第18話 泣かれる。

 ゆうるりと静真が目を開ければ、そこは娘の部屋だった。

 部屋は暖房で暖かく整えられ、静真は敷かれた布団の上に横向きに寝かされている。服は上着を脱がされ、長着だけに緩められていた。出しっ放しだった翼から衣服を引き抜かれても全く気づかなかったことに、ぐつりと静真の腹の底が煮えた。

 だが数週間ぶりの娘の気配に静真はぐらぐらとこみ上げてくる感情を抑えていれば。

 声が。聞こえた。


「静真さんっ。起きられたんですねっ」


 心底ほっとした様子の娘は、静真の感情など知らぬようにぱたぱたと近づいてくる足音が響く。


「覚えてらっしゃいますか。渋郎さんが静真さんが倒れられたって教えてくださって。ここの近くだったおかげで、なんとか運び込めました。丸一日意識が戻らなかったんです。ご気分はいかがですか」


 そのようなつもりは全くなかった。穢れを持ち込めば、弱い人間の娘などたちまち昏倒してしまう。にもかかわらず己はこんなときでも娘を意識していたのか。

 どくどくと心臓が痛いほど騒ぐ。訳がわからなかった。

 娘がのぞきこんできた瞬間、静真が今まで押し殺してきた感情が決壊した。

 静真は惚けた顔をする娘の腕を強引に引き寄せ、起き上がると同時に布団へと押し倒す。


「なぜ助けた!?」


 ひゅ、と娘がおびえたように息をのんだ。

 肩までの髪を散らして布団へと押しつけられた娘に、静真のほどかれた髪がまるで娘を閉じ込めるように落ちた。

 馬乗りになられた娘は反射的に身じろぎしようとするが、少し体重をかけるだけで簡単に封じることができた。

 そう、それほどまでに弱い存在なのだ。にもかかわらず静真は彼女の一挙手一投足に乱される。

 限界だった。今だってあのまま朽ちて果てられれば楽だったのに、娘に引き戻されてしまった。

 静真は何も告げずに娘の元を去った。にもかかわらず娘は再び関わってこようとする。

 自分の下でおびえた顔をするくせに、なぜ、と静真は惑乱のままその細い首に手を伸ばした。


 手のひらの中で娘の喉がたわむのを感じた。


 静真は荒れ狂う感情の中、面を付けていない顔がいびつに笑みのような形を結ぶのを感じていた。


「貴様は、まだわからんらしい。俺にかかればこの首へし折ることはたやすいんだぞ。いつでも傷つけられる。そんな存在をなぜわざわざ助ける? 恩を仇で返されることすら考えないなど愚か過ぎて笑えてくるぞ」


 妖も人間も同じだ。まだ人界で静真が過ごしていた頃。

 神通力の片鱗を見せる静真に、人間は忌避の目を向けてきた。それで人間は自分を受け入れないと思い知った。だが天狗も静真を受け入れることはなかった。


「それとも俺に哀れみでもかけたか。俺が人の形をしているから勘違いでもしたか。は、阿呆だ阿呆だと思っていたがこれほどだったとはな!」


 静真の口からは勝手に言葉がこぼれ、手に力がこもっていく。

 かふ、と娘から苦しげな吐息が漏れた。

 刻めばいい、受け入れようなどと二度と思わないくらいに。


 ようやく、ようやくあきらめたのだ。静真は半端物だ。どちらにもなることができない。

 一人で生きていくことを受け入れられるようになったのだ。

 どうせ娘もいずれ離れていく。ならば自分に近づかないで欲しい。頼むからおびえてくれ。いやおびえて欲しくない。期待させないでくれ。


「俺とお前は、ちがうっ!」


 お前にだけは、きらわれたくない。

 静真が血を吐くように叫べば、苦しそうに顔をゆがませながら、娘の手が伸びてきた。

 抵抗かと思えば、柔らかくほほを包まれてぎくりとした。

そしてなにかを、拭われた。


「……り、まえ、……です」


 反射的に手を緩めれば、娘はごほ、と咳き込みながらも静真から目をそらさなかった。


「あなたと、私が違うなんて当たり前です。でもそれとこれとは別、なんです。心配なんです。助けたいんです。私が、今目の前にいるあなたを失いたくなかったんですっ!」


 叫ぶようにじわ、と目尻にたまった涙がこぼれてゆく。娘の目尻を伝っていくそれに静真はなぜか衝撃を受けた。


「なんだ、それは。ちがうんだぞ。俺には羽が」

「だからどうしたっていうんですかあ!」


 遮るように言葉を重ねられ、静真は真っ白になった。

 胸に、くんと刺ささったような衝撃を受けた。

 なにも考えられずにただ見下ろしていれば、娘はしゃくり上げながら言った。


「ほんとはたくさん、静真さんのこと知りたかった。私のことを話すんじゃなくて、静真さんに聞いてみたかったんです。でもきいたらここに、きて、くれなくなるかもって、思ったらできなくてっ」


