教訓と実感と求めている何か



テレビをあまり見なくなったひとつの理由が 最近 わかりました

それは

自分よりも年下の人の多くがテレビ番組を作り

ニュースを伝えるキャスターからドラマの主人公

バラエティで浮き足立ったわけのわからないモノを放出するタレントから

お天気おねえさんにいたるまで

自分より年下の人の多くがテレビに出るようになったから 

だと思っています


テレビは自分にとってずっと 教えてくれる存在 

だったような気がします


果たして

年下に教えてもらうことが嫌なのか

それとも

テレビから教わろう という気持ちそのものが薄らいできたからなのか

テレビから発せられる情報を信じられなくなったからなのか

わかりません



テレビもネットも全国各地の出来事を頼んでもいないのに伝えてくれます

知らない市町村の 知らない小さな町内のトピックまで根掘り葉掘り伝えてくれます

それらのトピックの中の多くを占める

あまりに陰惨な事件や首をかしげるような過失事故から得る教訓はあるでしょう

でも

その教訓そのものが自分にとって嫌悪の対象

になりつつあります

それは

あまりにも教訓が増え過ぎてきて嫌になった

のもあるし

教訓を実行することは そのものではないか

と思い始めたからです



昔 当たり前にやっていたことは 

今や その多くが理由付きで説明しなければ通用しないこと

になってしまいました

物も

人も

心も

行動も

全てがそうです


そんな変化は 大昔からずっと繰り返し行われてきたこと

だったかもしれませんが

それをやっと今 実感できるようになりました

でも

その実感のほとんどを辛く感じてしまうのは何故でしょう



それはそうと

今日も このおんぼろビデオカメラがちゃんと動いてくれて

とってもうれしかったです

特別な機能も無く ただ撮って 見るだけのビデオカメラだけど

普通に動いてくれるだけで うれしかったのです

何回も修理したことで 買った値段以上の修理代が掛かってるのに

何故 君を捨てずに使い続けたいと思ったのか

自分のことながら 最近までその理由がわからなかったのです

実感できてよかった と思えることは今のところこれぐらいです


このように

自分は

教訓ではなく 違うものを求め始めているんだけど

それが何か

短い言葉で表すには まだ少し時間を必要とするようです




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