#08:大概に(七回戦)


 ―ああーっとおっ!! マスクマン同士の対決となったこの一番っ!! 赤・白・黒がまだらになったというか!! 恐ろしい面相を模したマスクの謎の長髪戦士っ!! ライゼン・ペッカリーがコーナーポストに素早く登ったぁっ!! 先に仕掛けるのはっ!! ライゼン選手!! 上空から、リング中央のガンフに向け、これは体当たりかっ!? 胸から当たりにいくがぁーっとぉっ!! もちろんガンフこれを読んでいたっ!! ライゼン選手、その痩せぎすな体を軽々、受け止められるとぉっ、そのまま勢いも足され、加速されてキャンバスに叩きつけられたぞぉーっ!! いかんせんライゼンっ!! ウェイトが無いことが災いしたかっ!! マットの上をのたうち回るーっ!! そこをガンフっ!! 今度は自らがコーナーに上がりっ!! 背面からひねりを入れ、ライゼン目掛けその巨躯を宙に躍らせたーっ!! これは強烈っ!! ライゼン選手「オバヒ」との異国の断末魔の声を上げっ!! 敢え無く散ったぁぁぁーぁガンフ七連勝っ!! もう止められないっ!!………


 オオハシさん宅にお邪魔してから、丸々二週間が経った。


「三郎太、散歩だよ〜」


 早朝4時。東の空がほんのりオレンジ色に染まる頃、僕の一日は始まる。待ちかねたかのようにハッハという荒い息遣いでしっぽを振る柴の、成犬とはまだ言えないかな? ……すっかり僕を家族の一員と認めてくれた(でも自分の方が僕より上と思っている)三郎太に伸縮式のリードを付け、僕は軽めのジョギングペースで、1kmほどの道のりとなる、井の頭公園へと続く道を走り出す。


「はっ……はっ……」


 走っている間は意識して呼吸を一定にしろとオオハシさんには散々言われているけど、意識するとかえって不自然な呼吸になってしまう僕は、なるべく頭を空にすることにしている。脇をちょこまかと素早い早歩きでついてくる三郎太だが、まあお察しの通り、そのくらいのスピードでしか走れていないわけで。それでも二週間前に比べたら格段に体は楽に動くようになったし、呼吸も壊滅的には乱れない。そして僕は走ることが少しづつ好きになってきている。充実感。体を動かすと、生きているんだという実感が湧く。自己満足ではあるけれど、そもそも自分が満足して何ぼでしょ、と思うことにしているのです。


「……」


 井の頭公園内の池の周り1.5kmくらいのコースを2周し、走って帰ってくるとちょうど5kmくらいの道程になるそうだ。7月も半ばに差し掛かり、昼は日差しが殺人的になるので、早朝+夕方の二回のロードワーク(と三郎太の散歩)がオオハシさんより課せられている。


 家に着いたらシャワーで汗を流し、汗だくになったTシャツやらパンツやら前日の汚れ物を洗濯機に突っ込んでスイッチON。その間に朝食の支度を昨日の残り物などを活用し、手早く用意する。何というか、無気力に起きだして、だらだらとテレビを見ながら菓子パンをほおばるというような、どうしようもない朝を過ごしていた僕に、生活力という名のスキルが付いたかのようだ。


 そして朝食・片付けが終わったらすぐさま井の頭公園へまた走って向かう。日中は日陰で筋トレか、格闘の練習。昼を近場のお店で済ませたら、近くのカラオケボックスで昼寝。家までまた走って帰り、三郎太を引き連れてまた井の頭公園2周。そして今度は関節技主体の練習をしてから、最後は歩いて家まで帰る。風呂・夕食を済ませたら、ほぼ即寝だ。


 オオハシさん曰く、ウエイトを落とさずに筋肉をしっかりつけることが、ケチュラでは最適解だそうだ。相撲取りや、それこそプロレスラーのような、筋肉を脂肪が覆った肉体。


 僕の身体は二週間で、みるみる内に変貌を遂げていた。まず体重。始める前は111kgだったけど、今は98kg。13kgもどっかに行ってしまったと思うと、そら恐ろしいくらい。まんまるに近い体型はほぼ見た目は変わってないけれど、中身が差し替えられていくような感覚が、鍛えれば鍛えるほど湧いてくる。事実、体も軽く感じる。縄跳びも今やトントントンリズムを刻めるんだ。すごい進歩だと、僕は何かをするたびにそう驚愕してしまうわけで。うん、何かが漲ってきた感じだ。


