第六節 ◆禁域地帯アリオト・駐在地点/桐葉知秋2

 体調異常をもたらす毒瓦斯と続けば、次に危惧と対策のための考察着手に取り掛からねばならぬのが、肉腫本体の能力——そして、その特異性である。


『エピメテウス、ザウラク戦時点での肉腫の能力は精神異常といった洗脳操作だと余は見ていたが……。此度の瓦斯の毒効、肉腫の正体である子嚢菌類。そして湖に現れた肉腫寄生体群の様子からして、奴らの主要能力もまた——有機物の分解であると考えられよう』

 白亜の猛禽が如き男。——その金色の双眸が、獰猛に輝く。

 瓦斯の毒効で確認された被害としての体調・精神異常も、全ては脳や神経系統に関係している。攻撃性のみならず、生物本来の回復治癒能力の促進、火事場の馬鹿力に近い筋力・身体能力の制限解除及び向上。また、黄体ホルモンなどのホルモン分泌といった脳への刺激。これらは、毒瓦斯の成分や肉腫自体の有機分解作用によって、タンパク質の塊である脳の一部が分解されて起きたことであるとユピテルは推測した。

 ——もちろん。その恐るべき肉腫の所業にさすがのアルテミスも、人間であるスピカやポラリスの身を案じて皇帝に危難の色を顕した。

「ステラ・メティスが症状に遅延と重症化の軽減をもたらしていたとはいえ、脳に傷を負うっていうことはかなりヤバい相手なんじゃないか……? 身体再生能力に自信がある俺や、ベテルギウスはともかくとして——」

『ああ! それについては、そこまで心配するような問題ではない』

 焦る親友を宥めつつ、ユピテルは資料を提示して自分の見解を続けた。

『——脳は生命活動において最重要器官の第一。ほんの僅かな、極小の損傷程度であればすぐに快癒する力も有している。そのため、意外と命に別状は無いものなのだ。ほら——例えば、何かの弾みに転倒して脳震盪を起こしたとするだろう。脳内に出血が生じる傷だとしても、余程打ち所が悪くない限り、しばらく安静にしていれば何事もなく日常生活を送れる程度には回復する。そういうことだ』

 ……しかし、これはあくまで毒瓦斯の特性。真に恐るべきは、肉腫に完全寄生された場合だ。

 半分納得、半分そうもいかずと口を尖らせて不満げなアルテミス。そんな破軍を余所に、皇帝を中心とした解析班は次なる議題を肉腫の生態様式に移す。


『湖の浜に潜んでいた肉腫、そしてそれらの宿主たち。彼らは恐らく、子嚢菌類の子実体として成熟したものの成れの果て、または原種といったところでしょう。ザウラク公や脅威度・黄金階級の天士に出現したのは子実体原基——いわゆる、キノコの赤子、というべきかしら』

 そう淡々と見解を述べたポラリスは、その毒牙を一人の獲物に狙いを定める。

『……そうね。この手の菌類生態に関しては、私より相応しい方がいらっしゃいました。

 ——ね、そこの可愛らしい副官さん?』

「…………ヒャいっ⁉︎」

 突如として皇女ポラリスから指名を受けたスピカは、思わず驚愕に飛び上がる。

 緊張に体が強張らせながら慌てふためく少女の様子に、嗜虐の皇女はご満悦に微笑んだ。


 皇女ポラリスによる戯れ——否、この場において一番の適役と推薦されたスピカ。恐れ慄きつつも、スピカがアルテミスたち一同に解説した肉腫の寄生段階、そして生活環は次の通り。

 ……腐生菌類に属すと見た肉腫。胞子を取り込んだ、または基物の表面に定着した肉腫の胞子は、仮根という菌糸を基物内部に侵入させて養分をタンパク質分解作用にて吸収する。

