第85話 茶番劇の舞台裏

 それは数十分前の事――


「…本当に上手くいくのか?」

「勿論!当然上手くいく!」


 不信感全開で投げ掛けられた問いに対し、いつも通りの自信満々の返答が返される。 いつもの調子で答えたのは、勿論アレン船長その人である。


「可愛らしいお嬢さんのお願いとあらば、応えてあげたい所だが、生憎今は少々厄介な相手に追われていて正直そこまでの余裕はない」


 ストリークから助力を求められ、アレンはしばしの間考えたのち、そんな言葉を口にした。そこで一旦言葉を区切り、更に彼はこう続ける。


「そこでだ、その俺達を追って来る厄介な相手を逆に利用させて貰う事にする」


 その概要をアレンはゆっくりと説明し始めた。


「概要はこうだ。まず、ハルがレイズとフォクセルのチンピラ2人組に追われてるという設定でこの国の兵に助けを求め、彼らをこの建物まで誘導する」


 時刻は真夜中。当然、緊急で出動出来る兵の数は限られている。


「そこで、その戦力不足を補う為、俺がザガン中佐達海軍を同じくこの建物まで誘導する。そして、何も知らない彼らが建物内へと踏み入れた所でストリーク、君の出番だ!ストリークはザガン中佐達に助けを求め、自身を襲った相手が複数、そして武装している事を伝える。少ない人員に対して相手が複数、しかも武装している輩となれば、当然、プリフロップ国の兵達は居合わせたザガン中佐に加勢を要請する」


 根はどうであれ、ザガン中佐も腐っても軍人。当然ながらそう易々とはその要請を断れはしない筈。


「逃げる為の時間稼ぎにはもってこい。ついでに、不逞の輩も検挙出来て結果街の治安にも繋がり、捕らえられた人間の解放も出来る。これこそまさに最善の策って訳だ!」


 自信満々に作戦概要を説明し終えたアレン。どうだと言わんばかりに胸を張ってみせる。

 確かにこの作戦でいけば、自分達の逃げる時間も稼げ、直接手を下さずとも捕らえられた人達の解放にも繋がる。

 とはいえ、実際のところ、本当にそんなに上手くいくのだろうか。口で言うのと実際にそれをやってのけるのとでは全くもって訳が違うと思うのだが……。


「本当にそんなに上手く行くのかよ?」


 自信満々のアレンに対し、冒頭と同様、レイズはあからさまに怪訝そうな視線を向けた。


「大丈夫だ!ただ、真実味を持たせる為にもここは演技力が鍵になるな。特にハルとストリークの演技が肝になる」


 けれどもアレンは尚も大丈夫だと言い張って、そして私とストリークとを交互に見る。


「え、演技力って、そんな事言われてもっ」


 そんな期待感の込められた視線を向けられ、当の私は当然ながら動揺してしまう。


「大丈夫大丈夫。要は自分が本当に目付きの悪い金髪のチンピラと黒尽くめの長身に追われてると思い込めばいいんだ」

「思い込めばいいってそんな簡単に言われても……っ」

「あ!そうだ!これを君に渡しておこうと思ったんだった」


 役者でもあるまいし、そんな緊迫した演技など出来る訳がない。

 そう言って反論を呈そうとした私だったが、それはアレンによって遮られてしまう。アレンはゴソゴソと自身のコートの中を探り、そしてそれを私に手渡した。


「これは……ホープ・ブルー?」

「これは君が持っててくれ」


 どうしてこれを私に?

 そんな問いを返す暇もなく、アレンはパンパンと両の手を叩いた。


「さて、諸君。仕事の時間だ。この作戦が上手くいくかどうかは君達の演技力に掛かっている。ここは一つ、素晴らしい演技を魅せてくれたまえ!」


 かくして決行されたこの名も無き誘導作戦ではあるが、今のところ順調に行っているとみていいんだろうか。

 とりあえず、なんとか自身の出番は終えたものの、何だろう……なんだか何とも言えない妙なやりきれなさが引っ掛かっているのだが。

 自身の持てる最大の演技力を駆使して海軍兵に助けを求めた私だったが、そのなんともまあ目を覆いたくなるような演技力の低さ。

 そんな大根役者ばりの演技に騙される海軍兵がマヌケなのか。

 それとも、ただ単にレイズやフォクセル達が本当に不審者に見えたのか。


 いや。そもそも、突然真夜中に都合良く海軍庁舎の目の前で襲われ、しかも襲った相手が道のど真ん中に仁王立ちしてるなんて彼らはおかしいとは少しも思わなかったのか。


 私を受け止めた名も知らぬ海軍兵の顔付きは凛々しく、曇りもなく迷いもない目をしていた。彼はきっと正義感溢れる立派な兵士だったに違いない。

 そんな相手の善意を、立場を利用した実にアレンらしい今回の誘導作戦。

 自身の演技力の低さに凹むと同時に言いようのない罪悪感のようなものが今更ながらに込み上げて来る。そんな思いを抱えながら、海軍庁舎から僅かに離れた物陰で一人悶々茶番劇の行く末を見守っていた私。


 とりあえずは今はアレンが即席で拵えたシナリオ通りに順調に事が運んでいると信じるしかってないだろう。

 そう自身の考えまとめ、私は新たに設けられた街外れの集合場所へと向かう事に決める。身を潜めた物陰から静かに立ち上がり、駆け出そうとした私だったが、すぐにその足を止めた。


「ラック……」


 口をついた名前が静かに風に流されていく。

 あの時のラックの様子が、誘導作戦以上にどうにも気掛かりで仕方がなかった。



***



「――という訳でだな。ストリーク以外、出番を終えたら全員即時街外れに集合する事。……以上!」


 アレンは再度誘導作戦の内容を確認し、最後にそう付け加えた。そんなアレンの背中に対しラックが待ったと声を掛ける。


「それで船長、俺は何をすればいいの?」

「お前は何もしなくいいよ」


 自身の役回りを尋ねたのラックだったが、アレンは一言そう述べた。


「とりあえず、水浴びでもしてその身体を洗って来い」

「……分かったよ」


 アレンにそう言われたラックは静かに頷いて、各々が所定の場所へと向かう中、一人、反対方向の流れる川の方へと向かっていく。


「ラック……」


 その時のラックの眼。水面に反射する光に微かに照らされた悲しそうなその瞳が見ていられず、私はラックの背中に向かって声を掛けた。


「ラック……っ」

「なんだい?ハル?」

「あ……えっと……」


 だが、声を掛けてはみたものの、その先の言葉がまるで見つからない。

 そんな私をまるで見透かしたかのようにラックはふっと笑ってみせる。


「俺は大丈夫だよ」


 ラックは振り返らずにそう口にした。


「とりあえずは身体を洗って他の乗組員達に集合場所の変更とザガン中佐達海軍に注意って伝えて来るから」


 聞こえるラックの声色はいつもとさほど変わらない。

 けれど、それはまるで私を心配させまいと無理に気丈に振る舞っているように思えてしまって。


「だからほら、船長達と行っておいで」

「………」


 見慣れた筈のラックの背中。

 その背中が今は黒く乾いた血に染まっている。

 いつも傍に居てくれた筈のその背中が、今はなんだがとても小さく思え、とても遠く感じてしまった。

 結局私は最後まで何も言葉を掛ける事が出来なかったのだった。



***

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