第三十五話 羞恥心にかられて

 ものの数分もしないうちにマンダリーヌがアリシアを連れてやって来た。アリシアはすぐにアンナの止血を開始し、血が完全に止まった所で医務室へと運ばれた。


「あんな男に串刺しにされるとは……情けねえ」

「いえ、急所を避けたのですから、流石としか言いようがありません」


 医務室のベッドの上で、アンナは不満げに眉を寄せる。それを取り囲むのは医師のアリシア、それにマンダリーヌの二人であった。ルヴィスはというと、別室で医師長のハクラと助手のルーチェによる治療を続けるエリックの監視中だ。


「ハァ……シャワー浴びたい……」

「アンナ様、とりあえず怪我の治療を」

「……汚い格好で申し訳ないな」

「滅相もありません」

「ほんっと……あのクソ野郎、許さん。一刻も早くシャワーを浴びたいというのに、刺しやがって」

「終わりましたら医務室のシャワールームを使って頂いて構いませんので」

「ありがとう、アリシア」


 手慣れたもので、アリシアはアンナの治療をテキパキと開始する。胸の傷は何としても完治させようと張り切り、白衣の袖を捲った。


「…………万全の状態であれば絶対に傷など受けなかった」

「わかっております」

「……なあマンダリーヌ。あたしの 神力ミース量は少ないか?」

「いえ、そんなまさか」


 アンナは先程目にしたエリックの莫大な神力量を気にしているのか、眉間に皺を寄せ視線を遠くに投げた。


「あの男……神力の扱いにかなり長けていた。量もあたしを凌駕していた」

「エリック・ Pペダーシャルス・ローランドは母がエルフなのでしょう?」

「……ティリスではエルフの神力量に敵わないということか」

「それは事実ですが……扱い方次第では、優位に立てる思います」

「剣術と体術をもっと極めねば、いつかあの男に負けてしまうのは目に見えている」

「向上心が高いのは素晴らしいことです」

「……まだまだだ、あたしも」


 そこからアンナは口を閉ざし、うとうとと微睡みながらアリシアの治療を受けた。この一週間、牢では気を張りまともに眠れていなかったので、目を覚まし時計の針の進み具合を見た時、自分が熟睡していたことに気がつき驚いた。


「すまない……眠るつもりはなかったんだが」

「たったの三十分ですよ。傷も綺麗になりました」

「腕を上げたな、アリシア。いつもすまない」

「いいえ」

「シャワー、借りるぞ」

「ゆっくりなさって下さい」


 アンナは黒椿を手に、医務室の奥に備え付けられた簡素なシャワールームへと向かう。エリックは先に治療を終えたのか、隣の治療室は静かであった。

 戸に鍵をかけ、衣服を脱ぎ去る。流石に着替えはないので同じものを着なければならないのが苦痛ではあるが、自室ではない以上仕方のないことであった。



(シナブルかフォードがいてくれれば……ここに来ていないということは、あたしの状況を知らされていないのか)



 こういう怪我をした時はいつも、彼等のどちらかが必ず傍にいてくれた。なんとなく物足りなさを感じながら、蛇口を捻り湯を浴びた。


「はぁ……」


 一週間ぶりに浴びる湯は最高であった。海水を被ってしまったせいで髪は軋み、肌はベタつきを増していた。それがいっぺんに流れてゆくのが心地よく、二度も洗髪をしたほどであった。



 ──ガシャァン!!



 突然、シャワールーム入口のドアが激しい音を立て内側に吹き飛んだ。何事かとアンナは黒椿を抜刀し──。


「いっ……やああああああああああああっ!!!」


 叫んだ。


「うるさいな」


 ドアを吹き飛ばした犯人はエリックであった。医師のハクラもルーチェもエルフではなくティリスである為、アリシアのような回復術は使えない。ということはエリックはまだアンナのように完全に傷が癒えていないということだ。巻かれた包帯は少ないが、体の動きに精彩を欠いていた。


「アンナ様!」


 声を聞きつけ、マンダリーヌとルヴィスがすぐに駆けつけた。ルヴィスは全裸のアンナを見て慌てて目を逸らし、マンダリーヌはといえば、背後からエリックを蹴り飛ばしアンナに駆け寄ると、タオルを手に取り彼女の体を男共の目から遮った。


