第79話 囚われの身

 誰かに呼ばれている。

 そんな感覚に揺さぶられ、徐々に光が戻って来る。

 最初に視界に映ったのは、不安気にこちらを見下ろす蒼い髪をした綺麗な女性の顔だった。


「良かった……目が覚めたのね」


 意識を取り戻した私を見て彼女は安堵の息を吐いた。私は彼女の手を借りてゆっくりと身体を起こす。


 辺りを見回してみれば、どうやらここは屋内。どこかの建物の中ようだった。

 一見すると、単なる寂れた建物の一室のよう。しかし、そこが普通の部屋ではない事にすぐに気付が付いた。

 室内には扉はなく、代わりに重厚な鉄格子がはめ込まれている。

 僅かに月明かりが差し込む窓にも同様に組まれた格子がはめられおり、その様子はまるで囚人を閉じ込める為の牢屋のようであった。


「ここは一体……?」


 どこだなんだ?


 まだぼんやりとする意識の中、必死にこれまでの事を思い起こそうとする。

 確か、外の空気を吸いに酒場を出て、そのまま街中を散策しているうちに急に目の前が真っ暗になって……それから……

 それから一体どうなった?

 辿った記憶はそこでぷっつりと途切れていた。


「貴方何も覚えてないの?」

「え……?」

「まあ、無理もないわね。貴方は気を失った状態でここに連れて来られたんだもの」


 私を見た彼女はそう言って一人頷くと、改めて私の方へと向き直った。


「貴方名前は?」

「ハルといいます」

「私はストリークよ」


 ストリーク・フロウと彼女は名乗った。

 まだ若干幼さの残る彼女。

 髪は腰程まで長く、色は深海を思わせるような鮮やかな瑠璃色。眼の色も同様に蒼く澄んでおり、サリーに似た民族衣裳のような衣服を纏っている。歳は同じか、やや下くらいだろうと思われた。


「ここは一体どこなんですか?」

「分からないわ……けど、他にも大勢人が捕まっているみたいなの」


 どうやら彼女の話によれば、この建物の中には他にも大勢の女性や子供が捕まっているらしいという。


「どうしてそんな事を?」


 私の問に対して、ストリークは分からないと首を横に振った。


「けれど、連れて来られた人達は何日かするとまたどこかへと連れて行かれてるみたいなの……」

「ストリークはどうしてここに?」

「私の家はここから遠く離れた街の外れにあるんだけど、家が貧しくて……少しでもお金を稼ぐ為に、村を出て都会に働きに出たの」


 彼女はゆっくりと自身について話始めた。

 ストリークは両親と兄妹を含めた6人家族。街外れにあるのどかな農村で暮らしていた。しかし、彼女の家は貧しく、生活は決して楽ではなかった。そんな生活の少しでも足しになれば思い、15歳を迎えたストリークは都会に働きに出たのだという。


「けれどある日、帰るのが遅くなってしまって。近道しようと思って普段は使わない細い路地の方を通ったの。そうしたら背後から突然薬のような物を嗅がされて……そして気が付いたらここに……」

「それって……」


 ストリークの話を聞いてはっとした。

 ストリークが辿ったその経緯。

 それはまるで、今の私の状況によく似てはいないだろうか。


 自身の話を終えたストリーク。

 彼女は深く項垂れる。そして深く目を伏せ、別の話を切り出した。


「この前、男達が嬉しそうに話しているのを聞いたわ。先日、仕入れた“商品”に思わぬ高値が付いたって」

「高値が付いた?」


 一体何の話なのだろうか。


「聞いた事があるの。このリンプインやその周辺の街では若い女性や子供を狙った拉致や誘拐が多発してるって」

「拉致や誘拐……」


 ストリークの話を聞いていくうちに、言いようのない不安が徐々に膨らんでいく。


「これはあくまでも私の憶測だけど……この建物は恐らく、そうして周辺から攫って来た人間を一時的に収容しておく為の場所……」

「それってつまり……」


 もし、彼女の話が事実だとするならば……それはつまり。

 私は、売られる為に捕まった……って事?


