第48話 ▼食い逃げ犯を追って

 ブラインド大陸北西に位置するディーレフト。

 かつて、この国は交易地として発展し、開かれた大きな港には各地から多くの船が来航していたという。

 その街並みは、近代的な建物と並んで古代の趣きを残したままの背の高い建物が立ち並び、整備された街の地下には東海でも珍しく水道が敷かれいる。その王都ともなればさらに美しく整備され、街並みの高い場所には古くに築かれた城が悠然と聳えこの地を見守っていた。

 港に面した城下には広大な市場が設けられ地元民、来航者問わず連日多くの人で賑わいをみせていた。かつてのディーレフトは陽気な雰囲気に満ち、活気に溢れた豊かで美しい国だった。


 ――しかし、それも今は昔。

 戦時下の今、かつての面影を見る事はない。


 レイズは細い通りを抜け、大通りへと出た。

 ちらほらと疎らに歩く人影を眺めながら何気なく視線を巡らせる。すると、何やら通りの少し先の方が騒がしかった。そこへよく見慣れた人影が駆けて来る。


「スタット?どうしたんだ?」


 彼の名はスタット・エイト。帝国軍に所属するレイズの同僚。

 髪は肩程まであるミディアムヘアで色は瞳と同じ空色。性格は人懐っこく、気さくで誰にでも優しい彼はレイズの頼りになる同僚である。


「レイズ!いい所に!」


 そんなスタットが汗を拭いながら状況を伝える。


「一体どうしたんだ?」

「それがこの先の店で食事をした後、代金を払わずに逃げた奴がいて……」

「食い逃げか。どんな奴だ?」

「ボロを纏った茶髪で短髪の男で頭にターバンみたいなのを巻いてる。見た目はなんか浮浪者みたいっていうか。そいつがどうにもすばしっこくて逃げ足の速い奴で……」


 スタットは肩で息をしながら状況を同僚であるレイズに報告する。彼の話によればその男は大通りにある店を出た後、路地の方へと逃げたという。


「持っててくれ」

「え、ちょっ……待ってレイズ!」


 報告を聞いたレイズはスタットに買ったばかりの花束を手渡した。そして、スタットの制止を背に路地の方へと逃げたという食い逃げ犯を追って駆け出した。



 ***



 食い逃げ犯の行方を追ってレイズは細い通りを駆けて行く。

 大通りへと出たレイズだったが、スタットの報告を聞いてすぐに再び細い通りの方へと引き返した。その道を抜けた先、そこを直進すれば、食い逃げ犯が逃げたという路地の方へとぶつかる。

