第4話 貴方は一人じゃない
七色の光が淡く周囲を照らす大樹の根本でジンは眠っていた。
他の三人が健やかな寝息を立てているにも関わらず、彼だけは首を絞める様な悪夢にうなされる。
そして、悪夢が現実へと意識を強制的に覚醒させた。
呼吸は荒く、胸が苦しい。どんなに息を整えても終わりなく走り続けているように楽にならない。
眠っている他の三人には心配を掛けまいと声を出さなかった分、内に閉じ込めた不安は更に大きくなっていた。
「ジン」
その時、ナタリアが声をかける。うなされていた彼の様子を案じ、起こそうとした所だった。
「ゆっくり呼吸して」
「……誰も……オレを助けられない。あの
彼の感情に呼応するように『相剋』が発動する。己の丈に合わない力が理解も制御もままならず、暴走しているのだ。
「この『相剋』は貴方の一部よ」
「無理だ……オレじゃ……コレを制御できない。皆といると全部……巻き込んで――」
「一人で居ようとしてはダメ」
影響が出始めつつも、ナタリアはジンを抱きしめる。
彼の状態は宙に浮いた風船と同じだ。手を離せば、そのまま風の流れるままに二度と戻る事は出来ないだろう。
ナタリアはソレが分かっていた。だから世界に呑み込まれようとしているジンを決して離さなかった。
「泣いていいの。貴方はまだ子供なんだから」
優しい声色と何があっても手を放さない温かい意志。ジンは心の安定をナタリアに預けた。声もなく涙を流し、恐ろしかった悪夢に震えて彼女を強く抱きしめ返す。
彼の恐怖から発動していた相剋は知らず内に停止していた。
「ジン、これをあげる」
寝付けなくなったジンにナタリアは一つの箱を渡した。それは防腐加工のされた少しだけ高価な木箱。受け取った子供の掌には少し大きく感じる。
「本当は皆の誕生日に一つずつ渡そうかと思っていたんだけど、誕生日には別の物を用意するわ。他の三人には明日渡しましょう」
開けてみて。という彼女の言葉にジンは箱を開くと、その中には三本の針が入っていた。布を縫う針にも見えなければ、頑丈なモノを掘る道具にしては華奢な道具である。ジンには何なのか分からない。
「これ何?」
「これは、ほんの少しだけ世界を良くするための道具」
「これが?」
不思議そうに質問してくるジンにナタリアは微笑む。
「世界が変わる時というのは、今までに無かった技術を深く取り入れる事で起こるの。しかし、世界を進め過ぎる技術はそれだけ終わりへと近づけてしまう」
ナタリアは懐かしむように道具の事を教えた。
「この道具の名前は“
「……だった?」
「世界の理解が追いついてなかったの」
当時は豊かだったから、しょうがないのです、と当事者にしか分からない様子でナタリアは語る。
「ジン、物事を正面から捉えすぎてはダメ。貴方は『相剋』を恐ろしいモノだと思っているけれど、そうじゃないの」
「……でも。オレは――」
「起こってしまった事は変えられないけれど、ジンはソレがいけない事だったと理解しているわ。だからこそ、一人で抱え込まないで」
ナタリアは箱を持つジンの手に自分の手を重ねた。
「これから貴方が歩んでいく人生はとても広い世界なの。一人で考えてしまうと回り道になってしまうわよ」
貴方は一人じゃないのだから――
マリーの手伝いとして彼女の後に続いたジンは目的地に着くと同時に驚いた。
場所は西門の外側。領地内に続く道にも関わらず警備が厳しい。
武器を持つ門番が三人も居り、入場者をチェックしている。
マリーは門番に一言かけてその脇を抜ける。その後にジンも続くが特に何も言われなかった。
「出る際には特に何もないのか」
大したものではないとは言え、荷物を持って出ると言う行為に注意もチェックも無いことに違和感を覚える。
「こっち」
そんなことを考えているジンをマリーは誘導する。彼女に誘われて西門から少し歩くと人の気配が感じられた。
「こんな所が……」
それは浮浪者たちが集まって出来ているスラム集落であった。
ジンとレンは東門から街に入った為、スラムの事は全く知らなかった。まるで、汚いものを隠すように門から離れた所に簡易な柵で囲まれている。
「こっちに持ってきて」
マリーはスラムの中まで歩く。すると長蛇の列が出来ていた。その先頭から食欲を誘う匂いを感じとる。
見ると食事の配給を行っているようだ。
