第100話 賢者は魔人と手を取り合う

 一筋の光さえ差さない深い水底を、バリエラは歩き続けていた。どこからか伝わってくる灰色の魔人の思念による誘導に従って、真っ暗闇の中で足を動かし続けていた。


 成り行きといえども、自分が灰色の魔人と協力することになるのは意外だった。仮にもレイガルランで敵対している間柄。同じく囚われた者同士とはいえ、手を取り合えるとは思えない。だから、どうして急に手を貸してきたのか、バリエラの中で疑問は渦巻いていた。


(どこまで行けばいいのよ)


『もうすぐ着く……』


 灰色の魔人に対して軽い文句を呟くと、ずっと追い風だった水の流れが強まった気がした。不意に押されて、前のめりになりかけたバリエラは慌てて姿勢を元に戻す。転びかけた。


(いきなり何よ。危ないじゃない)


『ふん、急かされたから応えてやったまでだ。足元くらい注意しておけ』


(いや、転んだのは急に水の流れに押されたからよ。――うわっ!?)


 今度は軽く踏み出しただけで、足首まで水底に深く沈み込む。先程とは比べ物にならないくらいに地面の感触が緩くなっていた。


(――ちょっとこれ!? 大丈夫なの!?)


『言っただろ。足元くらい注意しておけ、とな』


(はいはい、嫌味じゃなくて本当の忠告だったのね……。紛らわしいのよ、本当に)


『伝えるべきことは伝えた。それで、お前がどうなろうがオレは保証せん。――それより』


 思念の中で灰色の魔人が何やら呟き始めているが、二歩目を踏み出した途端に膝くらいまではまったバリエラは、話を聞くどころではなかった。底なし沼のように沈み続けているわけではないが、ここまで足を取られると動きようがない。


(『足元くらい注意しておけ』どころの問題じゃないよ、これっ!? この先を行けとか、私に生き埋めになれって言ってるのと同じじゃない?)


『ふん。なら、オレが罠に嵌めるために、こんなことをしてるとでも疑うか?』


(…………そうは言ってないでしょ)


 少し喧嘩腰になっていたのを自覚して、バリエラは自分の思念の声を小さくした。実際のところ、灰色の魔人が陥れてくる可能性も無いわけではない。だが、嵌めるも何も、灰色の魔人の助けが無ければ、勝手に自滅していた自覚がバリエラにはあった。


(分かった。罠だと疑ったわけじゃないけど謝るわ。けど、どうして私に力を貸すのかは教えて? それがはっきりしない限り、私はここから動かないわ)


『…………知りたいか?』


 問いに対してバリエラは即座に頷く。灰色の魔人が回答するまでには少しだけ間があった。思案しているのか、沈黙の時間は長かった。


『理由はいくつかある。だが、一番は奴が気に食わなかったからだ』


(だから、黒の魔人に逆襲するってこと? 仲間同士なのに?)


『今のオレの状況を見て、まだ言えるか?』


(……言ってみただけよ)


 囚われて拘束されて、思念による会話でしか存在を確認できる術がない状態。そこまでされて不満がないほうがおかしかった。


『ククク、まあ、お前を手助けしたこと自体に大層な理由はない。結局、オレはオレのやりたいようにするだけだ。気に食わん相手は潰す』


(……かなり非協調的というか、すっごく身勝手な発言ね)


『オレたちはそういう存在だ。意思を宿して生まれ、破壊の為に生き続ける。竜の勇者ともオレの意思で戦った。侵略自体は魔王からの命令だったがな』


 そう言って、灰色の魔人の思念から思い出し笑いが零れる。当時のたかぶりが蘇ったかのような豪快な声を上げていた。


『――無駄話はそろそろやめにするか。オレの目的は分かったな。なら、約束どおり先へ進め、賢者』


 急かすように水流がバリエラを水底から押し上げる。これなら進めるだろうと言わんばかりの補助だった。


『この場所は奴の胃袋と言ってもいい。だから、オレの介入にも限界はある。――赤子であるまいし、足くらいは自分で動かせるな、賢者』


(分かっているわよ)


 言い方に少しムッとしつつも、疑似的な浮力を得たバリエラは最初よりは軽い足取りで泥沼のような水底を歩き出す。そして、その間にも脳裏では、灰色の魔人が脱出までの段取りを説明する。


『まず、お前はここがどこか正しく認識できてるか?』


(知らないわよ。けど、あんたは胃袋の中みたいなこと言ってたわね)


『概ね言葉の通りだ。ここが奴の一部なのは間違いない。あらゆる力を解析し、吸収するための臓器なのだろう。奴にとって重要な器官だが、だからといって無理やり傷付けて突破は難しい。お前自身、そうしようとして失敗しているな?』


(…………そうね)


 少し前に、結界で形作った槍で、地面を貫こうとして失敗したのをバリエラは思い出させられた。力技で解決できるなら、とっくに脱出できているに違いない。


『付け加えておくが、別にお前でなくとも、人間ごときの力では絶対に破れん。人間ごときの力では、な』


(あんたなら破れるってこと?)


 含みがある言い方が気になって尋ねると、万全の状態なら可能だったという答えが返ってきた。


 つまり、今は不可能だということらしい。黒の魔人に力の大半を奪われてしまっているのだから無理もないが、これで強行脱出はできないというのが確定した。


(それでも、あんたが進めと言い張るのは、それを見越して言ってるわけなのよね)


『当然だ。別に突き破れというつもりはない。ただ一つ、刺激してやればいい』


(刺激……?)


