四章 4

 *



 まぶしい昼の光。

 黒い影がいくつも覆いかぶさっている。

 とつぜんのことに、ワレスは一瞬、警戒した。が——


「隊長が目をさました!」

「もう、バカ! 心配させないでよぉ」

「だから、言いましたでしょ? このかたは、このくらいで死ぬわけがないと」

「しいっ。隊長はまだ病みあがりなんだから、静かに」


 光になれてきて、視界がふつうになった。のぞきこんでいたのは、ハシェドやエミール、アブセスなど、部下たちだ。


「……そうか。おれは、破傷風で倒れて……」


 起きあがろうとするが、頭がクラクラする。


「ダメです。隊長。よこになっててください。やっと熱がひいたところなんですよ」


 ふたたび、ハシェドに寝かしつけられた。


「二日も眠り続けだったんです。気分はどうですか。水でも持ってきましょうか?」

「ああ……いや、腹がへった」


 言うと、笑いが起こった。

 室内には、ホルズやドータスなど、第一分隊の多くが集まっている。そのことに、やっとワレスは気づいた。


「さっきまで死にかけてたんだぜ。まったくよぉ」


 笑いたてるので、ハシェドが追いだしにかかる。

「さあ、もう安心したろ。病後は安静が一番だ。みんな、帰った。帰った」


 ぞろぞろと彼らが出ていくと、とたんに室内は静かになる。


「すみません。あれでも、やつら、心配してたんですよ。隊長が熱でうなされてるときは、みんな、自分のほうが死人みたいな顔してましたから」


 嬉しいらしく、ハシェドもいつもより多弁になっている。


「心配をかけたな。これまで、病気らしい病気などしたことなかったが」


 ワレスは室内に残っている見知らぬ男を指さした。


「誰だ? こいつ」


 肌のはりから見て、まだ若いのだろう。が、髪は老人のように真っ白だ。線の細い女顔で、ユイラではきわめてめずしい一重まぶたが印象的だ。

 容貌は悪くないのに、なんとなく気味が悪いのは、なぜだろう。


「ロンドですよぉ。いやですぅ。司書の制服を着てないとわかりませんか?」


 密生したまつげをバサバサさせて、ロンドが言った。

 なるほど。声はロンドだ。

 顔を見るのは初めてだから、わかるはずもない。


「あの灰色の衣、制服なのか」

「あなたのために仕事もほっぽって、ついておりました。司書長にずいぶんイヤミを言われておりますが、わたくし、めげません。だって、あなたの一大事でしたから。この気持ち、汲んでくださいましね」


 くねっと、両手をにぎりしめられて、ワレスは鳥肌立った。なんだかわからないが寒気がする。


「……ロンド。隊長は目がさめたし、とりあえず、帰ったらどうかな?」と、ハシェド。


 エミールまで加勢する。

「そうだよ。あんた、帰りなよ。ジャマ。用無し。隊長は治った」


 妙に冷たい。

 すると、ロンドが罵る。


「うるさいわね。小娘はひっこんでらっしゃい」

「誰が小娘さ!」

「ふん。小娘で悪けりゃ、ションベン小僧よ——あら、イヤだ。わたくしとしたことが、お下品でした。ほらほら、食事を運んできなさいな。ちゃんと、スープとやわらかいものにするのよ」

「わかってますよーだ。いい年して、女言葉なんか使っちゃって、おかしいんじゃないの」

「たいがいにしとかないと、呪うからね。赤毛のチビ」


 めまいがしたのは、たぶん、病後のせいではないだろう。

 ワレスはハシェドにすがった。


「ハシェド……」

「はい……」

「まさかと思うが、ロンドは、その……」


 ハシェドは申しわけなさそうに、うなずいた。


「はい。いわゆる、オカマってやつでした」

「やつでした——じゃない。おれは手をにぎられてしまったぞ」


 おーほっほっと、ロンドが高笑いする。


「手どころか、ここも、あそこも、にぎらせてもらいました。ご病気のあいだに」


 ゾワッと背筋に冷気が走る。

「……それで、うなされたのか」

「うなされたのは、お熱のせいですぅ。照れ屋さん。わたくしは仕事にもどりますけど、ご用のときは、いつでも呼んでくださいね。文書室へのお越しも待っておりますから」


 クネクネしながら、ロンドは去っていった。


「なんだか、また気分が悪くなってきた」

「大丈夫ですか? ひどく、うなされておいででしたからね」


 そう。ひどい夢を見た。


「……寝言を言ったかな?」

「言った。言った。悪魔とか、死ぬとか、つれてくなとか、神さまとか。あんた、よっぽど死にたくなかったんだね」と言ったのは、エミールだ。


 ハシェドが答えないのは、なぜだろうか。

 よくおぼえてないが、言ってはいけないことを口走らなかっただろうか?


 ワレスは不安になった。


 エミールは気づいてないようで、まだ続ける。


「大変だったんだよ。体をあっためなきゃいけないってんで、あんたのこと、ずっと抱いてさ。おぼえてる?」

「おぼえてるわけないだろ。それより、食事だ。エミール」

「はいはい」


 エミールが出ていくと、部屋には、ハシェドと二人きりだ。いつのまにか、アブセスとクルウもいなくなっていた。


 二人きりなのをいいことに、ワレスはカマをかける。


「おれが夢で見たときは、おまえだったような気がしたんだが」

「何がです?」

「おれを抱いて、となりにいたのが」

「ああ……すいません」


「なんで、あやまるんだ?」

「それは……隊長は、おれにさわられるのがお嫌いのような気がして」


「おれがいつ、そんなことを言ったんだ?」

「いや、言われたわけじゃないですが……たいていのユイラ人はそうですから」


 ワレスは手招きした。

 ためらうように、ハシェドは枕元の椅子にすわる。


「おれは、おまえの太陽の香りのする肌が好きだ。前にも言ったはずだ」


 ワレスはよこたわったまま、寝具のなかから手をのばす。ハシェドの手をにぎりしめた。


「夢のなかで、こうして手をにぎってくれたな? 嬉しかったよ……そう。とても、心細い夢を見てたから」


 ワレスはハシェドの手を、寝具のなかへ引きこんだ。

 悲しい夢を立て続けに見たから、つい、甘えてしまった。


 ハシェドは顔をしかめた。

 不愉快ふゆかいなのを我慢しているように見える。


「ハシェド?」


 ハシェドの手が、するすると逃げていく。

 思わず、追いかけて手を伸ばす。にぎりしめようとすると、サッとかわされた。


「……ハシェド」

「あ、いえ……すいません」


 ハシェドは動揺している。


(やっぱり、そうなのか。何か口走ってしまったのか? ハシェドに軽蔑けいべつされるようなことを?)


 たとえば、あの寒い冬の日のことを……?


 気まずい数分。

 ハシェドが思いきったように口をひらく。


「ワレス隊長——」


 言いかけたときだ。

 ドアをたたく音がした。

 メイヒルをつれた、ギデオン中隊長が入ってくる——

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