第十六話 友人としての距離感

「は……? 友達!? どういうことですか団長!!」

「いや~、俺もさっぱり……」


 ここは第四騎士団メリルフランルート支部。賊を討伐し、無事連行まで終えた夕方のこと。


 団長室の執務机で忙しく報告書を作成するのは、ここの長であるデニア・デュランタである。ブルーラベンダーの艶やかな髪は若干乱れており、イダールがそれを指摘すると、彼は後ろで束ねた髪を解き手で鋤くと、そのまま机に突っ伏した。


「団長、書類がしわくちゃに……」

「え、ああ…………は~…………」


 顔を上げたデニアの剥き出しの額には、皺になった書類が一枚張りつている。それを手でむしり取ると、彼はサッと髪を一纏めに括りペンを握り直した。

 

「それで、友達というのは?」

「アンナリリアン様と、友達になってしまった」

「意味がよくわかりません」

「俺だってわかんないよ~!」

 

 再び机に突っ伏したデニアの顔を無理やり引っ張りあげ、イダールは彼から詳しい話を聞き出した。


「なるほど……それで友達、ですか」

「そういうわけ。明日食事に行くことになってしまったし」

「無理矢理非番にさせられましたしね」

「モニカに何て言ったらいいんだか……」


 デニアの脳裏を過るのは、亜麻色あまいろの長い髪の恋人の姿。穏やかな彼女がこんなことで腹を立てることはないとわかってはいるが、こうなってしまった理由を耳に入れておかねば、多少なり彼女も傷つくはずだ。


「モニカさんには話しておいた方がいいのでは?」

「わかってるけど……驚くだろうなあ」


 この国の姫君と友人関係になり、食事に行くことになったと話せば、恋人は一体どんな顔をするのだろうか。喜ぶことはまずないだろうとデニアは頭を抱え、机に視線を落としたのだった。





 翌日。


 迎えは不要。現地集合だ、とアンナにきつく言われていたデニアは、待ち合わせの時間よりも三十分早く指定した場所──メリルフランルート内の海沿いのホテル、その十五階のカフェ「マーメイド」に姿を現していた。ドレスコードはない店だが、それ相応の客しか来店しない店ではある。明るいグレーのスーツに身を包んだデニアは予約した窓際の席に腰を下ろし、落ち着かない様子でラベンダー色のネクタイを直していた。


「──あ」


 ウエイターに案内されながら店の入口に姿を現したのは、髪をハーフアップにしたアンナだった。デニアの注文通りドレスアップしたアンナは、案内されるがままデニアの正面の椅子にどかりと腰を下ろした。


「待たせたな」

「いえ、私も今来たところですから」


 ワインレッドのタイトなミニドレス姿のアンナは、不満げにドレスを見下ろす。オフショルダーの艶っぽいこのドレスは、臣下であるシナブルに無理矢理決められた物であった。普段こういった服を着ない彼女は、ドレスを着れば何であれこういった顔をする。──が、それを知らないデニアからすれば、何故彼女は到着したばかりだというのに、こんなにも不機嫌なのかと内心生きた心地がせず、背中にぐっしょりと汗をかく始末。


「お似合いですよ」

「そうか? こういった服はどうも落ち着かん」

「……それで不機嫌なのか」

「何か言ったか?」

「いえ」


 にこりとデニアが微笑めば、不思議そうに眉をひそめるアンナ。ウエイターを呼びドリンクを注文すると、歯切れ悪くアンナは話を切り出した。


「今日は悪かったな」

「何がです?」

「仕事、休ませて」

「問題ありませんよ。優秀な部下に任せて参りました」

「フッ……そうか」



(笑うとこんなにもお美しいというのに……)



 年不相応に大人びた顔立ちの彼女は、中身までもが大人びて──というよりも、背伸びをして、無理矢理に大人の鎧を纏っているようにも見える。それがデニアには、なんとなく虚しく見えてしまう。


「ところでお前、あたしはお前の友人なんだろう? 友人同士ってこんなに堅苦しいものか?」


 運ばれてきたドリンクに口をつけながら、アンナはグラス越しにデニアを睨み付ける。彼女自身は彼を睨んだつもりはないのだが、目付きの悪さのせいだろう、どうしてもデニアの角度からだとアンナが不機嫌に見えてしまう。


「堅苦しい、というのは?」

「その敬語は堅苦しいとは言わないのか? おまけに『アンナ様』など、ふざけている」

「ふざけているつもりはないのですが……」

「ならば敬語くらい、取り払ってみろ。友人なんだろう?」


 背中だけではなく、遂には額にも汗の粒を作り始めたデニア。スーツの内ポケットからハンカチを取り出し、額に押し当てながらドリンクを喉に流し込んだ。


「敬語、ですか……」

「『アンナ様』もやめろ」

「……」

「返事は?」


 肯定以外の返事をしたならば、この場で斬り殺されてしまいそうなアンナの──殺し屋の目付き。ドレスを着て着飾ってはいるが凄んだ時の殺気は健在で、帯刀はしていないが恐らく彼女の愛刀 黒椿は、無限空間インフィニティトランクしまってあるはずであった。


 ごくり、と喉を鳴らしデニアは頷く。


「わかりました……しかし、いきなりというのは難しく、せめて『アンナさん』というのはいかがですか?」

「却下。ニックネームなら許してやらんこともない」

「……ニックネーム」


 デニアは、同僚である他所の騎士団長たちに特有のニックネームをつけて呼んでいる。が、別にそれは有名な話でも何でもないし、アンナがそんなことを知っているとは思えなかった。



(ニックネームをつけるのは苦手ではない……今の一瞬でアンナ様のものも思いついた。けれどこれで果たして彼女を呼んでもいいものか──?)



「どうした、何かねえのか」


 にやりと口の端を吊り上げたアンナは、不機嫌な様子もなく、ただ事を面白がっているようだ。それならばと腹を括ったデニアは、ゆっくりとその言葉を口にする。


「……り」

「り?」

「…………りりたん」

「りりたん?」

「アンナリリアン様、だから『りりたん』。どうだろう?」

「ふうん……いいんじゃねえの?」


 照れ隠しなのか、はたまた機嫌を損ねてしまったのかアンナはメニューで口許を隠しながら目線は窓の外に向けてしまった。デニアはその態度を前者だと捉え、自分もメニューを開きながら軽快な口調で彼女に言葉を投げる。


「では、私のことはデニーとお呼び下さい」

「お呼び下さい?」

「失礼…………呼んで欲しい」

「それで良い」


 満足げににこりと微笑んだアンナの、少女のような笑顔にデニアは一瞬見惚れてしまった。そのせいで彼女に名前を呼ばれるも反応が遅れ、訝しげに睨まれてしまう。


「何ぼさっとしてたんだ」

「いや、その……」

「いいから言ってみろ」


 誤魔化す為にウエイターを呼び、注文をしている最中だというのに。容赦なくアンナはデニアに攻撃的な言葉を投げ掛ける。注文を取るウエイターまでもが、張り詰めた空気のせいで注文を復唱する際に噛んでしまっている。


「笑うと……可愛いなと」

「はあっ?何言ってんだお前馬鹿じゃねえの?」

「いや、言えって言うから言ったのに!」

「うるさい馬鹿!」

「褒めてるのに!」


 この二人の衝突が、後に痴話喧嘩をしていたと噂が立ち、広まり──デニアが恋人 モニカと破局するきっかけとなってしまうことを、今はまだ誰も知らない。

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