第32話 堆土

 ピュルルル、パーンという『花火』の音の後、列員へ向け叫ぶ。


「以後の前進は班前進! いちはーん! 前方15メーター! 堆土の線までぇ!!!」

「「前方15メーター! 堆土の線までぇ!!!」」


 機関銃と爆音に紛れ、あらん限りの力で絞り出された復唱が聞こえる。

 右手に銃を持ち、左手で上体を起こしつつ、号令を掛ける。蒸された雑草の匂いから離れると同時に、ヘルメットから落ちた土が、号令を発せんとする口の中に入る。


「早駆けー!!! 進めぇ!!!」

「「やぁーっ!!!」」


 喚声を一息分上げて、歯を食いしばると土の中のミネラルがジャリ。と音を立てた。


 教養課目 野戦


 どういう訳だが新たに『警察官が通常習得すべき教養』として追加されたこの訓練に、私は参加させられていた。


「流石国警さんだけあって呑み込みは早いが、戦場ではいつでも誰でも理不尽に死ぬんだ! その覚悟はあるのか!?」


 国防軍から来た准尉(警察で言うと警部補ぐらいか?)が、体育座りする我々の前でそんなことを言っていたが、こちらからすれば「『どこでも』いつでも誰でも理不尽に死ぬ」と言える。8.11、地下鉄入り口の踊り場で圧死した者の中に理不尽で無い死は無かったのか? それとも、交通事故、或いは集合住宅での孤独死、それらは理不尽で無いのか?

 恐らくは彼が新隊員に向ける定型句なのだろうが、軍という組織の浅さが見えたような気がしてならない。死ぬ覚悟? そんなものよりも、目の前で理不尽が急に暴れ、それに単身立ち向かい、鎮圧しなければ罪なき人が死ぬという立場に身を置く覚悟の方がよっぽど重大かつ緊要・・・・・・だ。


 それで言えば、さっき身を伏せ、『突撃』発揮時に踏みしめた「堆土」だって、そんな都合の良いもの戦場にあるのか? そもそも敵陣に突っ込むというならば、敵はそんなもの排除しておくのでは無いか?

 疑問は尽きないが、2日ほどの訓練群の後、短い休暇を与えられた。


 警護対象者――五十川明の検査入院に伴うものだ。

 一週間、彼女はその整形美容外科手術、補完神経その他の調整のために『眠り続ける』ならば、自殺抑止と警護のために警察官を張り付かせておく必要はなく、まとめて警護させてしまえば良いだろう。我々にもWLB職務と私生活の充実の問題だってある。


 暫く開けていた独身寮の鍵をガチャ、と開けると、取り込んだきり畳んでいない洗濯物に、カラカラになった三角ネット、埃を被ったオートナンブ――これは玩具だが――そして充電コードが見つめるベッドが私を出迎えてくれた。

 パーカーNCPパーカーを脱いで洗濯機に突っ込み、帯革を外してまるごと金庫に入れ、下着姿でベッドに転がった。腰回りが開放されてスースーする。


 静かだ。


 胸がムズムズするような、寒いような。そんな感覚は、シャワーを浴びても、部屋に掃除機を掛けても、どうせだからとデリバリーを頼んでも、消えることは無かった。


 彼女、五十川明と会いたいかというと、そうでも無かった。いや、そうであってはいけなかった。

 ずっと過ごして分かったが、どうも彼女とは一緒の部屋に居ることは快適でも、何か和気藹々と――冗談を言い合い、なにかについて議論して笑い合うような――ことは無理なのではないかと思いつつあった。

 今思えば、私が彼女に惹かれていたのは外見のみだったのでは無いか?