 胞子の発芽・発芽管の出現後は、養分を獲得しながら伸長を続けて分枝。さらに隔壁を形成して細胞数を増やしていくことで菌糸体を作っていく。そうして他の菌糸体と融合、細胞核を受け渡した後に子実体——肉腫を成すのだ。子実体とはキノコという子嚢菌類の生殖器官を指し、この生殖細胞において再び胞子が造られる。肉腫が成長していくにつれて宿主はその肉体を分解されながら改造されていくのだが、その過程のうちの一つが、あの腐乱状態だった。

 肉腫の毒瓦斯はこの胞子排出の際に発生するもの。ポラリスたちの解析の結果もあり、その瓦斯のうち毒性の主成分の一部もまた、かの肉腫の胞子そのものだと判明された。つまり、毒瓦斯を吸い込んだ、もしくは浴びてしまった者は寄生された可能性が存在するということだ。その事実に焦燥を覚えた破軍は、自分たちに肉腫寄生の危険が及んでいる可能性を訴えた。

 だが、そんな主の心配をスピカは泰然と否定する。

「え、えっとですね。菌と言っても、そのもの自体は脆弱でいざ基物——生物の皮表面に付着したとしても、そんなにぽんぽん自由に寄生できるほど強く無いというか……。実は、私たち生物の免疫能力の方が結構手強いんです。私たちの皮膚に存在する常在菌たちとの競争に負けたりすることがほとんどで、菌糸が根付くことは意外とむずかしいんです! ですが——」

 そう言い終わらぬうちに、スピカの翡翠の瞳が暗色に染まる。森林内にて遅れをとった自分が、今度こそ破軍の役に立つことができるとはしゃいだ少女。……いつになく饒舌だったその口を閉ざしたスピカの危惧も、もっともだ。

『長期の間、森に滞在した場合。または、直接何らかの形で摂取した場合は別……ということですね』

 皇女の白い細指が、銀に光る文字盤を軽やかに叩く。そしてものの数秒もしないうちに、小鳥の囀りを模した受信音が、アルテミスたちの眼前に浮遊する現地端末機から鳴り響いた。ポラリスが追加した、アルテア端末機の照射する画像。——加えて、新たな調査結果に目を通したアルテミスは、その衝撃に顔面を顰めて小さく唸る。

 スピカとベテルギウスの二人が採取した冬虫夏草、その宿主。しかし、硝子板の上にあった宿主体は昆虫だけのみにあらず。

 ——そこには、かの森林内に生息していたであろう栗鼠や小鳥といった小動物。

 ……その変わり果てた遺骸が、横一列に並べられていた。

 それだけでは無い。アルテミスが伸ばした右手を軽く横へ振ると、発光する画面が次の画像に切り替わる。

「これは……俺がスピカに渡したオオオニグルミの葉。それと、道すがら拾った動物の糞尿だな。あと、この小粒のやつは——植物の種子、といったところか」

 採取資料の糞尿に混じる、極小の種子。……アルテミスの指摘にポラリスは小さく笑みをこぼす。

『——この惑星で私たちが認識している冬虫夏草の仲間。それに属するキノコたちが宿主に選ぶのは、殆どが昆虫です。……しかし、敵性天士の息がかかった今回の彼らは話が違う。——脊椎動物も、その寄生対象となっている』

 粛として声を落としたポラリスには、普段の悪戯な少女の面影は既に無く。……そこに居たのは、冷徹さを身に纏う鉄の皇女であった。

『小さな怪物たちの寄生経路に最も重要な要素が、散々私たちが悩まされた毒瓦斯と、それに含まれている菌の活動とその動向だと睨んでいます。毒瓦斯の気体資料だけでは特定は困難を極めましたが、破軍と副官たちが持参した生物資料を分析したことで、いくつかの確証を得ることができました。……皇帝陛下』

