第108話 魔物の少女は決意を固める
昔からカナリナは自分の無力を呪っていた。
幼い頃に親を魔物災害で失くし、長い間、シルノ村の孤児院でカナリナは暮らしていた。身の回りにいたのは同じく親を亡くした子供たち。しかし、その中でも彼女は生まれつき身体が弱かった。
少し走っただけでも息は切れ、軽い労働でも倒れかけてしまう貧弱な
遊ぶこともできなければ、誰かの手伝いすらできない。自分が何かをやりたくても、心配だからという理由でさせてもらえない。劣悪な環境の中、周囲の人間がまだ優しかったのは、確かに幸運かもしれなかった。しかし、そうだからこそ、カナリナはより多くの無力を痛感することになった。
ギルドに引き取られることになったのは、成長に伴って、少し体質も改善してきた頃だった。たまたま人材を探しに来ていた職員が、カナリナに魔法の素質があることに気づいたのがきっかけだった。
引き取られる話には、カナリナ自身も二つ返事で快諾した。自らを変えれる絶好の機会だと思ったからだった。魔法を使いこなせるようになれば、いつか孤児院に帰ってきたとき、きっと自分でも役立てるようになる。そうなるはずだった。
しかし、ギルドのあるヨールクでの生活は、決して楽とはいえない日の連続だった。魔法の才はあっても、それに付いていける身体ではない。日常の雑務程度ならこなせても、冒険者としては、致命的なほどに運動能力が低かった。
魔法士は守られながら戦う場合も多い。当然、職員は気にするほどじゃないと優しい言葉をかけてくれる。しかし、それでもカナリナには、自分が足を引っ張る未来しか思い描けなかった。
必死に勉強して呪文をいくつか覚えたところで、肝心の肉体が疲労に耐えられない。どんなに冒険者の技術を覚えたところで、身体は思うように動いてくれない。結局、シルノ村を出て冒険者見習いになっても、無力なのは変わらなかった。
そして実際、街に黒い魔物が出現したとき、彼女は抵抗すらできずに捕まった。
◇ ◇ ◇
「お、起きて、ください……、バリエラさん」
どんなに声を掛けても、倒れたままの賢者は目を覚ましてくれない。命に別状はないものの、バリエラの意識は完全に途絶えている。黒い魔人が引き起こした衝撃の余波で、カナリナたちは灰に埋もれた街跡まで吹き飛ばされていた。
(私を
落下の直前、バリエラが守るように腕を被せてくれたのを覚えている。おかげで、カナリナには大きな怪我はない。だからこそ、戸惑っていた。
(どうしよう、どうしよう……)
遠くには、あの怪物がいる。自分一人じゃ、どうしようもない。
最後の変身を経て、双頭になった黒い魔人は、遠くの街跡からでも、はっきりと姿を捉えられるくらいには巨大だった。大蜘蛛の脚部に巨人の半身を乗せたような異形の化け物。腕の数も左右で異なり、もはや魔『人』という呼び名も相応しいかすら疑わしい。
(どうにもできないよ、こんなの)
自分の吐息が震えていることに気づく。魔物化で生存本能も鋭敏になっているらしい。遠くでそびえ立つ敵に対して、身体が勝手に脅威を悟っていた。あれを絶対に敵にするな、と。ただ見ているだけなのに、止めることができない悪寒がよぎる。
押し寄せる不安で、頭の中が真っ白になりそうだった。とにかく起こさなきゃ、とバリエラを揺するが、全く反応はない。そのとき、どこかから声が掛かってきた。
「無事だったみたいだな」
突然のことに驚いて顔を上げると、見覚えのある人影が近付いてくる。砂に埋もれた瓦礫を踏みつけ、降った灰の地面に足跡を残し、汚れた暗緑色のジャケットを着た青年は目の前で止まった。その片目の義眼で、相手が誰かを思い出して、カナリナは少しだけ
「あっ……、ノルソンさん、……でしたっけ」
「正解だ。ちなみに君と出会ったのは二回目になる。意識が混濁しているときに会ったのも加えれば三回目。いずれもギリギリの状況だった。それでも、よく生き残ってくれた」
「…………」
