帝都の雑踏、届かぬ声。

「みなさま、お待ちくださいまし」


大衆食堂には似つかわしくない淑女が、一隅に立ち止まる。


「…だれだぁ、おまえさんは」

「お上品なお嬢様が、こんな市井に来るもんじゃないぜ?」


酒を飲んでいるらしい客も、そうでない客も、好奇の視線を有栖川宮に向ける。


「こんな雑誌の流言飛語を信じて…。官報や新聞をご覧になりまして?」


そちらのほうが、より正しく仔細載っていますのに、と彼女は続ける。だが、バツの悪そうな顔をして誰も首を縦に振らない。


「……もしかして、官報や新聞をお読みにならずして、雑誌を?」

「官報てか、政府広報ってさぁ」


感づいた有栖川宮の問いを遮る、若い女の声。


「曖昧なことばっか言って、なんか隠してるんじゃない?」


女は、床に蹴飛ばされていた新聞を足で示す。


「官報もそうなんだけどさ、なんか頭いいらしい人の意見をあっちからもこっちからも引っ張って載せてるけどさ、こっちは顔も良く知らないやつの意見なんか聞きたくもないわけ。真実ただひとつが知りたいんだよね」


そう言いながら女が指し示すのは、雑誌の、よく目立つ赤文字の見出し。

大きく書かれて、『謀られた英雄!』――短くそうひとこと。


「現実はそう簡単ではないのですわ。こうだからこう、なんて単純ではなくってよ。様々な観点を経なければ……物事は見えてきませんわ」

「ハイハイ、正論正論。でもね、お嬢様。みんな、あなたみたいな時間を余した上流階層じゃないのよ」

「……はい?」


思わず聞き返す有栖川宮。


「刻下は総動員。あたいらみたいな庶民は朝から夜まで働き詰めて、こんな長ったらしい文章読んでる時間なんかないわけ」

「左様でしても、雑誌を漁って流言飛語を流布してお怒りになる時間がおありになるなら。それこそ新聞でもよいのです、お読みに……」


有栖川宮は、新聞を床から拾い上げて、戦況分析が載る一隅を指す。互いに異なる立場の識者による分析。例の雑誌の「詳録」より遥かに良質なものだった。

有栖川宮が言い終わらないうちに、別の若い男女が声をあげる。


「つーか、わかりにくいわ」

「何言いたいのか伝わんないじゃん。つまり、誰が悪いの?」


ぴく、と細い眉が動く。


「ですから、物事はそう単純じゃなくってよ。ひとことで断言なんて出来ませんの」


その言葉に、くすくすと笑いが起きる。


「え、なに? 何の確証もないってわけ?」

「結局よくわかんないだけとか、あやし~」


中年の男も肩をすくめる。


「お嬢ちゃん。あのさ、説得力ないんだよ」

「……」

「そもそも官報も大本営発表も、政府に都合のいいことしか言わねぇだろ。どうせ大企業と癒着してる大手新聞だってそうさ。こんな曖昧で、他人の言葉ばっかり借りてるような記事は、うさんくせぇ」


その言葉に、若い男女も応える。


「わかるわ、おっさん。雑誌の方がわかりやすいもんな」

「私も私も。てか共感できるんだよね。劣等感、ひがみ。そこからそねみに繋がって……然るべく報われた英雄を、逆恨み。ほんと身勝手、あぁムカつく」


感情に訴えかける理屈は、しっくりくると彼らは言う。


「前線の仔細なんて、前線にいたとしても分かりませんのに……ましてや銃後の、感情主体の憶測なんて」


せせら笑いかけて、品がない、と思いとどまる有栖川宮。

そこに、男が声を挟む。


「つか、なんで俺らがそこまでやらなきゃいけないの?」

「……はい?」

「俺ら銃後の国民がさ、こんなに苦労してるのに。いつまでたっても戦争は終わりやしない。毎日節制して、倹約して、勤勉に総力戦に従事して…。それだけじゃなく、情報も全部疑って分析しろって?」


被害者にさらに重荷背負わせるんだ、と彼は笑った。


「頓着がおありにならないのですね」


ひきつらせた笑みを浮かべる有栖川宮。


「これの代わりに私たちを納得させられる、はっきりした証拠もないんじゃぁ……ねぇ?」

「あんまり信じる気は、起きないかなぁ」


てかさ、と若い男が別の雑誌を出す。

そこには『書き起こし:反逆10日間』と銘打たれたスクープ誌面があった。




2月18日 記録①


初冠氏 "早く次の指示を出せ、撤退した仙鎮はどうする?"