『あいわかった。廉貞・ポラリス。其方の発言、並びに報告を赦す』

 ユピテルへ静かに礼を述べたポラリスは、新たな複数の資料画像と報告書をアルテミスたちの元へと送信する。

『副官・スピカの進言通り、通常の場合は菌による生物への寄生確率は低いことが一般的です。しかし、現段階において毒瓦斯に晒された、または取込んだ生物はすべて——確定で、この肉腫の菌に寄生されていることは間違いないでしょう。……もちろん。この森林内で数日間生息している生物に限り、ですが』

 表示されたサンプル資料を閲覧した一同は、各々険しい顔のまま、黙して皇女の説明に静聴の姿勢を示す。


 皇女はまず、肉腫が放出する毒瓦斯には成長段階によって毒性の性質と宿主やその周囲にもたらす影響の役割が異なることを挙げた。

 第一に、子実体原基——未成熟な肉腫の毒瓦斯には、幻覚や精神操作。

 第二に、子実体——成熟した生殖器としての肉腫が胞子と共に出すものには、宿主体や周囲の生物の発情、それに伴う攻撃性や早い発育の促進効果を有している。


『子実体原基の毒瓦斯は、脆弱な彼らなりの防衛装置のようなものと私は見ています。宿主や、宿主を囲む者たちの意識、思考、言動の掌握を先んじて行うことにより、主に宿主体の身を外敵から守る。……その間、寄生した菌自体は自身の成長と侵食の進度を上げていく。そして成熟途中ないし成熟した子実体からは、胞子を孕んだ、より毒性の強い毒瓦斯を放出する……。この子実体の放つ毒瓦斯内の胞子が、宿主を守護する周囲の生物たちを、自分の子のための新たな宿主に選出しているのでしょう』

「——失礼。一つ、訊いてよろしいか」

 手を挙げて彼女の仮説を断ち切ったのは、破軍・アルテミスだった。

 ……発言し辛い質問内容なのだろう。気まずそうな顔をして頬を掻く破軍を見遣った皇女ポラリスは少しの間の後、静かに「どうぞ」と発言を促した。

「成長した肉腫がより強く、より厄介な毒瓦斯を出すことはわかった。しかし、なんでまた脳を傷つけてすることが生物の発情行動になるのか、イマイチ必要性を見出せないんだが……」

『——呆れた』

 「げ、」と口から漏らしたアルテミスは、眼前の画面越しに座するポラリスの瞳が嗜虐に光ることを見逃さなかった。

『——呆れた。呆れてしまったわ、破軍・アルテミス』

 ……どうやら、思わぬ劇薬を火中へ投下してしまったことに気付くのも時すでに遅し。

——来たる嵐を前に、アルテミスは顔をシワクチャにしてついに身構える。

『現地探索をした身で、森の異常性を肉眼で目の当たりにしたはずだというのにそんなことも解らなかったのですか? そこの可愛らしい副官のお嬢さんの方がまだ物分かりがよろしいというのに? お利口さんな部下を持つ主たるあなたがそんなことも察せないなんて、愚鈍にも程があると自身を省みてみようとは思わないのですか? それとも何ですか。あなたが受ける毒瓦斯の症状は他と比べて非常に重篤なのでしょうか? もしものこともありますものね。一度しっかり開頭して脳を詳しく検査した方が私の——いえ、世のため民のため国のため、皇帝陛下のためにもなりましょう。さあ、ポンコ——破軍・アルテミス。いかがなさいます?』

「……グワーッ‼︎」

 畳み掛けるようにしてアルテミスを貫く言葉の猛嵐。ザウラクの血泥の弾丸雨と比較し難い殺傷能力を帯びたそれは、破軍にとって効果覿面なのは語るに及ばず。

 カマキリに威嚇された蛙のように情けない叫び声を挙げた破軍は、半泣きのままポラリスに訴えた。

「待った待った! 待ってくれ! い、いやお待ちなすってお待ちくだされ! 何もそんなに厳しく追い立てることもないだろう! あと私のため⁉︎ しかもポンコツって言いかけた⁉︎」

