第52話 突然、業火の如く


「馬鹿な事を。そんな正義感は無駄というものです。いずれあなたは『依頼』を受けるのですから、怪我をするような行為は愚行以外の何物でもない」


「みくびるなよ。こんな非道なふるまいをする奴の依頼を俺が受けると思うのか」


「これは運命であって、あなたがどう思うかは関係ないのです」


「御託はたくさんだ。いずれにせよ、おまわりが来たらあんたは暴行と器物破壊でしょっぴかれる。そうなれば依頼もへちまもない」


「そうでしょうか。外の光景をご覧になったのなら、警察など来たところで無力なことくらい、お分かりになると思うのですが」


 付喪はそういうと、俺との間合いを詰め始めた。俺は咄嗟に鞭に手を伸ばし、相手の挙動をうかがった。が、付喪が俺に向けて放ったのは武器や拳ではなかった。人形の口が大きく開いたのが見えた瞬間、部屋全体が不快な震動に揺さぶられ、俺は堪らず床に蹲った。


「機械にとっては何でもない低周波ですが、あなたには効果があったようですね」


 付喪が笑いを含んだ声で言うと、開いた口からタールのような黒い液体が俺に向けて吐き出された。液体は身体に付着するとたちまち凝固し、俺の自由を奪った。


「今度は接着剤か。どうやら真っ向勝負をするつもりはないようだな、卑怯者」


 床に貼りついた手足を引き剥がそうともがきながら、俺は喚き散らした。


「なんとでもおっしゃってください。……用が済んだので私はこのへんで失礼しますよ」


 付喪が俺に背を向け、出口に向かって歩き出した、その時だった。


「待て」


 聞き覚えのある声が響き、戸口のところに立ちはだかる人物のシルエットが見えた。


「お前の相手は、私がする」


 現れたのは、毘沙門だった。付喪は足を止めるとマネキンの青い瞳を毘沙門に向けた。


「誰であろうと同じです。後悔する前に逃げた方がよろしい」


「そうかな。これでも戦闘機械との手合わせは数をこなしているつもりだ。……ゆくぞ」


 先に動いたのは、毘沙門だった。手にした金属棒が閃いたと思った直後、鋭い音がして空中で火花が散った。


「なんとも優雅な攻撃ですね。そんな動きでは私の身体に傷をつけることはできませんよ」


 付喪の両腕は付け根から分割され、六つのアームが蛇のように別々の動きを見せていた。


「……では、これではどうかな」


 毘沙門はそう言うと、分銅のついた細い鎖を付喪に向けて放った。鎖は付喪のアームに絡みつき、毘沙門が印を結ぶと付喪の全身に青白い電流が迸った。


「……やった!」


 付喪の状態が前にぐらりと傾いだ瞬間、俺は勝利を確信した。……だが、つぎの瞬間、付喪の頭髪が逆立ち、無数の触手となって毘沙門に襲いかかった。


「……ぐうっ」


 金色の触手は毘沙門の首に巻き付くと、蛇のようにぎりりと絞め上げた。毘沙門の顔が苦悶に歪むのを見た俺は、気がつくと付喪に向けて鞭を放っていた。


「……ぬっ?」


 鞭が付喪の足を掠め、触手の力が緩んだ瞬間、毘沙門の姿がふっと消えた。あっと思った直後、バランスを崩した付喪を毘沙門が背後から羽交い締めにしていた。


「そんなことをしても無駄だ。私の能力は……うっ?」


 羽交い締めにされた付喪が身じろぎをした瞬間、二人の身体が勢いよく燃え上がった。


「私もニンジャの末裔。相手を逃がしてはならぬ時にのみ、許される技をお見せしよう。忍法奥義、即身火焔そくしんかえん


 毘沙門が叫ぶと二人を包んでいる火勢が一気に強まり、付喪の顔面が汗をかいたように溶け始めた。


「いかに内部が金属とはいえ、表面はマネキン。外から溶かされてはひとたまりもあるまい。人を傷つけ、機械を壊し街に災いをなす因業の者とあれば、私もあえて獄卒となろう」