 その時、前方をスタットの報告にあった浮浪者のような影が横切った。

 レイズは見失うまいと急いで後を追い掛ける。

 どうやらその食い逃げ犯は土地勘のない者のようでどんどんと行き止まりの方へと向かっていく。次の角を左に曲がった。このまま行けば、その先は突き当たり。行き止まりだ。


「止まれ!」


 レイズは声を上げた。とうとう食い逃げ犯を行き止まりへと追い詰めたのだった。

 正面は行き止まりの高い壁。もうどこにも逃げ場はない。


「もう逃げられないぞ。観念しろ」


 レイズは追い詰めた食い逃げ犯に対し大人しく投降するよう呼び掛ける。

 ゆらりと前方の影が揺れた。


「やれやれ……」


 観念したのか、その食い逃げ犯は深く長いため息を吐いた。


「全く、たかだか食い逃げ程度で朝っぱら騒々しい奴らだな」


 くるりと身軽な動作でその男は振り返った。

 髪は短く色は茶色。頭にはターバンのような物を巻いており、所々がほつれ破けた薄手の布を何枚も重ねたボロを纏っている。

 口調と同様、飄々とした笑みを湛えたまま、こちらを振り返った男だったが、レイズの顔を見た途端、僅かにその目を見開いた。


「――ロイ?」

「なに?」

「いや――人違いか」


 けれども、それは僅か一瞬で。

 言って男は一人笑った。


「せっかく追い掛けて来てくれたところ悪いが、俺には先約があるんだ。君に付き合ってやれる時間はない」


 微塵も悪びれる素振りすら見せず男は淡々とそう口にする。そしてレイズに対し男は恭しく頭を下げた。


「なのでこれで失礼させて貰うよ。っと」


 そう言うなり、男はいきなりひょいっと手近にあった樽へと乗った。

 かと思えば、今度はそれを踏み台にして壁に張り出した縁へと手を掛ける。男はそのまま勢いを付け、もう片方の手を更に上にある縁へと掛けた。

 張り出した僅かな縁へと手を掛けて、僅かな窪みを利用して壁を蹴る。その要領を繰り返し、男は器用に高い壁を登り始めた。

 予想外のその行動。呆気に取られるレイズをよそに、男はあっと言う間に高い壁を登り切ってみせたのだった。


「さらばだ、若き軍人くん」


 壁を登り切った男は得意げにこちらを振り返る。そして一言言い残すと、そのまま壁の向こう側へと消えていったのだった。


 偶然の出逢い。重なる筈のない運命が廻り始めた瞬間。

 偶然追い掛けた奇妙な食い逃げ犯。

 これがその男、のちにクロート号の船長となるアレン・ヴァンドールとの出逢いだった。



 ***



 あの男は一体何者だったんだ。何故、父親の名前を知っていた?

 男が口にしたあの言葉。『ロイ』とは恐らくレイズの父親である『ロイ・ローゼル』の事を言っていたのではないだろうか。レイズはしばらくの間、男が消えて行った高い壁を見詰めていた。


「レイズー!」


 そこへ後方から声が駆けて来る。立ち尽くしたレイズにスタットが追い付いたのだった。


「食い逃げ犯は?」

「取り逃がした」

「レイズが取り逃がすなんて、あいつよっぽど足が速いんだな」


 レイズの報告を聞いたスタットは半ば関心したように口を零した。そして、レイズの視線を辿って驚愕する。


「まさかあいつ、この壁を登ったの?」

「ああ」

「うわぁ~マジ?ありえないんだけど」


 淡々と頷いたレイズとは対照的にスタットの口からは更なる驚愕と呆れが混ざったため息が溢れた。


「ほんとにあいつ何者だったんだろう?」

「さあな」

「あっ、そうだ!」


 そう言って踵を返そうとしたレイズ。

 しかし、スタットの言葉にその足を止めた。


「はい、これ」


 スタットは思い出したかのようにレイズにそれをそっと手渡す。スタットから手渡されたのは、先程レイズが預けた買ったばかりの白い花束だった。


「今日は親父さんの命日なんだろ」



 ***



 街から離れた場所にある小高い丘の上。そこからは王都の街が一望でき、その向こうに広がる青い海までもを望める眺めの良い場所に両親の墓は立っていた。

 海風が丘をそっと吹き抜けていく。広がる蒼海は光を弾いてキラキラと輝いて見えた。

 レイズは膝を折り、そっと墓前に花束を添えた。そして、目を閉じて胸に手を当て二人の冥福を静かに祈る。


「やっぱり噂は本当だったか」


 その時、突然背後から声が聞こえた。

 驚いて振り返ると、そこには先程取り逃がした食い逃げ犯の姿があった。


「お前はさっきの食い逃げ……!?」


 突然現れた食い逃げ犯に対しレイズは警戒して身構える。


「何故こんな所にいる?こんな所に何の用だ。わざわざ捕まりに来たのか?」


 だが、そんなレイズの警戒心など全く意に介さないかの如く、食い逃げ犯はただへらへらと笑い首を振った。


「いいや。俺はただ友人に会いに来ただけだよ」

「友人?」

「大地を焦がし炎は踊る。紅蓮に揺れるその剣を手に戦場を駆け、国を勝利へと導く者。『劫火の英雄』ロイ・ローゼルに会いに来た」



 ***



 突然目の前に現れた食い逃げ犯。

 男は言った。「友人である『劫火の英雄』ロイ・ローゼルに会いに来た」と。


「ロイとは古い付き合いでな、友人だった。昔、海で漂流してる所を助けて貰った事があるんだ。それ以来、しばらくロイの船で一緒に航海していた事があったんだよ」


 まるで昔を懐かしむかのような口振りで男は語る。


「だから勿論、君の事も知ってる。本当にロイと瓜二つで驚いたよ、レイズ・ローゼルくん」


 そしてレイズの方へと視線を向けて男は更に話を続けた。


「俺は今まで遠く西の大陸にいたんだが、そこでロイが死んだと風の噂で聞いた。けど、俺はそれが信じられなくて、こうして久しぶりに友人を訪ねて来た訳だったんだが……どうやら噂は本当だったらしい」