 しかし、アルテミスをいじり倒したことに満足したのか。……ポラリスの肩に入っていた力は、徐々に抜けていっていた。

 そんな二人のやりとりを見ていた皇帝は、視線をわざとらしく逸らして楽しそうにクスクスと肩を震わせる。

——先程まで張り詰めていた、危機感による空気の緊張がこの一瞬で和らいだ。

『……こほん、失礼いたしました。質問、でしたね。ええ、お答えいたしましょう。あんまりにもよく考えれば誰でも解る当然のことだというのに、破軍のオツムの出来の可愛らしさに思わず熱くなってしまいました』

「はいはい、可愛くて悪かったな! もういっそ褒め言葉として受け取っておきますからね、ふんだ!」

 赤くぷーっと頬を膨らまして拗ねるアルテミスは、手をパンパンと叩いて仕切り直す。

『……では、毒瓦斯の影響による発情行動の繋がりについてですが。——結論から申し上げますと、単なる生命活動存続の理。つまり、種の繁栄です』

 いつもの調子を取り戻したポラリスの顔には、少しばかり落ち着きと余裕が表れていた。

 生物の体内に侵入した菌は、特殊な分解酵素を使い脳を侵す。その際、発情を誘発させるホルモンを過剰に分泌させるのだろうとポラリスは仮説を立てる。

『単純に宿主の体へ寄生して、分解をするだけして胞子を飛ばしても、子の新たな宿主先が居なければ後に待つのは自滅です。かなり強行ではありますが、宿主体が生殖能力があるうちに繁殖・子孫を残して貰わなければ肉腫自体も先が無い。——つまり、彼らは少々歪んだ共生関係の上に成り立っている生命なのです』

 ——少々歪んでいるどころか、かなり一方的な搾取ではなかろうか。

 アルテミスが内心そう呟いて首を傾げているうちに、ポルックスが口を挟む。

『戯れは済んだな。いい加減、話を戻すぞ。……肉腫の寄生経路には、表皮への胞子の付着の他にいくつか別の方法が存在することが今の時点で判明している。先程の画像を見て欲しい。——武曲よ、追加として資料四二も彼らへ』

 ポルックスの指示に従い、カストルがゆっくり頷く。アルテア端末機を開いたアルテミスたちは、少し前に閲覧した小動物の糞尿が撮影されていた画像に再び目を通す。

『あなたたちが森林内で採取した資料、そしてアルテア端末機が捕獲した小動物が四匹。これについては肉腫の成長がまだ未熟で、外見はどれも普通の栗鼠や鼠と変わりはありませんでしたが……。武曲・カストルがそのうちの一匹を解剖したところ、腸内に食べたばかりで未消化の木の実を見つけました』

「解剖しちゃったんだ……」

「仕方ないさ、スピカちゃん。少しでも早く敵の手を知るためだ」

 ポラリスたちの解析によれば、木の実——オオオニグルミの実には、肉腫のものに近い菌を持っていたことを発見。小動物の排泄物に混じる他の果実類の種子にも同様、この菌が含まれていたことも判明した。

『ポンコツ破軍たちから受け取ったオオオニグルミの葉も結果は同じだ。成分を調べたところ、案の定、肉腫と同一の起源を持つと思しき内生菌が確認された。……宿主体への侵入、胞子の発芽を確実なものとする。そのための保険として、初期段階の姿を植物の内生菌に酷似したものへ菌自体を改造していると見て間違いはないだろう』

「ポンコツ言うな」

 ポルックスが珍しく嘆息を漏らすのも無理はない。

 宿主に寄生した肉腫は、胞子を新たな宿主へ根付かせるため、その特殊な分解能力を最大限に利用・活用して生存圏を拡大させた。宿主が事切れれば、その遺骸を分解し、その地の植物が養分として菌ごと吸収。そして実をつけるまでは内生菌として植物と共生し、その葉や実を食す別種の宿主へと命を張り巡らせていく。