 ここで突然、バリエラは急な重力を感じた。水底の泥沼に落とされたバリエラは一気に腰元まで沈み込む。灰色の魔人が生み出していた水の流れが消えてしまっていた。


(いったい何?)


『目的の場所に着いたから落としただけだ』


(………………)


 曲がりなりにも協力者であるのに、ぞんざいな扱いだった。心の内で文句をつけながらも、バリエラは周囲を確かめるために手を伸ばす。分かってはいたが、軽く腕を降ろす位置には、もう地面があった。実際の砂とも泥とも言い難い奇妙な手触りが伝わってくる。


(自分の身体が得体の知れないものに埋まってると思うと、けっこう気持ち悪いわね)


『気を緩めるな。その泥が肉体に入れば最後、奴に身体を奪われることになる』


(先に言いなさいよ、それっ!?)


 慌てて身体に纏わせた結界を強化する。だが、出力を上げた途端に、突如なんとも言えない妙な脱力感に襲われた。すかさず、灰色の魔人から止めるように口が挟まれる。


『余計な力を加えるな。その泥はあらゆる力に反応して寄ってくる。体力を無駄にしたくなければ抑えろ』


(……そう。あの地下牢と一緒ってわけね)


 最初に囚われた牢獄のことを思い返しながら、ゆっくりと結界の力を調整していく。さっきは慌ててしまったが、冷静に考えれば恐れるほどの事ではなかった。泥自体に障壁を突破する力は無い。


(それで、ここで何すればいいの?)


『最初に試みたように槍を作り出して、そのまま地面に突き刺してやれ。そこは奴の力が最も濃く集まっている場所だ。軽く刺激するだけでも、奴にとっては大打撃となる』


(つまり、急所ってわけね……。チャンスじゃない)


 ここで一矢報いる機会が来るなんて、とバリエラは薄ら笑いを浮かべた。これまで散々、黒の魔人には辛酸を舐めさせられてきた。逆襲できるものなら、きっちりと逆襲しておきたい。より鋭利な穂先をイメージしながら、バリエラは結界の力を凝縮させて、長槍を生み出す。


(ちなみに、刺した後はどうするの?)


『急所を攻撃さえすれば、どう足掻いても奴の力は弱まる。お前の魔力も多少は戻ってくるはずだ。得意の魔法が使えるなら、後はどうとでもできるだろう? 賢者よ』


(確かに、水中から浮上するくらい訳がないわね)


 結界の力を操作して、槍の長さも更に引き伸ばす。気づけば、自分の背丈の二倍よりも長くなっていた。どうせ、突き立てるだけなので大きい分は問題ない。だが、重さが増したせいでバランスを取るのには手間取った。


(持ち上げてくれない? 多分、勢いがないと失敗するわよ)


『いいだろう』


 その直後、持ち上げられるような浮遊感がバリエラを包む。再び働いた上方向への水流が、泥に嵌っていた彼女を押し上げていた。完全に泥沼から脱したバリエラは、水中で停止して、そのまま灰色の魔人に語り掛ける。


(じゃ、後は完全に任せるわ。光が無いせいで私じゃ当てられる気がしないしね)


『――ふん、最後までオレを利用するか』


 変わることなく視界は封じられている。だが、真っ暗闇でも水は動き、自分が更に引き上げられるのを感じた。より高い位置から放とうとしているのか、上への水流はより激しくなって、結界の賢者を上昇させる。


『これが、今の限界だっ――覚悟はいいなっ!』


(もちろんよ!)


 かなりの消耗を自らに強いているのか、怒号のような声が脳裏に響く。咄嗟にバリエラは行けと念じた。そして、逆流した水に乗って、鬱憤と同時に穂先を突き立てる。


(これで……、ちょっとくらいは、くたばれっ!)


 真下への水流に乗ったバリエラは、長槍を深々と地面へ入れた。落下と同時に強い手ごたえが跳ね返ってくる。深く槍の穂先は沈み込み、鋭利な先端が最深部まで到達したことを確信する。


『むぅっ』


(――!? なに?)


 渾身の一突きが行き届いた瞬間、空間全体を震わせるような衝撃がほとばしる。急激な横殴りの力が、水そのものを掻き回し始め、着地と同時に水底に嵌っていたバリエラに襲いかかる。だが、灰色の魔人は喜びの声を上げた。


『成功したぞ、賢者。奴の力が暴れ回っている』


(聞いてないわよ、こんなこと!? どうなってるの!?)


 目的達成を喜ぶ声に怒鳴りながら、状況説明を求める。だが、その答えが返ってくるよりも先に、彼女の視界のほうから変化が起きた。


(――光?)


 急に薄くなった黒色に驚きながらも、じんわりと滲む紫色にバリエラは目を細める。初めて照らされた水底は黒みがかっていた。泥や砂ではない表面は、動物の挽肉を埋め込んだかのような醜悪さだった。そして、その水底の上に二本脚が立ちあがる。


(……あんたは)


 かつては膨張するくらいあった筋肉質の灰色の肢体。それらは絞られたように細くなり、かつての戦いでの欠損も多くが残ったままだった。穿うがたれて消失した顔半分には、再生した仮面の片割れだけが付いている。強烈な印象を与えていた鬼の角は、辛うじて一本だけが残っていた。


 以前とは比べものにならないほど貧相になった灰色の魔人。だが、周囲が明るくなったのは、その鬼が原因だった。


『ククク、やっと抜け出せた。礼を言うぞ、結界の賢者』


 欠けた部位から黒いもやを漂わせている。かつてのレイガルランでの戦いでも同じ強烈な存在感を放ちながら、灰色の魔人はバリエラに対して、凶悪そうな笑みを浮かべてみせた。


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