(混乱する磯城参謀に畳みかける)

初冠氏 "湖畔に展開した戦力群はどうする、撤退させるのか?"

(答えようとする磯城参謀を遮り、質問を追加)

磯城参謀 "少し黙って待てよ…!"

初冠氏 "生憎ここは戦場だ、『英雄』たる参謀様、迅速な判断を。"

(答える時間を与えないことで、磯城参謀がまるで無能かのように印象操作)




「純粋になんかムカつくし、この初冠?ってやつ」

「ほんと、やってることが姑息。反吐が出る」

「嫉妬も、極まるとこんなに惨めになるんだな」




2月18日 記録②


初冠氏 "一刻一刻と兵士が死んでいる!場をわきまえろ此処は戦場だ!"

磯城参謀 "背負ってる俺の使命の重さと、プレッシャーを解らねぇのに威張るな!"

初冠氏 "それら全部、てめぇのイカれた『自意識』だろうが!"

(英雄を軽視、我ら国民五千万のの信頼を自意識扱い)

磯城参謀 "今この状況に適応する戦法…、試せるもの…。ない…ない"

初冠氏 "いい加減に自分の頭で考えたらどうだ!"

(戦史の教養を活用せんと思案する磯城参謀への、立案経験に乏しい初冠氏の言葉)

磯城参謀 "お前だって出来もしないことを偉そうに! 俺の立場になってみろ!"

初冠氏 "言ったな? 陸軍軍法に基づき、指揮権は移譲された!"

(磯城参謀の言葉の足を取って、軍法を都合よく解釈。不正に指揮権を奪取)




