第74話 other story

『出航を待ってほしい』


 あいつにそう願い出て、ディーレフトを出るのを遅らせて貰った。

 合流したラックに即席で治癒を施して貰い、手当もそこそこにその場所へと向かう。

 小高い丘を登り、やって来た両親の墓。

 時刻は早朝。日中と言えど、ほとんど人が来ないその場所には、まだ日が昇って間もないにも関わらず既に先客の姿があった。


「おや、確か先日の」


 気配に気付き、その小さな背中は振り返る。

 そこにいたのは、白髪の小柄な女性テル・ナインであった。

 テルに軽く会釈をし、そっと頭から羽織った布を目深に被る。


「貴方もどなたかのお墓参りに?」

「確かここには、かつて“劫火の英雄”と謳われた人の墓があると聞いて」


 尋ねたテルに頷いて。そう答えた。


「そうですか」


 そう言ってテルは立ち上がり、その場所を譲る。

 ゆっくりと2人の眠る墓に歩み寄った。数秒間、祈りを捧げそして立ち上がる。


「また旅に出られるのかい?」

「ああ」

「そうですか……」


 言ってテルは僅かに視線を落とした。

 ただ風の音だけが聞こえていた。昇る朝日の白く柔らかい光が徐々に辺りを照していく。


「そういえば、この劫火の英雄には息子がおりましてね」


 ややあって唐突にテルはそう口にした。


「会うたびにいつもその子の自慢ばかりしていてね」

「へぇ……」


 そんな言葉に思わず視線を逸らせてしまう。


「彼はいつも言っていたよ。自分にとって一番大事なものは家族だ。そんな家族を、息子を何よりも誇りに思ってるって」


 胸を打たれる、そんな感覚がした。

 遠い日の記憶が鮮やかに蘇り、温かく懐かしい感覚が全身を駆け巡る。

 懐かしそうに目を細め語られた思わぬ言葉。

 平静を保っていた筈の気持ちが騒ぎ出し、決めた筈の思いが僅かに揺らぐ。


 ずっと憧れていた。

 尊敬していたあの人と同じ。ようやく同じ場所に立てた筈なのに。

 確かにそれを望んでいた筈なのに。

 何故あの時、あの場に留まらずあいつについて飛び降りたのか。

 自分でもよく分からなくて。


 朝日がゆっくりと昇っていく。

 そろそろ、出航の時間が近い。

 後ろ髪を引かれるようなそんな思い。それをぐっと堪え。


「……元気で」


 ただ一言そう述べた。


「ええ」


 その言葉にテルは頷く。

 海風に背中を押されるように踵を返し、歩き出す。

 その姿を見送って、旅立つその背にテルはそっと言葉を添た。


「またいつでも帰っておいで。レイズ――」



***



「あいつはもうきっと……」


 寂しそうに告げるランクの言葉を聞いて、堪らずその場を飛び出した。

 静かな街を息を切らし駆けていく。

 時刻は早朝。人影はほとんどない。

 王都は広い。この広い街でたった一人で彼を探す事は途方もない事のように思えてしまう。けれどもきっと、彼が向かうとするならば。そんな自身の勘を頼りにその姿を必死に探す。


 言いたい事が沢山ある。言わなければならない事が沢山ある。

 この3年間、いや、それよりももっとずっと前から心の奥にしまっていた。

 ずっと言えずにいた事を。なんとしても彼に伝えなければならない。

 けれど、いくら探してもその姿は見つからない。

 もしかしたら、もう国を出てしまったのでは……そんな考えが頭を過った時、視界の端を影が横切った。

 自身の直感がこう告げる。影を追えと。

 地を蹴って弾かれるように駆け出した。


「……待って」


 祈るような縋るような思いが先走り言葉となって溢れ落ちる。

 待って。行かないで。お願いだからどうか。


「待って!レイズ!」


 大声でそう呼び掛ければ、掛けていた影は足を止めた。

 そして、ゆっくりとこちらを振り返る。

 碧い色をした碧眼が驚いたようにこちらを見つめた。


「リリ……」


 彼は戸惑いがちに名前を呼んだ。

 被った布から僅かに覗く彼の髪。

 どうやら長かった髪をばっさりと切って。背も少し伸びたようで。

 3年ぶりに見る彼の姿はなんだか少し大人びて見えた。


「レイズ……」


 自身の声が静かに響く。

 巡る思いが絡まって思わず言葉を見失ってしまいそうになる。


「レイズ、私は……」


 ようやくにして開いた口。

 その口はまくし立てるようにやや早口に言葉を述べる。


「聞いて。陛下は前国王の罪を認めたわ。ジャック・ジェーナイトの自供も取れた。貴方の疑いも晴れたのよ」

「……」

「貴方はもう罪人じゃない。もうこの国を出る必要なんてない。だからっ」

「悪いな、リリ」


 言い掛けたその言葉。

 しかし、それを遮って彼はふっとおもむろに笑った。

 かつて、劫火の英雄と呼ばる前、ロイ・ローゼルは船乗りだったという。

 その血がそうさせるのか。はたまた別の何かがそうさせるのか。


「俺はもう、軍人でもなんでもない。俺はもう――」


「海賊だ」


 海風が吹いた。

 頭からから被っていた布が舞い、彼の持つ金糸が朝日に揺れる。

 その瞳には真っ直ぐで強い光が宿り、彩る笑顔が眩しかった。


「ばあちゃんと元気でな」


 彼は笑顔でそう言て。

 その背は蒼く広がる海へと向かって駆けていく。


 呼び止めようとしてそれを止めた。

 あんな顔をする彼なんて今まで一度も見た事がなかったから。

 去っていくその背に向かって寂しさを堪えて笑い掛ける。


「またいつか、ちゃんと」


「帰って来てよね」

 


