第十六話 友人としての距離感
「は……? 友達!? どういうことですか団長!!」
「いや~、俺もさっぱり……」
ここは第四騎士団メリルフランルート支部。賊を討伐し、無事連行まで終えた夕方のこと。
団長室の執務机で忙しく報告書を作成するのは、ここの長であるデニア・デュランタである。ブルーラベンダーの艶やかな髪は若干乱れており、イダールがそれを指摘すると、彼は後ろで束ねた髪を解き手で鋤くと、そのまま机に突っ伏した。
「団長、書類がしわくちゃに……」
「え、ああ…………は~…………」
顔を上げたデニアの剥き出しの額には、皺になった書類が一枚張りつている。それを手でむしり取ると、彼はサッと髪を一纏めに括りペンを握り直した。
「それで、友達というのは?」
「アンナリリアン様と、友達になってしまった」
「意味がよくわかりません」
「俺だってわかんないよ~!」
再び机に突っ伏したデニアの顔を無理やり引っ張りあげ、イダールは彼から詳しい話を聞き出した。
「なるほど……それで友達、ですか」
「そういうわけ。明日食事に行くことになってしまったし」
「無理矢理非番にさせられましたしね」
「モニカに何て言ったらいいんだか……」
デニアの脳裏を過るのは、
「モニカさんには話しておいた方がいいのでは?」
「わかってるけど……驚くだろうなあ」
この国の姫君と友人関係になり、食事に行くことになったと話せば、恋人は一体どんな顔をするのだろうか。喜ぶことはまずないだろうとデニアは頭を抱え、机に視線を落としたのだった。
*
翌日。
迎えは不要。現地集合だ、とアンナにきつく言われていたデニアは、待ち合わせの時間よりも三十分早く指定した場所──メリルフランルート内の海沿いのホテル、その十五階のカフェ「マーメイド」に姿を現していた。ドレスコードはない店だが、それ相応の客しか来店しない店ではある。明るいグレーのスーツに身を包んだデニアは予約した窓際の席に腰を下ろし、落ち着かない様子でラベンダー色のネクタイを直していた。
「──あ」
ウエイターに案内されながら店の入口に姿を現したのは、髪をハーフアップにしたアンナだった。デニアの注文通りドレスアップしたアンナは、案内されるがままデニアの正面の椅子にどかりと腰を下ろした。
「待たせたな」
「いえ、私も今来たところですから」
ワインレッドのタイトなミニドレス姿のアンナは、不満げにドレスを見下ろす。オフショルダーの艶っぽいこのドレスは、臣下であるシナブルに無理矢理決められた物であった。普段こういった服を着ない彼女は、ドレスを着れば何であれこういった顔をする。──が、それを知らないデニアからすれば、何故彼女は到着したばかりだというのに、こんなにも不機嫌なのかと内心生きた心地がせず、背中にぐっしょりと汗をかく始末。
「お似合いですよ」
「そうか? こういった服はどうも落ち着かん」
「……それで不機嫌なのか」
「何か言ったか?」
「いえ」
にこりとデニアが微笑めば、不思議そうに眉をひそめるアンナ。ウエイターを呼びドリンクを注文すると、歯切れ悪くアンナは話を切り出した。
「今日は悪かったな」
「何がです?」
「仕事、休ませて」
「問題ありませんよ。優秀な部下に任せて参りました」
「フッ……そうか」
(笑うとこんなにもお美しいというのに……)
年不相応に大人びた顔立ちの彼女は、中身までもが大人びて──というよりも、背伸びをして、無理矢理に大人の鎧を纏っているようにも見える。それがデニアには、なんとなく虚しく見えてしまう。
「ところでお前、あたしはお前の友人なんだろう? 友人同士ってこんなに堅苦しいものか?」
運ばれてきたドリンクに口をつけながら、アンナはグラス越しにデニアを睨み付ける。彼女自身は彼を睨んだつもりはないのだが、目付きの悪さのせいだろう、どうしてもデニアの角度からだとアンナが不機嫌に見えてしまう。
「堅苦しい、というのは?」
「その敬語は堅苦しいとは言わないのか? おまけに『アンナ様』など、ふざけている」
「ふざけているつもりはないのですが……」
「ならば敬語くらい、取り払ってみろ。友人なんだろう?」
背中だけではなく、遂には額にも汗の粒を作り始めたデニア。スーツの内ポケットからハンカチを取り出し、額に押し当てながらドリンクを喉に流し込んだ。
「敬語、ですか……」
「『アンナ様』もやめろ」
「……」
「返事は?」
肯定以外の返事をしたならば、この場で斬り殺されてしまいそうなアンナの──殺し屋の目付き。ドレスを着て着飾ってはいるが凄んだ時の殺気は健在で、帯刀はしていないが恐らく彼女の愛刀 黒椿は、
ごくり、と喉を鳴らしデニアは頷く。
「わかりました……しかし、いきなりというのは難しく、せめて『アンナさん』というのはいかがですか?」
「却下。ニックネームなら許してやらんこともない」
「……ニックネーム」
デニアは、同僚である他所の騎士団長たちに特有のニックネームをつけて呼んでいる。が、別にそれは有名な話でも何でもないし、アンナがそんなことを知っているとは思えなかった。
(ニックネームをつけるのは苦手ではない……今の一瞬でアンナ様のものも思いついた。けれどこれで果たして彼女を呼んでもいいものか──?)
「どうした、何かねえのか」
にやりと口の端を吊り上げたアンナは、不機嫌な様子もなく、ただ事を面白がっているようだ。それならば
「……り」
「り?」
「…………りりたん」
「りりたん?」
「アンナリリアン様、だから『りりたん』。どうだろう?」
「ふうん……いいんじゃねえの?」
照れ隠しなのか、はたまた機嫌を損ねてしまったのかアンナはメニューで口許を隠しながら目線は窓の外に向けてしまった。デニアはその態度を前者だと捉え、自分もメニューを開きながら軽快な口調で彼女に言葉を投げる。
「では、私のことはデニーとお呼び下さい」
「お呼び下さい?」
「失礼…………呼んで欲しい」
「それで良い」
満足げににこりと微笑んだアンナの、少女のような笑顔にデニアは一瞬見惚れてしまった。そのせいで彼女に名前を呼ばれるも反応が遅れ、訝しげに睨まれてしまう。
「何ぼさっとしてたんだ」
「いや、その……」
「いいから言ってみろ」
誤魔化す為にウエイターを呼び、注文をしている最中だというのに。容赦なくアンナはデニアに攻撃的な言葉を投げ掛ける。注文を取るウエイターまでもが、張り詰めた空気のせいで注文を復唱する際に噛んでしまっている。
「笑うと……可愛いなと」
「はあっ?何言ってんだお前馬鹿じゃねえの?」
「いや、言えって言うから言ったのに!」
「うるさい馬鹿!」
「褒めてるのに!」
この二人の衝突が、後に痴話喧嘩をしていたと噂が立ち、広まり──デニアが恋人 モニカと破局するきっかけとなってしまうことを、今はまだ誰も知らない。
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