 燃え上がる炎の中、機械の頭部を露出させた付喪は業火に焼かれる罪人のように見えた。


「毘沙門、やめるんだ。あなたまで死んでしまっては意味がない」


 俺が叫ぶと、炎の中で毘沙門の目がふっと細められた。


「いいのです、ピートさん。武神の名を与えられた私にとって、今が命を使う時なのです」


 だめだ、毘沙門――俺が二人を引き離そうと足を踏みだしかけた、その時だった。


 ドアを破るような勢いで一台の電動自転車が現れ、二人の身体を撥ね飛ばした。


「うわっ」


 火だるまになりながら壁に激突した毘沙門は、炎の中でゆっくりと身を起こした。


「毘沙門!大丈夫か」


 俺が駆け寄ると毘沙門の身体を包む炎が徐々に弱まり、やがて白い煙が立ち上った。


「……大丈夫、あいにくと死んではいない」


 毘沙門は弱々しく漏らすと、力尽きたようにその場に崩れた。


 俺は振り返ると、自転車の操縦者に目を向けた。車体から放りだされ、床に這いつくばっているのは俺と毘沙門が助けた『猿回し』だった。


「あんた……さっきの」


 俺が声をかけると『猿回し』は身体を起こし、ねじ曲がった電動自転車を見た。


「あのマネキンだけは許せないって……こいつがいうから」


 俺は何が起こったかを瞬時に理解した。『猿回し』が自転車に乗って現れたのではなく、『付喪』たちの暴行を受けた自転車が『猿回し』を引き連れて飛びこんできたのだ。


「……くく、どうやらここにいるのは死にぞこないばかりのようですね」


 不気味な忍び笑いに思わず振り返ると、『付喪』が戸口のところに立っているのが見えた。


『付喪』の頭部は半分以上が溶け、下から金属製の頭部が覗いていた。


「無駄だといくら言い聞かせても、自ら命を投げだそうとする……私には理解できません」


『付喪』は溶けた顔から覗いたLEDの赤い目を光らせると、俺たちにそう言い放った。


「ここにもう用はありません。ピートさん、いずれまた『依頼』の件でお会いしましょう」


 呆然としている俺に薄気味の悪い言葉を告げると、『付喪』は建物の外へと姿を消した。


 俺が全身に火傷を負った毘沙門を『猿回し』と戸外に運び出すと、サイレンの音と共に救急車が姿を見せた。


「毘沙門、俺はやっぱりこの街に起きている異変を調べるぜ。あんたは養生してくれ」


 担架に乗せられた毘沙門に手を差し出すと、黒く汚れた指が俺の手を握り締めた。


「どうかご無理をなさらぬよう……生きて再会できることを期待しています」


 毘沙門が救急車で運ばれ、キャサリンの元に戻ろうと歩いていると通用門の所に見知った顔が立っているのが見えた。


「よう、何でお前さんがここにいる?」


 ボガートは俺を見ると、苦虫を噛み潰したような顔でそう質した。


「知人が戦いに巻きこまれたんで、加勢に来た。何かおかしな点でも?」


「おかしいといやあ、すべてがおかしい。コンラッドがAPに重傷を負わされた」


「知ってる。俺も本人に会ったからな。ここでの事件もいわばその延長線上だ」


「いったい何を知っている?コンラッドはマネキンがどうとか言っていたようだが」


「ああ、とんでもなく性悪なマネキンが俺たちの街を壊そうとしてやがる。あんたも気をつけた方がいいぜ」


 そう言い残して立ち去ろうとした俺に、ボガートが「待て、話をきかせろ」と凄んだ。


「あいにくと忙しいんだ。この騒ぎだけじゃなく仲間が二人、姿を消しちまったんでね」


「なんだと……この前、秘書がさらわれたばかりなのにか?」


「そうだ。だから悪いがあんたとのんびり世間話をしている暇はない」


「……畜生、一体何が起こっていやがるんだ」


「鍵はどうやら『サンクチュアリ』にありそうだ。気になるなら行ってみるんだな」


 俺はボガートにそう言い残すと、倉庫エリアを出てキャサリンの元へと向かった。


 ――毘沙門ですら苦戦するAPだと?そんな奴らとこの先、どうやって戦えばいいんだ。


 俺は車に乗り込むと「次はどこへ?」というキャサリンの声に一時の安堵を噛みしめた。


             〈第五十三話に続く〉

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