第72話『温もりに包まれて』

「さてと、これで俺の方は洗い終わったな」

「じゃあ、あたしと交代だね」

「ああ。……咲夜さえ良ければ、髪や背中を洗ってくれたお礼をさせてくれないか?」


 このまま何もせずに湯船に浸かるというのも、気持ち的にスッキリしない。


「じゃあ、髪を洗ってもらおうかな。これも、温泉に入っているときに紗衣ちゃんの昔話を聞いて羨ましくなって」

「そうなのか。確かに、紗衣の髪を洗ったこともあったよ。じゃあ、髪を洗うか」

「うん!」


 俺は咲夜とポジションをチェンジして、彼女の後ろに膝立ちをする。

 タオルを巻いていないこともあってか、咲夜の頭からお尻の辺りまで丸見えだ。その姿はとても美しい。理性を保つように努めなければ。これから俺は咲夜の髪を洗うんだ。髪を洗う。髪を洗う……よし。


「よし、これから髪を洗うぞ!」

「気合い入ってるね。よろしくお願いします。あたしの使っているシャンプーはそのベージュのボトルね」

「分かった」


 シャワーで咲夜の髪を濡らし、ベージュのボトルからシャンプーを出して、髪を洗い始める。肩の辺りまでの長さだけど、こうして洗うと結構ボリュームがあるんだな。


「咲夜、こんな感じで洗っていけばいいか?」

「うん、とっても気持ちいいよ。手つきから髪を洗うことに慣れている気がするけど、今でも小雪ちゃんの髪を洗ってあげたりしているの?」

「そうだな。小さいときほどじゃないが、今でもたまに一緒に入ろうって誘われてさ。そのときは髪を洗ってあげることが多いな」

「へえ、そうなんだ。小雪ちゃんらしいかも。髪を洗って嬉しそうな小雪ちゃんの姿が目に浮かぶよ」

「そうかい。嫌われるよりはよっぽどいいけれど、小雪も中学生だし、そろそろ一緒にお風呂に入るのは止めた方がいい気がするんだ」

「年頃の女の子だしね。でも、小雪ちゃんから誘ってくれているんだし、その間は一緒に入っていいんじゃないかな? 誘われているうちが華……なんてね」

「……そうかもな」


 小雪が中学生になってから初めて誘われたとき、一度断ったら、両眼に涙を浮かべていたからな。観念して一緒に入ると、小雪はとても嬉しそうだった。それ以降も両手で数えるくらいに入っているが、嫌な様子は全然見せない。咲夜の言うように、誘われているうちは入っていいのかもな。


「咲夜の方はどうだ? 美里さんとは今でも一緒に風呂に入ることはあるのか?」

「うん、たまにあるよ。お姉ちゃんから誘ってくるときもあれば、気分的にあたしから誘うこともあるかな」

「そうなのか。さすがに姉妹だと違うな。俺から小雪に一緒に入ろうって誘ったことはないからさ」


 小雪が楽しげにお風呂に誘ってくれるけど、俺から誘ったことは一度もないのだ。まあ、俺も高校生になって、小雪も中学生になったから今後も誘うことはないだろう。


「咲夜は一緒に入るときって美里さんの髪を洗ったり、美里さんに髪を洗ってもらったりしたことはあるのか? 髪を洗うのが凄く上手だったからさ」

「うん。お互いの髪を洗ったりすることもあるよ。あと、小さい頃はお姉ちゃんと一緒にお母さんの髪を洗ったな」

「俺も……幼稚園の頃は母親と3人で入ることがあったな。そのときは咲夜と美里さんのように、俺と小雪で髪を洗ったよ。あと、母親が髪や体を洗っているときに、小雪の面倒を見たこともあった」

「へえ、小さい頃からお兄さんしているんだね。それもあって、今も小雪ちゃんは颯人君のことを誘うのかも」


 鏡に映る咲夜の優しい笑顔にキュンとくる。髪を洗っているときじゃなかったら、今頃、彼女を後ろから抱きしめていただろうな。


「咲夜、泡を落とすから目を瞑って」

「はーい」


 咲夜が目を瞑ったのを鏡で確認し、俺は彼女の髪に付いたシャンプーの泡を流していく。それが気持ちいいのか、咲夜は「あぁ」と可愛らしい声を上げていた。


「……よし、これでいいかな」

「ありがとう! 颯人君! 髪も洗い終わったし、颯人君は先に湯船に浸かっていいよ」

「分かった。じゃあ、お言葉に甘えて先に湯船に浸からせてもらう」

「うん!」


 体を洗うために咲夜にボディータオルを渡し、俺は湯船に浸かる。結構広く、腰を下ろした状態で十分に脚を伸ばすことができる。


「夏でもお風呂は気持ちいいな」

「紗衣ちゃんと同じようなこと言ってる。さすがはいとこ」

「あいつはお風呂や温泉は好きだからな」


 海野家の大浴場で気持ち良く温泉に浸かっていた紗衣の姿が目に浮かぶ。

 咲夜はボディータオルを浸かって体を洗い始める。斜め後ろからそんな彼女の姿を見ることができるけど、綺麗だな。あと、水着姿を見たときにも思ったけど、咲夜……結構大きなものをお持ちで。

