3.半魔の火山
第117話 賢者は夜闇に休息をとる
静まった夜闇に、ぱちぱちと
賢者たちは少しだけ戻って、廃墟の街で一晩を過ごしていた。去った敵影を追いかける気力はなかった。満身創痍に近い者もいる。これ以上の移動は、不可能だと皆が悟ったのだった。
「灰は降ってきませんね」
「そうだな」
焚火の周りでは、風除けにした廃墟の外壁に背中をもたれさせるノルソンと、周囲に構いなくガツガツと保存食を口に放り込むアオがいる。他の面々は同じ場にいない。女性陣は別の場所で寝泊まりすることになっていた。
食事は乾いたパンと保存していた塩漬け肉。あとレイラ様から配給された水。さっそくルーイッドは乾燥肉を口に含ませると、不意に顔を引きつらせた。
「ちょっと、これ、塩つけすぎ……」
塩分が効きすぎているうえに硬すぎる。ハズレの肉を当ててしまったらしい。ただでさえパサパサとした肉が口の中の水分を奪ってるというのに、そこに塩気が加わるとは……。
水筒を持たされていて良かったと心から思う。何度も水に口をつけ、少しずつ肉を柔らかくしながら、ゆっくりと飲み込んでいく。
悪戦苦闘する賢者をよそに、竜の勇者は平然と硬い肉を噛み千切っていた。見た目は子どもの口なのに、顎の力は常人の何倍もある。ただ、怪我をした影響もあるのだろうか。時折、
「アオ、調子はどう?」
「うむ? むう、問題ないと思うのだ。たまに痛むくらいなのだ」
「それくらいならいいけど」
戦いで負った傷は、バリエラが治療してくれたが、あの火傷痕だけは、なぜか治癒の奇跡でも浄化の奇跡でも治っていない。本人が大丈夫だというなら、そこまで気にする必要はないのかもしれないが。
「ところで、ノルソンさんは何か食べないんですか? なんだったら分けますけど……」
「いや、大丈夫だ。必要ない」
そう言うと、彼は機械化した右手首を握って、自ら表面部分を
「こいつを定期的に入れ替えさえすれば、俺は基本的に食事を摂らなくても大丈夫だ。食料は君たちで分け合ってくれ」
「じゃあ、頂くのだ」
何気なく食料袋に手を突っ込もうとしたアオの腕を、ルーイッドは即座に叩いて止めた。食べるのが遅くなっていただけで、食欲に関しては、いつも通りらしい。なんで、自分だけ、と疑問符を浮かべる竜の勇者に対して、賢者はゆっくり首を横に振るだけで黙らせる。アオだけには自重させなければならない、絶対に。
「仕方ない。アオくん」
呼ばれて振り向いたアオに、いつの間に取り出したのか、ノルソンは小さな棒状の包み紙を投げ渡す。驚いて受け取ったアオが袋を破ると、やや白みのある長細い焼き菓子が現れた。乾燥させた豆や果物を米粉と混ぜて、焼き固めたものらしかった。
いいのだ?とアオが問うと、青年は首を縦に振る。食べていいと分かると竜の勇者は、礼を言う間もなく、ほぼ一口で丸ごと頬張った。
「気を遣ってもらって、すみません」
「たいしたものじゃない。味もそこまで良くないしな。腹で膨れやすいから、空腹気味の彼には丁度よかったみたいだが」
「うまいのだ」
気に入ったからなのか、あるいは最後の一つを大事に食べているだけなのかは判別できないが、アオは長く噛み締めている。味は悪いと言っていたが、アオの様子を見ると、あまりそういうふうには感じられなかった。
「貴重な食料だったんじゃないですか?」
「別に構わない。俺は半分機械の身体だ。そもそも必要がない」
「………………」
そう言う割には、今まで大事に所持していたらしい彼に、賢者は少しだけ引っ掛かりを覚える。とはいえ、わざわざ指摘する勇気はない。
「なんだか、凄いですね。凄いっていうか、僕らとは価値観が違いすぎるというか」
「住んでいた世界が違うから当然だ。持っている技術も違えば、常識も違う。倫理観なんかもそうなんだろ」
人工の手首に新しい燃料缶を交換し終えたノルソンは、火元から少し離れて装備の手入れを始めだす。
「正直、俺もこの世界には驚かされてばかりだ。魔法なんてものは、お
「魔法がない世界ってことですか。ちなみに、どういう場所だったんですか? ノルソンさんがいたところは」
「そうだな……」
特に考えずに軽い気持ちで尋ねてみた質問に対し、ノルソンは少し苦々しげな表情を浮かべる。そして、返ってきたのは一言だけだった。
「あまり良い環境ではなかったよ」
何かを達観したかのような目で、彼は遠くを見つめていた。いったい、どういう生き方をしてきたのだろうか、とルーイッドの中で疑問が芽生え始めていた。
◇ ◇ ◇
ルーイッドたちが食事を始めるのと、だいたい同じ頃、バリエラたちもまた、光を取り囲んで座っているところだった。
入口を塞がれたままの家屋の壁を壊して、風や灰に
元々は交易で成り立っていた街らしい。建物のいたるところに木箱やら麻袋やらがあって、貴重な調度品やら食料やらが、そのままになってることも多かった。食品類は古すぎるので無視し、明かりになりそうなものや足りなかった机、椅子などは有り難く持ち寄らせてもらっている。
そして、長テーブルに食器類を並べて、用意していた保存食を一部、簡単に調理して皿に盛る。干した肉や魚をうまく盛り合わせるだけでも、質素ながらも食卓の雰囲気は出る。
最後はランタンに火を灯して、皆で囲んで食事をとる。そのはずだった。
「……重いんだけど」
のしかかる重みに耐えかねて、結界の賢者は小さく声を漏らす。バリエラの膝元には妖精のアルエッタが寝息を立て、背中側には魔導人形の勇者であるメキが、もたれかかっている。
