02.旅立ちの日
朝日が昇るより少し前、人里離れた山の中は未だ薄暗く、清涼な空気で満ちていた。
動物たちも依然寝静まっている時分に、突如としてそれは起きた。
山の開けた場所目がけて巨大な隕石が落ちたのである。
大地を揺るがす衝撃と轟音は、山全体を俄かにざわめき立たせた。
問題の落下地点には月面にあるようなクレーターができ、土煙と生木の焼ける臭いで充満していた。
それらが時間の経過とともに薄れていくと、やがて2人の人影が現れた。
その内の1人、クレーターの際に立つ中年は目前の深い穴を見下ろしていた。
その中には抉れた地面を這い登る1人の青年がおり、時間をかけて漸く抜け出すと中年に向かって声を掛けた。
「っ痛ーてー……。口の中切れたぁー……」
学ランを来た黒髪黒目の青年は不機嫌そうに、文句をつけるように言った。
青年の名は夏目怜央。
日本に住み、生活を営む平凡な日本人である。
そして怜央の文句を受けた中年は鼻で笑って応えた。
「やるじゃないか。あれを受けて無傷なら、#異世界__むこう__#でも大丈夫そうだな」
怜央が忌々しげに見上げる人物は怜央の保護者、夏目龍雪である。
白髪混じりの黒髪は疲れた中年というイメージを与えるが、実際にはそういう色の地毛であった。
また、無精髭を生やし赤いアロハシャツに短い短パンという出で立ちのため、少し若くも見える。
龍雪が手を伸ばし怜央を引き上げるときに、
「口切ったっつってんだろ」
と、お前のせいで怪我をしたんだと強調するも、龍雪は全く気にかけなかった。
「そんなもん怪我の内に入らんよ。それよりほら、約束の物モンだ」
そういうと、ポケットの中から取り出した茶色い巾着を怜央に渡した。
受け取った怜央は巾着の紐を解き、逆さにして中身を取り出す。
出てきたのは六角柱状のクリスタルと指輪である。
「石と……指輪?」
どちらの品も、怜央が生まれてから見たことのないような逸品であった。
単にクリスタルといえど普通の水晶とは違い、その表面はオパールのような虹色の反射をうち、一時として同じ光り方はしない。
また、指輪の方も金属の輪っかでなく、透き通った白・緑・青・黄・赤・紫・黒の奇石を継ぎ目なく指輪状にしたものである。
これらアイテムが何のためのものか、怜央が説明を求めて視線を送ると龍雪はその意図を組んで解説を始めた。
「その石はポータル石の中でも超が付く激レア品でな。異世界渡航で使う道具だ。本来は行先を設定するのが手間なんだが――それはもう済ましてある。だからその石を使用するだけでいい。簡単だろ?」
「使用つったって……どうやって?」
龍雪は「これだから素人は……」とでも言いたげに、肩をすくめてため息混じりに顔を振ると、タバコを取り出して一服を始めた。
怜央は一瞬イラッっとするも、なんだかんだで堪えた。
龍雪は煙を吐き出して漸く答えた。
「――割ればいい。使用の意思を持って強く握れば簡単に砕ける。そうすると次の瞬間には異世界に行ってるよ」
怜央は綺麗な石を割ることにもったいないという感情を抱くものの、それと同時に使用したらどうなるのかという未知への興味も湧いた。
「……なるほどね。それじゃこっちの指輪は? 最初の約束はなしじゃ異世界行きの鍵をくれるってことだったけど、これもそのうちの一つってこと?」
「や、それはお前へのプレゼントってところだ。日本で暮らす分には不要の代物だが、異世界では必須の代物とも言える。正確に言えばお前のためと言うよりお前の周りの人のため……かな」
怜央はよくわからなかったが、特に問題もないだろうと適当にわかった体で話を進めた。
「とりあえず、ずっと身に着けとけばいいってことか……」
「そうだ。常に身に着け決して外すな」
「ふーん……?」
怜央は右手中指に指輪をはめると、拳を握って指輪を眺めた。
アクセサリーの類は身に着けると堅苦しいという理由で遠ざけてきた怜央だったが、この指輪に関しては不思議と苦ではなかった。
そしてついに、怜央の気は異世界へと向いた。
「――っしゃ。それじゃテストも無事合格したことだし、もう行くことにするよ」
「もうか?いったん休んだ方がいいと思うが」
「いや、結構楽しみにしてたし、一刻も早く異世界を見てみたいと思ってさ」
「まぁ、別に止めはしないが……気を付けろよ?」
「わかってる。大丈夫さ」
怜央は先ほど渡されたポータル石を見つめると、龍雪は数歩下がって距離をとった。
怜央が龍雪に視線を向けると、ちょうどその背後からはお天道様が顔を覗かせ始めた。
その日は雲一つない快晴で、新たな門出を迎えるには相応しい日であった。
「異世界に着いた後の行動は以前教えた通りだ。……達者でな」
「ああ……龍雪さんもね」
怜央は別れの挨拶も早々に、石を握る右手に力を込めた。
そして、ガラスの砕けるような子気味良い音を出して割れると、怜央を中心に空間がねじ曲がり、圧縮されたかと思ったときにはもう、姿は見えなくなっていた。
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