 あまりに唐突な男の話。にわかには信じられるものではなかったが、それを聞いたレイズは少しだけ男に対する警戒を緩めた。

 目の前で昔の話を語るこの男がとても嘘を言っているようには見えなかったのだ。

 しかし、どうやらこの男は知らないらしい。


「両親は10年前に死んだ」


 ――いや。


「殺された」


 10年前のあの夜に――


「……殺された?」


 レイズの口から静かに語られた言葉に男は驚いたように目を見開く。


「どうして……」

「…………」


 信じられないと言った顔を向ける男に対し、レイズはそのまま口を噤んだ。そんなレイズの様子を見てか、問い掛けた男もまたそれ以上を聞く事はなかった。


「いいか?」

「……ああ」


 墓前を指して尋ねた男。男に頷いてレイズはその場所を譲った。

 男は墓前に膝を折り、まるで語り掛けるかのように言葉を紡ぐ。


「久しぶりだな。ロイ。約束したのに随分と来るのが遅くなっちまった。こんな事ならもっと早くに会いに来るべきだったな」


 静かに語られるその言葉には確かな後悔の念が見えるようで。レイズは静かに男の言葉に耳を傾ける。


「ほんと、時が経つってのは嫌になるくらい早いもんだよな……」


 海風が丘をさらい流れていく。高くたゆたう雲が影を落として墓前に添えられた白い花が静かに揺れた。

 この男が一体何者なのか。正直な所、分からなかった。

 しかし、先程までの飄々とした笑みを消し、憂いと後悔の色を滲ませる男の姿は、とても嘘偽りや演技などには見えなかった。


「そういえば、例のあれは今どこにあるんだ?」

「例のあれ?」

「ロイの剣。『勝利の剣フレイ』だよ」


 墓前に膝を着いていた男は立ち上がり、こちらを振り返る。


「あ、いや、今は『劫火の剣』と呼ばれてるんだったか。ともかく、そのロイの剣は今はどうなってるんだ?」

「あの剣は今は陛下の元にある」

「陛下?この国の国王?何でまたそんな所に?」

「両親が殺された際、あの剣は国が徴収した。それ以来、あの剣は陛下が所持しておられる」

「ほう。あの剣は国王を持ち主として選んだのか。まるで伝説をなぞったような話だな」


 レイズの言葉に男は驚いたように目を丸くする。


「あの剣は滅多にお目にかかれないない正真正銘の伝説級、相当な代物だったからな。その持ち主に選ばれたってんなら国王様もさぞ鼻が高い事だろうな」


 男は一人うんうんと頷いてみせる。


「……ああ、本当に、陛下は素晴らしいお方だよ」

「まあ、とはいえだ、あの剣は伝説であると同時に、お前にとっては父親の形見でもある訳だが」

「………」


 男の言葉が棘のように胸に突き刺さる。レイズは咄嗟に男から視線を逸らしていた。そんなレイズの様子を見た男は「まあいいさ」と一つ大きく息を吐く。


「さてと、せっかく遥々足を運んだ事だし、俺はしばらくこの国にいるつもりだ」

「お、おい、待てっ」

「また会おう、ロイの息子」


 待ったを掛けようとしたレイズを無視して男はひらひらを手を振ってみせた。そしてそのまま男は街へと下る道を去って行ったのだった。

 突然、父親の古い友人だと言って現れた謎の男。

 レイズは警戒を解き、剣の柄から手を離す。その時は何故だか、その食い逃げ犯を追う気にはなれなかった。

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