(どうしてこうなった……)
何故かは分からないが、こうなってしまっている。正直、身体が小さいアルエッタだけなら別にいいが、メキまでもが自分の頭を、わざわざバリエラの頭の上に乗せてくる。はっきり言って邪魔でしかない。
だが、押しのけようとするのも少し気が引けている。一応は、共闘した仲だった。ただのスキンシップのつもりで、くっついてきている可能性もあった。好意でやってきているのであれば、実のところ、そこまで悪い気はしていない。
なにより、目の前の
「メキ、悪いけど、どいてくれない?」
「………………」
声を掛けてみたものの、メキから返ってきたのは無反応。それどころか離れるまい、と抱き着くように腕を回してくる。
「えっと、邪魔だから、やめてくれない?」
「ここが一番いいところだから待って……」
「いったい何がいいのよ? 私にとっては良くない状況なんだけど」
人の話を聞け、と思った。口で説得するよりも実力行使したほうが、効果は有りそうだったが、身体能力が桁違いの勇者が相手なのは分が悪すぎる。
(ほんと、どうしよう、これ……)
好きにさせている間に、ますますメキは抱きついてきて、体重も加えてくる。華奢な見た目の割に、重石を背負わせているような圧迫感。テーブルに置いた食事に手を付けるどころじゃなかった。
(うっ……)
間の悪いことに、戦いの疲れまでもが急に押し寄せてきた。一瞬だけ飛びそうになった意識をなんとか抑え、辛うじてバリエラは自分を保たせる。油断すると身体から力が抜けてしまいそうだった。
今日は早く休んだほうがいいのかもしれない。まるで魔力が吸い取られるような虚脱感に襲われていた。
(……この感じ、なんとなく覚えが)
「魔力の補給が完了するまで、あと……」
「………………」
脱力の原因が判明して、バリエラは口をへの字に曲げた。身体の力が入りにくいと思っていたが、それなら当然だった。
「――なんで、魔力を吸い取っているのよ!?」
「あうっ」
勝手に自白した犯人を、バリエラは容赦なく肩から落とす。ほとんど無防備状態のまま床に転がったメキは、きまり悪そうに口元を結びつつ、小さく呟いた。
「だめ?」
「ダメ! 人から勝手に吸い取るな!」
「少しだけなら?」
「ダメに決まってるでしょ……もう……」
じっとこちらを見つめるメキは、無表情こそ変化させないものの、物欲しそうな雰囲気を漂わせている。言うことを聞こうとしない態度に、バリエラはイライラと自分の髪をいじくり回した。
「バリエラ、あまり怒らないであげましょう。メキちゃんも復活したばかりで、魔力の補給は必要でしょうし」
「レイラ様、ちょっと甘すぎなんじゃ……、いや、そうですね……はい……」
正面に座っている水の勇者に
魔王らしき人物からの攻撃を受けていたメキは、一度は核の状態にまで戻ってしまっていた。ノルソン曰く、深刻なダメージを受けない限り、人間の姿は解けないらしく、彼女が受けたダメージが相当だったのは間違いない。
(魔王が去ったあと、いろいろ用意して、ノルソンが復活させてたけど、活動するのに必要な魔力までは集めきれなかったというわけね)
実はボロボロなのは、彼女も同じ。ならば、あまり責めるのも可哀想と思えなくもない。
「大丈夫? あとちょっと補給してもいい?」
――この図々しささえなければ。
起き上がったメキが再びバリエラにもたれかかる。今度はきちんと許可を待っているのか、吸い取られる感覚は今のところ無かった。だが、バリエラも魔力は余裕がない。
というか、少し前まで皆の治療にあたっていて、それ以前に戦いで大量の魔力を消費しきっている。他を当たって欲しいと言うのが本音だった。
「悪いけど、今日は本当に無理。私もけっこう限界だから」
「そっか、残念」
やっと諦めてくれたらしく、魔導人形の勇者は静かに背中から離れていった。自分の席に戻った彼女は、完全に電源が切れたように静止し、正面を向いたまま微動だにしなくなる。完全に置物と化しているようだった。
なんだか一人だけ無視して食事を取っているようで、空気が重く感じられる。
「メキちゃん。私からなら補給してもいいですよ」
「――ッ! いいの? けっこう吸い取るけど良い?」
「…………。少し加減してくれるのなら多分、大丈夫ですよ」
レイラ様が頷くと、メキは置物化はやめて、すぐさま席を移動する。無表情は変わらないものの、声にはハッキリと喜色が浮かんでいた。感情が表に出るなんて珍しい、と賢者はふと思う。
しかし、意外でも何でもないのか、とバリエラは浮かんだ考えをすぐに否定した。今になって思い返せば、戦闘時以外の彼女は子供らしい一面をちょくちょく見せていた。
(そういえば、あの人も明らかに手を焼いてる時があったわね……)
指揮官的な役割をすることも多いノルソンも、この白い人形の勇者には振り回されているときがあったのを思い出す。彼が
メキが最初に現れたときのことは、ルーイッドから簡単な
場合によっては、この全員の中で一番、
「メキ、少しくらいなら、まだ私からも魔力を取ってもいいわよ」
「ううん、別にいい。もう十分とれた」
「………………」
今回に関して言えば、間が悪かったとしか言いようがない。こっちも一度は拒絶しているので、別に文句があるわけでもなかった。
だが、それでも、この子は苦手だ、とバリエラは思ってしまうのであった。
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