出会い編

転がるダイスが帰り道

 都心の主要駅。その西口のロータリー近く。ビルの谷間で四角く切り取られた宵闇が、さっき広がったばかりの夕方。


 坂道にショーウィンドーがのきを連ねるショッピングストリート。その入り口で待ち合わせをする人々。しばらく近くの歩道で話していた瑞希だったが、隆武に大きく手を振った。


 親友に背を向けて、ウキウキという気分を振りまきながら、瑞希は人混みに紛れてゆく。プレゼントされた化粧品の袋を顔の高さまで持ち上げて、あちこちから眺め、幸せの魔法に何度もかけられる。


 人の流れよりも頭ひとつ分出ている隆武の瞳がいつまでもいつまでも、紫のタンクトップとピンクのミニスカートが遠ざかってゆくのを、見つめているとも知らずに。


(今日はいい日だなぁ〜。自分は幸せだ。神様に感謝だ)


 慣れという早足でロータリーを通り過ぎる。駅構内へ入るのが近道なのに、瑞希はすっかり忘れて、その先の大通りへ向かってふらふらと歩いてゆく。


 小さな横断歩道に差しかかろうとすると、まるで何かの役目を終えたように、見送っていた隆武は背を向けて反対方向へ歩き出した。


 地響きのような靴音。店からあふれ出してくる音楽。駅のホームへ発着する電車の線路を踏む悲鳴。信号が変わると、スピード感のある線を引く車の走行音。


 耳障りな都会の騒音が、今の瑞希にとってはとても心地よく思える。石畳を歩く足はいつの間にか――


    *


 妄想世界で聖堂の身廊を進んでいた。赤い絨毯の上を心を鎮めて、教壇へ向かってゆく。そっとひざまずき、シャツの中から銀のロザリオを取り出す。


 ステンドグラスから入り込む癒しの光の前で、目を閉じると、


 ゴーン、ゴーン……。


 神聖で荘厳な鐘の音が響いた。しかしそこで、大声が響いて、


    *


 瑞希の妄想は強制終了した。


「えぇっっ!?!?」


 それでも、


 ゴーン、ゴーン……。


 という音は鳴り響いていて、妄想ではなく現実だと嫌でも気づかされた。ここは駅前であって、聖堂はどこにもない。さっきの叫び声は自分のもの。


「ど、どういうことっ?!?!」


 自身の寝言に驚いたみたいな出来事。我に返ってまわりを見渡したが、あたりの景色は激変していた。


「何がどうなって……?!?!」


 どこかずれているクルミ色の瞳には、何もかもがなくなっていた。首都の主要駅。その前を歩く足の踏み場もないほどの人混み。車の不機嫌なクラクション。都会の喧騒たちが姿形を完全に消していた。


 宵闇の空も石畳も、その色をなくして、全てが淡い黄色とピンクの空間へと変化メタモルフォーゼ。大きなシャボン玉がふわりふわりと飛んでゆく、七色の光を発しながら。乙女チック使用全開。


 青天の霹靂へきれき。急転直下。どんな言葉を使っても言い表せない。立っている場所がいきなり変わってしまったのだから。瑞希はそれでも何とか答えとおぼしきものを見つけてきて、


「いつの間にか眠った?」


 あまりのあり得なさに、もともと壊れ気味だった彼女の思考回路は焼き切れた。歩いていたのに、就寝するはずはない。それでも、ほんの少し復旧して、


「あっ! これでわかるかも!」


 頬をつねってみたが、思いっきりしてしまい、


「いてててっ! 夢じゃない」


 きちんと起きている。そうなるとこれは、


「現実……?」


 一人閉じ込められてしまった、黄色とピンクを背景にして、シャボン玉がふわふわと飛び回る景色をぐるっとまた見渡す。


「ど、どういうことっ!?!?」


 瑞希の白いサンダルは右に左に落ち着きなく、その場で足踏みをする。


「な、何がどうなって……!?!?」


 さっきとまるっきり同じ言動を取り始めた。妖精の森に迷い込んで、魔法をかけられたように、永遠に踊り続けそうだったが、少しかすれ気味の飄々ひょうひょうとした声がどこからか響き渡り、彼女に救いの手を差し伸べた。


「ほらよ! 選択肢――っつうか、分岐点きたかんな」


 ざっくばらんな急展開。というか、ツッコミどころ満載だった。瑞希のどこかずれているクルミ色の瞳はあたりを見渡すが、メルヘンティックなシャボン玉ばかりで、誰もいない。


 とりあえず、彼女はここから手をつけた。


「え? 誰ですか?」

「天の声だ」


 当たり前に、得意げに返事がやってきた。頭上を見上げたが、そこにも黄色とピンクのキラキラと輝く背景が広がるだけ。誰もいない。


「神様ですか?」


 強い霊感のある瑞希には、まれにあることだった。姿が見えず、高次元の声が聞こえてくるなど。ただちょっと、景色がおかしいだけだった。


 問いかけられたその人は相変わらず姿は現さなかったが、妙にがっかりして、テンションがざっくりと低くなった。


「あぁ〜、ちょっとちげぇな」

「じゃあ、どんな人……?」


 瑞希はポツリつぶやき、考えるために、流し目、上目遣い、上から目線、ガンを飛ばす。ありとあらゆる目の動きというものをさらに追求しようとした時、頭上からぴしゃんと、お叱りの言葉が降ってきた。


