第三話 鬼の所業
アンナは苛立っていた。
というのも彼女は生まれて此の方七十七年、他人と共に仕事をしたことがなかったからだ。家族と連携して仕事をすることはあった──しかし赤の他人と関わるということがそもそも少ないアンナにとっては、あの賢者達との出会いは不愉快極まりないことであった。
考え方が丸っきり自分とは違う、賢者という存在。
(どうして父上はあたしにこんなことを命じたんだか)
「見聞を広めろってことか? ふざけんな。首輪を着けていたのは何処のどいつだよ」
母国では決して口にしない──否、口に出来ない父への抗弁。決して抗うことの出来ない偉大すぎる父エドヴァルド二世。
「着いたか」
切り出した崖の頂上に到着したアンナの眼下には、敵味方合わせて数千の兵。風が強く土埃の舞う戦場では、血を流し武器を振り回す味方の兵の方が幾分か劣勢であるように見えた。
「さっさと済ますか」
背中に差した刀──黒椿を抜いた。長い刀身が鈍い光をぎらりと放つ。
──ギュルン──ギュルン──!
赤々とした炎を纏った薄い円盤状の
「さてと。行くよ、黒椿」
ちゃき、と刀を構え、戦場の兵士を捉えたアンナは下から薙ぐように刃を振り上げた。
──ザシュッ!
「ぐあああああっ!」
首を落とし損ね、腕が片方だけ切り落とされた兵が叫ぶと、周囲の視線が一気にその兵に集中した。
(……うるせえな)
アンナの存在に気が付いた兵達は、蜘蛛の子を散らすように逃げ惑う。そんな兵達に向けてアンナは火の
──ザアアアアアアァァ!
火の波は瞬く間に戦場へと広がり、兵の足の自由を奪った。
「う、わああああ!」
「熱い! 誰か!」
「ぎゃああああ!!」
まるで地獄絵図のようなその光景に、アンナはまだ不満があるのか──戦場全体の足場を神力で覆い尽くした。誰も逃げることの出来ぬ炎の柵だ。
「全く、くだらない。本当にしょうもない仕事だな」
そう吐き捨てるとアンナは右腕を大きく横に薙いだ。腕を伝って放たれた長く鋭い炎の鞭は、柵に取り囲まれた全ての兵士の身体を二等分に裂いた。
「ここはもういいか。さて──街へ向かうか」
黒椿に付着した血を払い、鞘に収める。サングラスをかけ直したアンナは、ふわりと飛び上がった。
「こりゃあ町の奴等も皆殺しだな。骨のある奴がいたりしねえかな。全く楽しめねえ」
自分の作り上げた肉塊を見向きもせず
石造りで砂色の外壁の家屋が、所狭しと並んでいる。家屋同士の隙間は狭く、道も殆ど舗装されていない。風が強いため、歩く度に舞い上がる砂埃がアンナの白いブーツに付着した。
迷路のような住民区を進んで行った先に、王城があるようだ。一際高い位置に建てられた白亜の城は無言で佇み、こちらを見下ろしている。
(しかし静かだな、誰もいねえのか)
女子供はひょっとしたら王城に匿われているのかもしれない。それならば話は早い、そこを目指して全ての命を取るまでだ。
(──なんだ?)
歩みを進めて行くと、アンナは複数の人の気配を感じ取った。神経を集中させ拾い取った気配は四人──物凄い殺気だ。
「殺気を隠す気もねえってか」
言い終えると背後から一人の男がアンナに飛びかかった。手にした獲物を彼女に振り下ろすも躱され、首を切り落とされたのは壮年の大男。明るい橙色の髪を持つ頭部が、ごろりと血に転がった。
「父様っ!!」
すかさず飛び出したのは、彼と同じ色の髪を持つ少女だった。頭のてっぺんで一纏めにした短い髪を揺らし、アンナに向かって一直線に駆ける足元では、
彼女が手にしている獲物もまた、男──彼女の父と同じものだった。刃の部分が大きな薙刀で、さながらそれは三日月のよう。赤い柄を握り締め、巧みに振り回す様は少女といえど完全に一人の戦士だった。
──キイイイィィンッ!