先頭には簡易テントが設けられており、配給と調理を同時に行っている。
「レヴ。食材を買い足して来たわ」
「遅かったな、お嬢。誘拐でもされたのかと思ったぞ」
「街の中は兵士の人も多いから大丈夫よ。それと材料は安く譲って貰ったけど、傷んでる所があるからその部分は切り落として使ってちょうだい」
戻ってきたマリーから一人のメイドが食材を受け取った。
金色の髪に赤い瞳と慣れ親しんだ雰囲気を連想させる彼女がそこにいた。
「! ナタリ――」
ジンはメイドを見て恩師の名前を口にしかけた所で間違いに気がつく。
面影はあるものの、ナタリアと断言するには少しばかり幼い表情をしていたからだ。
「ん?」
メイドはジンの視線に気づき、彼の手に持った食材とマリーを見て、
「お嬢。産まれ持った三白眼はついに人を使役する魔眼に進化したか。見知らぬ少年に荷物を持たせるとは……やるな!」
「違うわ。彼の方から手を貸してくれたの」
あ、これは違うな。
雰囲気や口調からもナタリアではないとジンは確信した。
「少年、誤解しないでほしい。お嬢に悪気はないし、怒ってもいない。本当に良い女なんだ。だから嫌いにならないで欲しい」
「あ、いえ。別にオレは――」
「言うな。皆まで解っている。お嬢の三白眼は初対面に効く。これまで何人の年下が泣きわめいたことか……」
そんなメイドからの扱いに慣れているようにマリーは嘆息を吐くと、はいはい、とメイドを紹介する。
「彼女はレヴナント。色々と手伝ってもらってるの」
「よろしくな少年。ちなみにレヴはただのメイドではないぞ。バトルメイドだ!」
「は、はぁ……」
聞き慣れない単語に対して返答に困っていると、マリーが助け船を出した。
「ジンくん、ありがとう。ここからは大丈夫よ。レヴ、彼を街中まで送ってくれる?」
「まかせとけ」
「……いや、一人で大丈夫だ」
正直、ナタリア似のメイドには驚いたが、似た姿をした存在は世界に三人はいるとナタリアから聞いている。
「遠慮するな、少年。治安が良いのは目に見えてる所だけだ。角を曲がれば頭に袋を被せられて国外に拉致されるぞ」
「凄まじく飛躍した解釈だな……」
「最近はマスターの権限で、ある程度は掃除された。しかし、それでも目を掻い潜るクソ共も多い。レヴは見つけ次第、アンダーへルに送ることを許されている」
「……色々と情報量が多くて聞きたいことがいくつかあるんだが質問していいか?」
「どーぞ」
ジンはスラムの様子を一瞥して当然の事を尋ねる。
「この場所はなんだ?」
「見ての通り、この街の掃き溜めだ。落ちる者や他から流れてきた者が身を寄せる」
「……それを領主は容認しているのか?」
「当然だろう。今は人手不足から対応が後回しだが、いずれは誰もがいなくなる」
レヴナントからの返答にジンは改めて何を廃する必要があるのかを再認識した。
何も変わらない。何も変わっていない。だったらオレが――
色の違う右眼が己の『相剋』を視認する――
朝食を食べ終えたリリーナは開店する前の店内をレンと懐かしむ様に見回っていた。
レンは興味深そうに置かれている品々を見るも、彫られている魔法陣に関しては全く意味が解らない。
「そう言えば、二人はどこの出身?」
「ハイデン村です。ここからは、東の方にある小さい村です」
「どの辺り?」
リリーナは壁にかけられている大陸図を見ながらレンに改めて尋ねる。
レンも大陸図を見て、この辺りです、と街から東にある森林の拓けた位置を指差した。
「村の中には川が通ってたんで昔の人が開拓したんだと思います。外から来る人も殆んど居なかったし」
幼かった事もあり当時の記憶は曖昧だが、代わり映えした事は特に無かった事だけは覚えていた。
「閉鎖的な感じ?」
「そんなことは無かったですけど……単純に何もなかったので。少し山を登った所に畑を作ってて、冬なんかは雪がいっぱい積もりました」
小さい頃は白くて冷たい不思議な
「お父さん達は苦労したんだろうなーって思います」
魔法を実用的に使うことが出来ればもっと余裕はあったのかもしれない。
残念ながら、当時のハイデン村には状況を改善するような知恵者も実力者も居なかった。
「誰もが困難な状況下でも、お父さんだけは前向きに笑っていた事を今でも覚えています」