 彼女が生きていたとき、警護任務を命ぜられたとき、少し嬉しかったのは、私が彼女に燃えるような情愛を抱いていて公私混同したからなのか、


 パッドを取り出してファイル階層を潜り、捜査資料を漁る。

 被害者、現場で警察官に対し抵抗した為に『武器を使用』された被疑者、それぞれの受傷状況と写真が収納されているフォルダを開き、よみがな降順にソートさせて『い』まで滑らせる。


 ハロウィーンの特殊メイク。


 最も的確に、救助時の彼女の顔貌を表現するならばこうなるだろう。ハロウィーンの特殊メイクがすごいのか、それほどになってまで生存した彼女がすごいのかは、結論を左右しない。

 もしもあの日、橋の上で誰何した彼女がこの顔だったら、きっと『拘束対象者』にあたると判断して組み伏せ、手錠を掛けていただろう。


 医療技術には驚くべきものがあるな。


 そう口に出して、公私混同はいけない。といった、借り物の倫理観で補強する。


 恋愛モノはあまり読まないが、アニメでチラチラと見る限り、何か大きな障害があればこそ、男女の仲は深まるものらしい。

 我々はそうでは無かったのかもしれない。


 そもそも不適切なものだ。駄目なものは駄目なのだ。


 ひとしきりそうやって苦悶した後、冷蔵庫に眠っていた安酒を煽ろうとしてやめた。まだ賞味期限は先だ。



****



01マルヒト01マルヒト、『日没』を確認。こちら00マルマル、所定の行動を開始せよ。02マルニィ以下建制順に続け〉


 サーマル熱映像装置でもナイトビジョン微光増幅装置でも補足困難。その要件の下開発された衣服は、忍者と言って差し支えない容貌を着るものに与えていた。


 大使館は本来、厳重に警備がされているが、それは飽くまでもデモとか、想定された出入り口での話だ。

 珍しく都市区画が停電した間、近くの高層ビルの屋上からムササビのように飛び移ったソレは、『接受国が通常払うべき注意』を超えた能力を持っていたと言うべきだろう。


 本来ならば自家発電設備や蓄電によって停電しないはずの大使館が、何故か停電したことにASAIN東南アジア諸島連合の外交官はやや不審に思ったかもしれないが、そもそも滅多に停電しない日本という国で停電があったという事実の方に注意が向き、どうせ復旧するだろう。そう考えて精々が手持ちの電子機器を灯りとして、転んだり、何かを蹴飛ばしたりしないように腰を落ち着ける程度だった。

 仕事は手につかない。どこからか談笑が始まった。


 ASAINは、経済的には未だ日本に強く影響を受けていたが、政治的、安全保障的にはその影響を脱却しつつあった。

 ロシアとの経済的交流は、いつか『真の独立』を、先の大戦以降、日本に頼らざるを得なかったASAINにもたらしてくれるのでは、そんな期待もあった。


「しかし、この間のテロはスカッとしたなぁ。いい気味だぜ」

「統一セラフの教祖、我が国じゃ英雄扱いだろうな」

「デブだけどな」


 ガハハ、幾つかは不謹慎を誤魔化すかのように過剰なほどに勢いの付いた笑い声が闇に満ちる。


「登庁する度に尾けられてるんだが、やっぱり気付いたかな」

「流石に気付かない訳無いだろ、TSガスの製造とか、ただのカルトが出来るわけ無い」

「いや、そうとも言い切れんぞ、戦前に日本じゃ毒ガステロがあったらしい」

「マジか!」

「まぁ、気付いたところで外交特権がある以上はどうしようも無いけどな」

「そう、あれはただの『カルトのテロ』だから」

「しかしお前、その割には随分と『オタノシミ』だった――


 場が加熱してさながら宴会の様相を呈し始めたとき、影がチラ、と部屋の隅から動いてきた。誰かがこれを奇貨として酒でも取りに行ったのか。


 ズボッ! という音の後、彼らは完全なる闇の中に放り込まれた。

 誰かのいたずらか? おいおいやめろよ。

 意識を失うまで、殆どの者がそう思っていたようだ。


〈00、00、こちら03。対象の無力化に成功〉

〈00こちら01。目標の確保に成功〉

〈02は現在時工事継続中、概成まで2分を予定〉


 彼らは、ダッフルバッグから何かを取り出すと適当に放り投げ、そして懐から『9mmパラベラム弾』を取り出してそれを撃った。



****



〈中央35から国警〉


〈中央35、どうぞ〉


〈ASAIN大使館内より破裂音を聴知。詳細不明、現在調査中〉


〈ASAIN大使館内より破裂音を聴知。現在調査中。国警了解〉


(セルコール)


〈国警から、中央PS管内。令備三丁目近い移動、大至急――

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る