24|脱出計画〈1〉

「え、うそでしょ? スカンクキャベツ?」

「そう…スカンクキャベツのピクルス。あれ、大好きだったんだ」


「へぇ…あんなくさい食べ物がぁ?」

「そんなに、バカにすることないだろ。あれの美味しさがわからないようじゃ食通とはいえないよ!」


「ふふふ…それは失礼しました。でも、そしたら、いまはすごく恋しいんじゃない? あれが、ルームサービスのメニューから消えて、もう1年になるわ…」

「そうだね…北の運搬道路が閉鎖されてから、北の大陸の特産品がぜんぜん入ってこなくなっちゃったからね」


「落盤事故だったんでしょ? 怖いわ…」

「それにしても…復旧工事をはじめて、もう1年だよ。まだ直らないってどういうことなのかな?」


「ほんとよね。じつは、私も悲しいの。スカンクキャベツだけじゃなくて、フワッフィーマシュマロも売店から姿を消したもの」

「フワッフィーマシュマロか! たしかに、あれも絶品だったよ。ココアにはフワッフィーが一番だからね」


「でしょう…?」



          ***



 サクラが意識をとりもどしたとき、どこかで親しげに話す男女の会話がきこえていた。


(ここ…どこ…?)


 そこは、南国のリゾートホテルを思わせるような一室だった。


 サクラは、ふかふかの枕に頭をうもれさせ、ふかふかの毛布につつまれていた。ベッドのよこにはヤシの木が置かれ、サイドテーブルのうえには、上品なガラスの水差しが置いてある。


 人口の光か、自然光かわからなかったが、曇りガラスの天窓から、やわらかな光がさしこみ、ヤシの葉陰がまっしろなシーツに模様をえがく。小さく聞こえてくるBGMはフランス風のボサノバだった。


 からだの芯から軋むような痛みと、うでに刺された注射針のあとがなければ、まだ夢のつづきと思ったかもしれない。頭もすこし痛むようだった。


「あら! お姫さまが目をさましたわ…」


 白衣を着たロングヘアの女性が、リビングらしき部屋の向こうから顔をのぞかせ、サクラににっこりとほほえんだ。その顔には見覚えがあった。


「こんにちは。私はKTケーティよ。ラボで会ったわね。たぶんあなたは覚えていないと思うけど…」

 そういいながら、KTはキャスターの付いたワゴンをカラカラと押して、サクラのベッド脇につけた。その上には、ミルクティーとクッキーが5枚、バラ模様にふちどられた上品なカップとお皿に乗っていた。


 サクラは、その顔をはっきりと覚えていた。

 忘れるはずもない――サクラが検査台に縛りつけられている、その目線の先で、4Cフォーシーと親密そうに会話していたあの女性だ。そのときの、苦い感情…鈍い痛みがよみがえる。


「あなた、丸一日、ずっとここで寝てたのよ。このまま目を覚まさなかったらどうしようかと思った…」

「そ、そんなに…」

 サクラの脳裏に、実験ルームの悪夢のような光景を思い出す。


「あれから、ラボの中は大変だったの。当然、プロジェクトの延期も決まったわ…」

 KTは、そういって顔をくもらせた。

 今回のことは、すべて、L=6エル・シックスをはじめとするプロジェクト・チームの計画の甘さに原因があったと、反省の色をうかがわせながらサクラに説明した。


 それでも、彼女は、今回の実験を「今回は成功する」「ワクワクする」といって楽しみにしていた人間だ。ふいに、目的をそがれてしまった彼女にとっては、大きなダメージだっただろうと想像できる。


 だが――サクラには、それを気の毒に思う理由もない。

 このプロジェクト自体が、サクラにとって〈悪〉であるばかりか、倫理的に見ても、とうてい肯定できる内容ではなかったからだ。


『 施設の人間はすべて〈敵〉だ 』


 ツトムの言葉を、サクラはいま一度、自分の心に言い聞かせた。


「ここは、研究施設内にある宿泊施設ホテルなの。あなた、お腹すいてるでしょう? 遠慮しないで食べていいのよ」

「………」

 サクラは、黙ったまま、上品なお皿にのっているクッキーを見つめた。


「これは、あなたが、ラボの研究に協力してくれたお礼のしるしよ。ま…今回は、残念な結果になってしまって、なんの成果も得られなかったけれど…一応、お礼はする決まりだから…」

