#14:決勝その5(一途に)


 ―騙すつもりは無かったとは言えねえ。でもよお、本当の事を包み隠さず言っちまうってのも、何かわからねえけど出来なかったんだ。お前さんの日々の成長を見るにつけ、余計にな。何つーんだろうなあ、何というか、同情されたくなかった。ウェットな感情で、ケチュラに臨んで欲しくはなかったんだ。お前さんには、何も考えずにあのリングに上がって、あの熱狂をストレートで感じて欲しかった。

 記事にはガンフの本名が書いてあったんだろう? 『オオハシ モトツグ』、俺の弟だ。お前さんに、見た目も中身もよく似ていたぜ。図体はでかいくせして、びびりで、口下手で、気が弱くて。でも根っこは優しくて気のいい奴だった。

 仕事はうまくいってなかったらしいんだが、飛ばされたドチュルマで、ケチュラと運命的な出会いをしたっていうところは嘘じゃねえよ。珍しく興奮した雰囲気が伝わってくるような手紙を寄越してきやがった。帰国してからもうんざりするほどケチュラの話を聞かされたよ、それこそ俺が見てきたくらいに思えるほど詳細にな。

 あいつはその翌年の夏まで丸一年、何でそんなに、と思えるくらい体を鍛え始めた。すごい女性ヒトがいた、そのヒトと戦いたい……そんな事を繰り返し言っていた。それで黙々とジムやら道場やらを掛け持ちで通っていたらしい。会うたびに体つきが変わっていくのがわかった。俺は何故そんなにそのケチュラというものに……他にもメジャーな格闘技とかあるだろ? ……のめり込むのかが分からなかったが、一心に打ち込む弟の姿を見るのは、悪くなかったし、正直羨ましいとも思ってた。

 そしてあいつにとって、待ち望んでいた季節がやって来た。驚いたのは、あいつが俺とつれあいを、ドチュルマに一緒に招待してくれたことだ。兄さん義姉さん、飛行機代も滞在費も持つから、新婚旅行の代わりと思って来てくれ、と、そんな生意気なことを言いやがった。ん? ああもちろん、涙を堪えなきゃならねえほど嬉しかったさ。世はバブルの一歩前で、空恐ろしいほどの景気の良さだったが、俺の勤めていた繊維工場はかつかつで何とか回してたって感じでよ、そこで知り合って所帯を持つことになった聡子とも籍を入れてたに過ぎなかったわけでな、まあ、嬉しかったわけだ。

 でもよお、あんなことになるなんてよお。記事にも書いてあったんだろうが、ケチュラの決勝で、モトツグはリングの外に転落して……首の骨を折ってあっさり死んじまった。    

 今でもその瞬間のことは夢に見る。やり切れねえ思いを、その時からずっと、俺と聡子は抱きながら人生を送ってきた。それが……事の顛末だ………



 <ガンフ立ち上がれるかぁーっ!? リングから落ちて、ぴくりともしていないぞ? これは効いてしまったかぁーっ、オスカーの顔面蹴りをまともに食らい、ガンフあえなくリングアウトかぁぁぁっ!? 無情のカウントが始まるぅぅぅぅっ!!>


 ドチュルマの公用語は、キメペソ語と言う。はその言葉も翻訳の傍らちょっとは勉強したけど、ほぼほぼ言ってることは分からない。でもその実況の人の声は、僕の身を案じているように聞こえた。カウントらしきものが取られているのも聞こえてくるけど、どうやら僕はリングの外に吹っ飛ばされて一瞬、気を失っていたようだ。


 出発前夜、オオハシさんが話してくれたことを思い出していた。マスクに覆われた鼻の辺りを指で触れてみる。折れてるんだろう、そんないつもと違う感触と指についた大量の赤黒い血に少したじろいでしまうけど、まだ僕は戦える。奇しくもモトツグさんと同じようにリングから転落してしまった僕だったが、その話を聞いていたから、咄嗟に……無意識に首を守れたのか。いや、もしくはモトツグさんがこのガンフマスクに宿っていて、僕を助けてくれたのかも知れない。たぶんそうだ。


 向こう側のコーナーポストから、セコンドについてくれているオオハシさんが何か怒鳴っている姿が見てとれる。大丈夫、僕はひとりじゃない。気合いを入れるため、勢いをつけて起き上がると、僕は再び大歓声の中をリングへと向かう。


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