41|逃走〈8〉

 ふたりは、必死で〈螺旋階段〉を駆けあがった!


 悠久のときを経て、微生物がはびこり、しみついた石段。

 ぽたぽたと絶え間なく落ちつづける水滴。

 長い時間をかけて石段に小さなくぼみをつくり、下へ、下へと流れる地下水。


 その岩肌はすべりやすく、ときに足をとられつまずいてひざを打ち、‘ぴしゃッ’と音をたてて水滴をとばし、悠久のときの中の〈一瞬〉をサクラとツトムは駆けあがる。


「あ…!」

「ツトム、しっかりッ!」

 足をすべらせ、よろけるツトムの背中を、サクラはとっさにバックパックごと支えた。


 11年間――ほとんど独房の一室で過ごしたツトムの体力は、限界を超えていた。それは、サクラも同じことだ。毎日、ホテルの中を忙しく走りまわっていたとはいえ、アスリートには遠くおよばない持久力だ。


 それにくらべ、4Cフォーシーはサクラたちより数倍もタフで、あっという間に距離を縮めてくる。


「サクラ、止まれ! 止まって、俺の話をきけッ!!!」

 4Cの声が、すぐ、足元のほうから迫って聞こえた。


「止まっちゃダメだ、サクラ! 水路はすぐそこだから!!!」

 頭の上から、ツトムの声がふりそそぐ。


 もちろん、サクラ自身、動きを止めるはずもなかった。


 だが――

 自分のうしろに迫る4Cの存在は、ツトムがいだいているような、ただの〈敵〉ただの〈追跡者〉という概念とは、まったく異なる存在としてとらえていたのも事実だった。


 サクラにとって、4Cの存在は、良くも悪くも〈特別〉だ。


 この世界――この研究施設で出会った人たちの中で、もっとも気にかかる存在であり、ふりはらっても、ふりはらっても自分の心の中心に居すわる感情…その思いは否定できるはずもない。


『裏切り者』

『憎むべき存在』


 そうやって怒りや憎しみだけを増幅させ、ときにはすべての感情を遮断し、ただの〈敵〉だと思いこもうとした瞬間もあったが、サクラにはわかっていた。


 心の中心にある、彼への〈想い〉は、どんなに心をコントロールしてみたところで、消えはしないのだということを。


 憎しみの裏でふるえる、4Cへの〈恋情〉…。


 その愛憎でゆれ動くサクラの心は、右手に握りしめる銃から〈怨念〉となってたちのぼり、サクラの心を鷲づかみにしてゆさぶった。


『 あいつを撃て…! 』


 何者かが、サクラの心にささやく。


『 ダメだ、咲良サクラ…! 』


 トモヒロの声が、否定する。


 不安定に揺れうごく感情をかかえたまま、サクラはツトムのあとに続いて長い石段をのぼりきり、そこから水路へと続く、せまい通路をさらに走った。


 直後――


「そこで止まれッ!」


 背後から叫ぶ4Cの声に、サクラは反射的にふりむき、そして、ついに――サクラは、彼に銃口をむけた!


 4Cはそれに反応し、1テンポ遅れて銃をかまえる。


「………」


「………」


 ふたりの距離は、わずか3メートル。


 お互い、相手に銃口をむけたまま、時が止まったかのように、ひとことも発せず、ぴくりとも動かず、お互いの心中をさぐるように、相手の顔をじっと見つめつづけたた。


 ついに――ふたりは対峙した。


 それは運命のなせるわざか…あるいは、意図的に仕組まれたものか…どちらにしたところで、いつかは〈決着〉をつけなければならないことだと、サクラ自身にもわかっていた。


 ここで決着をつけなければ、どうせ、前には進めない。


 来るべきときが来たのだと、サクラは覚悟する。


 おそらく、4Cもそうだろう。


 悠久の時のなかの一瞬――だが、ふたりにとっては永遠にも似た一瞬だった。




  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る