「あぁほんっと腹立つ!」

「なんでここまで図々しいというか、執着するんだろう」

「文明開化をここまで引っ張ってきた英雄さまに、よくもこんな態度とれるよね」




有栖川宮は、2月18日に起きた『英雄ノ凱旋』を巡る事態のいきさつを、前線から直接、電報で多少なりとも知っていた。ゆえに、雑誌の書き方に唖然とする。


「……驚きましたわ。事実関係も、文脈も、順序も、めちゃくちゃ」


もはやこれは主観小説だ。そう口に出そうとした矢先、若い女が、首を横に振る。


「あーもういいよいいよ。お嬢さんはそう思わないんでしょ」

「えぇ」

「でも、私はそう思うから」


ぎゅっ、と有栖川宮はスカートの端を握り締める。


「てかさ。ぶっちゃけ、私どっちでもいいの。みんながそれがいいって感じだから合わせてるだけ。そしたら周りとお互いやりやすいし。日本人の和の心ってやつよ」

「それができる日本人ってやっぱ、特別だよな」


和の心。彼らの言うそれは、なんなのだろう。

同調圧力、自己抑圧ですらない――その正体は、ただの無関心。


「鷹揚な方々でいらっしゃいますこと。けれど…あまりのんびりとしては、いられませんのよ」


もう、作り笑いも難しくて。


「てか、どこまで真実かはおいといても、コレおもしろいし」


その雑誌を指して、若い男が笑う。

応えるように、隣の女も続ける。


「そもそも。こんな銃後で、たかが大衆のわたし一人が、事の真偽なんて考えたところで……戦況が変わったりはしないじゃん」

「そりゃそうだ!」


わははは、と大きな笑い声が食堂に響き渡る。彼らは前線に関する事実関係を正確に把握する必要などない。というのも、自分の1票は戦線を変えたりしないから。

そしてそれは――きっと、政治に関しても同じなのだろう。

そこまで思い当って、有栖川宮は愕然と立ち尽くす。


「……っ」


前線模様も所詮、銃後では娯楽なのだ。


「あ、今度この英雄の失脚スクープを基に映画トーキーが出るらしいね」

「てか明日公開でしょ」

「え?ほんと?」

「おう。主演見ろよ、めちゃくちゃよくね」

「きゃぁ!あの二枚目の下谷勘次郎出るの!?」

「うわぁ行かなきゃ…!」


移り変わる話題に、ぽつんと取り残された有栖川宮。

人々はこれ以上つまらない話をするつもりはないらしく、彼女には目もくれなかった。そうして、居たたまれなくなった彼女は、耐えきれなくなって飛び出した。


「はっ……ぁ!」


帝都有楽町。夜7時の木造ネオン街。

皐月似つかぬ冷たい風が、有栖川宮の背を刺す。


「なんでっ……、なんで!」


前へと靡く前髪。そこに混じる水滴。


れいくん、あんな頑張ったのにっ」


泣き崩れる有栖川宮。口調を整える余裕もなく、ぼろぼろと涙をこぼす。

その嗚咽すらも、日比谷通りの雑踏に掻き消されて。


「ねぇ。茶路ちゃろたち、どこで間違えたの……かな」


その問いかけは、ひとり、寂しく風に攫われる。









震えながら、『書き起こし』とやらを読む。

確かにあの日、僕は磯城を参謀の座から引きずり下ろした。全軍への電話伝達という多少強引な手段も使った。そのときに、前線に出張っていた記者の一人に聞かれていたとしてもおかしくはない。だが。


「文脈の差し替え、意図的省略、切り貼り……めちゃくちゃだ」


なんなんだこれは。


『雑誌各社の背後にロシアとの繋がりはありませんでした。ですから……誰の意図でもなく、まことしやかに市井しせいで囁かれ始めた噂を、情報業界マスコミが拾い上げて民衆に迎合したのでしょう』


英雄を崇めてやまない皇國の人々は、その英雄が始めた戦争が終わらないのに業を煮やして、その責任を押し付けられる対象を探し始めた――それに丁度よかったのが、僕だったと。

確かに彼らにとっては筋が通る。英雄を信じてきた自分たちを疑わなくて済むし、英雄を邪魔する僕を叩くことで、"正義"のがわに立てるから。


『この陰謀をベースにして、映画が出来たらしいですね。空前の大ヒットのようで……タチの悪いことに、前線レポートを名乗っています』


ノンフィクションを語って、最前線を騙って。


「ふざっ…けんなよ」


そこに乗っかる人々は、まるで娯楽のように正義を振りかざす。


『列島全土が、あなたへの怒りに沸いている』


数万という兵士の命を散らした作戦をも、銃後は娯楽に消費する。


『あなたへの懲罰は、民意なのです』


「……」


『皇國臣民五千万の民意です』


ギリ、と奥歯を食いしばる。

そこで黒田は言葉を一度切った。


『初冠くん。ご存知でしょうか』

「……何をですか」

『人は、楽なほうに流されるのです』


そうだ。楽は技術革新に繋がる。これが人類の発展の原動力だ。

僕はそう信じてきた。


『現実は複雑でも、だれか一人が悪いと思い込んだほうが楽です』


そうだ。全部隣国のせいだ、全部政権与党のせいだ――そう言って、誰もが不満を、なにか一つの「敵」に押し付ける。

僕は前世の世界を知っていた。


なんだよ。なんなんだよ。


『彼らは、断言が大好きです。わかりやすいですから』


全ての原因である「一つの黒幕」など存在しない、現実は数多の原因が複雑に絡み合った結果に過ぎない――そんな当然のこと。でも、それを認めたら、不満を向ける矛先がわからなくなってしまう。