 ……って、いかんいかん。いくら彼氏になったとはいえ、一糸纏わぬ咲夜のことをじっと見てしまっては。それに、このまま見続けていたら、興奮してあっという間にのぼせてしまいそうだ。

 俺はゆっくりと目を瞑る。


「颯人君、眠くなっちゃった?」

「湯船が気持ちいいから、それもちょっとあるが……こうしていた方が心身共に平穏が保てそうな気がして」

「ふふっ、そうなんだ。でも、眠って溺れないように気を付けてね」

「ああ」


 寝落ちしないように気を付けないとな。

 目を瞑っていれば咲夜のことも見えないし大丈夫かなと思ったけど、ボディータオルで体を洗う音や咲夜の鼻歌が聞こえるから、これはこれでドキドキしてしまうな。それに、さっき体を洗っている姿を見たからか、自然と体を洗う光景を想像してしまう。

 そういえば、こういうときは素数を数えるといいとどこかで聞いたことがある。実践してみよう。


「2、3、5、7、11、13――」

「どうしたの? 数字を呟いて」

「……そういう気分になってな」

「ふふっ、颯人君、面白いね。体を洗い終わったから、あたしも湯船に入るね」

「分かった」


 咲夜のスペースを作るために、俺は体育座りの体勢になる。

 それから程なくして、咲夜が湯船に入ったのか水位が上がった気がする。


「あぁ、気持ちいい。颯人君、そろそろ目を開けてくれると嬉しいな。目を瞑ったままだとちょっと寂しいよ」

「分かった」


 ゆっくりと目を開けると、そこには俺と向かい合うようにして湯船に浸かっている咲夜の姿があった。肩まで浸かっているし、これなら大丈夫そうだ。


「肩まで浸かっているあたしを見てほっとしている感じだね。目を瞑っていたり、数字を呟いたりするほどだもんね」

「……分かっていたのか」

「うん、すぐに分かった。目を瞑っている颯人君の頬が赤かったし。数字を呟いたのも、ドキドキする気持ちを紛らわすためでしょ?」

「その通りだ。言い当てられると恥ずかしいな」

「ふふっ。でも、あたしでドキドキしてくれるのはとても嬉しいし、颯人君もかわいいところがあるんだなって思ったよ」


 そう言って、俺に笑顔を見せてくれる咲夜の方がよっぽど可愛いと思うが。そんな彼女と一緒に湯船に浸かっていることがとても幸せに思える。あと、お湯が気持ちいいからなのか安らぎもあって。


「颯人君と一緒にお風呂に入ると気持ちいいね。ドキドキするけれど、安心感もあるの」

「俺も同じ」

「そっか。きっと、寒い季節になったらもっと気持ちいいんだろうね」

「だろうな」


 それまでに何回、咲夜と一緒にお風呂に入ることになるだろう。今回は咲夜の家だったから、いつかは俺の家の風呂でも入りたいな。一度くらいは、小雪と3人で入りそうな気がする。小雪、咲夜のことを気に入っているし。


「あぁ、幸せだな。颯人君とこうして一緒にお風呂に入ることができて」

「俺も幸せだ」

「嬉しい。……ねえ、颯人君。ぎゅーって抱きしめてキスしてほしいな」

「……へっ?」


 抱擁とキスの要求を一度に言われたからか変な声が出てしまった。だからか、咲夜は声に出して楽しそうに笑う。


「颯人君もそんな声が出るんだ。驚いちゃった? 颯人君には刺激的過ぎたかな?」

「ドキドキしている中で言われたから、思わず変な声が出ちまったんだ。……じゃあ、咲夜こっちに来てくれ」

「……うん」


 咲夜のことを抱きしめやすくなるように、俺はゆっくりと脚を伸ばす。それを確認した咲夜がゆっくりと俺の目の前までにやってきたので、彼女をぎゅっと抱きしめる。

 お互いに裸だし、色々と触れてしまっているけれど、今はそのことに嬉しさを感じる。咲夜って温かくて、柔らかくて、甘い匂いのする女の子だと改めて分かった。


「……どうかな? あたしを抱きしめてみて」

「この状態だから普段以上にドキドキする。ただ、幸せが勝る」

「そうなんだ。あたしも興奮するけれど、凄く幸せなの。今まで以上に颯人君の立派な体に包まれている感じがして。あと、颯人君の鼓動が心地いいの。肌と肌で触れるってこういうことなのかな」


 咲夜は両手をゆっくりと俺の背中に回してくる。今までの中で最も近いところから彼女に笑顔を向けられた気がした。


「颯人君、大好き」

「……好きだよ、咲夜」


 お互いに好きな気持ちを囁き合って、俺の方からキスをした。そのことでより体が密着したような気がする。

 それから少しの間、俺達は何も言葉を交わすことなく、たまにキスをしながら湯船に浸かるのであった。

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