口では称えてくれてるが、目の前の男は容赦なく切り捨てる非情さも備えている。バリエラが激昂した一件も思い出して、カナリナはどうしようか迷った。悪い人じゃないと分かっていても、それほど印象は良くない。
「えっと、……あれって」
遠くから地響きがしたのを機に視線を逸らすと、塔の瓦礫から白銀色の怪物が飛び出して、再び魔人に襲いかかっていた。しかし、今の魔人の前では、体格差の時点で大人と子犬くらいの差で負けている。比べ物にならない。
「
「なんとか、ならないんですか……?」
「……率直に言うと厳しい。奴の再生力の高さをどうにかしなければ、そもそも打てる手立てがない。切り裂いたところで、瞬時に回復されてしまうのがオチだ」
鋭利な鱗で覆われた金属の尾が、黒い魔人の脚関節に亀裂を入れても、その傷痕も数秒もしないうちに塞がっていく。咬みつきも同様で、巨大な牙を食い込ませても、再生する肉体が逆に押し戻す始末だった。
「一方で、奴も攻め手を欠いている。だが、それも時間の問題だ。
「そう、なんですか……」
「君は隠れていたほうがいい。命が惜しいなら、そうすべきだ」
「……………………」
告げられた戦況の厳しさ。カナリナは静かに黙り込むしかなかった。この場において、戦いの経験がないのは自分だけだった。魔人との戦いに巻き込まれれば、確実に足手まといになってしまう。
何もできない自分、今までと変わらない無力な自分が、頭の中で蘇って苦しくなる。魔物化までしてしまったのに、私は何も変わっていない。
「ついでに、そこの賢者が起きるまで様子を見てくれると助かる。誰かは傍に居てくれたほうがいい」
「皆さんは……、戦う、んですね……、バリエラさんも……」
塔のあった場所では、新たに魔人を攻撃する影が増えていた。灰を降らせる雲からは赤いローブの少年が急降下し、振り回されている斧には暗緑色の制服を着た少女が飛び移って、それぞれ魔人を
負け色が濃いというのに、まったく二人とも恐れていない。もちろん、彼らだけじゃない。今は倒れているバリエラだって、勇敢に戦っていた。
「…………あまり罪悪感を抱えるな」
「――っ!?」
「俺たちには、奴らを倒さなければならない責務があるし、戦うための能力も備えている。一方の君は、魔物化する前は、普通の女の子とたいして変わらないんだ。君に戦う理由はない。逃げたとしても、それは当たり前のことで、まったく悪くはない」
「でもっ……」
「もしや、彼女のことを気にしているのか?」
彼の視線はバリエラのほうを向いていた。図星を突かれ、カナリナは思わず息を詰まらせる。あからさまの反応をしてしまったからか、こちらを見たノルソンは小さく眉を曇らせた。
「憧れも、嫉妬もしているんだな、君は。そして、彼女に付いていきたい、そう思ってるんだろ?」
「……そう、です」
見られるだけでバレてしまうものなのか。遠慮なく心の内を暴かれて、もはや隠しようのない感情をカナリナは素直に認めた。自分を救ってくれた彼女のことをカナリナは羨望と嫉妬、両方の目で見ている。
圧倒的な魔法の才能と、それを生かせる技術。加えて、戦いを前にしても物怖じせず、果敢に立ち向かっていく度胸。どれもがカナリナに足りていないもので、魔法士見習いとしても無視できなかった。
どうすれば、彼女のようになれるのか。共に過ごせる時間が多くないと分かっているからこそ、ずっとカナリナは必死にバリエラを観察して研究していた。だから、彼女がどういう人なのか分かっている。
バリエラは凄いばかりの人じゃない。弱い部分だって抱えている。誰かを失う痛みを強く感じられる人だった。誰一人として失いたくないから、どんなに辛かったとしても体を張ることができる。
だからこそ、カナリナも何かをしたいと思った。
「支えたいん、です……。バリエラさんを……。せめて、与えてくれた分は、返さないと」
