女はレベルが上がらない

 四本目の環状運河沿いにある酒場“銀の鹿角”は気の置けない酒場である。冒険者は夜ごとに集い、薄いワインとウォッカを空けながらダンジョンの情報交換に勤しむ。

 マナニア・ダンジョンはマナニア経済の要だ。生物・鉱物・遺伝・観光資源のすべてをダンジョンから汲み上げることで、海抜ゼロメートルの泥炭地に築かれた環状運河都市は成立している。

 それがなにを意味するかと言えば、女四人の集まりなど尋常のできごとではなく、アーシェラたちは冒険者に白い眼を向けられていた。しかし彼女たちには、もはや全てがどうでもよかった。これから死ぬのに、なにを気にすることがあろうか。

「えと、じゃあ、あたしから」

 乾杯を済ませ、アーシェラが口を開いた。

「アーシェラです。三十三歳。非正規で冒険者ギルドの窓口やってましたが、契約切られました」

「え! 冒険者ギルドの受付嬢って正規じゃねえの!?」

 ダークエルフが叫んだ。

「それ、なんかみんな誤解してるよね。ぜーんぜん安定してないっす。一年契約だし、正規の三分の一ぐらいの給料だし」

「うわ……最悪っスね」

 オークが義憤に眉をひそめた。

「そだよー大変な上に勘違いされてもう二倍ぐらい……んあっ、うまっ。これ、この、なんか包んであるやつ。みんな食べて食べて」

 鹿肉とアミガサタケと干しイチジクの水餃子を、アーシェラはみんなに勧めた。

「あ、いいですねこれ。イチジクがこう、あまじょっぱくて……んふう」

 狼人が水餃子でワインをやり、鼻から息を吐いた。

「じゃあ、わたしいいですか?」

「いったれいったれ」

 酒に弱いのか、はやくも開放的になったダークエルフが狼人を促した。

「ありがとうございます。えーと、狼人のヴァージニアです。三十九歳です。よろしくお願いします」

「じゃあ、ヴァージニアの死因は?」

 アーシェラがかなりきわどい冗談を言った。酒場に集まる冒険者たちがざわついた。

「ええとですね、お金持ちと結婚したんですけど、その、暴力とか、暴言とか、まあけっこうものすごい方でして。娘と一緒に逃げ出して、女手ひとつで育てようとしたんですけど……」

「絶対きちぃやつだ。きちぃやつっしょそれ」

 ダークエルフがげっそりするほどへたな相槌を打った。

「ええ、きちぃやつでした」ヴァージニアはにっこりした。「とにかく生きていかなきゃって、職を見つけたんですけど……ダンジョン縦貫道じゅうかんどうってご存知ですよね」

 三人はうなずいた。ダンジョン縦貫道は、地上とダンジョン内の街を繋ぐ大穴だ。ダンジョン街はいわばダンジョン戦線における橋頭保ないし前線基地の役割を果たしている。

「荷物を担いでダンジョン街と地上を往復する、流通ですね。手紙だったりお金だったり武器だったり、そのときそのときで荷物は色々でしたけど。その仕事が、思ったよりもきつくて」

「それで、もう辛いから死んじゃおう! ってこと?」

 アーシェラが問い、ヴァージニアは首を横に振る。

「娘がだんだん、暴れるようになっちゃいまして。わたしが家にほとんど帰れなくて、相手をしてあげられなかったんです。やっぱりわたしも非正規で、稼がないと生活できない。だけど、家にいないと娘がおかしくなる。それで板挟みになっちゃって、そうなるともう、仕事に逃げちゃいますよね」

「なんか分かる気がするよ、ヴァージニア。家族って、意外にしんどいよね」

 ヴァージニアはアーシェラの言葉にうなずき、眉をひそめて目を閉じた。

「ある日、一か月ぶりに家に帰ったら、娘が失踪してました。それで、頭がぐちゃぐちゃになっちゃいまして。それはそうなるよねって冷静に思う自分がいて、こんなに娘のために頑張ったのにって怒る自分がいて、でもなにより……ほっとしている自分がいたんですよ。それが、許せなかったんです。どうしても許せませんでした」

