昇小花付芯入菊先青紅光露の下で

まっく

小さな町の小さな祭

「意外にも、人いっぱいいるんだね」


 小さな町の小さな祭だから、たいして人もいないんじゃないかと思ってたけど。


「なに? 皐月さつきちゃん、人混み苦手だった?」


 今、喋ったこの人が、私をここへ連れ出した張本人。私の担任の先生にして、私がこの世の中で一番好きなひと

 先生は、この四月にうちの学校に県外から赴任してきた。一目惚れだった。

 恥ずかしいから誰にも言わないけど、遺伝子レベルで好きになったんだと思う。今はそう確信してる。だから、私は悪くない。


「大丈夫? ちょっと休む?」


「全然、大丈夫」


 声や表情に出したつもりは無かったんだけどなぁ、なんでバレるかな。

 人混みに加えて、たこ焼きや焼きそばのソースの匂い、じめっとした暑さとその他色々相俟あいまって、正直ちょっと落ち気味だった。

 でも、よく考えてみたら、それだけ私のこと見てくれてるんだと思えば悪くはないのか。ってか、なにげに初めて皐月ちゃんって名前のほうで呼ばれてた。

 うん、総合的に判断して気を取り直しておこう。じゃないと、祭の最後までもたないし。


「ねぇ、達也たつや


「いやいや、呼び捨てはやめない?」


「じゃあ、タッちゃん」


「それは、甲子園を目指さないといけない気分になるから却下」


「なにそれ、イミフ。皐月を花火に連れてって!」


「意味分かってんじゃんか。それは目指してますよ、今、確実に」



 そう、今夜私は先生に花火に誘われた。



 先生は中学まで、この町に住んでいて、高校は県外の全寮制に進み、それから東京の大学へ。この春、教師生活十六年目にして、念願だった地元に帰ってきたのだそうだ。

 先生がいた頃は、この夏休み最後の日に行われる祭で、小規模とはいえ花火が打ち上がり、それが名物となっていたのだが、現在では取り止めになっていた。

 赴任する前の春休みにそれ知った先生はSNSで呼び掛けて有志を集め、今回ゲリラ的に花火を打ち上げることになったのだった。

 私は小学校に入る前に、ママと二人で、ママの地元であるこの町へ来たのだが、その時はもう花火は打ち上げていなかったはず。だから、この話を聞くまでは、そんなことは全然知らなかった。


「どうしても、皐月ちゃんにも一緒に花火を見てもらいたいんだ」


 そう言った時の先生の必死な顔を思い出すと複雑な気分になる。


 心臓の音が聴かれちゃうんじゃないかなんて、少女マンガみたいなことを一瞬でも考えてしまった自分への嫌悪感。

 それを隠そうとしてるのが、バレてるんじゃないかという羞恥心。

 大好きな人と一緒に花火を見れるんだという幸福感。

 でも、そのままの意味に取ってはいけないのも分かってる。そんなことは、私だって。


 このままじゃ、また先生に気を使わせてしまうから、まあ取り敢えず、先生をからかおう。


「達にぃさぁ、あれ買ってよ」


「君も結構引出し開けてくるねぇ。お兄さん的なのは悪くはないけど、却下かな。で、なに買うって?」


「あれですよ。ベビーカステラを買って下さいな、先生」


「そこはかとない昭和感を出すな。今日は先生はなしだから」


「で、買ってくれるの、くれないの。あれ食べながら花火見たいんだけどな」


 先生は「ぬーん」と意味不明な唸りをあげながら、頭を抱えている。


「一袋、五百円だよ。私が買ってあげようか?」


「んー、魅力的な提案だが、さすがに女子高生に奢ってもらうのはなぁ」


 ベビーカステラ屋さんのおじさんが憐れむような表情で先生を見てる。周りから見れば、情けないと思うかもだけど、私は大人のくせに無駄にカッコつけたり見栄張ったりしないところが結構好きだった。もちろん先生本人には言ってあげないけど。


「情けないなあ。そんなんで将来大丈夫なの?」


「とは言ってもだな、教師というものは仕事量のわりに大変な安月給でな。さらに今月はだな」


「分かってるって。あの長ったらしい『ノッポに小人付きっきり、さくさくアホバカ行動』っての買っちゃったんでしょ?」


「だから『昇小花付芯入菊先青紅光露のぼりこばなつきしんいりきくさきあおべにこうろ』だっての」


「おー。よくそんな呪文みたいな言葉すらすら言えるねぇ」


「うん。逆にそんなイジり方が出来る君のほうがスゴいよ」


 そう、先生が私と一緒に見たいって言ったのが、そんな長ったらしい名前の花火。


 花火には全部そんな名前が付いていて、打ち上がる所から、開いて、その後どんな変化をするのかを表してあるらしい。だから、花火師さんや、マニアの人なんかは、名前を聞いただけで、どんな感じの花火なのか分かる。って、先生が唾を飛ばしながら言ってた。


「よし! 決断を下す。僕が買う、思い切って」


 先生はベビーカステラ屋さんの屋台の方へ歩きだし、こちらにクルリと向き直る。


「一袋の半分だけでもいいよね?」



 私は受け取ったベビーカステラの袋を、かさかさかさっと揺らしてみる。クルクル巻かれた袋の口を伸ばすと、何とも言えない甘くて幸せな匂いがする。充電、少し回復。


 祭の屋台の食べ物はあまり好きじゃないけど、ベビーカステラだけは大好きだった。パパとの唯一の思い出だからかな。

 パパはあまり家にいない人で、遊んでもらった記憶もないんだけど、一度だけ祭に連れていってもらったのは、よく覚えている。その時、初めてベビーカステラを食べて、世の中に、こんなおいしい食べ物があるんだって思った。

 だからか、私はパパに対して、いいイメージしかないけど、ママにしたら、いい夫では無かったんだろうね。詳しく話した事がないから、よくわかんないけど。


 先生は「こっちだよ」と言いながら、関係者以外立ち入り禁止の札が掛かったロープを跨いで、そのロープを下げてくれる。

 私は「ありがと」と言ってロープの向こう側へ。


 少し歩いていくと、耳馴れた声が私たちを呼んだ。


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