「そんな……」


 目の前が一瞬にして真っ暗になった。

 どうやら私は、人身売買を行う者達によって捕らえられてしまったようだった。


「早くここから逃げないとっ」


 言って私は立ち上がる。

 部屋を閉ざす鉄格子へと手を掛けた。しかし、重厚な格子は硬く閉ざされ、押せども引けどもびくともしない。見れば、そこには頑丈そうな錠前が施されていた。


「無駄よ……その鍵は開かないわ」


 そう言って、ストリークは辛そうに目を伏せる。


 こんな知らない異世界で、どこかも知れない場所に売り飛ばされる。

 もし、そうなってしまったら、もう二度とアレンやラック達とは会えなくなる……

 それどころか、元の世界に帰る望みは更に遠くなってしまう……

 もしかしたら、もう二度と元の世界には帰れないかもしれない……


 そんな……そんなの……


 絶対に、嫌だっ。


 私は改めて室内を見回す。

 当然といえば当然ながら、使えそうな物は何も置かれてはいない。

 続いて、自身のポケットの中を探ってみる。

 しかし、私は何の前触れもなく、突然この異世界に身体一つで飛ばされた身。故に当然ながら使えそうな物など、何も持ち合わせてはいなかった。


 けれども、不幸中の幸いというやつか。

 ポケットの奥深くへと探り入れた指が細く硬い何かを捉えた。

 私はそれを取り出してみる。ポケットの奥に引っ掛っていた細い物。それは髪を留める時に使う黒く細いヘアピンだった。

 それを見て、咄嗟にある考えが浮かぶ。

 私はそのヘアピンを握り締め、硬く閉ざされ鍵の前へと膝を折った。


「どうするつもり?」

「この鍵を開られないか試してみる」


 そう答えた私に対し、ストリークは驚いたように声を上げた。


「そんな事が出来るの?」

「分からない……」


 けれど。


「このまま何もしないでただ売り飛ばされるのを待つだけなんて……嫌だから」


 そうだ。このまま何もしないなんて出来ない。

 決めたんだ。

 立ち止まらないって。前に進むって。

 その為には、たとえ望みが薄くとも、今自分に出来る事をやらなくては。


 私は手にしたヘアピンを細く曲げ、小さな鍵穴へと挿し入れる。


“ピッキング”というのだろう。

 細い針金のような物を用いたいわゆる鍵開けである。

 そんなシーンを映画やドラマなんかで見た事があった。

 しかし、それはあくまでもフィクション。そして、そんなシーンを演じるのは、たいていは一流スパイや一流の泥棒なんかの役。極一般的な大学生、素人とは訳が違う。とはいえ、とにかく今はやってみるしかない。


 やり方や手順。そんなものなど全く検討すら付かなかったが、私はとにかく挿し入れたヘアピンを使って鍵穴を探ってみる。カチャカチャと金属を擦る音だけが、閉ざされた部屋の中に静かに響いた。



 ***



 それからどれ程の時間が経ったのだろう。

 カシャッ……と室内に響いていた金属音が僅かに違う音に変わる。

 細いヘアピンの先が何かを捕らえ、手応えのようなものを確かに感じた。私は更にヘアピンの先に意識を集中する。


 カシャンッ


 小気味良い音がして、大きな錠前が静かに解錠された。


「開いた……!」


 思わずそんな声を上げてしまった。

 完全に見よう見真似で行ったピッキングもどき。

 その試みは、くしくも成功し、見事鍵を開ける事に成功したのだった。


「すごいわ!ハル!」


 ストリークが歓喜の声を上げる。

 だが、まさかまさかのピッキング成功に喜んでいる時間は今はない。


「急いでここから出ましょう!」


 ストリークにそう言って、私は重い鉄格子を引き開けた。

 私とストリークは共に、建物の廊下を素早く慎重にを進んでいく。

 どうやらこの建物は思っていたよりもずっと広く、かなり複雑な作りになっているようだった。

 そうしてしばらく進んだ辺り。

 恐らく、建物の中腹辺りまで来たところで突然ストリークに片腕を引かれた。


「待って!ハル!」

「え?」

「他にも捕まっている人達がいる筈!彼女達の事も助けないと!」


 そう言ってストリークは真剣な眼差しを私へと向けた。

 まだ若干15歳という歳下の彼女。幼さの残る顔立とは裏腹にその瞳には意思の強さが感じられ、蒼い瞳が切実さを訴えて来る。


 確かに、同じ境遇に遭っている人達がいるのならば、なんとかして助けたい。

 けれど、先程見事に成功したピッキングでさえ、かなりの時間が掛かったうえ、本当に偶然の賜物だった。今度また同じようにピッキングが成功するとは限らない。それに、仮にまたしてもピッキングが成功し、捕らえられた人達を解放する事が出来たとしても、逃げる過程で再び捕まってしまっては意味が無い。

 決断の時。私はそっとストリークの細い腕に手を添えた。


「今はここから出る事を優先しよう」


 私は冷静にそう告げた。


「けど……っ」

「助けてくれそうな人達を知ってる。その人達ならきっと……力になってくれる筈」


 私は彼女に言い聞かせるようにそう口にする。

 勿論、そんな確証などどこにもない。

 何故なら、この世界で私が助けを求められる相手は極僅かに限られている。

 その極僅かな人物達は何を隠そう、“海賊”

「海賊が人助けなんて!」と渋る事は目に見えているが、ストリークは相当の美人。かなり若くはあるものの、常日頃から紳士を自称し、美人相手には弱いアレンならば、手を貸してくれる見込みがない訳ではない。

 それにレイズやラックならばきっと、力になってくれる筈。そんな彼らと無事に合流する為にも、今はとにかく、一刻も早くこの建物から脱出しなければならないのだ。


 苦渋の決断。

 それを汲み取ってくれたのか、ストリークは静かに頷いた。


「オイッ!女が2人部屋から逃げたぞ!」


 その刹那。突然男の声が近くから響いた。


「何やってんだ!探せ!まだ建物の中にいる筈だ!」


 更に別の男の声が建物内に響く。

 どうやら部屋から逃げ出した事に気付かれてしまったようだ。


「急いでここから逃げよう!」


 こうなってはもはや一刻の猶予も無い。

 私とストリークは声が聞こえた方とは逆の方向へと向かって駆け出した。

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