 KTは、愛嬌のある笑顔をサクラに見せ、肩をすくめる。


「私…〈協力〉した覚え、ないけど…」

 サクラは、無愛想なままKTをにらみつける。


「私は、ただ…なにも知らされないまま、まんまと騙されてあそこに縛りつけられただけだから…」

 サクラの中に、ふつふつと怒りの感情がよみがえってくる。


「どうせ、あなたたちラボの人間は、私をただのモルモットにしか思ってないんでしょ? なにがお礼よ。バカにしないで!」

 毛布のはしをぎゅっとつかみ、あふれそうになる涙を必死でこらえた。


 その感情の中には、4Cに裏切られた怒りの感情よりも、彼と親密に話していた彼女に対しての嫉妬心のほうが強かったかもしれない。

 検査台に縛りつけられたサクラの姿を視界に入れながら、目線を素通りさせ、となりにいたKTと楽しげに話していた4Cの姿が、サクラの脳裏には、まざまざと焼きついていた。


 そのときの光景を思い出すだけで、目に涙が浮かんでくる。4Cはトモヒロではないのだと、わかっていてもなお、4Cという存在はサクラの中で大きくなっていた。

 彼女に、その矛先をむければむけるほど、サクラはそのことを強く自覚した。


 敵対心をあらわにするサクラに、KTは困ったように目を‘ぱちぱち’とまたたかせ、小さく笑った。


「たしかに…私たちのやり方は、強引だったかもしれないわ。でも、きいて…私たちは〈敵〉じゃない…」

 KTは困ったような顔のまま、サクラを説得するべく話をつづける。


「あなたも、L=6のスピーチを聞いていたと思うけど…私たちは、あなたたちエムズ・アルファに、この星を救うための〈協力者〉になって欲しいだけよ。ただ、それだけなのよ」


「協力者…?」

「そうよ」

「そんな扱いには、見えなかったけど…」

 どうしてもKTの顔を直視することができず、サクラは、顔をそむけながら話をつづけた。


「ゴースターとエムズ・アルファが融合したら、どんな怪物が出来上がるのか…興味シンシンで見てるあんたたちを協力者だなんて思えるわけない」

「ま…そうよね…」

 KTは、悲しげに眉をさげ、その言葉に落胆したかのようにみえたが、次の瞬間「ふふ」と笑ってサクラをみた。


「なにが、おかしいの?」

「ごめんなさい。ただ、いまのあなたには、なにを言っても怒らせてしまうだけだと思って…」

 残念そうに首をふり、それから、一呼吸おいてつぶやく。


「まだ、時間が足りないものね…」

「時間…?」

「そうよ。私たちには、信頼関係をむすぶだけの時間が足りないの」

「………」

「だから、なにを言っても聞き入れてくれないし、反発されてしまう。でも…時間をかけて、よりよい関係を築ければ、きっとあなたもわかってくれるはずよ。私たちのプロジェクトが意味のあることで、けして、あなたたちをモルモットみたいに扱っているわけではないということをね…」

「へぇ…すごい思い込み…!」

 サクラは、嫌味たっぷりでKTに悪意をぶつけるが、なぜか彼女は白衣のうでを組み、サクラに余裕のほほえみを見せた。


「いえ…思い込みなんかじゃない。いつか、きっと、わかってくれる。私たちは、そう信じてる。だって〈彼〉は信じてくれたから」

「か・れ…?」

 ふいに、サクラの関心がその人物にむいた。


「そうよ」

「それは…」

 サクラが口をひらこうとするのを制して、KTはリビングの方へ声をなげた。


「ねえ、そっちに隠れてないで出てきたら? あなたも、咲良さくらさんに会いたいでしょう?」

「………」

 その人物は、サクラが目覚めたとき、KTと親しげに話をしていた男性にちがいなかった。その〈彼〉が、彼女によばれてリビングの向こうから姿をあらわす。


 黒のTシャツにジーンズというシンプルなスタイルであらわれたスレンダーな青年は、KTの手招きにおずおずと近づき、サクラに向かってぎこちなく手をのばし、握手をもとめた。