——つまり。植物の発育異常の件においても、例の肉腫が大きく影響を及ぼしていたのだ。

 森林が出現するまでの、この短期間。現在はアリオトの一区間の範囲に収まっているとはいえ、ここまでの異常な成長速度と範囲の拡大を放って置いては、生態系の崩壊はすぐ目前である。

——在り得ざる高速の生命循環。

 生き死にの繰り返しには見合った速度と時間があるものを、それを無視したその原因は、明らかにこの星の原生生物ではない者の手による所業だ。


 元凶たる敵性天士。その存在により近い、もしくは肉腫の活動活発化の発端になったであろうモノたちがいたことをアルテミスは思い出す。

「——原種、といったな。湖にいた奴らは。……ありゃどう見ても元は人や天士だろ? 確かギガントマキア前後の時期に処刑された、罪人や過去に皇帝陛下と敵対していた天士って事だったが……。そもそも、処刑場として利用されていた猛毒の湖水が、どうしていつの間にかただの淡水になっちまったのか——」

『あら、話は簡単よ。今あなたが口にしたこと自体が全てでしょう』

「……あ、そうか」

 ポラリスの指摘に、アルテミスはハッとする。

 そう、湖に沈んでいた原種の宿主たちは「湖水が無毒化したから」湖から這い上がってきたのではない。——正しくは、「湖水を無毒化にしたから」這い上がって来たのだ。

「……なるほど。やっこさんのカラクリが見えてきた気がする」

 肉腫、その原種の最も恐るべき能力こそが、ステラの分解。だとすれば、地上において最大最古のステラたるクレーター湖・星の涙もその餌食となるのは言うまでもない。……菌類は自然の分解者だ。腐食連鎖という共通点がある以上——天士さえ活動停止及び殺害に至らしめる猛毒の湖水を、文字通り「分解」していたのだと考えればこの話は簡単だ。

 アルテミスの考えに、ユピテルは同意を表した。

『破軍が対峙した肉腫の原種。ここでは仮に呼称を原種、と統一することにしよう。原種の中には、余が処刑を下した強力な天士が数体いたのはまず間違いない。そもそも、天士に変態した者はこの惑星の地に還ることは不可能——ステラと同じく、腐食連鎖が叶わないはずのもの。そうすれば、自ずと答えは一つに絞られる』

 ——天士の骸とステラの分解。それこそが、原種の本来の「使命」であり、「役割」なのである。

『湖・星の涙は、湖水そのものの大元にして骸たる天士—— 「降臨者・有翼の使者ヘルメス」由来の鉱物毒性を有していた。最古の天士、その骸鉱石含有成分を分解し、無毒化させた菌類が進化を遂げた形があの肉腫たちの原種と冬虫夏草たちなのだろう。厳密に言えば、冬虫夏草の仲間や森林植物の内生菌は従属栄養生物。そして原種の特性からしてこちらは鉄酸化菌の一種——独立栄養生物に近いため、同じ分解者としても両者は種が異なるのではと余は見ていたが……。生物資料の解析により、この菌類は環境に合わせて臨機応変に自身を改造していくことが確認された。冬虫夏草類の肉腫も、植物の内生菌の正体も、この原種の自己改造の結果であろう』

「鉄酸化菌……鉱物を分解できる菌がいるのか」

 アルテミスの呟きに、ユピテルは続いて画面越しに友へと語りかける。

『従来の鉄酸化菌の仔細についてはここの本題ではないから、今回は説明を省くとして。……一応、この帝国は生活排水・汚水の浄化は微生物による浄化能力も利用している。貯水・鉱物や植物繊維を使った濾過方法ももちろんだけどね。後日、事が済んだら浄水場へ視察しに足を運ぶといい。喜んで歓迎しよう』

