全人類の命を守る一騎当千の『守護者』は殺されました。守護者の卵は命をかけて彼らの代わりを代行し、事実を隠す世界を守っています

卵君

第0話 〜プロローグ〜 始まりの朝


 ここはどこだ。辺り一面、生気を感じさせるような物体は、何1つ存在していない。霧だろうか。紫の色味を帯びたモノが、目を介し見える世界を染め上げている。風を遮る障害物がない為か、髪がいつもよりも激しく上下になびいた。


「はぁ・・はぁ・・はぁ・・・」


呆然と宛てもなく、ただこの荒野を歩いていく。ふと、遠くから微かに漏れる聞き慣れた音が、彼の鼓膜を振動させた。キンキンと断片的に聞こえるそれは、剣と剣が交じり合うことによって放たれる交錯音。気づけば彼の足は動かす事を忘れ、意識せずとも、目はじっと音のなる方角を睨みつけていた。


 血がさわぐ、といった表現が今の彼の心情を表すのに適しているのかもしれない。普通の日常生活を送っている人ならば、何も疑問を抱くことない。ましてや、興味を抱こうとも思わない。そもそも、こんな遠く離れたところから微かにしか聞こえてこない音など、常人ならば気に止めることなく、この場から颯爽と立ち去ることだろう。


しかし、彼は立ち止まった。まだ年端もいかない、黒髪の子供がだ。


「ふぅー・・・は・・・!」


 無意識下の身体に染み付いた一連の動き。彼はじっと立ち尽くしたまま、自分の腰に身につけられている自分の体重よりもずっしりと重く、身長の半分くらいある剣の柄に手をそっと添える。それは、今や誰も見ることが叶わず、歴史書の中だけに描かれているような、月が浮かばない夜空のような色をしていた。それでいて姿勢は低く、何が起きようとも、反応ができる居合の体勢をとった。


そのまま時が止まったかのように、万物は静止したまま時間が流れる。風の音も、今の今まで舞い上がっていた砂塵すら、一切彼の肌に触れることはない。文字通り、彼の周りだけ時間が止まったのだ。地上から風によって掬われている最中の、砂塵一粒一粒までスローモーションとなって、彼の目には捉えられた。


 しばらくの沈黙の後、彼はもう飽きたと言わんばかりに、見つめていた方角から静かに目を逸らした。一度止めた足並みを再度動かし、目的のない旅をフラフラと、外傷がないにも関わらず、染めあげられた覚束無い足で歩き始める。


 彼の耳には、誰かの声、が聞こえていた。見渡す限りの荒野で、人などいるはずもないのにも関わらずだ。それは、紛れもなく剣の声。腰に収まった剣がこう彼に語りかけていたような気がしていた。「今はその時ではない」と。


 彼の歩んできた道、またこれから歩んでいく道は、で染まりきっていた。それはまるで、子供が落書きをしたかのようにバラバラに、時には入り乱れるさま。芸術センスのかけらも匂わせないほど乱雑に、衝動のまま手に取った色をぶつけたキャンバスそのもの。


そのどれもが、自分が負った傷により流れた血であったり、救えずに腕の中で泣いた仲間の血、そして、彼らの命を奪ったを、斬りつけた時の返り血。どんなに信頼した仲間でも、その儚い命はあっという間に花が枯れる如く散っていった。


最後に手を伸ばしたあいつでさえも。これは、常に世界を背負いあらがい続けた一人の男の物語である。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

「早く起きなさい、シル。せっかくの晴れ舞台なのに遅刻しちゃうわよ」


 本当に煩わしいタイミングで、母は毎日声をかけてくるものだ。みんなも体験したことは無いだろうか。あとほんの数分目を瞑らせてもらえさえすれば、今日1日快適に過ごせる。そのような心持ちの時に、親に無理やり現実世界に引っ張り戻されるという経験を。


残念なことに、ウチの親は毎朝これをしてくる。それも、何の悪気もないところが余計にタチが悪い。あまつさえ、起こしてやっているんだから感謝しろと、言いたげな顔を毎度浮かべてくる。


微かに睡魔が残った状態で起きるというのが、一番身体に怠さを引き起こすことを親は知らないのだろうか。ほんといい加減嫌になってくる。まぁ、朝が弱く一人で起きれない自分が悪いのだが。


 布団にまだもう少し眠っていたい、という煩悩をぶつけるかのように、思いっきり今まで自分の身を温めてくれていた掛け布団を払いのける。それが、布とベッドの木で造られた脚とで擦り合う音を立てながら、ずさっと床に転がり落ちた。


あっ、と声を漏らした時にはもう遅かった。その衝撃で、ベッドの脚に掛けていた大切な漆黒の剣が、床に倒れてしまう。床と衝突することで生じた激しい金属音が、寝起きの脳にガンガンと鳴り響く。これが、更にシルの逆鱗を逆撫でした。


「お前も寝ていたいんだよな、相棒。そうだよな、分かる。その気持ちは、100パーセント理解できる。でも、今日の俺は、殊更機嫌が悪い。だから、今後はこういった事をしないでくれ!」


