第35話 注文の多い依頼人


「なあキャサリン、仕事もせず何もない運河を馬鹿みたいに見てるなんて、滑稽かな」


 俺は運河の終点である『壁』と、流れついて行き場を失ったゴミを眺めながら言った。


「滑稽だなんて思わないわ、ピート。私もここにガフたちがいてくれたらと思うもの」


 寝息のように緩やかなアイドリングの中、キャサリンが掠れた声で言った。俺が久しぶりにホログラムをオンにすると、助手席にキャサリンが姿を現した。


「やっぱり機械の君よりこっちの方が素敵だ。……あくまで俺の好みだけどね」


「一番、好きなのは姿が見えてない時……でしょ?」


 俺は思わず頷きそうになった。そうなのだ。どういうわけか車体を震わせてかっとばしているキャサリンに、俺はこの上ない信頼と愛着を抱いているのだ。


「やはり待つしかないのか。……キャサリン『サンクチュアリ』のAPたちにあの二人を捕まえるメリットはあると思うか?」


「わからない……けど、あの二人を使って誰かを誘き出そうとしている可能性はあるわね」


「誰か……つまり君か俺ってことか」


「あくまでも可能性よ。悪い方にばかり考えるのはよくないわ、ピート。……あっ、ちょっと待って。電話が入ったわ」


 キャサリンは人間が端末を操作するように、身を捩って会話を始める素振りを見せた。


「……はい、そうです。……えっ。……はい、ではお取次ぎします。……ピート、仕事の依頼よ。一週間前にキャンセルした女性」


 俺は溜息を漏らすとシートにもたれかかった。いつもならすぐに「お通ししろ」というところだが、今回ばかりはそういう気分にはなれなかった。


「残念ながら二度目のキャンセルだ。いつ二人から連絡が入るかわからないのに、仕事を受ける気にはならない。……くそっ、夜叉が何か有意義な情報を教えてさえくれれば」


「それはあなたの身を案じているのよ。きっと危険な仕事に巻きこみたくないんだわ」


 俺はおや、と思った。キャサリンが珍しく擁護ともとれる言葉を口にしたからだ。


「そうかもしれないが、何もせず後悔するくらいなら、危険の中に飛び込んだ方がましだ」


 俺がつい本音を漏らすと、キャサリンも目を伏せて「私だって自分を助けてくれた人を放っておくのは辛いわ」と言った。


「だからこそ助けを求められた時のために、できるだけ気力を失くさないようにしたいの」


 ホログラムのキャサリンは、端末を手に俺の目を見返してきた。やはり彼女は有能だ。


「……わかった、とにかく話だけでも聞いてみるよ。依頼人をオフィスにお通ししてくれ」


 俺はキャサリンに、依頼人の映像を映すよう、指示した。やがてキャサリンの姿が消え、代わりに二十代と思しき女性の姿が助手席に出現した。


「ようこそ『ファイブ・ギア』のオフィスへ。私が責任者のピーター・ギアです。ご依頼の内容を受け賜りましょう」


 俺が簡潔に挨拶を述べると、女性は「よろしくお願いします。大埜沙羅おおのさらといいます」と品のよさを感じさせる口調で言った。


「……で、大埜さん、一体どんな荷物の輸送をご希望で?」


「はい。運んでいただきたいのは、父の遺品であるノートです」


「ノート?ノートなら封筒に入れて宅配便で送れば済むような気もしますが」


 俺はつい『運び屋」としては不適切な感想を口にしていた。それができないからこうして依頼に来ているのだ。道理を説くのは野暮と言うものだろう。


「それはそうなんですが、届け先が特殊なのです」


「特殊、といいますと?」


「『美趣仁庵びしゅにあん』という会員制のレストランで、私もどこにあるか知らないのです」


 俺は記憶の奥を弄った。微かに聞いた話では、三か月に一度、たった一日だけ開く食通御用達の店があるという。それも毎回、出店する場所が変わるため、会員以外の人間には次の場所がどこなのかさえわからない。


 出されたメニューに関してもきつく緘口令が敷かれ、そのような店がある、ということ以外の一切がわかっていない都市伝説のような店だ。


「そういう店があるという噂は耳にしたことがあります。だが場所がわからないことには荷物の届けようがない」


 俺が難色を示すと、それは折り込み済みだと言わんばかりに切れ長の瞳が光った。


「ですから、お店を探すことも含めての依頼です。実は私にノートを貸して欲しいと頼んできた人が、お店の場所を告げずに連絡を絶ってしまったのです」


「だったら、自業自得じゃないですか。相手の方が届ける場所を教えなかった以上、あなたにノートを届ける義務はない」


「それはそうなんですが……私自身、お店がどこにあるのか気になって仕方がないんです」


 俺はようやく言わんとするところを理解した。これは店の場所をつきとめて、その一部始終を報告せよという依頼なのだ。


「届ける相手は父の右腕だった波多野はたのさんという料理人です。先月、私の元に波多野さんから一通のメールが届きました。内容は『美趣仁庵』の二代目料理長になったこと、古くからの会員に先代と比べられてもよいよう、独自のメニューを求めていること、師匠にあたる父のレシピがあるなら見せて欲しいことなどが記されていました」


「見せて欲しいということは、波多野さんはお父さんから秘伝の料理を伝授されなかったということですね?」


「そのようです。たまたま私の元に、遺品という形でレシピらしい物が残っていたのです」


「そのノートを届けろと。しかしそれは自分で道を開けというお父さんの遺志なのでは?」


 俺が言わずもがなの道理を口にすると、沙羅は「私もそう思います」と頷いた。


「ですが、その一方でせっかく父が残した料理のアイディアを、誰か信頼のおける調理人に継いでほしいという気持ちもあります」


 なるほど、と俺は唸った。子供にはその世代なりの解釈も許されるべき、ということか。


「わかっているのは五日後にこの都市のどこかで『美趣仁庵』が開店するということ、その二日前までにレシピが見られれば、料理の仕込みがぎりぎり間に合うということです」


「つまり、今日から三日足らずの間に、どこだかわからない店の場所を探し出せというわけですね?店の場所が判明するまでは、出発することもできないというわけだ。やれやれ」


 俺はわざと大げさに両肩をすくめてみせた。控えめに見えて、随分と不躾なお嬢さんだ。


「やはり無理でしょうか。知人からファイブ・ギアさんの噂を聞き、この方ならと思ったのですが……」


「まあ、やるだけやってみましょう。……ただし、三日以内に目途が立たなければキャンセルさせていただきますが、よろしいですか?」


「ええ、構いません。……これは少ないですが前金の代わりです。どうぞお納めください」


 そういうと沙羅はホログラムの封筒を俺の前にかざした。分厚さから見ても、相場を軽く超える額だ。どうやらかなりのお嬢さんらしい。


「そいつは持ち帰ってください。基本的にうちは成功報酬という形でやっていますのでね」


 俺がやんわり断ると、沙羅は素直に「わかりました」と封筒を引っ込めた。礼を述べた依頼人が幻のように消えた車内で、俺は盛大にため息をついた。こいつは大変な三日間になりそうだ。


「どうするの、ピート。わずか三日とはいえ、それなりに急がないと見つけられないわよ」


「そうだな。ルシファーにでも聞いてみるか。やくざのボスなら会員でもおかしくない」


 俺は西日を弾いている水面を一瞥すると「行こうキャサリン。事前調査だ」と言った。


             〈第三十六回に続く〉

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