 そんな、きつくも充実したある日の夕食後のこと。


「……だいぶサマになってきたところで、お前さんにこのガンフ・トゥーカンのレジェンドマスクをお目にかけよう」


 オオハシさんがそう厳かに告げつつ、古びた桐ダンスの上の方から取り出してきたのは、これまた年季の入っている、黄ばんで角がボロボロの薄い紙箱だった。


「『オオハシ』という鳥、知ってるか? 井の頭公園にもいるはずだが」


 オオハシ……名前ではぴんと来なかったけど、画像を検索して、ああーと納得した。よくテレビとかでも見るし、その特徴的な巨大クチバシは、一度見たら忘れないだろう。


 まんまるの黒い瞳、黒い羽毛に覆われた体と、それと同じくらいの大きさのオレンジ色のクチバシ。何度見ても思わず見入ってしまうほど、不思議なフォルムだ。


「……『大橋オオハシ』っつー、俺の名前と同じだからよぉ、親しみを感じてた。だからこいつを作ってもらった」


 オオハシさんは丁寧な手つきで紙箱の蓋を開ける。そこには、薄い和紙に包まれた円い布状のものが見て取れた。その外装を取り去られて茶の間のテーブルの上に引き出されたのは、前面がオレンジ、両側頭部にあたる部分の少し上には、まんまるの黒い目のような模様。後ろの方は白と黒のコントラストが美しく混ざり合うようなデザインにアレンジされている、まさしくレスラーが付けるような、本格的な革生地の質感をした「マスク」だった。


 か、かっこいい……オオハシという鳥はどことなくユーモラスな外見だが、それをうまく、何というか雄々しいデザインにしている。目の部分と口・顎のところが開口しているところとか、いいな、これ。


「俺の名前が『大橋 元夫もとお』っていう。『元夫』を『ガンフ』と読んで、『オオハシ』の英名『トゥーカン』をくっつけりゃあ、極東からの謎のマスクマン、鋼鉄のオオハシ、ガンフ・トゥーカンの出来上がりよぉ」


 おお、そんな由来が。いや、でもマスク被ってってのはいいな。僕も僕ではない、何者かになれるかも知れない。そう思ってそのオオハシのマスクを広げたり裏返していたりすると、


「被ってみたらどうよ、マルオ。お前さんに二代目ガンフを継いでもらってもいいんだぜ?」


 ほ、ほんとですか!? と色めきたつ僕を制し、マスク背面に通された紐を丹念に緩めてくれるオオハシさん。何かドキドキする。そして今まさに!! マスクが僕の頭に被せられた……っ!!


「……あれ、ぴったりだ」


 思わずそうつぶやいてしまったが、そのガンフマスクは僕用に誂えたかのようにジャストフィットしていた。紐を結んでもらい、鏡を覗いてみる。そこには目つきは鋭く(マスクの模様だけど)、鼻筋も通った(マスクの構造だけど)、ひとりの戦士の姿があった。


「似合うぜ、マルオぉ、いやさ、鋼鉄のオオハシ、ガンフ・トゥーカンっ!!」


 オオハシさんが乗せるのを間に受け、僕はいろいろなポーズを取ったり、シャドーを始めたりしてみる。うーん、やっぱりいい。マスクマンはいいよ。


 と高揚した気分もそこまでだった。風呂上がりで上気した僕の顔面や頭は、通気性のあまりよろしくないマスクの内側で猛烈に汗を蒸散していたわけで。その水分が、長い年月の間にかさかさに固結していたさまざまなニオイの元となる汚れたちを目覚めさせてしまったわけで。


「は臭ぁぁぁぁぁぁぁぁっっっ!!」


 動物性なのか、強酸性なのか、詳細には認識できなかったけど、痛烈な激臭が僕の鼻と口腔を襲った。どう、とその場に倒れこむ僕。やべえやべえと、オオハシさんがマスクの紐を解こうとしてくれているけど、きっちり編み込むように結んだからか、全然緩む気配が無い。


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