 返事をするはずのない剣に、思わず咄嗟に暴言を吐いてしまう。言い終わった後に、自分が怒りの矛先を向ける相手にを選んだことが、とても惨めに思えてくる。母に当てられない怒りを、人ではなく物にぶつけてしまうなんて。はぁ、とため息をついてしまうのも仕方がないことだ。


間違いなく今日1日、最近で一番の最悪の1日になるかも。などとくだらない予想をしながら、ベッドから体を起こした。そして、カーテンレールに掛けられた新しい制服に袖を通す。これが届いたときは家族全員で盛り上がり、祝言をかけられたものだ。だが、そんなことは既に遠い過去の話。


シルが暮らしているこの村は、都心部からかなり距離が離れていた。住んでいる村人の数も都市部とは比べ物にならない。一方で、この誰もが着ることのできない特別な制服に身を包む学生が、シルを含めてもう一人この村にいる。自分だけ特別扱いされているなんて思いあがりも良いところ。そんな教訓を教えてくれたのもこの制服であった。


 今から始まる新たな世界への軽い身支度を手っ取り早く済ませる。そして、一階に準備されているであろう温かい朝ごはんを迎えるために、重い足取りで階段を降りていった。これが「この家で食べる、最後の朝ごはんになるかもしれないな」なんて言葉を口にして、少し口元を緩ませる。こんな顔は命に換えても親には見せられない。


一階のリビングに足を入れると、そこは優美な挽きたてのコーヒーのにおいで充満していた。そのにおいを嗅ぐだけで、喉が意図せず唸ってしまうほどだ。ウチの家に毎朝立ち籠めるその香りは、母の唯一誇れる特技でもある。だが、そんな誇れるものを持ってはいるものの、他に劣っているものが衝撃すぎて、その良さを掻き消しているのだが。


「おはよう、シル。今日もだいぶ酷い寝起きだったな」


 父——サラジュがテーブルに足を組みながら、コーヒーを片手に、シルの顔をにやけ顔で見つめている。


「昨日よりはマシさ」


 せめてもの強がりで、シルは毎朝こう言い返す。父の目の前の自分の席に座ると、用意された朝食に手を伸ばし、作られた朝食をゆっくりと胃へと流し込んでいった。今日のレシピは——特にコメントするほどでも無い。


普通のパンとコーヒーが横に添えられているだけだ。いや、何か違和感を感じるな。シルは本当にこれがいつもの朝食と変わり映えしないか。もう一度落ち着いて、食卓を見てみる。


「頼む、あれだけは勘弁してくれ」

 

 そう願う心の声が、父にも聞こえたようだ。こちらを見ている、父の視線を強く感じ始める。そして、ふと違和感の正体に気づいた。これだ。パンに塗られている謎のジャム。


昨日は、こんな血が燃えたぎるような赤い色をしていなかった。そういえば、母がバナナジャムを作るとか言ってたっけか。でも、バナナジャムって、こんな真っ赤な色を放つ物なのか。いや、そんなことは起きるはずがない。だって、バナナは黄色なのだから!


「父さん、このジャムって」


 父にそれを確かめるため、母に聞こえないように小さな声で問いかける。父からの返答はじっとシルの顔を見つめ返すことだけだったが、その表情は真剣そのものであった。


「やりやがったな〜母さん!」


 シルは声にならない声で、母を少しの間睨みつけた。実は、母は昔から食品に何かを謎に突拍子もなく混ぜ合わせたりして、全く味の検討もつかないようなアレンジ食品を度々食卓に並べる癖があった。


そして、その都度、父やシルがそれの被害にあってきたという過去を持ち合わせている。だが、何分凄く楽しそうにそのアレンジをするのだ。それゆえに、声を大にして、やめろと現在まで言えずに、じっと耐え忍んで過ごしてきたのだが…。

 

 何も、息子の大事な日の朝食で、これをやらなくても。しかし、出されたものは必ず完食してしまわないといけないのが、我が家の暗黙のルール。いざ、決心を決めて、謎のジャムが塗られたパンを思い切り一口噛み切る。


ハムッ!!


噛み切った感触には、特に変わった点はない。いつもと変わらぬジャムのそれだ。しばしの静寂が我が家を包み込んだ。気がつけば、父と母の視線が、自分の方に注目していた。これは一体なんなんだ。


アレンジの正体を確かめようと、口の中でパンを転がしてみる。一度、二度、と転がしてみても味の変化が現れてこない。もしかして、母さんは珍しくアレンジに成功したのか、と淡い期待が次第に胸に込み上げてくる。

 

 しかし、現実はそう甘くは無い。味の変化に気が付いたのと同時に、突如としてシルの額には今まで感じたことの量の汗が一斉に吹き上がってくる。額だけではない。身体中の毛穴から、汗が出ようとしているような感覚に襲われる。次に出てきたのは、汗ではなく一つの単語で、思わず無意識に大声で叫んでしまっていた。


「水ーー!!!」

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