五章 3
*
翌朝。ワレスの部屋。
「あーん、もう! おれ、悔しいよ。なんだってこんなことになったのさ? おれ、泣いちゃう」
食事を運んでくるなり、エミールがわめく。
まだベッドでよこになっていたワレスに、しがみついてくる。
「頭にひびく。大声を出すな」
ワレスはそのウワサを、すでにアブセスから聞いていた。ムッとしてさえぎる。
「そんな泣きごとは聞きたくない」
「だって、みんな、ウワサしてるよ。泥棒の正体はあんただって!」
この部屋ではそのことで、朝一番にひと悶着あった。
今の第一分隊になってから、任務時間が夕方から真夜中までに変わっている。それによって、朝起きて夜眠るという、ふつうの時間帯に生活が変化した。
その、朝の早いうち——
「小隊長 私は隊長を見損ないました!」
顔を洗いに出ていったアブセスが、帰ってくるなり叫んだ。
室内では、ワレス、ハシェド、クルウがまだ眠っていた。この声で、いっせいにとびおきる。
「朝から、なんだ?」
「しらばっくれないでください! 私は隊長を尊敬していました。その若さで、みるみる小隊長にまで昇進され、判断は的確、怪物相手にもものおじされない。いばりちらさないし、冷たいように見えて、ちゃんと人情も持っていらっしゃる。これほどそばに置いていただき、ひそかに光栄に思っていました。それが……なんですか。盗人ですって? 恥知らずにもほどがあります!」
言うだけ言って、アブセスは肩で息をする。よほど急いで戻ってきたのだろう。
「誰がそんなことを言っていた?」
「誰だっていい! ちゃんと説明してください。あなたの引き出しから、盗まれていたものが見つかったというのはほんとですか? 事としだいによっては、あなたの下にはいられません! 私は……私は、こんな人を尊敬していたなんて……」
わあッと、アブセスは号泣しはじめる。
ワレスは青年の純情に、怒るのも忘れてあきれはてた。
事情を知っているハシェドが、困りきった顔をしている。
「ワレス隊長……」
「ああ。あのことだろうな」
涙で顔をグショグショにしながら、アブセスが食いついてくる。
「なんですかッ? あのこととは」
「ハシェド。説明してやれ」
「はあ。ですが……」
「しかたあるまい。ここまで知られてしまっては」
不承不承、ハシェドが昨日の一件を語る。
「では、ウワサは本当なんですね? あなたはそれを認めるんですね? 小隊長」
すると、いきなり、ハシェドがアブセスを平手打ちした。ワレスはおどろいて見つめる。
アブセス自身も、温厚なハシェドが、まさか、なぐるとは思ってなかったのだろう。ぽかんと口をあけて、何度もまばたきする。
ハシェドは怒鳴った。
「隊長のことが信じられないのかッ? それでもおまえは、ワレス隊長の部下か?」
「ハシェド。よさないか」
「ですが、隊長」
「信じられないというのを、ムリに説得してもしかたない」
ハシェドは自分のことのように悔しがっている。うっすらと涙さえ浮かべていた。
ワレスはハシェドのようすを、かすかにうしろめたいような気持ちで見つめる。
(おまえはそれほどまでに、おれを信用してるのか?)
おまえの目に映るおれは、どんな人間なんだろう?
ジゴロの華やかな過去と、学校出の経歴。
家族はなく、一人きままに生きる男。
貴婦人のあいだを
裕福な両親の遺した財産で、学校を出たとでも思っているのだろうか?
おれは生きるために、あらゆることをした。
盗みもした。体も売った。学校に行くために、貴族の愛人にもなった。
変な神官につかまって、何年も
飢えて死にそうなことを何度も体験した。
ジゴロのころには、薬で気分をまぎらわせて……。
(それでも、おれをゆるしてくれるのか? あれがおれのしたことでないと、涙を流して、おまえは言えるか?)
おれのすべての罪を知ったとしても……?
「おまえは、おれを信じられるのか? ハシェド」
「あたりまえです」
ハシェドは力強く、うなずく。でも、それは何も知らないからだ。
「……では、アブセス。しばらく、おまえは隣室へ移れ。他の隊へ移動するかは、後日、ゆっくり話しあおう。クルウ、おまえはどうだ?」
思考を現実の問題に戻す。
クルウは意外と冷静だ。
「私はこのままでかまいません。そもそも時間的にムリがあると思うのです。隊長は近ごろ、兵士たちに剣術をたたきこむことに忙しかった。夜は見まわり。一度や二度ならともかく、盗みを常習することは不可能でした。しかも、同室の我々にも気づかれずに。
先日、我々の部屋が荒らされたときも、あなたは部屋に入るまで、私といっしょだった。出るときは私やアブセスより早く出ていった。あなたには、あの盗みを行う時間の余地がない」
「なるほど。論理的だな」
そして、アブセスが出ていき、現在にいたるというわけだ。
エミールは不服げに頰をふくらませて言う。
「だいたいさ。このすましやが、そんなことすると思う? 大金とは言ってもさ。金貨五十枚ぽっち。一生遊んでられる金額じゃないよ? この人のやりそうな悪事って言ったら、こういうのだよね。奥方を誘惑して旦那を殺させておいてさ。結婚したら、その女も殺して、お城をのっとるとか。おまけに間の悪いことに、殺してから女を好きだって気づくんだ。一生、自分を責めて——そういうやつだよね?」
ひどい言われようだが、当たってる。それはたしかに、ワレスのおちいりそうな罪だ。案外、エミールはワレスの本質を理解している。
クルウは食事に出ているため、室内には、ワレスとハシェド、エミールの三人だ。
ハシェドが苦笑いした。
「あんまりじゃないか。エミール。そりゃ、隊長の二枚目役者みたいなお顔を見れば、お芝居みたいなことも考えたくなるけど」
エミールは猿の子みたいにキャッキャッと笑う。
「——だってさ。隊長。ほら、あーん」
エミールの手からシチューを食べさせられる。屈辱だが、体力が落ちているので、いたしかたない。
「しかし、昨日の今日で、もうウワサが食堂まで届いてるのか。いったい、どこから、もれたんだろう?」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます