須之内写真館
武者走走九郎or大橋むつお
第1話 修学旅行の写真
須之内写真館・1
【修学旅行の写真】
写真屋も味気ないものになったもんだと直美は思った。
U高校は、父の代からのお得意さんで、クラス写真や学級写真のほか、文化祭や体育祭、修学旅行の写真まで、一手に引き受けていた。それが数年前から入札制度になり、そこから漏れると付き合いそのものが無くなる。
やっぱりいい写真というのは、先生や子供たちと知り合い、学校の個性が分かって初めて撮れると思う。それが行事毎に写真屋が入れ替わっては、卒業アルバムに使うときなど、写真の個性がバラバラで、けしていいものが出来ない。
三年前に担当の先生が替わって、やっと三年間ワンクールにして、一つの学年の入学から卒業アルバムまでを任せてもらえるようになった。
須之内写真館は、今の二年生が入学したときから三年間任されている。
写真屋というのは因果なもので、ファインダーを通して写してしまうと、名前は忘れても顔は覚えてしまう。
今年、新学年のクラス写真を撮っていて、四人の子がいないことに気が付いた。一人は病欠だったけど、あとの三人は違う。留年したか退学したかだ。
その中の一人、花園杏奈(はなぞのあんな)は名前ごと覚えている数少ない子だ。
「おめでとう!」「ありがとう!」
キャッチボールを投げ返したような会話が、杏奈との出会いだった。
合格発表のとき、あんまり嬉しそうにしている子がいたので、思わず「おめでとう!」と声を掛けてしまった。で、「ありがとう!」と振り返った瞬間ビビッときて、反射的にシャッターを切った。
「ごめん、あたし写真屋だから、あんまり嬉しそうなもんで、撮っちゃった。まずかったら削除するけど」
「一度見せてもらえます?」
「いいわよ……これ、わあ、いい表情だ!」
「ほんと、あたしじゃないみたい!」
で、名前を聞いて、入学式の時に渡してあげたら、むちゃくちゃ喜んでくれた。
クラス写真を撮っても、杏奈は栄えた。集合写真でも、杏奈の所だけスポットライトが当たったように明るくなる。
「あたし、お母さんがチェコ人なんです」
「あ、やっぱハーフなんだ」
「この学校、修学旅行でドイツのついでにチェコも行くんで、とっても楽しみなんです!」
写真のひな壇から降りて、次のクラスに替わる短い間の会話だった。
合格発表の写真は評判がよく、次年度の学校案内の表紙に使われた。むろん本人と保護者の承諾を得て。
写真を掲載したホームページのアクセスも多くなり、ある芸能プロから紹介の依頼が来たほどだ。むろん個人情報なんでお断り。
その杏奈がいない。
「花園杏奈って子は?」
担当の佐伯先生に聞いた。
「ああ、学年末で辞めました」
「あ……そうですか」
写真屋としては、それ以上聞くわけにはいかない。
杏奈は「アンナ」と読む。チェコではANNA、どちらの国でも通じるようにと、両親がつけたんだろう。
それから、杏奈のことは、時間と共に記憶の中でかすんでしまった。
なんせ、一学年八百人もいる。遠足、体育祭、文化祭と、数万枚の写真を撮っているうちに意識にものぼらなくなった。
学校の注文がうるさくなったこともある。
個人が特定できる写真は、なるべく撮らないように、背景に、それと分かるように撮られた個人の顔はぼかすかモザイク。女の子のローアングルの写真はNG。下着が見えるような撮り方は絶対しない。それにローアングルは、足が太く見えたり、下半身が大きく写り、気にする子がいるのでむつかしいテクニックではある。でも時におもしろい写真が撮れる。やるなと言われてやってみたくなるのは写真家の性かもしれない。
開き直って体育祭ではゴール寸前の脚だけの写真を撮った。顔やバストアップよりも表情が豊かで、これはいけると思った。
しかし、ジェンダーの保護者や教職員から苦情が来た。
正直、保護者はないと思う。担当の佐伯先生の誇張だろうと思った。
で、今度の修学旅行、行先はドイツとチェコである。
三班に分かれるので、大学の写真科にいた仲間を臨時の社員にして、あたしはトラブルを避けるため一番厳しい佐伯先生の班に同行した。
バックやロングの写真ばかり。真っ正面から写せるのは集合写真くらいのものでフラストレーション。
あたしは、工夫して鏡に映っている斜め後ろや、花瓶の花、彫刻と並んで映る姿を焦点をモノに合わせ、自然なボケになるように取り込んだ。
そして、日本に帰ってから、撮り貯めた写真をサービスサイズにして、一覧にし会議室に張り出した。
そんでもって、先生、特に佐伯先生に許可をもらった写真を生徒に見せて販売する。
昔は、たくさんの注文が取れたが、今は、もうただの習慣だ。携帯やスマホが一般化した時代、ポートレートは自分たちで撮る。正直手間ばかりかかり、ほとんど儲けにはならない。
「杏奈が写っている!」
夜中に佐伯先生から電話があった。
「そんな、先生達にもご確認いただきましたし……」
「それが、写ってるんだよ。制服着て真っ正面から。あんた、あとから追加しただろう?」
「追加はしましたけど、先生達には見ていただいています」
「オレが見たあとに追加したんだ、いくらなんでも気が付かないわけがない!」
「分かりました、明日朝一番で点検にまいります」
で、明くる朝。
指定写真はおろか、どの写真にも杏奈は写っていなかった。他の先生にも確認して頂き、指定の写真をシャメって添付して送った。
一応、お詫びのメールが来たが、その夜、再び電話がかかった。
「やっぱり、映ってる!」
「分かりました、今すぐまいります!」
で…………映っていた。
天使みたいな笑顔で彫刻と並んで映っていた。
「先生、杏奈は、どうして辞めたんですか?」
「健康上の理由。それ以上は個人情報」
「先生、プラハと日本の時差は、約八時間ですね。今プラハは午前十時くらいです。逆にこちらの朝や昼は、まだ夜中です」
「杏奈は……」
「それ以上は個人情報なんでしょ。専門的な立場で言いますと。杏奈の写真は、どれも影がありません」
「え……ほんとだ」
「あとは、ご自分でお考えください。写真屋風情が口を出すことではありませんから」
呆然と写真を見つめる佐伯……先生を残して、常識と学校の結界である校門を後にした。
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