「かぁー……きちぃ。結婚してもダメなの無理じゃんもう完全に」

 ウォッカを飲み干したダークエルフが、長い溜息をついた。

「死ぬねえ。それは死んでいいやつだ」

「っスね」

 当初の予定通り、あーそれはしょうがないよねー死ぬよねー。をやっていると、料理が来た。

 豚挽肉とチーズと生卵の包み揚げだ。きつね色に揚がった小麦の皮をナイフで割ると、黄身がとろりと皿に流れた。

 割った半身を垂れた卵になすって、アーシェラは一口でほおばった。前歯の間で、小麦がざくりと崩れた。

「わっうまっやばっなにこれ。ねえこれめっちゃおいしくない?」

「まだ食べてないですけど」

「はやく食べて! すっごい共有したい、味の感想を」

 アーシェラに急かされたヴァージニアは包み揚げを食べ、目を丸くし、ウォッカをなめると目をほそめた。

「これは……危険な味ですね」

「ね! ちょっと辛くてチーズとろっとろでやばいよね! 口のなか油ぎっとぎとのとこにさー、ウォッカがやばくない?」

「やばすぎます」

「んっ、くっ……」

 ダークエルフが辛そうな声を上げた。包み揚げをつまもうとしては、指の中から落っことしている。

「熱い?」

 アーシェラが声をかけると、ダークエルフは首を横に振った。

「ウチ、すげー不器用で……あー!」

 口元まで持ち上げられた包み揚げが皿の上に落下して砕け、黄身がはじけ飛んだ。アーシェラとヴァージニアは絶句した。

「ま、慣れてっけど」

 ダークエルフは静かにため息をつき、頬まで飛んだ黄身を親指でぬぐった。

「じゃあ、ウチの話するねちょうどいいし」しゅんとしたまま、ダークエルフが口を開いた。「えーと、ウチはルイーズ、七十八歳。あ、ウチはダークエルフだから、ヒューマンで言うと十八ぐらいになんのかな? で、エルフ相手の介護やってた」

「それ聞いたことある」アーシェラは、急に人生のなにもかもが怖くなっていたずらに転職先を探していたときのことを思い出した。「エルフってボケてからすごい長くて、介護がすごい儲かるんだってね」

「そそ。施設入れちゃえば肉体が消滅するまでずっとお金入ってくんの。で、ウチはおじいちゃんとかおばあちゃん好きだからさ、すげー良い仕事だって思って。人手不足だし」

 語るルイーズの表情は暗い。未来に希望があれば、そもそも自殺しようとは思わないだろう。

「で、やったらきっちぃの。拘束時間なっげーし、人間関係最悪だし、ボケたエルフってヤバい。めっちゃ殴って来るし、足の爪切ったら虐待って言われてクビになりかけたし、おっぱい揉んでくるジジイとかいるし」

「え! エルフってそんなイメージない! 繁殖とかしたがる種族なんだ。なんかこう、樹の上の家で笛吹く方がエッチするより楽しい生き物と思ってた」

 アーシェラがばかでかい声で言うと、周囲の冒険者たちが更にざわついた。オークが頭を抱えた。

「いやめっちゃセックスするしエルフ。介護って拘束時間だけ長くて基本ヒマだから、エルフもヒューマンも関係なく不倫してた」

「……最悪っスね」

 オークが顔を引きつらせた。

「ウチもオーナーに死ぬほどセクハラされたし。手ぇすげー握ってくんの。あの、分かる? 五十歳ぐらいのヒューマンに手ぇ握られると、なんか湿ってるし、ぐにゃあって柔らかいし……うっわ気持ち悪っ」

 ルイーズはぶるぶると身を震わせた。おぞましい触感を思い出してしまったようだった。

「分かる。ほんっと分かるよルイーズ」アーシェラはしみじみと同意した。「老いてる……! この人……! っていう、なんだろう、もう加齢への恐怖も混ざってくるよね」

「まーセクハラはともかく、怒られるのはウチがばかなせいもあるんだけどさ。不器用だし。とにかく毎日ずっと怒られて、蹴られて、おっぱい揉まれて、だりぃから死のうってなった」