複雑な現実は、のだ。

だから誰もが思い込みたがる。この仕打ちは、全部誰かのせいだと。

悪役を求める。集団で囲んで、殴って、蹴って、踏みつけていい悪役を。


『民間の風評が前線に介入するのは皇國枢密院としても不都合ですので、何度か手は打ったのです』


新聞の隅には確かに記されている。

"流言飛語に注意"、"英雄譚を信じる勿れ"、"銃後の噂は戦地の毒"――確かにかなりの頻度で大本営が公式の見解を発表している。


専門家も呼び寄せて、政府広報でも、懇切丁寧に説明している。

戦況の展開は、誰かの思惑通り進むことはないこと。

様々な要因が相互に共鳴して現在いまを形作ってきたこと。


読めばわかるようになっているのに、そのあとの雑誌も新聞も、代わり映えしない見出しだった。とてもわかりやすい「英雄vs悪役」の構図ばかり。

政府の忠告や、軍事専門家の言葉を耳に介さず、引用したとしても端っこにお気持ち程度に乗っけているだけ。それに対する批判の動きもなく、最前線に届く手紙は――"北鎮のクソどもに負けないで!"、"英雄の邪魔するなら帰れよ"――英雄を励ます言葉や、僕らへの非難や罵倒になっていた。


『総力戦の鬱憤もあるのでしょうか。我々の説得は見向きもされず、それどころか逆効果で、あなたが我々を脅して情報統制を試みている……と、一部の民は言い出しました』


困り気味の黒田清隆の言葉も、僕には無慈悲だ。


"ねたみ、そねみで私たちの英雄を攻撃しないで!"

"名誉ほしさに英雄を口撃なんて、あまりにも身勝手だ"

"自分の低能を人のせいにするな。それでも軍人か"

"お前らなんかに護られたくないわ"


銃後から桜花宛てに届く手紙は、意見書ばかりになっていた。


「……銃後から、よくもぬけぬけと」


拳を握り締める。

ひたすら戦ってきた。皇國のため、皇國のため。


『皇國臣民五千万が、あなた方への断罪を待ち望んでいる』


皇國という言葉に思い描く、あの人々を守るため、銃を取ったはずだった。


『貴官に帰る場所がなくなってしまったのは、大変遺憾ではあります』


なのに、今、彼らの敵は僕だ。


『ですからご自由にどうぞ。命令に背くも、従うも、結構です。……懲罰中隊のため戦力は限られますから、背命や反乱はお勧めしませんがね』


五千万の瞳が、僕への怒りに燃えている。


『初冠くん。あなたは仰ってましたよね、皇國の厭戦感情が高まりつつある、と』


そうだ。だからこそこの戦争は、もう時間との競争なのだ。


『しかし。貴官の処罰で、民衆の溜飲を下げることができ――あと二週間でも継戦できるのなら。ハルビンでの包囲を完成させ、なお敵を追撃し、降伏に追い込むには十分な時間を確保できるのです』


笑いが零れた。透明な笑いが、ほんの少し。

そういう理屈で、僕の進軍を拒んだのか。


『これは皇國にとって、正しい判断です』


我々枢密院はあくまで、国家第一の下僕しもべに過ぎません、と黒田は言う。

いかなる手段でも、戦争を始めた以上、勝たねばならないから。


『では、我々にも時間はありませんので。ご武運を』


黒田清隆、そして、伊藤博文の声が重なる。






『『』』






「……ふぅ」


無線を切って、伊藤博文は一息つく。

隣の黒田清隆も、一口珈琲をすする。

そしてもう一人。この枢密院に似つかわしくない姿がある。


「……なぜ、動かなかったのでして?」


震える奥歯を締めて、声を絞る有栖川宮。


「そこまで分かっていらしたのなら、貴方がたに打つ手は……数多あったはずですわ」


非難のつもりなのに、有栖川宮の声は弱々しい。

溜息ひとつ、伊藤博文はこう返す。


「お言葉ですが宮様。我々は権力者です」

「……」

「権力者が民間の言論の自由に介入するのは、民主的手法ではありません」


その禁忌に手を出せば、東郷の言葉通りの"最終独裁機関"だと、伊藤は笑う。


「我々は賢人政治や独裁の行きつく果てを、史実で知っています。我々が目指すのは、あくまで民主主義的体制です」

「け、けれどもその民衆主義が、このように害を為すのでしたら…!」



「民主主義は最悪の政治形態である。他に試みられたあらゆる形態を除けば。」



伊藤博文は目を瞑り、一言。


「……ウィンストン・チャーチルの言葉です。言論の自由も、大衆迎合も、すべてひっくるめて民主主義は国家に害を為します。しかし歴史が語る通り、それ以外の形態は、民主主義以上に国家に害を為すのです」