「あの…はじめまして。ぼ、僕は、ツトム…」

「…え?」

 サクラは、ベッドの中で固まった。


 そう――彼はツトムだった。



          ***



 その声は、たしかにツトムだった。


 耳元のヘッドフォンできく声と、ナマの声では、すこし印象がちがうけれど、独特のふわふわとしたしゃべり方は、間違えるはずもない…サクラがゆいいつ心をゆるしている人間《ツトム》の声だった。


(ツトム…)


 ツトムは、すこしウェーブがかったまえ髪を手ではらい、神経質そうに目をぱちぱちとしばたかせながら「会えてうれしいよ」といって、なかば強引にサクラの手をにぎった。


(え…?)


 と、そのとき――サクラは、自分の手の中に、何か、小さくて硬いものが手渡されたことに気づく。


(これ、なに…?)


 KTに気づかれないよう、それを握ったまま、そっと自分の手をひっこめ、毛布の中にそれを隠した。


「わ、私も会えてうれしいよ、ツトム…」

 サクラがツトムを見ると、彼もこちらに目線をあわせ、小さくうなずく。

「それを持っててくれ」という合図だろうか。


 毛布の中でそれをさぐると、どうやら、なにかのカギのようだった。


(これって…もしかして、独房の…?)


 人知れず、サクラの心臓が‘どきどき’と音をたてはじめる。


 サクラは、とりあえずそれをメイド服のポケットの中に大切にしまった。と、同時に、サクラは冷水をあびせられたように、目が覚めた思いだった。


(そうだ…)


(私は、ここを脱出するんだ…)


(ツトムは、着々と計画をすすめていたんだ…)


 それを知ったサクラの中に、これから大きなことを成し遂げなければならないという使命感と緊張感が生まれ、それとともにKTに対する怒りや嫉妬の感情がすうっと消えてゆくのを自覚した。


 自分が、あのラボでされたことは、許しがたい事実だったし、エムズ・アルファへの倫理的侵害も許されない事実だったが、いまするべきことは、目の前の女性にその怒りをぶつけることなんかではない。

 この世界がどんなところであろうと、自分たちは、ここを脱出する…「その目的を忘れるな!」とツトムに教えられた思いだった。


(そうだ――私はここを脱出する…)


(いまは、それが、なにより重要…)


「ツトムはね…この施設に11年もいるのよ!」

「へ、へぇ…」


 KTは、サクラがツトムと組んで、脱出の準備をしていることなど知るよしもない。サクラは、なにくわぬ顔でKTに話をあわせることにした。


「ツトムは、もう、ラボの一員みたいなものなの。11年の歳月が、私たちの信頼関係を育ててくれた。だから、あなたも、いつかきっとわかってくれると信じてる。ぜひ、彼を見習ってほしいわ」


「彼女たちは、家族と一緒だよ。けして〈敵〉なんかじゃないんだよ」

 ツトムがしれっとした顔で、サクラに話しかけた。


「そ、そうなんだ…」

「きみは、独房に入ってるらしいけど、僕はきみより、ぜんぜんいい暮らしをしてる。テレビもあるし、音楽だって聴けるし、本だって読める。それだけでも、協力したほうが得だってわかるだろ?」

「う、うん…そうだね…」

 サクラはツトムの並べ立てる嘘八百に、なんと答えたらいいか戸惑った。


 そして、思った。ツトムは、本当に、むこうの世界で〈引きこもり〉だったのかと。

 11年の歳月が彼の社会性を育て、ここまで成長させたというのなら、〈時間〉というのは、人の心を治す最大の治療法なのかもしれない。


 ともかく――独房でツトムが話してた「ラボの人たちの信頼を勝ちとっている」という話は真実だったのだと、サクラはあらためて思った。と、同時に、脱出計画の成功を確信した。


(この計画…)


(ぜったいに上手くいく…)


(11年間…)


(ツトムがコツコツと作り上げた、脱出計画の設計図…)


(私は、信じる…)


(11年のツトムの努力を、ぜったい無駄にはしない…)


 サクラは、ツトムのために強く願った。


 そして、いよいよ――

 サクラとツトムの〈エックス・デー〉が幕をあける――!




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