「それはしょうがないよ。ルイーズじゃなくても死ぬよそれは」

 ウォッカと料理で上機嫌になったアーシェラが快活にまとめ、

「だしょー?」

 ルイーズが快活に応じた。

「っしゃー飲も飲も! 食べよ食べよ! どうせ死ぬしウチ好きなの頼む! アーシェラはクワス呑む?」

「えーあたし? クワスめっちゃ呑むよあたし!」

 ゆがいた牛タンを薄切りにして炙ったものと、芽キャベツのザワークラウトが饗された。

「はー、うまっ、これもこう……炙ってなんか、脂がじわーって」

「ウチぐらいになるとキャベツ載せて食うけどね」

 芽キャベツが転がり落ちたのにも気づかず、ルイーズは牛タンをほおばった。

 どろっとしたクワスは老人の空咳のように鈍くさく発泡しており、明らかに酸味がきつすぎた。オークは一口すすって顔をしかめた。

「これ、か、はっ、過発酵……ちょっと古いっスね」

「え? そう? あたしもうなんか、お酒ってだけでいいやって感じになっちゃってる」

 酔っぱらって顔をまっかにしたアーシェラがヘラヘラした。

「オークちゃん、ぜんっぜん喋んないじゃん」

 ルイーズがオークに絡んだ。オークはうっとうしそうに鼻を鳴らした。

「テルマっス。マナニア大学歴史学部魔法考古学科。以上」

「わ! めっちゃ頭いいんだ!」

 国立マナニア大学は、マナニアにおける最高学府だ。卒業生の多くは官僚となって国家運営に携わることになる。

「そりゃ、頭はいいっスよ」

 冷めた口調でテルマは応じた。

「でも、自殺されるつもりだったんですね」

 ヴァージニアが口を開くと、テルマは頬杖をついてそっぽを向いた。

「……金っスよ、金。結局、金の問題っス」

「ほいでほいで?」

 ルイーズがぐいぐい行った。テルマは最後通告的な、そういう絡み方をするあほにお話することは何一つありません。のため息をついた。

「その一、学費が高すぎる。その二、専攻の補助金が打ち切られた。以上っス」

「ふーむ。食べやすく噛み砕くと?」

 アーシェラが促した。

「私は女だから、ひっきゅっ非給付型……ひどい利子の奨学金しか借りられないっス。レベルが上がらないし、妊娠する可能性もあるから、投資しても無駄だと思われてるんスよ。つまり、既に半端じゃない金額の借金を背負ってる。で、その奨学金は学費だけで消える。それじゃあ生活費は? と思ったっスか? 正解っス」

 話しはじめると、テルマの早口は論理的で明快だった。

「足りない分はまあ、パパ活っスよね。セックスもするっスけど、手っ取りばやいし」

「あー」

 三人は声をそろえて「あー」と言った。共感と同情の入り混じった「あー」に、テルマは顔をしかめた。

「なんスか。別に、どうとも思ってないっスよ。さっ再分配……女が少ない時間でお金をもらおうとしたら、稼いでる男からむしり取るしかないだけっス」

「いやでもさ、きちぃし絶対」

 ルイーズのあけすけな憐れみに、テルマの表情が冷えた。

「だって子供をつくるためのやつだしセックスって。お互い気持ちよくなるやつだし」

 言いながら、こともあろうにルイーズは涙ぐみはじめた。テルマの表情はますます冷めていった。

「いやまあその、年を取ってくるとだんだん『はい、繁殖に利する行為ー』ぐらいの感覚になりますけどね」

 ヴァージニアもまた完全無欠に酔っぱらっており、フォローのつもりで口走った言葉には、疲れきった生活の実感がにじみ出ていた。

「えっちげーし! だってお互い気持ちよくなんないと赤ちゃんできないし!」

「その女性射精学説、二十年前には否定されてるっスよ」

 テルマに切って捨てられたルイーズは、後ろから蹴飛ばされたような顔をした。アーシェラはひとりで爆笑した。

「……ま、それはいいんスよ別に。問題は、二つ目。魔法考古学はむっ、無文字……文字のないころの魔法を再現する学問っス」

「へー」

「ま、そういう顔っスよね。あなたがたを救ったのも、無文字魔法を再現した盾なんスけどね」

 アーシェラの相槌に、テルマは皮肉っぽく笑った。

「調べることで、いつか魔法の根源に至る。でも、だから何? って話っスよね。てっ、鉄器……鉄すらないころに作られた魔法っスから、威力なんてぜんぜんない。だったら鉄の盾を担いだ方が早いっス」

「わ、ごめん。そういうつもりじゃなかったんだけど……あたしから遠すぎるっていうか」

 テルマは首を横に振って、アーシェラの謝罪を聞き流した。

「マナニアはどんどん景気が悪くなってるっス。役に立つか立たないか分からん学問には、投資できない。だから二年後には、研究への補助金が打ち切られる。ここまでの話から、私がどうなるかわかるっスか?」

「えーと、どう考えても返しきれない借金を抱えたまま、大学から放り出される?」

「議論の余地なく完璧っスよ、アーシェラ。結論としては、死ぬしかないわけっス」

「うんうん、死ぬしかないね。死ぬしかない」

 アーシェラは快活に同意した。

 どうやら結論が出たようだった。四者四様それぞれに、死ぬしかないのだ。ようやくアーシェラはすっきりした気持ちになった。

「まあ、やっぱり女は無理だったね。結局レベル上がらないもんね」

 アーシェラがまとめると、三人は深くうなずいた。レベルが上がらないから、男の庇護のもと生きるしかない。国境は越えられないし、正規雇用はされないし、離婚すれば娘に逃げられるし、介護施設の利用者に暴力をふるわれるし、無利子の奨学金は無い。庇護の外に出た瞬間、まっさかさまに転落して死ぬ。明快な論理であり、疑義の挟まる余地はない。