 ***



クロート号はディーレフトを出て東の海上。暗い海の上を再びプリフロップへと向かい帆を進める。

 ディーレフト国での一件の後、ラックに治癒魔法を施して貰い気が緩んだ途端、私は糸が切れたように眠りに落ちた。そして、再び目が覚めた時には辺りはすっかり暗くなっていた。


 真夜中、私は甲板へと足を運んだ。

 そっと船の手摺に持たれ、夜の彼方へと目を馳せる。

 空には満点の星空が瞬き、遠くに月が浮かんでいる。

 誰もいない真夜中の甲板。静かな夜の甲板はなんだか落ち着く感じがして好きだった。


「よお」


 しばらく海を眺めていると、背後から声を掛けられた。

 その声に私は背後を振り返る。すると、そこには。


「レイズさん」


 そこには本日、見事再びディーレフトを救ったレイズ・ローゼルが立っていた。


「隣、いいか」

「あ、はい」


 レイズにそう尋ねられ、どうぞと私は頷く。

 ややあって、レイズがおもむろに口を開いた。


「……怪我、痛むか?」

「いえ、ラックに治癒して貰ったのでもうなんともないですよ」


 私はそれに笑って答える。

 そうか、とレイズは短く言って。


「悪かったな、色々と。巻き込んじまって……」


 視線を伏せながらそう口にした。


「いや、そんなっ」


 突然の謝罪の言葉に私は思わず面喰らってしまう。


「そんなレイズさんが謝る必要なんて全然ないですよっ」


 というか、それを言うのならば寧ろ。


「私の方こそレイズさんに色々と失礼な事を言ってしまって……」

「確かに。結構ぐさっと来たぜ」

「す、すいませんっ」


 やられたと言わんばかりに額に手を当てたレイズ見て私は慌てて頭を下げた。

 そんな私を見て、レイズはふっと笑う。


「冗談だよ。……別にいい」


 どうやら言葉や仕草とは裏腹にレイズは私の失礼発言をそれ程気にしてはいないようだった。


「お前、結構言うじゃねぇか」

「え?」


 掛けられた思わぬ言葉に私は思わずレイズを見る。

 レイズの碧い瞳が真っ直ぐにこちらを見詰めていた。


「あ、いや、なんかつい夢中で……」

「とはいえ、いくらなんでも無謀過ぎるぞ。こんな調子じゃ命がいくつあっても足りないっての」

「あははは……確かに」


 確かにレイズの言う通り。ちょっと無茶をしたのかなとも思ってしまう。けれど。


「でも、良かったです。レイズさんの元にフレイが戻って来て」

「……そうだな」


 絶大な力を持つ英雄の剣にして父親の形見である、劫火の剣・フレイ。

 それがちゃんとレイズの元へと戻って来た。

 本当に良かった。心からそう思う。


「お前にも貸しが出来たな。――ハル」


 唐突に掛けられた言葉。呼ばれた名前。

 胸の中をすうっと夜風が吹き抜けていく感じがした。


 この異世界に来て早数日。

 ラックの『俺の妹発言』に鋭いツッコミを入れたレイズ。

 そのせいもあってか、レイズとは何となく距離を感じていた。

 けれど、今、レイズははっきりと呼んでくれた。

「ラックの妹」ではなく『ハル』と。名前で。


 突然の事に驚きつつも、その嬉しさに思わず笑顔が溢れた。

 レイズが初めて名前で呼んでくれた。

 空には満点の星が瞬き、大きな月が波間を照らす。

 こうして劫火の英雄の物語は無事にその幕を閉じたのだった。



***



 月明かりに照らされた船室。

 アレンは自身の椅子に持たれ、その瞼を閉じていた。


 ディーレフトでの一件。

 レイズはジェーナイトを打ち破り、再び祖国を救った。

 レイズは今度こそ正真正銘、自身の力でフレイに己を認めさせたのだ。

 恩人であり友人であるロイの息子が劫火の剣・フレイの真の持ち主となった事。それはアレンにとって喜ばしい事であった。

 そんな喜ばしい事があった日に、本来ならば祝い酒といきたいところだが、しかし、今回は全てが万事解決、両手ばなしで喜べる結末とはいえなった。


 『黒の再来』


 ジェーナイトが最後に残したその一言。

 それはアレンの中に一抹の不安を残した。


 とうとう事態が動き出した。

 恐れていた事態が遂に現実のものとなってしまったのだ。


 アレンは閉じていた瞼を開き、ゆっくりと息を吐く。

 深淵から黒く暗い影が忍び寄るように、底知れぬ不安が湧き上がってくる。

 ――だがしかし。


 アレンは落としていた視線を上げた。そして真っ直ぐに手を伸ばす。

 それを決めた時から。そんな事は分かっていた筈だ。


 たとえ、得体の知れない何が相手だろうと。

 たとえ、この先どんな事が起きようとも。

 たとえ、何を犠牲にしようと、どんな犠牲を払おうとも。


 俺は必ず――


 アレンのその手は宙を掴む。

 その掌から何かが溢れ落ちていくような、そんな感覚に襲われて。

 それに怯える自分を確かに感じながらも。

 その瞳には迷いはなく、拳は力強く宙を掴んだ。


 必ず――



***

これにて『第2章 劫火の英雄』編は終了です。

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