 ぼろぼろと止めどなく流れていく雫に静真は無性に動揺した。そのままでは目が溶けてしまうのではと思った。


「いつもきてくれるか不安で。傷がたくさんあるのが、こわ、くて。でもしずまさ、んがこないほうが怖くてっ……」


 そんなもの知らなかった。ただ娘はいつも静真の前では朗らかに出迎えるばかりだったから。饒舌だとばかり思っていた娘が語らなかったものの多さに今更気がついた。

 しかしそれでも、娘が違うといいながらも己に心を傾ける理由がわからなかった。


「なぜ」


 そこまで、気にかける。

 大きな瞳を潤ませながら必死に見上げてくる娘に、静真は呆然と言葉を落とせば、娘の顔がくしゃりゆがんだ。



「あなたのことが、好きなんです」



 娘は震える声音で密やかに、明確に、口にした。

 以前、告げられたそれとは全く違う、あふれるような熱を伴ったそれに静真は惑乱した。


 娘は静真をまっすぐ見ている。天狗ではなく、人間でもない。己自身を。


 静真は己の奥の柔らかいところにやんわりと触れられた気がした。

猛烈な熱が腹の底から湧き上がってくる。

 急に娘に触れていることが恐ろしく罪深く思えた。しかし飛び退こうとすれば、静真の体からかくりと体から力が抜ける。

 気を張っていたせいで感じていなかった体の重みと痛みが一斉に訴えてきて、娘の横にどさりと転がった。


「静真さん!?」


 自分の無様さを自嘲することすらできず静真が荒く息をつけば、のそのそと起き出した娘が、涙目でうろたえだした。

 大丈夫だ、たいしたことはない。そう告げようにも口がうまく回らない。

 心臓のあたりがぎゅうと引き絞られているかのように苦しいが、静真はそれが穢れに当たったことが原因ではないことくらい、鈍った頭でもわかった。

 静真が赤くしてしまった首などなかったように、娘は心底案じるように静真に布団をかけ直す。

 だがその手は震えている。当然だ、突然急所をつかまれれば恐怖を覚えるのがふつうだ。

 にも関わらず、静真が見つめているのをどう解釈したのか娘は挑むように言った。


「私が、いきてるうちは、ずっとずっとしんぱいしますからね。私しつこいんですよ。いやだって言うんなら、殺すくらいはしてくださいね。あっでも痛いのはいやですから一気にやっちゃってくださいね」


 なぜそうなる、と静真は思わないでもなかったが、言葉の荒さとは裏腹に、娘は静真の乱れた髪をゆっくりと直していく。

 ささやかに羽のように触れられるたびに、触れられた場所からじんわりとした熱が広がってゆくのにくらくらした。


 煩わしいはずなのに、煩わしいと思わなければならないのに、その指先が温かくて。

いつまでも触れていて欲しいという思いがこみ上げてきてしまう。

よく見れば娘の顔色はあまりよくなく、少し痩せているようで、ぐと息苦しさを覚えた。

 感情が制御できない。自分が自分でないものに変わっていきそうで、静真は人知れず幼子のように震えた。

 娘は静真を撫でながらも泣き止む気配を見せず、ときおり、鼻をすする音が響く。

それは、とても、嫌だ。


「泣くな」


 静真がそう言えば、目元をを赤く腫らす娘はひく、としゃくり上げた。


「……なら自分を、大事にするって、約束してください」

「なぜ、お前が言う」


 ちがうものなのに。もう抵抗もなくただ純粋に疑問をぶつければ、娘の目がつり上がる。


「私が好きな静真さんを粗末に扱わないで欲しいからです! つらそうなのも悲しそうなのも苦しいのを見るのも私がいやなんです! いくら静真さんでも許しませんよ! ご飯食べてちゃんと寝て、けがしないでくださいねっ。あっ今みたいに悪いものをもらってくるのもだめですよ!」


 娘は忙しい。泣いたかと思えば怒る。怒りながら泣く。しかも支離滅裂なことを言う。

 感情をあらわにする娘は、天狗から見ればひどく滑稽で、醜いと称されるものだろう。だがその雫は静真の心を痛いほど締め付けた。


「俺は、天狗だ」

「それ以前に静真さんは静真さんじゃないですか! 静真さんの話は難しいんですよ! 私は目の前にいるあなたしか知りませんっ。一緒に居たら幸せだなあって思う人が大事にしないのが悲しいんですっ」


 娘の言葉が静真の芯にすとん、と落ちてきた。

 人間ではないと遠ざけられた。天狗でもないと告げられた。それでも静真は天狗であらねば生きてこれなかった。

 けれど娘はわからないという。目の前にいる静真しか知らないという。

 あれだけ静真にぞんざいに扱われているにもかかわらず。幸せだと称する。

 娘は愚かだ。だが反論すべき言葉があるはずなのに、すべて溶け消えた。

 ただ、この頼りない娘だけは自分をあきらめないのだろうと、なんだかそれだけはわかってしまった。

 逃げられない。と思った。


「わかったから、泣かないでくれ」


 そう、静真が告げた声音は、自分のものではないかのようにの柔らかく響いた。

 体は動かない、意識はもうろうとしている。

 だが娘が大きく見開いた目から、雫がこぼれなかったことに無性に安堵して、意識は闇に消えた。

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