とにかくやるぞ! それが父の口癖だった。時に無茶をして母に怒られつつも、最終的にはどうにかしてしまうの背中はいつも凄いと思っていた。
「そう。それじゃ、レンの笑顔はお父様譲りなのね」
「言われてみればそうかも。兄さんはお母さんに似てると思う」
絵に残す事もなかった為、今となっては父と母の姿を他の人に見せる事は出来なかった。
「――――あ」
「どうかした?」
その時、楽しそうに家族の話をしてくれたレンの様子が一変する。
驚きに表情が変わり、次には慌てるように扉を見た。
リリーナもレンにつられて扉を見ると丁度、外から開かれてフォルドが帰ってきた所だった。
「おかえり。意外と早かったわね」
「時間を取らせないのはヘクトルの長所の一つだ。そろそろ店を開け――」
「フォルドさん! 兄さんは!?」
レンは兄の姿が無いことを尋ねる。
「どうした、レン。何を慌てている?」
「兄さんは!? 一緒じゃないんですか!?」
「ちょっとちょっと、レン。どうしたのよ」
リリーナはレンの様子からただ事でないと察する。まるで取り返しのつかない事が
「ジンは領主と少し揉めた。先に帰るように言っていたが、その様子だと戻ってないようだな」
「まだ……帰ってない」
フォルドからの情報にレンは飛び出さん勢いで扉に手をかけ――
「待ちなさい」
リリーナが彼女の手をとって制する。急変する彼女の様子は無視できる事ではない。
「レン、何が起こってるの? ジンが危険なの?」
真摯なリリーナの眼差しにレンは事情を口にしようとするも、詰まるように言葉には出さなかった。
「レン。あなたたち兄妹に事情があるのはわかるわ。私たちに話していない事も多々あると思う。けど、あなたたち自身が驚異に脅かされるのであれば、協力させてちょうだい。どうしても嫌なら事情は話さなくていいから」
何か事情があるのだろうとリリーナは深く追求はしない。しかし、レン一人ではジンを見つけることは難しいだろう。
「……兄さんを早く見つけないといけないんです」
「オッケー。じゃあ、ジンが行きそうな所はある?」
「いえ……この街には来たばかりなので。でも人が多い場所にいると思う」
レンの話す特定の情報は彼女の持つ“事情”に起因するのだろう。
リリーナはそこには詮索せず、レンの話を聞く。
「ふーむ。もう少し何か情報が欲しい所ね」
「壁が横にあります」
「壁で人が多いって事は門かしら? お父さん、西と東にあったわよね?」
「ああ。この時間帯だと出入りは多い。集会場は西寄りの区画にあると考えると西門だな」
「でも、門は近くにありませんでした」
なぞなぞの様な断片的な情報にリリーナは腕を組む。位置を絞れそうだったのだが、レンが勘違いしている風には見えない。
「レン、人が多いと言ったな? どんな者たちかわかるか?」
「え?」
「身なりだ。服装はどんな感じだ?」
理由は解らないがレンはジンのいる場所を断片的に把握している。
フォルドは情報が合致する場所に1つだけ心当たりがあった。
「ボロボロで汚い感じです」
「西門だ。行くぞ」
確信したようにフォルドは扉を開ける。その後に続くように二人も後に続いた。
「どういうこと?」
少し早足に歩き出すフォルドにリリーナが問う。
「お前は知らんと思うが、十年前にヘクトルが西門から離れた場所にあるスラム集落を容認した。恐らくそこだ」
ジンがどう行った経緯でそこに居るかはわからない。しかし、一度もスラムに行った事のないレンがスラムの特徴を言い当てた様子から彼がその場所に居る可能性は高いだろう。
「スラムですか?」
レンはナタリアの授業から、スラムや浮浪者と言うものは街の静観や清潔性を損ねると言う観点から不要な要素として真っ先に排除されるモノだと教わった。
「街の住人に自覚を持たせるためだ。落ちる者はそうなると言う現実をな」
その為、スラムには身元不明の者たちが多く存在している。人手不足から、スラムの治安は基本的には放任であるのだ。
ジンが何かしらの事件に巻き込まれる可能性は十分にあった。
「…………」
“レン。貴女に意図せず宿ったその力は決して私達以外には話してはダメよ。何を視ても静観しなさい”
「わかってるよ……ナタリアさん。でも……私は――」
家族を失いたくない。
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