アンナの黒椿と少女の薙刀が衝突した。驚いたアンナはサングラスの奥の瞳を丸くする。
(……こいつ)
刀の柄を握るアンナの手は、少女の攻撃によりほんの少しだけ痺れていた。認めたくないという気持ちを抑え込みながら、アンナは柄を握り直した。
「誰? あなたみたいなのがいるなんて、こっちは聞いてないんだけど」
口を開いた少女の年の頃は、アンナ本人よりも少しだけ年重に見えた。鋭い瞳は
「ライル族か。面倒だな」
アンナが正面の少女を睨むと、右側からやや幼さの残る少年、それに左側からは先程殺した男と同年に見えるの女性が姿を現した。二人の外見の特徴は、少女に酷似していた。
──彼女達は戦闘民族ライル族。
人里離れた山の奥地に住むという、戦闘に特化した体を持つ少数民族だ。シムノンの仲間の一人、ルーファという女もライル族であった。
「……お前、アンナ・F・グランヴィか!」
壮年の女が腰を落とし薙刀を構えながら言う。彼女が母で後の二人が娘と息子といったところだろうか。アンナは三人の様子を確認しながら黒椿を構える。
(一番手強そうなのはこの少女か)
三人とも敵国の軍服を身に纏っているが、少女だけは左腕に紋章の入った腕章を着けていた。それは陸軍特攻隊の総隊長であることを示すものなのだが、アンナはそれを知らない。それどころかそんなことに興味すらなかった。ただ強ければ──楽しませてくれるのであればなんであれよいのだ。
「あんたらは何? 軍人だろ、何故戦場にいない」
「我々は市街地及び王城周辺の警護にあたってい
るものだ。侵入者は斬り捨てるのみ!」
言うや否や三人が同時にアンナに飛びかかった。
「鬱陶しい」
──ゴオオオオオオ!
右手から迫る少年に
──ザシュッ!
「か……
少女が叫ぶ。
刀身の中心が女の首を捉え食い込んだのも束の間、宙を舞う頭部。生気を失ったそれが地に落ちる間、両脇から少女と少年がアンナとの距離を詰めようと一気に加速した。
「よくも
喚く少年の刃を振り上げた踵で食い止め、少女の刃を食い止める。柄の長い薙刀による強力な突きを上に弾き、少女の腹を横に裂く。
「レノア
「レオルッ! 余所見をするな!」
膝をつき体勢を整えると、レノアと呼ばれた少女は傷口に
「あ……がッ……」
「レオル!」
レオルの胸から刃を引き抜いたアンナは、腕を振り刀身の血を口角の端を吊り上げた。
「ハッ! 大したことねえな、ライル族ってのも」
「くそがっ!」
レノアの全身を雷が包む。手にした薙刀で彼女は、自身の左手首の外側を小さく切り裂いた。バチバチという破裂音が大きさを増し、刹那アンナに向かって飛び出した。
「……なんだ?」
手首を切り裂いた直後、レノアの動きが格段に良くなった。腹を切り裂いたにも関わらず、だ。
(──こいつ!)
──キインッ! キンッ!
衝突した二つの刃が拮抗したのは一瞬。上に弾かれたのはアンナの腕。がら空きになったそこにレノアの刃が迫る──!
「なめるな!」
その攻撃を、アンナは足を振り上げ
上に弾かれていた腕をレノアの頭部に振り下ろすも、少女はそれを横に躱した。
「こっちだってナメられたら困るのよっ!」
が、少女が躱した先にはアンナの左拳。
ゴッ──。
「あ……う……」
「思ったよりも粘ったな、お前」
レノアの額にアンナの力強い拳が直撃した。鈍い音と共に地に倒れたレノアの首に、アンナは刃を振り下ろそうと足を進めた。
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