黒田清隆も頷く。


「宮殿下。お気持ちはわかります。ですが、害も、犠牲のない方法なんていう都合のいい…それこそ英雄譚的な代物は、国家の統治において、ないのですよ」


「そんなものを求めているのではなくってよ!」


有栖川宮はたまらず顔を上げる。


「では宮様、我々にこれ以上何を?」


怪訝げに伊藤博文は首を傾げる。


「民主政治において権力者が取れる行動は限られます。今回の事に関しては政府や、大本営として忠告や注意喚起を行いましたし、専門家も招聘して丁寧に現況の説明も行いました。陰謀論を流すマスコミには政府公式声明も出しました」


「ですが、流言飛語を喜んで買い漁ったのは民です。親露論や反愛国、反日運動ではない、どころか枢密院英雄を称える内容ですから、政府として発禁もできません。とはいえ、民衆の興味や、信条を法規制するのは基本的人権の侵害……憲法に反します、宮殿下」


黒田もそう続け、伊藤に同調した。


枢密院われわれが打てる手はなく、むしろ、ボールはあなた方にあったのでは」


「……如何いらして?」

「我らと違い、宮様がた妥協アウスグライヒは権力者側ではなかったでしょう」


至極当然といった風に、伊藤は言った。


「憲法に縛られることがないのです、なぜ公然と批判なさらなかったのですか? マスコミの情報はおかしい、大衆迎合的だ、英雄譚は虚像だと」

「試みはしましたわ。けれど……」


有栖川宮は苦い記憶を思い返す。


「どなたも……お耳を、貸さなくってよ」


はぁ、と伊藤はうなずく。


たみの興味をそそる形で抵抗すればよかったのではないですか? 対抗して別の英雄譚を流したり、英雄・磯城を悪者に描くサスペンスストーリーを用意して、あたかも現実かのように錯覚させたり。妥協アウスグライヒに共感させるために、嘘と欺瞞を織り交ぜ、民を、宮様方の利にかなうよう扇動するのです」

「そんなこと、できませんわ!」


思わず叫ぶ有栖川宮。


「では、それが限界だったということです。真実を淡々と述べるだけでは、民はついて来なかった。それを放置した結果が、この帰結。それだけのことでしょう?」


手段を厭わない勇気がなかった。

良心半分で躊躇した結果、どうにもならないところまで現実が悪化した。

有栖川宮の唇が震える。


「民がいなくては国家は機能しない」


伊藤は続ける。


「同様に、戦争の継続もできない」


富山水橋の米騒動は瞬く間に全国へ拡大した。


「戦争は、始めてしまったからには、勝たねばならない」


国内各地で日夜、暴動が起こっている。


「今にでも革命が起きそうなこの皇國の延命には、臣民五千万を納得させ、不満を逸らさねばなりません。最大の懸案である厭戦感情の解決――そのための最も単純かつ手早い方法は、感情に訴えることです」


ただ、あの英雄譚ストーリーだけが、英雄、ひいては戦争を指導する枢密院への共感を保っている。

ここまで来たら、感情論の右に出るものはない。

総力戦とは、そういうものだから。


「その矛先があなたがた妥協アウスグライヒとなってしまったのは、こちらも意図しない不都合ですが……もはや、この選択を躊躇う余地は、皇國にありません」

「……ッ」


有栖川宮の俯く横顔、項垂れる金色の前髪。


「ですから――彼らには、こう伝えて頂ければ幸いです」


寂しげに、伊藤は笑った。






「御国のために、死んでください」

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