「いやいや! 笑い取らなくていいんだって。いいからそこはすっ飛ばして、先進めって!」


 足元に落ちていた大きなシャボン玉に手を伸ばすと、割れもせず弾力があった。その硬さを確かめて、瑞希はクッションのようにしてそこへ座る。


「っていうか、何の分岐点ですか?」


 それが一番はっきりさせておきたいことだった。声のトーンが少し低くなって、


「人生っつうのは選択の連続だろ?」

「いきなり語り出した」


 遠くから地震が来るように静かに説教がやってきたが、話の終点が少々おかしかった。


「迷ったりすることもあんだろ? だからよ、今回はこっちで選んでやっからな」


 これはれっきとしたパワハラである。誰が従えるものかと思い、瑞希はシャボン玉クッションからさっと立ち上がって、頭の上で大きく両腕を横へ揺らした。


「いやいや! 私の人生は自分で選びたいです!」

「遠慮すんなって、安心しろって。ハズレはねぇからよ」


 被せ気味に反論がやってきて、瑞希はシャボン玉の上にストンと座り直した。今自分が置かれている状況を、他の何かに例えてみる。


「ハズレ? ゲームのバットエンディングみたいなものですか?」

「それはあっかもしんねぇな。人生は命がけだかんな」


 一秒先は何が起きるかわからない中で人は生きている。昨日レストランで食事をしている途中で、いきなり暗闇に立っていた体験をした次の日ともなると、妙に真剣味が増す。恐怖心も出てくる。


 しかし、瑞希の心は強かった。右手を勢いよく上げて、今度は彼女が人生を語る。


「待ってください! 本当のバッドはありません! どんなことでも意味があります――! 何でも前向きに取ることが大切だと思います!」


 頭上からお褒めの言葉が降ってきたが、今度は中盤がおかしかった。


「いいこと言うじゃねぇか! 神様〜! ウッホォーッ! の御心みこころをよくわかってんな!」


 まるで回転付きでその場でシャンプして、興奮が抑えきれないように叫ぶようなハイテンション。


 どちらかというと、ノリノリで進むタイプの瑞希だったが、落ち着きを持って冷静にならざるを負えなかった。


「え? どうしてだけ、テンション上がりまくりなんだろう?」


 その答えは返ってこず、軽くあしらわれる。


「っつうか、時間にマキ入ってからよ。じゃあ、選ぶかんな」

「何を急いでるんですか!」


 こんな理不尽なことがあってたまるかと瑞希は心を奮い立たせ、何とか止めようとしたが、足で前に押し蹴りするように、矢継ぎ早に言葉が放たれた。


「いいから任せろって。進まねぇだろ。昔と違って、ずいぶん物分かりよくなくなったな」


 相手には知恵があるようで、話をわざと撹乱かくらんさせてくる。


「ん? 昔?」


 瑞希はそれにまんまと引っかかり、阻止することも忘れ、飄々とした声の主を、記憶が崩壊気味の頭脳で懸命に探す。


「知ってる人? こんな知り合いはいなかった気が――」

「いいから、サイコロ振んぞ」


 あの一から六まである。小さく四角いもの。コロコロと転がり、賭け事の代表格みたいなダイス。瑞希は再び勢いよく立ち上がり、両手を大きく横へ振る――全身全霊で阻止する。


「いやいや! 私の人生をサイコロで決めるのはやめてください!」


 決められるほうの身にもなれである。いぶかしげな返事が返ってきた。


「あぁ? サイコロだって、だろ?」


 小さな子供が何かを選ぶ時みたい、調子づけて言った。何事にも意味があるという信念である以上、姿なき人に容易に論破され、瑞希はシャボン玉クッションに大人しく座った。


「確かに、それも神様のお導きですね」

「だろ? よし、行くぞ」


 切り取られた世界では他の音はまったくせず、神様のお告げを待つために、話し声はやんだ。


「…………」

「…………」


 静かになった空間に、小さい何かが転がる音がかすかに聞こえる。妙な間で、瑞希はボソボソとつぶやいた。


「地味な作業だな。センセーショナルな展開なのに……」

「よし、四番な!」


 いい前振りをしてくる天の声だと思って、瑞希は即行ツッコミ。


「いやいや、何の番号ですか!」


 一から三まではどこへ行ったのか。さらには、何番まであるのか疑問だらけ。いきなり巻き込まれたほうとしてはよくわからないのである。それでも、どんどん進んでいってしまう。