「あーでも、やっぱり腹立つのは腹立つ。エステル一発ぶん殴るべきだったね、あたし。ダメージ通る通らないじゃなくて、とにかく殴るべきだった。笑ってごまかさないで」

 そう語って総括を終えようとしたアーシェラを、三人がきょとんとした表情で見た。

「え? なに? なんかした?」

「いま、エステルっておっしゃいました?」

「うん、言ったけど……ヴァージニアの知り合い?」

「元夫です。暴力と暴言ばっかりの。あの頃は、笑ってごまかしてました」

「お、おおー……繋がるねえ」

「ウチの施設のオーナーなんだけど、エステルって。ウチのことばかにしまくって、でもケツは触ってくる。笑ってごまかすけど」

「あー、なるほど、ルイーズもかあ。なんか分かる。視線がね、観てるけどなんだよ。みたいな目で見てくるよね」

 おずおずと、アーシェラはテルマに目を向けた。

「……さっき話した、太い客っスね、エステルは。した後に絶対『もっと勉強しなきゃダメだ』みたいなことを言ってくるっスよ。ま、笑ってごまかすんスけど」

 今日はあまりにもおかしなできごとが続いたわけだが、これこそとびきりの怪奇だった。国境近くの崖に集まった自殺志願者に、共通の――それもできれば永久に関わりたくないような――知り合いがいたわけだ。 

「なんか、なんだろ、なんか」、アーシェラはウォッカで唇を湿らせながら、ただならぬ速度で膨れ上がった自分の感情を追いかけた。「なんかめっちゃむかついてきた」

 ものすごくシンプルに、彼女は腹を立てていた。ただ単に生きてきただけなのに、どうして自殺するところまで追い詰められなければいけないのだ。世界がそうなっているからだと、アーシェラはあきらめていた。だが今、彼女は殴り飛ばすべき相手を見つけたのだ。四匹のみじめな羊を崖へと追い立てた、傲慢な牧場主を。

「うん、いいこと思いついた。やっぱり殴ろう。一発と言わず囲んでたくさん」

「いや負けるっしょ、四人でも」

 ルイーズが冷静に返して、残り二人が同意した。アーシェラは「むうう!」みたいな声を上げた。

「そういうことじゃなくて! なんかこう比喩っていうか、“殴る”っていうか!」

 アーシェラは両手の人差し指と中指を立て、くいくい動かした。ルイーズとヴァージニアが『いやまあ分かるけど……』の顔をする中、テルマが眉をひそめ、緑色の膚を指でなぞった。

「殴れるかもしれないっスよ」

「どうやってですか? あなたの魔法で?」

「酔っぱらったエステルが、前に――」テルマが声をひそめ、身を乗り出して三人を手招きした。「……隠し財産の話っスよ」

 三人は息を呑み、それぞれの額がくっつくほど前かがみになった。

「エステルは多くのしっ資産っ……お金持ちといっしょで、税金を納めるのはばかのすることだと思ってたっス。だから帳簿をごまかして、売り上げの一部を秘密の場所に隠した」

「それ、ウチも聞いたことあるし。なんか、えらいエルフ? からの寄付? みたいのがやばいって、すげー自慢してきたことある」

「でも場所分かるの?」

 アーシェラの問いに、ヴァージニアが頷いた。

「あの人がものを隠すとしたら、第八運河沿いの別荘でしょうね。女もお金も、そこに集めてましたから」

「うわ最悪。あいつ、不倫までしてたの?」

「エステルは他人に、自分が悪いと思わせる天才なんです。あなたも覚えがあるでしょう、アーシェラ。わたしも、他の女を受け入れられないわたしが悪いのだと思わされていました」

「殴るしかないね」

「ええ。強めにひっぱたいてやりましょう」

「でも、隠し財産を奪って、そのあとはどうしたらいいんスかね」

「決まってるじゃん」アーシェラはにやっと笑った。「今度こそ越えるんだよ、国境を」

 低レベルの者は――つまり女は、国境を越えられない。パスポートも取れないし、ビザも発行されない。健康証明書の発行にだってちょっとぎょっとするほど金がかかる。

 だが、金さえ積めば全てはどうとでもなるだろう。逃げた先で、新しい人生をやり直すのだ。

「シェアハウスしたい! ウチすげー料理作るし」

「いいねいいね。貿易株にめっちゃ投資してさ、利回りだけで楽しく暮らそうよ」

「悪くないっスね」

 酒の力がおおいに手伝い、四人の夢は複利計算的に膨らんだ。勢いそのまま、彼女らは夜のマナニア市街に飛び出した。

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