「お前っ……人がシャワー浴びるてるときに襲うか、普通!?」

「関係ねえよ。お前何故生きている。俺は急所を貫いたぞ?」

「関係あるわ! ふざけんな! 男として最低だぞお前! それに急所なんてちゃんと刃が触れた瞬間にずらしたわ!」


 タオルだけではアンナの魅惑的な肉体を隠し切ることができないようで、マンダリーヌは上着を彼女にかけようとボタンに手をかける。が、それにいち早く気が付いたルヴィスがサッと己の上着を脱ぎ足早にアンナに歩み寄る。


「急所をずらす? 意味がわからん」

「お前に教えるわけがないだろうが!」

「……ひょっとしてお前、裸を見られたことを怒っているのか? 前にも見ただろ?」

「あれは治療だろ! おまけに暗がりだったし! なんで全裸でお前と戦わないといけねえんだよ!」

「そうよ! 最低よ!」


 と、ここでマンダリーヌの援護射撃がエリックを襲う。まさかの反撃に一瞬怯んだ隙に、ルヴィスはアンナの元へと辿り着いた。


「姉上。俺のほうが大きいので、こちらをアンナ様に」

「ああ……ありがとうルヴィス」


 マンダリーヌの上着を脱ぎ、ルヴィスの上着を受け取るアンナ。その際目の前で再び露わになった肉体を、ルヴィスは遠慮がちに見つめてしまう。


「あんたなんて、レン様に叱られればいいのよ!」

「……あの妹溺愛変態兄貴か」

「言い過ぎだけど……正しいわね」

「あの男が何故こんな女を溺愛しているのかさっぱりわからんな」

「あなた……アンナ様の魅力がわからないの?」

「この女のどこに魅力がある」

「全部よ!」

「あの、マ……マンダリーヌ?」


 マンダリーヌがここまで白熱する姿を見るのは初めてのことであった。余程気が立っているのか、彼女はエリックに詰め寄り下から睨みつけた。


「人は皆アンナ様のことを見かけの美しさでしか評価しないけれど……アンナ様は内面こそ美しいのよ。ご自分には厳しいのに、家族に対してどれだけお優しいか知ってる? お心も強いのよ、責任感も強くて芯のあるお方よ。それに──」

「マンダリーヌやめてくれ、恥ずかしい」

「こんな口の悪い女、願い下げだ。外見はなのに、口の悪さで台無しだ」

「それはあなたもでしょう?」

「俺は……別に、男だからいいだろ」

「男も女も関係ないわよ。昔……レン様もそうだったけれど、そういうお年頃なのよ。格好をつけたいお年頃なのよ。あなたもでしょう?」

「マンダリーヌ! あたしは別に、そういう訳じゃ……」

「違いました? レン様はそうだったので、ご兄妹で同じなのかと」


 マンダリーヌの あるじであるレンも確かに、アンナと同じ年の頃、同じような姿であった。品はあるものの言葉遣いだけがどうも刺々しい兄と妹。


「お二人共見目麗しいのですから、お言葉も美しければ更に魅力が増すでしょうに。まあ、そういうお年頃ですから、仕方ありませんよね……」


 ルヴィスは呆気に取られる。アンナの言葉遣いはいつかは正さねばならないのだろうと誰もが思っていたが、まさかこんな形で矯正が入るとは。故意か過失か、姉はかなりの策士であった。


「マ……マンダリーヌ、お前」

「さあアンナ様。私のように喋って下さいまし」

「ハッ。こんな女には無理な話だろ」

「エリック様もですよ? お二人のどちらが先に身につけられますかね。そんなに難しいことではないとは思うのですが」


 マンダリーヌは大層命知らずな発言をしたというのに、アンナはそれを気にも留めず、エリックを睨みつける。彼は余裕のある表情で、挑発するように鼻でアンナを笑った。


「まあ俺は、こんなこと簡単だけどな」

「……はぁ?」

「そのくらい出来ると言っている。


 呆気に取られるアンナは、怒りが湧いてきたのかはたまた羞恥心か、身を震わせ立ち上がると黒椿を握り直し、その切っ先をエリックに向かって付きつけた。


「やってやろうじゃ……ないの!」

「君って言うな気持ち悪い!!」

「照れ隠すと恥ずかしいぞ? 俺もシャワーを浴びるから早く出てくれないか?」

「ぎゃあああああああっ!! 目の前で脱ぐな!! 馬鹿っ! クソッもうやだ! 帰る!」


 脱いだ衣服を引っ掴み、アンナはシャワールームから足早に去った。治療室で着替えを済ますとルヴィスに上着を返し、逃げるように自室へと向かったのであった。



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