 ユピテルは、原種含めた肉腫たちが持つステラの分解能力に着目して、これまでの被害を振り返る。

『破軍が原種たちをステラで斬りつけた際に加えて、副官二名の体調異常。これも、ステラ・メティスが毒瓦斯によって破損してしまったためと考えられる。回収したステラ・メティスを確認したが、どうやら肝心のフィルターまでもが腐食していた。正直なところ、恐れ入ったと言わざるを得ない』

 調査前のユピテルの認識と慎重さ、下準備の徹底ぶりは何も間違っていない。しかし、今回は敵がそれを上回っていただけの話だ。現に、ユピテルの機転でステラ・メティスを装着しないで森に突入していたらどうなっていたことか。ガスマスクが症状に遅延をもたらしていたとはいえ、ここまで行動不能に陥ったのだ。無策に敗れることそのものを回避できた親友に、アルテミスは敬意を抱く。

『偵察に向かわせた複数のアルテア端末機の破壊や故障も、湖や森に潜む肉腫たちの分解能力だったとわかれば、ステラ・パンドラがザウラク殿との争いにて自らに機能制限を課していたのも納得がいく。となれば、相手方がまた自己改造と生命情報の複製を更新する前に、こちらも次に備えて対策を練らねばならぬ』

『皇帝陛下のおっしゃる通り。湖水にはまだ例の肉腫、その原種の菌も含まれているはずだ。……ちょうど、湖に落ちたどこぞのポンコツ破軍の衣服や甲冑型ステラ・アマルテアがある。それは湖水の成分調査の資料として借り受ける。ステラ・アマルテアも菌の分解の影響を受けていることだろう。戦闘・防御機能が衰えているまま敵地へむざむざ送り出すことはできん。それに、湖水を詳しく調査すれば肉腫たちの親元——その敵性天士の弱点を見出せるかもしれない』

「ポンコツ言うな‼︎」

 ポルックスの主張も尤もだ。このままでは装備が万全とは言えない。

 アルテミスは、ふと左籠手の側面を確かめる。一部融けた装甲の表面は、今のアルテミスでも片腕で簡単に捻り潰すことができる——目視でその損傷がわかるほど、硬度・強度ともにアマルテアではこの先待ち受ける強敵と戦うことは不可能に近い。

 ——そう、なぜならば。

 此度の相手は、常勝の皇帝……そして災害の化身である天士・ユピテルがこれまで以上の戦力を持って万全でなくては土俵に立つことさえ困難であると認めた相手。

「他従属種の天士、人間——そして星の生物環さえ無断改造菌を用いて自在に操るとなると、余程の大物であると言う事実に他ならない。……これだけの証拠と手がかりが揃ったんだ。そろそろ相手の正体、目星はついてると見ましたが——ですよねえ、皇帝陛下?」

 向けられたアルテミスの不敵な笑み。ついに、皇帝ユピテルは観念したようにやれやれと首を小さく振ると、その金の双眸を、敵への畏れに染めて不気味に輝かせた。

『——ああ、その通り。実にその通りだ。破軍たち、そして我が子たちの奮闘のおかげでようやく余は、かの敵性天士の正体を絞ることができた。……肉腫の原種は厳密に言えば天士そのものではない。現地生命の菌類と、元凶たる敵性天士の合の子……いわゆる、在り方としては新たな半天士の形といえよう。彼らの大元——親である天士の秘匿能力・属性を持って生まれたその本質。……「彼女」こそ「ステラ殺し」、否——「天士殺し」の天士』

 ユピテルのただならぬ様子に、一同は固唾を呑んで押し黙る。

『……かの者こそは、総てを融解とかす歳殺の女王。人間、天士問わず積み上げた多くの犠牲の果てに、この世へ静謐をもたらす者——』


 その名を口にするのも忌々しき、大いなる大災厄の、その六。


『——第六降臨者・ヴィーナスだ』

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る