「気にすんなって、番号はこっちの都合だからよ。今から言うことのほうが重要だかんな。しっかり聞けよ」


 続きがあると聞いて、瑞希はしおらしくうなずく。


「はい……」

「地下鉄じゃなくて、地上の電車に乗って帰ろう――」


 紙に書いてある何かを読んでいるみたいに、やけに棒読みだった。それが終わると、役目を果たしたというように、声の調子は戻り、ハイテンションで背中を押してくる。


「おし、これやってこい!」


 姿なき縦社会。その狭間で、瑞希はしっかりもがいた。


「ちょっと待ってください!」


 これは不服だ。素直に従えない理由がある。


「おう、言ってみろ。拒否る訳聞いてやんぞ」


 ニヤニヤ笑っているような雰囲気が思いっきり漂っていた。


「地上の電車には乗らない主義です!」


 せっかく、隆武が西口だからと言って、気を遣ってくれたのに。これでは彼女の気持ちが台無しである。


 何かがコトっと動く音がして、


「まだちょっと時間あっかんな。続き話せ」


 瑞希はさっきまで見えていた、高架を走る緑の線が描かれた電車を思い浮かべる。


「いつも混んでるんです。しかも、一回乗り換えないと家に帰れないんです。だから、一個向こうの駅――」


 見えないながらも、瑞希は指差そうとしたが、少しかすれ気味の声に、調子よくさえぎられた。


「おう、三丁目の駅な」

「あれ? 知ってるんですか?」


 聞かれていたから答えたのに、遊んでいるかのように、当然と言うように言葉が降ってきた。


「周辺の下調べはバッチリだからよ」


 何がどうなっているかわからないが、天の声の人も努力を重ねている。瑞希は両足をそろえ、丁寧に頭を下げて、ねぎらいの言葉をかけた。


「お疲れ様です」


 そうして、まだストップがかからないからこそ、説明は続いてゆく。


「三丁目の駅から地下鉄に乗るんです。ほぼ平行して走ってるし、乗り換えがないし、混んでないんです」


 天の声は少し落ち着き払った様子で、待ったをかけた。


「けどよ、瑞希」

「何で私の名前知って――」


 会ったことがないのに、おかしい限りであったが、


「いいから聞けって。たまには違うことしてみろって、新しい発見があっかもしんねぇぞ」


 言うことがやけにまともで、素直な瑞希はすぐに納得した。


「まぁ、そうですね」


 携帯電話が入っているバッグの外ポケットと反対のそれに、手のひらを当てて、瑞希は現実的な対策を練る。


「チャージが入ってなかったら、おとなしく地下鉄で、定期券を使って帰ろう」


 今までのやりとりが無になるようなことを言う。もちろん、天の声が即行訂正してきた。


「別の選択肢はねぇから、チャージしてから乗れって。そこは自腹――な」


 お札に羽が生えてパタパタと飛んでゆくのが頭に浮かび、瑞希はガックリと肩を落とした。


「私の人生、人に決められたレールの上を走ってる気がする……。っていうか、勝手に決めておいて、身を切れって言う……」


 やはり理不尽であり、パワハラだ。さっきまで大人しく従っていたが、瑞希はとうとうわめき散らした。


「余計な出費だ! 定期券を使って地下鉄で帰りたいわ!」


 しかし、彼女の顔はいい前振りをしてやったぜ的なにやけた表情をしていた。少しかすれ気味の声は、ごくごく真面目にこんな事務的なことを返してきた。


「それは企画書からはずれっちまうかんな、却下だ」


 また笑いの前振りを滑っていたが、そんなことはどうでもなくなり、会社か何かのような話で、瑞希はぽかんとした顔で頭上を見つめたが、


「企画書? 何の?」

「…………」


 いつまでたっても返事は返ってこなかった。というか、黄色とピンクの世界は泡が弾けるように消え去り、星明かりが届かない都会の夜空に変わっていた。


「あれ? いつの間にいなくなってる!」


 閉じ込められる前に進んでいた雑踏ざっとうの真ん中に立ち止まっていた。容赦なくぶつかってくる人混みからはずれて、瑞希は歩道の柵へ寄る。


 西口のロータリーから、信号が青になるたび、大名行列のように走り出すタクシー。長距離バス待ちの人の群れ。いつもの日常が広がっていた。


 霊感とは厄介なもので、無視するわけにもいかない。広い世界を見通せる幽霊や神様の言ってくることはいつでも正しくて、ずいぶんあとになってから気づいたことなど、瑞希は今まで何度もあった。


 しかし、人はが出やすい。指し示された選択肢を選びたくない時もある。だが、ここまではっきりと言われてしまうと、従うしか手立てがなかった。


「はぁ〜……」


 もうため息しか出てこない瑞希だった。そうして、今の会話で全体的におかしいところを最後に指摘する。


「っていうか、本当に誰の声? 子供――の声なんだけど……態度デカデカだよね?」


 少しかすれ気味の飄々としたチビっ子ボイスがずっと聞こえていたのだった。瑞希は人混みの切れ目から、駅の構内へと入ってゆく。何が待ち受けているのか知らずに。

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