「……あえて言わせてもらうぞ。俺たちの戦いは、君が想像する数十倍は厳しいものと思ってくれ。戦う相手は、あの魔人だけじゃない。あれ以上の敵とも戦わなければならないんだ。確実に君は付いていけない」
「……っ」
意地悪でも何でもなく、真剣な表情のままノルソンは断言する。なおさらに弱い自分を呪いたくなる。気づけば、ぎゅっと唇をかみしめていた。
「来い、
ノルソンの呼びかけに応じて、虚空から鋼の怪物が出現する。何かの虫を思わせるような姿形、二本脚と四本の腕を生やした金属の魔物だった。分厚い装甲で覆われた強靭な体躯を見て、カナリナは更に唇を結ぶ。
もう人としてじゃなくてもいい。魔物としての自分でもいいから役に立ちたかった。魔物化したおかげで、今の自分には黒い植物を生み出す能力がある。ただの人間であった頃よりも、身体も頑健で強くなっている。
「ノルソン、さん……。魔物としてなら……、戦いに、参加でき、ませんか?」
「意欲は買う。けど、俺はあくまで君を民間人として見ている。君が命を賭ける必要はない」
会話している間にも、塔があった場所での交戦は激しさを増しているようだった。ノルソンも戦況を察したのか、戦場のほうを一瞥して表情を険しくさせる。援護が必要か、という彼の小さな呟きは、カナリナの耳にも入った。
「すまないが、俺は出る。賢者のことは頼む」
その背中がこの場から離れようとした瞬間、カナリナは黒い植物たちを解き放つ。魔物としての肉体から伸びたツルは、ノルソンの片腕を逃がさぬように何重にも巻き付いた。
「――どういうつもりだ?」
周囲を凍てつかせるような冷たい声で、青年は静かに顔を振り向ける。眼差しは殺気を含んでいるかのようで、魔物としての本能が警鐘を鳴らす。ここまで恐ろしく感じるなんて思いもせず、全身が緊張で硬直した。それでもカナリナは口から言葉を紡ぐ。
「やっぱり、一緒に行かせて、ください。私だって、戦えます……」
魔物化を経て、今の自分は非力ではなくなった。そして今、純粋に戦力が求められている。制御している魔物の力を全開にすれば、自分だって戦えるだろう。どんな醜態をさらすとしても役立ちたかった。
しかし、それでもノルソンは冷めた口調のまま、首を横に振る。
「……先も言ったが、意欲だけは受け取っている。だが、君に何ができる? あの強大な怪物の前で、どうやって君は戦うつもりなんだ?」
「それ、は」
返答に詰まるカナリナを、表情を険しくさせたノルソンが鋭い視線で刺す。
「人間を
「じゃあ……、勝てるん、ですか? 厳しいって言ったのは、ノルソンさんです……。皆さんが負ければ、私もきっと殺されます……。それに魔物になった私には、もう帰る場所なんて、どこにもありません……。それでも、皆さんと一緒に、行っちゃ駄目ですか……?」
かすれる喉を酷使したせいで、途中で二、三度も咳が出た。ここで置いて行かれるのは嫌だった。見てるだけなんて辛すぎる。
「私が支えたいのは……、もうバリエラさんだけじゃない……。みんなの力に、私はなりたいん、です……っ」
魔物化した自分に正気を取り戻させたルーイッド、窮地を救ってくれたアカ、目の前のノルソンや、向こうで戦うメキにも心から感謝していた。でも、ここで敗れたら皆、いなくなってしまう。なら、今できることは、やり尽くしたかった。たとえ、それが命と引き換えになることだとしても。
「そうか、決意は固いんだな……」
険しかった視線をノルソンは緩める。軽い溜息をつきながらではあったが、棒立ちしたままだった
「――
きちんと応じているのか、機械の怪物は全く反応を示さない。だが、彼としては問題ないらしく、おもむろにカナリナのほうへ向き直る。
「なるべく手助けはする。簡単に命を粗末にするなよ。悲しむ人間くらい、まだ存在するだろうしな」
そう言った青年は、少しだけバリエラのほうを
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