第37話 海賊との取り引き

「君はラックの妹じゃない。君は一体何者なんだ?」


 アレンは言った。

 その言葉にビクリと心臓が跳ね上がる。


(バレている……)


 アレンにラックの妹ではないと。

 一体いつから……どうしてバレてしまったんだ……。


 突然飛ばされた異世界の無人島。

 その島からの脱出の為、海賊船に乗る為の口実としてラックが吐いてくれた嘘。『ラックの妹』

 確かにその設定には最初から無理があった。

 しかし、違和感があったのも最初だけで、船に乗って日々を過ごしていくうち、だんだんとそれも馴染んで来て。他の乗組員達も皆、そんな事など特に誰も気にしていないようだったのに。


 それなのに何故……。

 どうしてアレンにバレてしまった……。

 バクバクと鳴る心臓の音が耳にまで聞こえるようで。冷や汗が身体を伝っていく。


 今更ながら、本当の事を話すべきなのだろうか。

 実は私は『こことは違う別の世界から来た人間です』と正直に。

 だが、そんな事を話したところで果たしてアレンはそれ信じてくれるのか。それで納得してくれるのだろうか。

 疑問と不安とが胸の内で激しく渦巻いている。視線はおろおろと宙を彷徨い、喉はカラカラに乾いていた。


 静寂が部屋を支配しする。痛い程の沈黙がしばらく流れた。

 そんな張り詰めた空気の中、ふっとおもむろにアレンは笑った。


「――なんて。野暮な事は言わないさ。人にはそれぞれ事情ってもんがある」


 アレンは笑う。

 しかし、その表情はすぐに変わり、再び真剣な目でこちらを見詰める。


「とはいえ、だ。これは非常に由々しき事態だ。何故ならば君は、船長である俺に嘘を吐いていた事になる」


 アレンは更に話を続ける。


「君が知っているかは分からないが、本来ならば海賊船に女は乗れない。これは古くからの習わしというか風習というか。勿論、俺はそんな風習など気にしないし、寧ろ乗ってくれるのならば大歓迎だが」

「…………」

「けれども君は船長である俺に対して嘘を吐き、身分を偽って船に乗った事になる。これは言ってしまえばそう、密航と変わらない。この船に限った事ではないが、密航者にはそれなりの処罰が下る」


 処罰と聞いて更に激しく心拍数が上がる。

 身体は完全に硬直していた。動揺を隠し切れない私に対しアレンは再び笑顔を向けてくる。


「とはいえ、俺は女性には優しい紳士だ。女性の身包みを剥いで海に放り出すようなそんな野蛮な真似はしない」


 その言葉に私はほっと安堵の息を吐いた。

 たが、それもほんの束の間に過ぎず。


「だが、ラックは別だ」


 私ははっとしてアレンを見る。

 アレンの表情はさしていつもと変わらない。しかし、その目だけはいつもとは違う。鋭い光を宿した本気の目が私を真っ直ぐに見据えていた。


「ラックには勿論、それ相応の処罰をしなければならない」

「そんな……」


 言葉を零した唇は微かに震えていた、

 私のせいでラックが処罰されてしまう。そんな、そんな事って……。


「だが、俺としても優秀なラックを処罰するのは非常に心が痛む。出来る事ならばそんな事はしたくはないんだ」


 アレンはまるで心苦しさを表すかのように胸を辺り抑えて言った。そして彼はこう続ける。


「そこでだ、ハル。俺と取り引きをしないか?」

「取り引き……?」


 繰り返したその言葉にアレンは頷く。


「そう。勿論、これはお互いにとっての利益の為だ」


 そう言ってアレンはその取り引きの内容を提示した。


「君は俺を死の運命から守り、無事にホープ・ブルーが示したその場所へと連れていく。その代わりに俺は君の身分を保証し、これまで通りの船での生活を約束しよう」


 そして更にこう付け加える。


「勿論、ラックに対しての処罰も無しだ」

「…………っ」

「どうだろう、ハル?お互いの為、悪くないは条件だろう?」


 提示された取り引きの内容。

 それを聞いて、今やっと分かった気がした。


 借金まみれで女ったらし。

 ろくに戦闘もせず、重要な局面ではいつも後ろに下がってばかり。

 船長としての、上に立つ者としての威厳とか尊厳とか。そんなものなどありもしない。そんなアレンが船長足り得るその理由。


 お尋ね者。無法者。悪党。海賊。

 そんな無秩序極まるその世界で、海賊として生き拭く上で。

 物を言うのは決して金や力だけではない。金や力だけが全てではない。


 言葉巧みに人の心を揺さぶり、煽り、扇動して誘因する。

 先を見通し、得られる結果を計算して意図的に有利な状況を作り出す。

 人を欺き騙して無利益な争いを避け、決して抜け目なくその利益を得る。

 狡猾でずる賢くも鮮やかで巧みなその才覚。


 これが海賊船・クロート号船長。

 海賊、アレン・ヴァンドール。


「………っ」


 私はクッと唇を噛み締めた。

 提示された条件がもしも他のものだったならば、そんな取り引きに応じる事はなかっただろう。


 しかし、その内容が自分以外。恩人であるラックを引き合いに出されてしまってはそれを断る事なんて出来ない。出来る筈がない。

 私にはアレンの取り引きに応じる意外の選択肢などあってないようなものだった。

 笑顔を向けて来るアレンに対し、私はコクリと頷いた。

 私はアレンとの取り引きに応じたのだった。


「交渉成立だ。さすがはハル!分かってるね!」


 パンッと小気味良い音が部屋に響いた。


「これで何もかも順調に運ぶ。いやー良かった良かった」


 アレンはぱっと笑顔を咲かせ、先程とは打って変って明るい声で満足そうにそう述べる。

 張り詰めた緊張感から解放され、私はほっと息を吐いた。

 だが、それは大きな大きな間違いだった。


「じゃあ、早速行ってみようか!」

「へ……?」


 アレンは嬉々として満面の笑みでそれを指差す。

 そこには四方に開かれた4つの出口。入ってきた入り口を除けば残る選択肢はあと3つ。


「さあ、ハル。まず最初の仕事として、杖の獲得とこの城からの無事の生還を要求しようか」


 アレンはポンと肩を叩き、明るい声でそう告げた。

 私にとってはそれはまるで死刑宣告のようにも聞こえて。

 やむ終えず応じた海賊アレン・ヴァンドールとの取り引き。


 ここからこの異世界における更なる苦難の日々が幕を上げたのだった。

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