから。当然、肉眼で見えるわけがないが、ミクロの世界ではそういうことが起きている」


「――――へぇ」

「説明終盤――たとえば、私めの【贋造絶対零度世界】は世界そのものをコールドスリープさせているようなもの。つまり、絶対零度に深く関連している魔術。しかし本来、世界には絶対零度というモノは存在しない。絶対零度よりもほんの1ケルビンでも温度が高い物質を、有限回数の干渉で絶対零度に変化させることは魔術でも不可能。となると、私めが【贋造絶対零度世界】で発生させた絶対零度の世界は厳密に言うと、極限まで絶対零度に近い世界にすぎない」


 確定だった。

 内心でそれを認め、【土葬のサトゥルヌス】は静かに続きを語る。


「――――そう、そして、温度っていうのは物質を構築する分子が保有するエネルギーの値のことだ。先ほどのお前の説明にあったとおり、量子は波動性を保有していて、常に動き続ける。つまり動き続けるということは、上下ぐらいするだろうが、たとえ絶対零度の世界でも温度があるという状態を維持し続けるということだ。まぁ、言ってしまえば、量子が絶対零度でも静止せずに振動し続けた結果発生するエネルギーのことを零点エネルギーと呼び……」

「結論――エネルギー保存の法則に基づき、魔術を使ってもこの世界のエネルギーを増減させることはできない。けど、それを魔術で一ヶ所に密集させて、自分の周囲の疑似コールドスリープを溶かせば、私めの時間停止を攻略できる」


 説明が終わった瞬間、2人の間に夜風が吹き抜ける。


 互いに理解していた。

 互いに察していた。


 そして、互いにこいつは今、ここで絶対に殺さないといけないと決意していた。

 畢竟――、


(確信――零点エネルギーのことを知っていて、それを踏まえて、零点エネルギーを一ヶ所に偏らせる魔術を完成させているということは……ッッ)

(こいつ……ッ、不確定性原理を説明できて、その上で、なぜ自分の時間停止が攻略されたかを理解しているということは……ッッ)




「「…………この敵は、異世界人……ッッ!!!」」


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